参冊目

 何故か図書館の事務室内にある給湯室の隅で丸くなっている冴島さえじま 

汐理しおりを見つけてしまったつづら

 汐理に声を掛けてみたが、反応が無い。


 彼の近くを注意深く見てみると、少し離れた床に、白い縁取りに淡い紫色の文庫本のようなモノが落ちているのが目に入った。そして、その中の「ページ」をゴシャゴシャと音を立てて破り、咀嚼している、先程とは別のぬいぐるみ的な何かが二体。

 どうやら、修理中の本がまとまっている棚から、何冊か落ちてしまったようだ。その中から出てきたであろうぬいぐるみ的な何かが、紫の文庫本の「頁」を「食べている」。


 綴は思わずそのぬいぐるみ的な何かを文庫本から退け、ソレを拾い上げる。

 だいぶ中身は食われてしまったが、一応「本」としての体裁だけは保っているようだ。汐理の方を見ると、悲鳴を上げるのは止まったようだが、やはり何も反応はない。


「えさ……とられた……」

「じゃあ……こっち……たべる」


 ぬいぐるみ的な何か達は、今度は汐理のそばに置きっぱなしにしていた綴の鞄に向かおうとする。

 綴はとっさにスマートフォンのライトでそれらを照らした。


「まぶしい……きらい」

「ひやけ……しちゃう」


 すると、ぬいぐるみ的な何か達は、元居たと思われる絵本の中に戻っていった。


 綴は鞄を拾い上げた後、汐理に再び声をかけたが、やはり反応は無いようだ。むしろ、反応が無くなった分、余計にぐったりとして見える。

 綴はとりあえず、拾った紫の文庫本を確認してみることにした。表紙には「Siori」と書かれている。


(まさか……この文庫本の「頁」と汐理先輩がリンクしている……なんて、考えすぎかな)


 そうは思って見るものの、夢かもしれないこの世界では既にいろいろとありえないことが起こっている。いや、起こりすぎている。


 一旦事務室の方へ戻った綴は、本の修繕が出来そうなスペースを発見した。

 本好きとは言えども、綴はただの女子高生だ。本の修繕どころか、どうやって本が作られているのかなんて知らない。友人の一部には、個人で本を作り、即売会などで手売りしている者もいるようだが、本の作り方に関してなんて話はしたことも無い。


 しかし、夢の中だからなのか、夢の中「だからこそ」なのか、綴の手は自然と紫の文庫本を修繕していた。


(それにしても……こんな夢の中にまで出てくるなんて、私はそんなに汐理先輩に会いたかったのだろうか)


 綴が汐理に抱いていた感情はいろいろある。が、それは「兄が居たらこんな感じだろうか」とか、「学力やその他など、見習うべき点が多々ある」等といった感情が殆どで、恋愛感情は含まれていない。それは汐理の方もだ。「優秀な妹」のように感じたり「同じ学年なら切磋琢磨しあえたのに」とは思っていても、恋愛には結びつかない。それが彼女と彼の関係であり、それゆえに綴が汐理の「ファンクラブ」からお咎めなしとされていた理由でもある。


 修繕を終えた紫の本を持って、綴は再び汐理の元へ向かった。飛び出しっぱなしのぬいぐるみ的な何かは相変わらず冷静に避ける。


「汐理先輩、冴島 汐理先輩ですよね? 私です、綴です」


 そう声を掛けながら、綴が文庫本を手渡すと、汐理はガバッと顔を上げた。


「……綴……? なんで此処に?」

「勉強部屋で自習をしていたら、閉館に気付かず」

「……え、でも閉館アナウンスは流れたはずだし、閉館後の見回りも、二階の職員さんは問題ないって……言ってたんだけどな」

「……閉館アナウンスも、見回りも、ついでに言うと清掃係の人も、勉強部屋には来ませんでしたよ」

「そんな……ウソだろ」

「そう思いたいのですが、本当です」


 綴と話しながら、なんとか立ち上がった汐理は、着ていた薄手のロングカーディガンに付いた埃を払っている。手には、図書館員たちが掛けている深い緑色のエプロンが握られていた。


