017 トラブル発生





「あのさ、後でこれ取り付けておいてくれない?」

「何これ。接着剤でいいの?」

「それで問題ないと思うなぁ。ほら、そいつのカバー開いたらあの複雑な構造が出てくるじゃん。そこの一番手前の枠がまだ空いてるから、そこに嵌め込む感じでいいの」

「あー、把握した。やっとくよ」

「ごめんね。それがないとイマイチ力が発揮されない気がしてさ」


 ある日の物理実験室。今日は物理部の活動日のため、悠香たちはここにはいない。

 そこで会話を止めた二人の物理部員は、ふうっと疲れを逃がすようにため息を吐いて座ると、ふと目の前にあるロボットを眺めた。

 先に話しかけた方が、手にしていた鉄骨状の器具をそばに置いてロボットを手に取る。脇を叩くと、カンカンと金属質のいい音が響く。

 これは『積み木』の輸送に使用するロボットだ。既に大半が完成しており、今はひたすら改造と改良を繰り返している段階である。


「やっぱそれ、導入して良かったよね。いい判断だったよ」

 ロボットを玩ぶ一方に、もう一方が笑う。「それってユリの発想だったよね、確か」

対衝撃構造インパクト・レジスタンスの話?」

「うん。飛び道具以外の攻撃なら大体は受け止められるんでしょ?」

「全方位はさすがにムリだけどね。修理とか後付部品アタッチメントの取り付けがあるから、上下と前後には施せないし」

「でもさすが、弱冠高一で任された設計担当だよねえ。ユリの頭の良さには勝てないよ、私たちは」

「そんなことないよー。振り子式台車ペンデュラムの提案したの、マナカでしょ?」

 ユリと呼ばれた方は、ロボットを裏返しながら尋ね返した。マナカと呼ばれた方、少し照れ臭そうに下を向く。

「実は昨日、試作っぽいモノを作ってみたんだ。鉄道の振り子式車両を真似て作ったから、あんまり自由な動きはできないんだけどね」

「そこの制御は芦田先輩がプログラム組みで何とかしてくれるから大丈夫だよ。私もそれ、見てみたいなぁ」

「じゃ、じゃあ明日持ってくるよ。笑わないでよ? イビツな形だからって笑わないでよ⁉」

「え、そうなの? じゃあ笑うかも──」

「おいっ──」


 楽しそうに騒いでいた二人だったが、そこでようやく周囲の静かな空気に気がついたのか、ほぼ同時に口を閉ざしてしまった。


 物理部ロボット班の活動は目下のところ、三台のロボットの製作とその改良である。物理実験室を貸し切り、それぞれのロボットに班員を振り分けて別々に作業を進める。だから一見して進度はバラバラに見えるのだが、最終的には何だかんだで同じくらいに竣工するのが例年であった。

 会話厳禁なるルールは存在しないものの、作業中は基本、班員たちは黙々と自分の仕事をこなしている。むしろ喋っていた二人には後輩からも白い目線が飛ぶくらいで、二人はそれを敏感に感じ取ったのだった。

 窓の外は雲に覆われ、太陽のそれとは違うどんよりとした光が物理実験室の窓際を満たしている。


 邪魔にならないように配慮しているつもりなのだろう、ユリがひそひそ囁いた。

「そういえばさ、マナカ聞いた? 私たち以外にも、あのロボコンに挑戦するグループがあるんだってよ」

「マジ?」

「マジだって。中三だけのグループみたい」

「へぇ、私たちのいっこ下かぁ」

 マナカも興味を示したらしい。が、その方向はユリとは異なっていたようである。

「邪魔にならないかなぁ、その子たち」

「邪魔にはならないでしょー。それより、面白そうだと思わない? 同じ学校から二チームが参戦するなんて、私の覚えてる限りじゃ一度もなかったよ?」

「分かってるの、ユリ? 私たちは優勝を目指してるんだよ? 少しでも敵は少ない方がいいに決まってるよ」

「そんな無理に潰さなくたっていいじゃない。どのみちきっと、実力では私たちの方が上なんだろうし」

「でも、不測の事態が一番怖いって部長も班長も言ってたしなぁ」

「……その時は、その時だって」

「うん……」


 完成間近のロボットを前にして、二人の会話はそこでついに跡絶えてしまった。

 力作のロボットを見ていると、不思議と負けるような気がしなくなってくる。この気持ちはもしかして、自分たちの力に酔っているのか。二人には分からなかったが、同時に去年のロボコンを近くから見ていた立場として理解してもいた。あのロボコンで勝利に必要なのは、何よりもまず自信なのだと。

