後日談 2 前編

<Side ガーベラ>



「朝食ができます。起きてください」



 目を覚ますと、そこにはエプロンをつけた愛理……アイリスが立っていた。リビングの方からスープのいい匂いが漂ってくる。



「ああ、おはよう。アイリス」

「おはようございます。では、私は先にリビングに戻りますので」



 それだけを言うと彼女は寝室から去っていった。

 まるで昨日のことが夢のように思える。そう、昨日だ。昨日、俺達は結婚したんだ。披露宴やら宴やらのイベントで盛大にお祭り騒ぎして、帰ってきてからは疲れ果てて泥のように眠った記憶が残っている。

 そんな記憶の中で、特にウェディングドレスに身を包んだアイリスはこの世のものとは思えないほど美しかったことが焼き付いている。一生忘れることはないだろう。


 しかし当のアイリスは先程、浮かれることなくいつも通りの対応を見せた。結婚前、魔王を倒してから一ヶ月同棲していたことになるが、その時の日常となんら変わらない対応。流石と言うべきだろう。少し寂しいけど、その冷静さが彼女らしい。


 着替えてから言われた通りリビングに向かう。そこには既にパン、スープ、オムレツ、サラダといった基本的な洋風の朝食が並んでいた。アイリスはちょうどエプロンを脱ぎ、畳んでしまっているところだった。



「寝起きが良いのは貴方の良いところの一つですね」

「はは、ありがとう。もう席に着いてもいいかな」

「ええ」



 椅子を引き、座る。俺とアイリスで対面するような形になる。

 なんだろう、王様に屋敷をもらってからアイリスと一緒に過ごす朝はほぼ毎日こんな感じで朝食を迎えていたはずだけど、今目の前にいるのが妻で、目の前にあるのが妻の手料理と考えるとまた変わったものに思えてくる。



「いただきます」

「いただきます」



 元日本人としてつい手を合わせてしまう。そして、まずはオムレツに目を向けた。が、そのオムレツがいつもと違った。

 アイリスはケチャップやマヨネーズ、ソースと言った人の好みで使う分量が異なるものを扱う料理の際、それらの使用をその当人に任せてくれることが多い。


 だが今日は違った。オムレツには既にケチャップがかけられていた。まだしょぼくれる目を擦りそのケチャップに目を凝らすと、それはなんとハート型になっていた。



「アイリス、これ」

「ふふふ、はい。なんでしょう」



 前言撤回だ、彼女もいつも通りなんかじゃなかった。内心浮かれているんだ。ハートに気がついた俺に対し抑えきれない笑みが溢れている。ものすごくかわいい。こういうところがあるから俺はアイリスのことが……。



「好きだ」

「……っ! そ、そんなこと承知しています。さ、冷めないうちに食べてください!」



 言葉が正直にこぼれてしまった。ああ、俺は今、とてつもなく新婚らしいやりとりをしている。きっと側から見たらニヤケすぎて気持ち悪い顔をしているんだろう。これが、幸せ。


 それからハートのインパクトで味もよくわからないまま完食し、とりあえず歯磨きや洗顔まで済ませ、俺は紅茶と情報誌と共にソファについた。

 

 俺やアイリス、あとロモンちゃんやリンネちゃんは騎士団長格、つまりあの城の幹部として召し抱えられることになっている。しかし、肝心の役職をどうするかなどがまだ決まりきっていないため、今日からまだ数ヶ月はおやすみのままだ。


 元々生活のため、あるいは強くなるためだけにやっていた手前、いまさら冒険者家業にも戻るつもりもないし、結果的に時間はたっぷりある。こうして余裕のある過ごし方をしても問題がない。



「……」



 アイリスが無言で真隣に座り込む。そして俺の顔をしばらく眺めると、ほぼ抱きつくように俺の体にもたれかかってきた。

 昔の俺は信じられるだろうか、あるいは同級生達、道場のみんな。あの文武両道で冷静で勤勉でクソ真面目で仕事人だったあの、あの石上愛理が今こうして明確にわかりやすく甘えている姿を。


 この姿を俺との結婚前に想像できる人間と言ったら、お嬢様かターコイズ家の面々くらいだろう。俺は手に持っていたものをすべて置き、アイリスの肩を持って抱き寄せる。


 アイリスは再び顔をこちらに向け、俺のことをジーッと見てきた。おそらく頭の中で俺に対してのことを色々と独白しているのだろう。

 これは推測に過ぎないが、アイリスは頭の中では案外不真面目だったりする。そもそもロリコ……幼い美少女好きだし。


 とりあえず少し我慢できなくなった俺は、彼女と対面するように姿勢を変えた。そして彼女の頭を撫でてから顎を軽く触る。何をしたいか察したのか、アイリスは一言。



「いいですよ」



 とだけ言うと、顔を上げてふんわりと目を瞑った。

 そして俺は昨晩寝る直前以来のキスをする。新婚だから少し長めに。

 

