肆冊目

つづら、この図書館にいる間は、その文庫本を絶対に手放さないで」


 白い縁取りに淡い青色の表紙に変貌してしまった文庫本を見て、そう念を押す汐理しおり。そういえば、汐理は紫色の文庫本を、ぬいぐるみのようなモノたちに食べられていたはずだ、と綴は思い出す。


「この文庫本は、いったい何なんですか?」

「さぁ……僕にもわからない。ただ、此処に現れる異形のモノたちは、本の『ページ』が好物らしい。僕も不意をつかれて本を取られてしまってね」


 汐理が図書館実習のためにこの図書館に来ている事は、綴は先程聞いたばかりだ。だが、閉館して暫く経っているはずのこの時間に、何故実習生の汐理だけが残っているのだろうか、と疑問が浮かんだ。


「汐理先輩は何故、こんな時間に……?」


 綴がそう尋ねると、汐理はしばらく沈黙した後、首を振った。


「さぁ……どうしてだろう。何も思い出せないんだ」


 綴は咄嗟に、先程修繕した汐理の文庫本を開いてみる。パラパラと中身を見てみると、ギッシリと並んでいる文字のある頁の中に、真っ白な紙だけが混ざっている箇所がところどころに見られる。……先程綴が修繕した箇所とほぼ同じ位置だ。


(もしかすると、あのぬいぐるみや他のバケモノ達に「頁」を食べられると、その「頁」の中に書かれていた部分の「本の持ち主の記憶」が消えるのかしら……?)


 先程まで綴と話していた汐理は、過去の事も淀みなく語っていた。しかし、今彼が此処にいる理由にあたる記憶は消えているようだ。少なくとも、綴の知っている汐理ならば、その明晰な頭脳よろしく、過去に起こった出来事をそう簡単に忘れる人ではない。それに、よく気が付くタイプの人間でもあるので、自分が綴にプレゼントしたブックカバーを綴が愛用しているのを目にすれば、何か言うはずだ。


「汐理先輩……このブックカバー、覚えていますか……?」


 綴は恐る恐る、汐理にそう尋ねてみる。淡い水色に小さなピンク色の花の模様の刺繍が施されているデザインのものだ。受け取った時に、彼の見ている前でプレゼントの中身を見ても良いか尋ねた綴に、汐理は珍しく照れ臭そうにしながらも「好みに合えばいいんだけど」と口にしていた。


 汐理は綴が差し出したブックカバーをしばらく眺めていたが、やがて首を傾げると、綴の予想した中で一番恐ろしかった答えを口にした。


「綺麗な柄のカバーだね。見覚えがあるような気がするんだけど、よく覚えていないな……何かの雑誌の付録だったの?」


(やっぱり、さっきのバケモノ達が食べていたのは、ただの「頁」じゃないんだ。あいつらが食べていたのは、この文庫本に書かれていた「記憶」、……か)


 柄にも無く涙が出そうになるのを堪えた綴は、再び汐理に尋ねる。

 今は「情報」を集めなければいけないのだ。この歪んだ「図書館」から脱出するための「情報」を。


「先輩は、事務室側の出入り口からは出られなかったんですか? 外に通じているドア、ありますよね?」


 図書館の職員が出勤や退勤するときに使う、職員用の通用口はどうだったのか尋ねてみる。綴が図書館の方から事務室に入ってきて、真正面にそのドアはあったのだが、事務室内を見て回っているうちに汐理の声が聞こえたので、綴はそのドアにはまだ触れていなかったのだ。


「……そういえば、まだ通用口の方には行っていないんだ。エプロンをしまおうとして此処に来たんだけど」


 そうして、あのバケモノ達に襲われていたのだ。


 汐理と綴のいる給湯室の反対側に、修理中の本を並べる棚が置いてある。その他にも、いくつか扉付きの棚が置いてあったので、おそらくそれが職員の荷物を収納しておく場所なのだろう。実習生の汐理も、そのうちの一つを使用させてもらっているようだ。


 綴は、失礼を承知で、その扉付きの棚を、一つ一つ開けていった。棚は縦に五つ、横に二つずつ並んでいるものと、その横にも縦に五つ並んだ棚が設置されている。全部で十五人分の荷物が収納できるようにしているのだろう。……図書館員の人数に対して、少し数が少ない気はするのだが。


