第一話 パンツを捨てよ町に出よう


「さあ、今日も新しい一日の始まりに。パンツ、パンツだ!


おれは今日も姉さんたちのパンツを洗っている。

来る日も来る日も、パンツを洗うだけの毎日だ!」


小気味よく口ずさみながら、少年が大量の下着を洗っている。


「古参の姉さんのパンツ! 新参の姉さんのパンツ!

パンツ、パンツ、パンツを洗うだけがおれの人生――」


そして、唐突に下着を水桶の中に叩き込んで叫ぶ。


「うんざりだッッ!!」



彼の名前はギュムベルト。

『娼館パレス・セイレーネス』の雑用係だ。


洗っているのは使用済みのリネン用品、シーツや娼婦たちの下着である。


ギュム少年の母親はこの施設の娼婦だったが、客との間に彼を産み落としたその日にどこかへと姿をくらませてしまった。


それ以来、彼の母親は実質的に娼館の娼婦たちということになっている。

娼婦たちは客に抱かれる合間、気まぐれに赤ん坊だったギュムベルトの面倒を見ていた。


入れ替わり立ち代わりとタライ回しにした揚げ句、半日に及ぶ放置も当たり前。

雑な育児に死にかけたことも二度や三度のことではなかったが、それでもどうにか立派に育っている。


六歳からは掃除係。

八歳からは洗濯係。

十二歳からは消耗品の仕入れから管理までを任されている。


産まれた時から女性物の下着に埋もれて生きてきた。

気付けばろくな教育も受けないまま、あっという間に十五歳。


自立心が芽生えるには遅いくらいの年頃だった。



――人生、このままで良いのだろうか?


疑問がもたげたきっかけは、やはり『国が割れた』ことだろう。


先日までこの国は帝国を称する大陸一の強国だったが、『女王の処刑』に伴い二つの王国に分割されたばかりだった。


対立の構図はなく、広大な領土の管理を分けて負担の軽減を図ることが目的だったとされている。


庶民の例に漏れずギュムも政治などに興味はなかったが、分割のきっかけとなった女王の処刑。その理由はなかなかにセンセーショナルだった。


なんと、女王は剣闘士と駆け落ちしたのだ。


戦時中だったこともあり、それが国家反逆罪に問われ民衆の後押しを受けて断罪されたという訳だ。


正直、理解に苦しむ事件だが。


――なんか、じっとしてらんねえ!!


