024 オリジナルロボット、製作開始






 夜。玉川家。

 ソファーに腰掛けてニュースを眺めていた友弥は突然、後ろから誰かに抱きつかれた。

「痛っ! おいハルカ!」

 叫ぶ声に、背後の人物は顔だけを覗かせてきた。悠香だ。

 顔も見ずに名前を言うことが出来るのは、これが悠香の常套手段だと分かっているからである。何の常套手段かと言うと、

「ユウヤ! ごめん! お金貸してっ!」

 お願いをする時の常套手段なのであった。

 悠香の腕を引き剥がすと、友弥はその顔を振り返った。「どうしたんだよ。お前、確か先週小遣い貰っただろ」

「急に高い買い物しなきゃいけなくなったの! だから急ぎでたくさんお金必要なの! ユウヤ、確か三万円くらい貯蓄あったでしょ?」

「何で知ってんだよ」

「ユウヤがこの前通帳出しっぱなしにしてたから」

 ギクリとする友弥。数日前から、見当たらないと思っていたのである。悠香がサッと出して見せたそれは、確かに近所の東京サンシャイン銀行で作った友弥の通帳に違いなかった。

「ハルカ、これ、どこで」

「居間だよ?」

 今の母さんたちに聞かれてないだろうな、と辺りを見回すが、幸いにも悠香の他にはリビングには誰もいなかった。ホッとしたと言うか、何と言うか。

「ねー、お願い」

 通帳を手にまた抱きついて──いや、締め付けてこようとした悠香からターゲットを奪い取ると、友弥は訝しげに訊ねた。

「何に使うんだよ。それ次第」

「……あんまり言いたくない」

「言わなきゃダメ。貸さない」

 一瞬、泣きそうに顔を歪めた悠香は、深刻な表情で友弥に申し出てきた。

「……絶対、ぜったいお母さんたちに言わないって約束してくれる?」

──? 

「いいよ、言わないよ」


 悠香はやおらに足元に置かれたカバンのチャックを開き、何やらビラを引っ張り出した。

 それを、友弥の顔の前に押しつける。

「私たち、今度これに出場する事にしたの」

 ビラを手に取ると、友弥はそれを眺めた。

「……ロボコン、か?」

 なぜまた、突然。

「山手女子の存続のために、私たちがこれで一旗挙げようってなってね」

「…………?」

「で、リーダーになっちゃった」

 ……友弥は悠香をまた振り返った。何だと?

「マジかよ⁉」

 悠香は真顔で頷く。「部品を調達しなきゃならないんだけど、私あんまり財源ないから……。お母さんたちにバレないように進めてるプロジェクトなの。だからお願い、言わないで!」

「つまり何だ、開発に必要な金が手持ちじゃ足りないから貸せって事?」

 こくこくと首を縦に振る悠香。ちょっと考えて、友弥は通帳を開いた。


 已むを、得まい。


「分かったよ。今度下ろしてくる。絶対返せよ?」

「もちろん!」

 悠香の顔に、満面笑顔の花が咲いた。





「────ロボコンねー……」


 悠香が自室に消えた後。テレビの音量を少し下げると、友弥はビラに端から端まで目を通した。さすが公的機関の開催と言ったところか、カラー刷りだが質実剛健なデザインのビラには開催日時や場所、ルールなどが詳細に記載されているばかりで、飾りっ気をまるで感じない。

──そう言えば試験前、ハルカがロボットの本を何冊も借りてきて読んでたな。そのまま寝落ちして、俺が布団を掛けてやったこともあったっけ。

 あの場で決めたというわけではなさそうだ。ビラを机の上に置き、ふうっと息を漏らす。

 思い返してみれば、悠香が自分で『これがやりたい』と言ってきたのなんて、これが初めてな気がする。やはりこの間、父が見せていたあの雑誌に触発されたのか。

 指の腹で、紙を擦る。


──どうなんだろう。

 友弥は目を閉じて、考えた。

──あの雑誌の悪辣な批判の物言いに腹が立って、それで何か始めることは決しておかしくはないんだけど。むしろ、いいことなんだろうけど。開催までまだそれなりの日数があるし、その気持ちだけで、あと二ヶ月を完璧に乗り切れるのか。途中で心境に変化が起こる事がないなんて、とても思えない。俺だって起こしそうだもん。モチベーションを保つって、本当に大変な苦労だから。