 設計図を前に広げ、二人はまた沈黙の作業へと戻っていったのだった。頭上の蛍光灯が図面の紙を照らし、その反射光が顔を白く白く映し出していた。





◆ ◆ ◆





「かーんせーい!」


 叫ぶ悠香たちの前の机には、中型のヒューマノイドロボットがちょこんと端座していた。

 ADL-27S。お値段十五万円のボディは、心なしか一際輝いて見える。

「……意外にちっせえ……」

 そう呟きかけた亜衣だったが、一転して微笑みをこぼした。

「ま、これでも私たちには大きな一歩だよね。なんせ初めて作った実用的なロボットだもの」

「ナツミ、ちゃんと足の関節とか写真撮っといてくれたよね?」

「バッチリ撮れてるよ。見る?」

 デジカメを掲げる菜摘。後々作るときに参考にするかもしれないので、カバーを付ける前に撮っておいたのだ。

 が、大興奮の悠香はそんなことに構っていられない。

「そんなの後でも確認できるじゃん! ほら早く動かしてみようよ!」

「落ち着け、まだ電池も搭載してないから」

 宥めるのは陽子の役目だ。「時間も時間だし、やるなら教室の方がいいよ。こないだみたいに見入って時間を忘れても、教室なら怒られないしさ」

「……もう逐一時間制約に縛られるのはイヤだね」

 菜摘が呟く。まったくだ、やっぱり自前の工房がほしいものである。


 教室に着いた。

「よし」

 電池を電池ボックスにはめ込むと、悠香はリモコンを手に取った。「スイッチ、ON!」

 ごくり。

 誰のものともなく、喉の鳴る音が教室内に重く響いた。


──動かなかったらどうしよう。もし私のミスで動かなかったとしたら、最悪だ……。


 五人とも、期待と不安の入り混じった表情の裏で、そんなことを考えていたに違いなかった。

 が、緊張もつかの間。

 ウィーン。

 軽い音をたて、ロボットは右足をゆっくり上げると、そのまま一歩前進した。動いたのだ!

「ぃよっし!」

 ハイタッチする陽子と亜衣。

「やった! 動いた動いたよ!」

 興奮度MAXの悠香に抱きつかれ固まる麗。ここぞとばかりに写真を撮りまくる菜摘。

 ロボットはそんなことになど興味を払う素振りもなく、新たな一歩を踏み出そうとしている。



 それは、五人の努力が初めて『一歩』という結果を残した瞬間だった。



「すごい……。なんか泣けてくるよ……」

 言いながら本当に頬を拭う亜衣。

「……色々、大変だったもんな」

 同情しつつも、オーバーだなぁと亜衣の背中を叩く陽子の指には今、絆創膏がベタベタと貼られている。三日前、作業中にミスをしてカッターで斬ってしまったのの名残だ。

 悠香の指には間違って接着している最中の場所を触ってしまった跡が、亜衣の手にはぐるぐる巻きの包帯の下に、初めて扱ったハンダごてで誤って焼いてしまった跡が、それぞれ痛々しく残っている。麗の手元には繋ぎ間違えてぐちゃぐちゃになってしまったコードが、数本転がっていた。