 

「……えへ」

「すごい満たされてる気持ちだ」

「そうですか。私もで……」



 そこまで言うと、アイリスは急に眉をひそめ一瞬何かを考えるかのような素振りを見せる。そしていつもの真顔になった。



「いや、ダメです。このままではいけません」

「流石に新婚だからといって朝からキスを求めるのは不埒だったかな?」

「いえ、その逆です。私たちは愛し合って結婚したのです、夫婦になったのです。新婚です。貴方が夫で私が妻なのです。とにかく、その、そう言うことですから……これだけで満足していては……!」



 徐々に白い頬が赤みがかってきた。

 その時、俺の勇者としての能力が発動する。そしてとあるビジョンを見ることになった。そう、とあるビジョンをだ。

 言葉にすることはできないが、なるほど、今日の展開は予想できてしまった。



「で、で、ですから……!」

「大丈夫わかった。何が言いたいか」

「……もしかして能力が発動しました?」

「うん」

「な、なら話が早いですね!」



 こうして問題なく結婚できてるとはいえ、俺とアイリスは両方ともどちらかというと奥手だ。

 そしてアイリスは半生の影響で男性そのものは大丈夫だが、少しでも性的な意味を含めた目線や態度を感知したら、過剰なほどの嫌悪を示すようになった。


 無論、地球では彼女の幼馴染でもあり、この世界でもあのクソカニ野郎から間一髪彼女を守れた俺は、その思考に至った経緯を知っているため、付き合ってから今まで彼女に合わせたそれ相応の態度をとっている。……だから正直、付き合う前にギルドのみんなにアイリスな好きな身体の部位をばらされた時は焦ったが。


 また、同時にアイリスの結婚した相手とは心も身体も許したいという考えも同居を始めてから理解した。俺もその考え方には賛成だった。まさかそれを利用されてキスから結婚を迫られるとは思ってなかったが。


 要するに、今まで性に悲観的だったアイリスとそれを理解していた俺。この二人が組み合わさるといくら互いに心を許しきってるといっても中々初めての夜に挑めず、そのまま長年ズルズルとなにもせずという状況が出来上がる。俺たちはこれが十分あり得るのだ。


 それを新婚で盛り上がってるうちになんとかしたいとというのが彼女がこれから言おうとしていた提案だったはずだ。言うのが恥ずかしそうだったから止めたけど。

 でも、まさかアイリスが考えてるその日というのが……。



「そうか、今日か」

「そこまで予知できたんですね。そ、その通りです。実は……その、前々からいつでもいいように準備はしていました」



 アイリスはもっと顔を赤くしてモジモジしだす。この世界に来てからのアイリスは表情豊かであることは知っているが、やはり長年のイメージは地球でのクールな方。故に俺は今、俗に言うギャップ萌えという電撃に痺れている。

 アイリスが俺の耳元に顔を近づけてきた。



「あの、私、最終的に子供は五人欲しいなと考えているんです」

「ご、五人!?」



 予知では見えてなかった驚きの発言。子供好きだから子供が欲しいというのはわかるが、流石にその人数は予想していなかった。あのアイリスが言うんだから何か考えがあるのだろう。



「なんならもっと多くてもいいです」

「確かに子供は俺も欲しいけど、どうしてそんなに」



 彼女曰く。

 元々十四年以上メイドとして働いていた自分は育児や給仕が大得意であり、何人育てても大丈夫だろうという自信がある。

 そんな自分が他者を急速に成長させる特性、膨大すぎる魔力、女性にしては頑丈な肉体を持っている。加えて夫である俺が勇者としての魔力、特性、肉体を有している。そんな二人から生まれてくる子供も自ずと強い子が生まれてくる。だからこそ、たくさん子供を作りたいのだという。



「ほら、お母さんやお父さんの実子であるロモンちゃんとリンネちゃんは他者よりずば抜けて優秀でしょう? ベスさんの息子のケルくんもです。この世界はどうやら親のステータス的な意味での強さが、産まれてくる子供の強さに大幅に関係してきます。ですから種の保存と意味でも子供を多く作りたいのです。いえ、なにより。夢でも再びお父様やお母様と対面する時、子供を腕いっぱいに抱えてて……幸せだよって、言いたいんですよ」

「そっか……まあ、うん、無理のないように頑張ろう」



 たしかに自分達のことながら、勇者と賢者の石の子供っていうのは将来どうなるか気になる。それに子供がいることでアイリスが幸せを感じるなら惜しみなく共に歩みたい。でも五人かぁ。本当に頑張らなきゃな。

 ……と、考えているとアイリスが少し陰った表情を浮かべて自分の腹部をさすり始めた。



「でも私、半分が無機物に魂が入っただけのゴーレムで、その上本体は石ですからね。子供、ちゃんとできるか分かりません。おじいさんやお母さん曰く大丈夫そうらしいですけどね。……どう思います?」