 友弥だって山手中高で怠惰な生活を送ってきたわけではない。色々とやってきたつもりだ。だからこそ、想像がつくのだ。

 ある程度まで来たところで心だけが満足してしまって、もういいやって思ってしまうことは、往々にしてある。それが一番怖いが、悠香はそういう危惧は感じていなさそうだ。


──心配だな……。


「ハルカ」

 半開きのドアに向かって、友弥は声をかけた。

「困ったら、頼れよ。俺でも出来ることがあるなら手伝ってやるから」

 なぜそう声をかけたのか、自分で一瞬分からなかった。

 暫しの間を空けて、控え目な要望の声が跳ね返ってくる。

「うーん……それなら、明日の放課後ちょっと買い物に付き合ってくれない? 私、独りであの街に行ったら、なんか迷っちゃいそうで怖くって……」




 この時、安請け合いしてしまったことを友弥は後悔することになる。




◆ ◆ ◆




 翌々日。品物のお披露目の日がやってきた。


「じゃーん! 買ってきたよ!」

 耐火性能追求のために真っ黒な特殊塗料を塗られた机の上に、悠香が大量の部品を派手にぶちまけた。既にそこには、先日四人で苦心して粗大ごみ置き場から発掘した部品が並べてあったのだが、もうこうなってしまうと何が何やら分からない。

「あ、ちょっと何してんのよ! 整理しなきゃダメじゃん!」

「だって私、型番の表しか貰ってなかったんだもん」

「まぁまぁ、今やればいいよ。ハルカありがとね」

 リストを二人の間に差し込みながら、陽子は笑いかける。「大変だったでしょ?」

「ユウヤに来てもらったから全然大丈夫だったよ。道に迷って大変だったけど」

「ああ、お兄さんだっけ」

 いつか名前を聞いたことがあった陽子は、すぐに反応した。へぇ、お兄さんいるんだ、と亜衣が奥で変に感心している。

「秋葉原の人たちって怖いね」

 やれやれと大袈裟にため息をつく悠香。「疲れたなぁってちょっと腕にしがみついたりとか、道が分からなくなってユウヤの隣くっついて歩くだけで、道行くおじさんたちが凄い目で見てくるんだよ。あそこの人たち、何て言うか、眼差しが真剣なんだもん」

「…………」

「…………」

 突っ込みたい。いや突っ込めない。そもそもここは突っ込むのが妥当なのか否か。じわじわと湧くばかりの苦い唾を飲み込む陽子たちを前にして、悠香はキョトンとしている。

 別の意味で心配になってきた陽子は、振り払うべくちょっとボリュームを上げて言った。

「……まあ、いいや。とにかく中身を確認して、作り始めよう。詳細な設計図はここにあるから」


 悠香たち四人は、部品の型番とサイズの照らし合わせを始めた。

 今回菜摘に描いてもらったのは、リフトアップを司る機構の設計図だ。フォークリフトとエレベーターの仕組みを応用し、ワイヤー代わりのチェーンを使って高さ六メートルほどの二つのタワーに沿って『可動床リフト』を上下させる仕組みになっている。

 必要なのは、かなりの重量にも耐えられる強靭な滑車と軽量チェーン、モーター、モーターの回転力をチェーンに伝える減速用ギアボックス、リフトがタワーから外れてしまわないようにするガイド部品、それに回路を組むための電子部品などなど。たったこれだけを作るのに、部品の数はあまりに多い。