 一番上の棚を開けようと、綴は手を伸ばして背伸びをした。女子高生の平均身長よりも少しだけ高い程度の綴の身長では、中がギリギリ見えるかどうかといった高さだ。

 二つ並んだ方の棚の右上側から順番に開けていく。上の二つは問題なく終わったのだが、三つ目、右側の上から二番目の棚を開けた瞬間に、何かが飛び出てきた。元々、何が飛び出ても良いように構えた状態で棚を開けていた綴は、冷静にソレを避けた。――体育の授業は綴はあまり好きではないのだが、反射神経は綴が自分で思っているよりは鈍くは無いのかもしれない。

 どうやら職員が図書館に所蔵されている雑誌のバックナンバーを借りていたようだ。たまたまこの中に置き忘れてしまったのだろうか。綴の記憶によればこの号の雑誌の表紙を飾るのは、イケメン俳優の微笑みだったはずなのだが、今では形容しがたい状態になっていて、手を伸ばすその俳優だったモノの顔はどう見ても「イケメン」ではない。

 溜め息を吐きながら雑誌の表紙が下になるように棚の中に伏せて置いた綴は、その棚の扉の裏側に何かが貼り付けられているのを発見した。


 どうやらこの棚の使用者は、日の浅い職員のようだ。貼り付けられているメモには、「開館前の準備」や「閉館後の業務」について書かれた項目が有り、その他にもいろいろな筆跡で書き足しが行われている。「お茶くみ」や「清掃」、他に「もっと行動を素早く」や「足音がうるさい」など、新しめな筆跡のモノにしたがって、理不尽な内容になっているようだ。綴の知っている限り、そんな職員は目につかなかったようなので、おそらく年季の入った職員による陰湿な「注意」なのだろう。あまり目にしたくは無かった、お気に入りの施設の裏側を覗いてしまったようだ。

 他にも、図書館の案内パンフレット(綴も昨年利用者登録をしたときにもらっている)などが入っていた。パンフレットの中身を見てみたが、本来のパンフレットとは内容が異なっていた。全体的に歪んでいて、施設というか、建造物としてのバランスすら取れていない。が、綴が二階で歩いた廊下の長さなどを考えると、この改竄されたパンフレットの地図の方が、今の「図書館」に近いのかもしれない。

 申し訳ないが、綴はその棚からパンフレットを拝借することにした。


 他の棚も開けてみた綴だったが、雑誌やイラスト付きの小説のカバーからバケモノが飛び出てくるだけで、先程のパンフレット以外には特に目ぼしいモノは無かったので、綴は一通り棚をチェックし終わると、汐理の元へ戻った。


 汐理はそのあたりにあったパイプのスツールに腰かけて、自身の所持物である紫の本をチェックしているようだった。パラパラと頁をめくり、近づいてきた綴の方に顔を上げた。


「そうだった、僕がこんな時間に此処に居る理由。ちょうど探していた本がこの図書館に所蔵されているのが分かったから、閉館後に地下の書庫に取りに行ったんだ」


 それがこの本だった、と言いながら、紫色の文庫本を振る。


「もちろん、書庫の棚から手に取った時は、普通の本だったのだけどね。こんな状態になっているのに気が付いたのは、地上階に戻ってからだよ」


 汐理が探していたという本の内容も気になる綴だったが、今はこの「図書館」から脱出することが優先だ。

 図書館の内部に関しては、ただの高校生の綴よりも実習生として中に入っている汐理の方が詳しいはずだ。通常の入口や、職員用の通用口が使えないとなると、別の外に続いている場所を見つけなければならない。


「汐理先輩、玄関と通用口以外に、この図書館から外に通じている場所は有りますか?」

「それなら……実習の始めの日に、非常時のためにって、いくつか教えてもらった非常口があったはずだけれど……そのパンフレットはどうしたの?」

「職員の方の棚からお借りしました。どうやら、私達に配られていたパンフレットの地図とは形状が異なっているようだったので、何か参考になればと」

「そう……ソレ、ちょっと貸してみてくれない?」


 そう言う汐理に、綴はパンフレットを差し出す。汐理は握っていたエプロンのポケットから、一見同じようなパンフレットを取り出し、中を比べている。


「確かに、僕が実習の始めにもらったモノとは違うみたいだね。僕の持っていた方は、通常の図書館の案内図だ。でもこっちは……」

「おそらくですが、『今』の『図書館』の地図ではないかと」


 そうだよねぇ、とうなずく汐理は、困ったように首を傾げる。


「どうやら、僕が教えてもらった非常口までたどり着くのも、案外厳しいかも知れないね」

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