女王と剣闘士の心中物語は、一人の少年が覚醒するのに十分なインパクトを発揮したのであった。


「おれはぁぁぁぁ、このままばぁぁぁぁ――!! いてッ!?」



激昴するギュムベルト少年の頭を少女がたたいた。


「こら、ギュムベルト。備品は丁寧に扱いなさい」


彼女の名はユンナ。

子供とセックスしたいオッサンたちの玩具。


もとい、この店の娼婦でありギュムベルトの幼馴染だ。


彼女はもともと彼と同じ境遇だったのだが、先日十二歳になったのを境に客を取り始め、雑用係を卒業した。


「わかってるよ。ほら、ついでに洗ってやるからパンツ脱げ」


ギュムが手を差し出すと、ユンナはバチンと彼の頬をたたいた。


「それくらい自分でやるわよっ!!」


熟れた娼婦たちとは違い、ユンナは一週目の新人だ。

従業員とはいえ異性に下着を託すのはまだ恥ずかしかった。


ぶたれた頬を撫でながら、ギュムは首を捻る。


「親切で言ったんだが……」


仕事でやっている彼にとっては誰のパンツも等しく無価値だった。


「で、なにか用か?」


立ち去ることをせず、幼馴染が傍らに腰掛けたのでギュムは尋ねた。


「べつに。最近まで居場所だったから、ここが落ち着くのよ」



『パレス・セイレーネス』は大陸一の娼館だ。

高級志向の施設はまさに外観からして宮廷の様相であり、その象徴たる娼婦たちは従業員にとって客よりも優先すべき存在である。


その中においてギュムとユンナは少しだけ特別だった。

例外を除けば数年でほとんどがいなくなる娼婦たちに囲まれ、十年以上も在籍する二人はもはや最古参と呼べるのだから。



「メシでも行くか? 臨時収入があったんだ、奢るぜ」


仕事のことでナーバスになっているのだろう、ギュムはユンナを食事に誘ってみた。


「チップならとっときなさいよ」


「これが結構な大金なんだな」


「え、どうしたの?」


ユンナの反応も当然、彼らが大金を手にすることは珍しい。


ギュムベルトの労働はボランティアだ。親でもない人物から衣食住を与えられている都合、それも当然と言える。


同様に娼婦たちすら直接に賃金を与えられてはいない。

正確には、退職時に全額が支給されることになっている。


『パレス・セイレーネス』の理念は女性の自立だ。


多くの場合、この世界で女性は男性の庇護下でなくては生きられない。

働き口が限られており、いざ手に職をつけても犯罪の標的になりやすい。


多くの独身女性は売春に頼らざるを得ないが、病気、けが、年齢による需要の低下などで続かないことが多かった。


いざ体を売ったところで踏み倒されることも珍しくはない。

暴行を受けた揚げ句に死ぬことだってあった。


貧乏人の末路は悲惨という話だ。


惨状を見かね、支配人はこの『パレス・セイレーネス』を創った。

衣食住の全てが依存し小遣い程度しか与えられないが、役目を終えた頃には一人で生きていけるだけの貯えができているというシステムだ。



「へへん。巨人をぶっ倒して勝ち取った賞金なんだぜ」


ギュムは得意げに鼻を擦った。

不十分な説明に、ユンナは「?」を顔に貼り付ける。


「――殴られ屋ね」


唐突に、ギュムを挟んだユンナの対面側から声が発せられた。


「うおお、エルフ姉さん!?」


音もなく背後に現れた女性をギュムはそう呼んだ。

彼女はこの店で唯一『異種族』の娼婦だ。二人が産まれる以前から在籍している例外の一人。


『エルフ姉さん』とでも呼んでおけば不便はなく、誰かが名前で呼んだこともない。



「なんですか、それ?」


『殴られ屋』とやらについて、ユンナはギュム越しに尋ねた。


「制限時間内に大男を倒すことができたら賞金がもらえるっていうお遊びだって。

相手はいっさい手出しをして来ないそうよ」


巨人とは大袈裟な比喩であり、せいぜいが二メートル程度の人間だった。


「無抵抗の相手を一方的に殴るってこと? そんなのまったく自慢にならない!」


拍子抜けしたユンナに対して、ギュムは弁解を始める。


「いや、そうでもないんだって!」



『殴られ屋』は屈強な大男だ。挑戦料を払うことで制限時間の間、一方的に攻撃できる。


反撃こそしてこないが、大男の回避技術は一級品。指一本触れられない者だって珍しくはない。


挑戦料はお手頃で、誰でも気軽に参加ができた。

得られる賞金は基本額に加えてその日の挑戦料の半分。つまり挑戦者の人数分、賞金は増額する。



「殴られ屋が負けた時点でその日の挑戦はお開きなんだ。一日に一人しか勝てない。挑戦するタイミングが重要ってことだな」


モタモタしていたら他者に持っていかれてしまうし、早く倒しすぎても身入りは少ない。


「その日の勝者はちょっとした英雄扱いさ」


偉業を熱く語るギュム。その情報をエルフ姉さんが補足する。


「普段、安酒で満足している連中が賞金を片手に意気揚々とウチを利用していくわ」


『殴られ屋』はどうやら、庶民のギャンブルとしてちょっとした話題になっているようだ。



「ふーん、いろんな仕事があるんだねー」


「劇団を名乗る奇妙な三人組だそうよ」


『劇団』という呼称になじみはないが、何にしても暴力やギャンブルといったものにユンナは興味を引かれなかった。

「へー」と言って締め括るつもりが、ギュムが話題を延長させる。


「あれって儲かるのかな?」


「えっ、なんで?」


それが思いのほか真剣なトーンだったのでユンナを焦らせた。


「なんでって、おれもそろそろ将来を考えなきゃダメだろ」


同僚だった少女が新しい道を歩き始めた。それも彼が身の振り方を意識する一つのきっかけだったかもしれない。


ユンナは反発する。


「ここに骨を埋めたらいいじゃん!」


「はあっ、パンツ洗ってんのが分相応だってのか?!」