「……やっぱり一番苦労してないのはナツミじゃない」

「そっ、そんなことないよ! 私だって頑張ってプログラム組んだんだから!」

「まあまあ、もうそんなのどうだっていいじゃん。こうしてロボット完成したんだよ?」

 間に入って仲を取り持つ悠香。「ね? ね?」と二人に笑いかける。

──……なんか、ハルカの笑顔見ると、怒る気が無くなっちゃうんだよな。

 調子狂うから嫌だけど、と亜衣はため息をつく。「ま、確かにハルカの言うとおりだわ。取りあえずは、私たちの成果を眺めることに徹しよう」

 そう言ってしゃがみ込んだ亜衣は、床の上を少しずつ歩いていくロボットに目線を合わせた。


「……ねえ、ナツミ」

「んぁ?」

「あのさ、一歩歩くのに何秒掛かる設定になってるかって、わかる?」

「……ちょっと待ってて」

 すぐさま菜摘はパソコンを起動し、ウィンドウを呼び出す。「試運転設定でしょ? 一歩当たり、2.63秒ってことになってるよ」

 亜衣の顔に寄った皺が、一本増えた。

「……ちょっとハルカ、こいつおかしくない? 見てみてよ」

「おかしい?」

 亜衣に手招きされ、言われるがまま悠香はロボットを暫く眺めていたが、似たような顔になって頷く。

「……一歩につき一秒半くらいしか掛かってないように見えるんだけど。アイちゃん、これ気のせいかな」

「私も同感なのよ」

「二人とも疲れて見間違えてるだけなんじゃないの?」

 確かめようと半信半疑の陽子がロボットを拾い上げようとした瞬間だった。ロボットのスピードが、唐突に倍になったのだ。ガシャンガシャンガシャン、と陽子から逃げるように走り出す。

「いやっ、これおかしい! 絶対おかしいよ!」

「変だな……プログラミングのミスかなぁ?」

 慌ててまた各種ウィンドウを引っ張り出して確認を始める菜摘に、傍で黙って見ていた麗が一言。

「プログラミングじゃない」

「……やっぱ判るの?」

「多分、配線が絡まるか何かして誤作動してる。可能性があるとすれば……ショートとか」

「……そうするとどうなるの」

「最悪、発熱して──」

 麗がそう言った矢先。

 ロボットは走りながら、『パァンッ』と軽い爆発音を立てた。

 五人は真っ青になった。

「ヤバいヤバいヤバい! ハルカそいつを止めろっ!」

「そっ、そうは言われてもこの位置じゃ……」

 今や一歩0.4秒くらいになってしまった超高速ロボットは、悠香の足元を危なっかしい姿勢でグルグル駆けずり回っている。

「……こいつハルカのこと好きなんじゃないの?」

「うそー、こんなバカなのこと好くわけないじゃない」

……菜摘の最初の一言に不覚にも一瞬頬が赤らんだ悠香だったが、亜衣の次の毒舌でかえって心が冴えた。失礼な、と怒りを込めてロボットを睨む。

──落ち着け、落ち着くんだ私。よーくタイミングを狙えば……。

 刹那、ロボットの肢体が、わずかに広げた悠香の腕の先辺りを通過する。

 今だっ!

 悠香はロボットに手を差し伸べ、

 ……ロボットが手から抜け、

 ……「あ、ちょっ……!」

 無理な姿勢が祟ってバランスを崩し、


 ドンガッシャーン!

 机やら椅子やらが派手に倒れる音が、教室にこだました。


「痛ったぁ……」

 頭を押さえながら立ち上がる悠香。

「わっ、ちょっと大丈夫?」

 四人が集まってきた。

「頭、思いっきり打ったよぉ……」

「ロボットは⁉」

「……なんで私よりロボットの方が大事なの⁉」

 涙目の悠香をよそに陽子と亜衣は机の山を掻き分け、そこで何やら煙が立ち上っているのを見た。

 その発生源は言わずもがなロボットだ。

「もっ……、燃えてるのこれ⁉」

 亜衣が悲鳴を上げた。なんということだ、麗の予言が的中してしまった!

「やっぱさっきの爆発で──」

「とっ取りあえず水掛けなきゃ!」

「待て早まるな、どこが煙上げてるのか確かめてから──」


 その時。

 ガラッ、という重い音が響き、思わず五人は硬直した。

 聞き慣れた若い女性の声が、耳をガンガンと打ち鳴らした。

「こら、もうすぐ最終下校時刻よー。早く帰りなさ────ってちょっと何⁉ 何よ、その煙!」


 最悪、だ。

 五人が同時にそう思ったのは、言うまでもない。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る