 今日はアイリスの感情がコロコロ変わる。結婚前から考えていたこと、全部吐き出しているんだ。アイリスの疑問は医者でもないし魔物の専門家でもない俺には分からない。



「希望をもって。あの人達が大丈夫だっていったら……」



 簡単な慰めの言葉。それを述べようとしたところで本日二回目の新しいビジョンが浮かんだ。

 お腹が膨れたアイリスに、そのお腹にまだ顔はよく見えないもののおそらく笑顔で一人の子供が耳を傾けている、銀髪で肌が白くてアイリスによく似た、おそらく女の子だ。



「……どうかしましたか」

「いや、うん。大丈夫。どうやら子供はできるみたいだ」

「そうでしたか! 予知できたのですね?」

「ああ」



 アイリスはこの上ないくらい満面の笑みを浮かべた。やっぱり最高に可愛い。



「で……では! ぜ、善は急げですね!」



 そう言って彼女のは強く抱きついてきた。ただその抱きつい方がぎこちないため、無理やり自身のテンションを上げて行動しているのがよくわかる。

 アイリスは俺の腕に顔を擦り付けながら、深呼吸をし、先程のキスと同じようにこちらに顔を向けた。エメラルドのような綺麗な瞳が不安そうに揺れる。



「ご、ご存知だとは思いますが、私、貴方とのキス以外したことなくて。何もかも初めてなんです。お手柔らかにお願いしますね……?」

「そんなこと言ったら、俺もだよ」

「そ、そうでしたね……! しかしガーベラくん、地球でもこちらでもモテていたでしょう? 地球では武に身を置いたり私の手伝い、あとは勉強ばかりで女の子と付き合う時間がなかったとはいえ、こちらではおよそ一年は私と関わる時間がなかったはずです。その間に誰かと……あるいはいかがわしいお店とか……そういう機会は無かったんですか?」

「え、モテてた? そうなの?」

「ええ、あなた側からみたらイケメンで優しいと評判だったんですよ、こっちでも向こうでも」


 

 覚えがない。あ、いや、そうあえばあるといえばある。高校通ってた頃はバレンタインとかなんか色々もらった気がする。……女性には愛理以外に興味なかったし、それとは別にライバル的な意味で愛理を超えるために鍛錬ばかりしてたから気がつかなかった。それにこっちでも同じようなものだったし。



「こっちでも生活のために強くなることと趣味の料理のことばかり考えてたからなぁ」

「人のこと言えませんが、だいぶストイックですね」

「そうだね。……そういうアイリスこそ、両方の世界でモテてただろう? 特にこっちなんて告白してこようとする人たくさんいたじゃないか。まあ、あからさまに興味なさそうだったけど」

「ええ、その通りです。何度も言ってるじゃないですか、貴方だからこそ私は身も心も許しているのですよ」



 そう言うと、それから彼女は俺の目を見て黙った。何かを待っているようだ。しかしよくわからないので、かなりの長い間沈黙が続く。

 


「あ、あの……」

「うん?」

「お、押し倒したりしないんですか?」

「あ、ああ、今の沈黙ってそういう……」

「そうです。私のことすっ……好きにして……いいんですよ? 私、結婚した相手が私に対して望むこと……全部、否定しないつもりですから」

「そんな大袈裟な」

「人に付き従うのが私の生き方なので。夫となればもう……」

「仮にその相手がDVするような人だったらどうしたの? それでも黙って暴力を受け続けたってこと?」

「はい。……しかしそれが嫌なので心から信頼できる人と結婚したんです。先ほども述べたように、貴方だからこそです」



 俺は彼女の肩を強く掴んだ。こ、ここで押し倒すべきなんだろう。

 ……だが俺の体が動かない。こんなにも俺はヘタレだったか。彼女はこんなにも勇気を振り絞っているのに。だが、気持ちの整理がつかないのなら無理に奮い立ったって仕方がない。失敗するのは目に見えている。なら、気持ちの整理をつけるための時間を稼ごう。

 俺はゆっくりと肩から手を離す。



「……ごめん、アイリス。やっぱりこういうのってムードが必要だと思うんだ。ほら、一般的には朝っぱらからそういうことする人って少ないだろ?」

「あ……たしかにそうですね。すいません、慌てすぎました」

「い、いや、俺こそ気持ちを汲んであげられなくてごめん。でも夜寝る前……風呂で身を清めてから……寝る前になったら……」

「わかりました、で、ではそうしましょう」




【後半へ続く】





#####


すいません、やっぱり後日談は3話じゃ無理そうです。

と言うわけで数話追加します。全部で5話くらいになるかもです。

次の投稿は4/13か、1週間空いて4/20の予定です。

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