「汐理先輩は、何故此処に?」


 場を持たせようと、今度は綴が汐理に問いかける。

 綴の記憶の通りなら、汐理は今、国立大の一年生として勉学に励んでいるはずだ。講義を受け、友人やサークルの仲間と遊んだり、真面目な汐理に限ってないとは思うがお酒なんかも飲んだりしているかもしれない。アルバイトなどをして、社会経験とやらを積んでいるかもしれない。


 二人はメールアドレスの交換などもしていなかったので、互いの近況や動向などは知らないのだ。


「図書館実習にね、来ているんだ。ちょっと早いけれど、取れるモノは先に取っておこうと思って」


 どうやら汐理は大学で司書の資格課程を取っているようだ。もっとも、汐理の事なので、他にも資格の取れる課程は逃さず取るだろうが。

 彼は綴の知っている「冴島 汐理」のままのようだ。否、夢だからこそ、自分に都合のいい汐理の存在を作り出しているのかもしれない。


「図書館実習ですか? ……随分と時期外れですね」

「普通に夏休みとかに行こうとすると、このあたりの図書館は殺到してしまうからね。それに、この時期なら、試験期間前で実習に行こうなんて奴もそうそういないし、此処の図書館は柄に無く繁盛しているからね。時期外れだろうと、実習生だろうと、人手が出来るなら、って受け入れてもらえたんだ」


 もちろん妙な時期での申請だったから、基礎的な知識が伴っているかは試験されたけれどね、と付け加えた汐理。大学に入ってからまだ数ヶ月しか経っていないはずだが、やはり彼の頭脳は優秀なようだ。


 綴も、大学進学を希望する以上、入学してからの粗方のスケジュールは調べておいてある。今の時期は試験前で、普通の学生ならば、試験問題になる箇所を聞き逃さないよう、必死になって講義を聞いたり、友人同士でノートの貸し合いをすることも調べてある。そして、綴の高校が夏休みに入ると、オープンキャンパスが開かれ、未来の新入生たちに学内を見せるイベントがあるが、大学の講義自体は夏休みに入っていることも知っている。だから、綴は二年生である今年の夏休み終了後の、秋ごろに行われる後期の中間試験が終わった後の採点休みの時期に、こっそり志望校である国立大学に行き、キャンパスの雰囲気を見ておこうと決めていた。来年の今頃は、センター試験に向けての対策を固めている予定だからだ。


「綴は、期末試験の追い込み、ってところかな?」


 グレーのロングカーディガンの埃を払い終えた汐理がそう言うと、綴は素直にうなずく。

 汐理はグレーのロングカーディガンの中には黒のタンクトップを着ているようで、薄い素材のカーディガンから腕が透けて見えている。ボトムスはブラウンのパンツで、何て言う種類の物かは綴には判別できなかったが、深い緑のエプロンを掛けても、取ってもバランスの取れた着こなしであるという事だけは、ファッションに疎い綴にも良くわかった。


「そういえば、まさかとは思うんだけど、綴は文庫本なんて、持ち歩いていないよね?」


 汐理にそう尋ねられて、綴は先程ぬいぐるみ的な何か達が、汐理の名前の入った本から自分の鞄に標的を変えたのを思い出した。鞄の中には、読みかけの文庫本が入っている。……間違っても自分の名前などは入っていないはずだ。


 綴は、そっと鞄を開けて中を探る。修理の棚の絵本からまた何か飛び出して来たら大変だ。

 目的の文庫本を取り出した綴は、それに掛けてあったブックカバーを外す。ブックカバーは、バレンタインの義理チョコのお礼に、と、汐理に最後に会った日に早めに受け取ったホワイトデーの贈り物で、彼女の密かなお気に入りだ。


 ブックカバーが外された文庫本は、赤を基調としたイラストが描かれているモノだったはずなのだが、何故か白い縁取りに淡い青色の表紙になっていた。中央にはタイトルの様に「Tudura」と書かれている。


 それを見た汐理は、残念そうに溜め息を吐き、綴に言った。




「いいかい、綴。その本は決して手放してはいけないよ。少なくとも、この図書館にいる間はね」



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