「『ユニバーサル基盤Dー122』……」

「『与圧式高性能リニアレール1300ーAc』……」

「『導電性高分子固体コンデンサー2.5V』……」

「…………」


 ……これがまた、根気のいる作業である。

 膨大な量の部品の中には、型番は違っても外見はほぼ同じものが、かなり含まれているのだ。

「……あーもうイライラするー!」

 真っ先に弱音を吐いたのは、亜衣であった。

「休憩しようよ休憩! 目がチカチカする!」

「えー、早くない?」

「あたしもまだまだ余裕」

 二人はすかさず反論。黙ってはいるが麗も同感のようだ。すっかりいじけたように、「いいよ! 私だけ休むから!」と亜衣は椅子に座り込んでしまった。

「やっぱさ、ハルカたちこういう単調な作業得意なんじゃない?」

 そう言うと、悠香はちょっと嬉しそうに返す。「かもしれないなぁ。あんまり飽きるような気がしないもん。私ってこういうのに向いてるのかも!」

「喜ぶ所じゃないけどな」

 バカにされてるのに気づけよ、と陽子が呆れ顔で突っ込んだ。むーっと頬を膨らませた悠香は、ふいに何か思いついたようにふっとそれを和らげる。

「そう言えば、もう春休みじゃない? 昨日が修了式だったんだから」

「そだね」

「なのに、どうして私たちこの部屋使えてるんだろ。部活じゃない生徒が勝手に入ってよかったんだっけ」

 ああ、そのことか。とでも言いたいように陽子は顔を上げた。

「あたしが一昨日、愛好会設立申請を完了させたからね」

 愛好会⁉

 その場の全員が反応した。「いつの間に⁉」

「いずれ活動に支障が出てくるかなーと思って、申請書を生徒総会の代表委員会に提出しといたんだ。一昨日の議会で可決されたので、無事あたしたちは『ロボット研究会』として愛好会になりました」

 なんという用意周到さであろうか。

「……ちなみに会長は?」

 亜衣の問いに、陽子は亜衣ではなく悠香を見る。

「ハルカだよ? あたしは嫌だったから名前使わせてもらった」

 ああ、やっぱりなぁ。すぐにそう思ってしまうあたり、もう悠香にもすっかりお飾り代表リーダーの自覚が芽生えてきているのか。




 三十分が経って、窓から差し込む光ですっかり夕焼け色に染まった机の上には、ずらりと部品が並べられた。

「……大丈夫っぽいね」

「ああ、ちゃんと揃ってるよ」

 腰の痛む分類作業をようやく終えた悠香たちは、一様に伸びをして固まった身体をほぐす。

「組み立ててみる?」

 これまた発掘してきた骨組みをもてあそびながら麗が小さな声で訊ねたが、陽子は首を振った。

「まだ、やめとこう。今から始めたんじゃ、時間が半端になるよ。出来かけでどこまでやったのか分かんなくなるのが一番ヤバいからさ」

「そもそも今日夕方からしか始められなかったのって、なんでなの?」

「物理部の都合」

 陽子は亜衣の前に表を広げて、一点を指差す。物理部からもらってきた活動予定表である。

「今日は物理部の活動日だったんだよね。だから、作業出来るって言ってもせいぜい部品の確認くらいだろうなとは思ってた」

「じゃあこの表の通りなら、明日は大丈夫なんだね」

 覗き込む悠香。「明日九時くらいに集合して、製作に入ろうよ」

 陽子も同感であった。設計図を見た感じ、悠香と二人だけで組立をしたとしても、二時間くらいで出来るだろうと見当を付けていたのである。取りあえずは動作試験だから、麗の配線や亜衣のハンダ付けにもさして時間は必要ないはずだ。

「そうだね。じゃあ、明日九時……」


 言いかけた陽子は、ジト目で悠香を見遣る。

「……ハルカ、起きれる?」

「バカにしないで! 平日だからちゃんと起きれるよ!」

 悠香は顔を真っ赤にして憤慨した。必死である。ああ、加虐心をくすぐられるなあ……などと思ったのはきっと陽子だけではあるまい。

「えー、怪しいなぁ。あたしが直々に目覚ましコールしてあげようか?」

「なんか私すごいバカにされてる! 大丈夫だよ! この前のアキバの時だって起きられたんだから!」

「……レベル低いなぁ」

「自律、できてない」

「二人とも酷いー!」

 あわれ、亜衣と麗にも囃された悠香はすっかり涙目なのだった。






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