単にユンナはギュムが去ることを寂しがっているのだが、男子がいつまでもひと所で洗濯ばかりをしてもいられない。


正否の話ではなく、衝動の問題だ。



「ねえ、なにか目標とかあるワケ!」


問い詰めるユンナ。

興奮状態の彼女にエルフ姉さんが飲み水を差し出した。


「落ち着きなさい」


「あ、ありがとう……」


何となしに受け取り、それを口に含む。


ユンナの質問にギュムは答える、真剣に。


「――愛を知りたい」


「ブーーーーーーーーッ!!」


「なんッだよ、汚ぇな!?」


「ごめっ、姉さんが絶妙なタイミングで水を差し出すから。

――って、あんたがワケのわかんないこと言うからでしょ!!」


ユンナは濡らしたギュムの顔面を拭いながら彼を咎めた。


「おれさ、恋とかしたことないんスよ」


「なんで敬語?」


ギュムはこの歳まで女性との交際経験がない。


「それは、ほらっ、この環境のせいだと思うだろ!」



言う通り、ギュムの家庭環境は特殊だ――。


男女の嬌声とベッドの軋む音を子守唄にして育ち。

物心がついてからは、いわば母親たちのセックスの後片付けをして食い扶持を得た。


女性だからといって男性と比べて綺麗好きなわけでも優しいわけでもない。

人目もはばからずゲップをし、痰を吐く姿などは日常の風景。


喧騒、泥酔、嘔吐、発狂、盗難、刃傷沙汰と、ありとあらゆる修羅場に立ち会ってきた。


その結果――。


およそ男子が女性に期待するはずの甘い夢など、抱くことがなかったのだ。

女性への興味は芽生えるよりも早く枯れ果ててしまっていた。



「このままじゃ、おれはヤバイ気がする。いや、ヤバイッ!」


少年は力強く断言した。


「寿命が短い動物って、生殖に貪欲だもんね」


「エルフ姉さん! おれが求めるのは純愛なんだッ!」


そんな殺伐とした話ではない。と、ギュムは反論した。

しかし、異種族の彼女からすると人間の情愛はいまいち理解のし難いものだ。



エルフ族は妖精族とも呼ばれ、森で暮らす閉鎖的な種族である。


まるで羽飾りのごとく突き出た長い耳に目が行くが、最たる特性としては『長寿』があげられる。


その寿命は無限とも言われ、人間にそれを観測することは難しい。

確実に言えることは、そのくせ人間より遥かに数が少ないということだ。


異性への興味が『種の存続』に根付いた本能によるものだと仮定した場合。

不老長寿の種族である点から、エルフにとって生殖が重要でないことは必然だった。


女性は胸や尻などが発育する必要もなく、男性も筋肉や体毛が過剰に発達したりしない。


中性的な外見は異性へのアピールを必要としない結果であり、生物的に男女差の希薄な種族なのである。


行為に快楽を伴ったりもしないだろう。あるいは積極的に行う必要を感じない程度に違いなかった。

そうでなければ人間よりも数が少ない説明がつかない。


減らないのに、増えていない――。


それは生殖といった本能が極めて希薄か、皆無でさえあることの証明だった。



「数の多い生物は個々の知性は低いと思うのだけれど、エルフにとっての人間は人間にとってのネズミとはまた違うわ」


「そりゃ、ネズミは言い過ぎだろ……」


種族感の軋轢が深まりかねない前置きをして、エルフ姉さんは語る。


「人間はエルフにとって異常発生を止めないイナゴみたいなものよ」


「ネズミのほうがマシだね!」


「蝗害あつかいかぁ……」


ギュムは驚愕し、ユンナは落胆した。


それでも彼女が本音を口にするのは二人に対して心を開いている証拠だった。



「昆虫の相手とか苦痛じゃない? わたしには絶対むり」


客と身体を重ねることに抵抗はないのかと、ユンナは素朴な疑問として尋ねた。


エルフ姉さんは答える。


「性行為に意味を求めすぎよ。セックスはべつに事件じゃない、生活でしょう」


エルフ姉さんの売春に対する認識について、ギュムが横槍を入れる。


「生活手段じゃなくて?」


「あなたが毎日している自慰だってセックスの一部だし、生活の一部でしょう」


「毎日はしてないっスね!!」


照れ隠しするギュムに対してユンナが確認する。


「それって、むしろ健康に悪いんじゃ――」


「本気の心配はやめろッ!!」


途端に居心地が悪い。それは少年にとってあまりにもデリケートな話題だ。

一方、女性たちはお互いの意見に賛同を見せている。


「人間にとってのセックスは事件じゃなくて生活。飲食や排泄に近い行為だって話よ」


「だよねぇ。面白くもなんともないし、最中はほとんど無の感情だもん」


しかし、ギュムはそれを信じなかった。



――だとしたら、母はなぜ失踪なんかしたのだろう。ユンナの母が娘の前で首を裂いて死んだことの説明もつかない。


捨てないでいて欲しかっただなんて、これっぽっちも思ったことはない。けれど、彼女たちが何を思ってそうしたのかは知りたい。


女王さまが国を捨ててまで駆け落ちしようとした、その心境を知りたいように。



「――そう。あなたにとってパンツ洗いが無であるようにね」


「いや、『無』じゃねえし、うんざりしてるし!

そんなことよりエルフ姉さん。何か用事があって来たんじゃないのか?」


不毛な会話が一段落したので、ギュムは本題を促した。

エルフ姉さんは首を捻ってやがて頷くと、ギュムに用件を伝える。


「そうね、ママが呼んでいるわよ」


『ママ』とはこの施設、パレス・セイレーネスの支配人の呼称だ。人々は彼女を『マダム・セイレーン』と呼び、従業員たちは『ママ』と呼んだ。


エルフ姉さんは支配人に命じられ、ギュムベルトを呼び出しに来たのだった。


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