第十一話 退路
イツツキは片手に一本ずつ二本の手斧、ハチェットを装備している。
壁に刃先を打ち込み屋根の縁に刃元を掛け、手摺の無い壁面を器用に駆け上がる。
「わお、絶景かな絶景かな!」
屋根に立ち上がると、視線の先に幾つもの火災が発生しているのが見える。
一般家屋のカーテンから、家畜小屋の藁から、倉庫の物資やら、至るところが火元になっていた。
放火をしたのは当のイツツキだ。
ここまでの戦闘回数は僅かに四回。
放火で押し入った室内で敵と遭遇した場合だけ、やむなく戦闘を行った。
イツツキの戦闘センスは天才的であったし、対人間であればジンの中では群を抜いた柔軟性を誇っていた。
ところが、それも対オークとなると分が悪い。彼の未成熟な肉体では、オークの質量に対してあまりにも脆弱なのだ。
それでもイツツキは、的確に豚の特攻を紙一重で引いて躱し、その眉間に斧刃を叩き込んだ。
正確な一撃は頭蓋を割って滑り込み、必要最小限の動作で脳を破壊し即死させる。
手斧は確かに手回しの易い武器だ。しかし、彼には少々ミスマッチな武器とも言える。
手斧は振り上げて威力を得てから振り下ろす物だ。
つまり、射程が短く動作が大きい。それよりも、小兵に適した装備はある筈だった。
しかし、それで何ら問題は無い。
わざわざ最高速の武器を使わなくても、イツツキの器用さをもってすれば常にオークの先手がとれる。
速度一の相手に五も六も出す必要はない。二、三もあれば十分だ。
剣では速すぎる、手斧くらいがオーク相手によく噛み合った。
攻撃は全て見えている。一々大振りした方が、オークが攻撃を外した隙間によく突き刺さる。
そしてハチェットは戦闘以外の用途も広い。
他のジン達が闘う以外に幅が無いのに対して、俯瞰で見て柔軟に行動できるのがイツツキの強みだ。
それが無ければ、ロッコをアジトへ招くような発想も無かったのだ。
ここまで都合四回の戦闘で七頭を討伐した。
ペースは上がっていないが、火災が原因で死ぬものや、引き起こされる混乱は、仲間達の有利に働くだろう。
オークをただ減らすのが目的ならば、やりようは他にいくらでもある。
しかし今回の任務はオークの全滅ではなく、野良長の弔いと地下生活の解散だ。
「解散パーティなら、派手な方が良いでしょう」
仲間たちが既に死を勘定に入れて闘っている中、イツツキだけは玉砕に対して懐疑的だった。
生きて浮かぶ瀬も在れ。
敗走でも何でもすれば良い。外で新しい幸福を求めたら良い。
その考えは、革命以前の記憶がありオークに対して妄執を抱く者や、地下生活が全てゆえに別の世界に興味の無い者らには、共感を得られなかった。
長は俺みたいなのに気を使って、作戦を立てなかったんだ。
任務然とすれば投げ出せないから。
明言されなかった長の意図を、イツツキは正確に読み取っていた。
そういう聡い子供だった。
逃げるのは簡単だ、地下水路を抜ければ良い――。
「外壁も普通に越えれるな、俺なら……」
囲まれるのを避ける為、移動を繰り返す。
逃げる逃げると考えてはいても、一向にそれを行動には移せずにいる。
強力な呪縛の様に、仲間達への未練が足を壁内に引き付けている。
任務を負ったジキがどんな気持ちか、容易に想像できた。
頭では決めているのだ。
死んだって何もならない。生き残って、今後の事はそこで決めると――。
「はぁぁ、駄目だ!」
思考と行動が一致しない。
仲間が全滅したのを確認でもしない限り、この場を去れる気がしない。
「この調子だと、最後まで生き残るのは俺かイチキ兄あたりじゃないかなぁ」
一度下手を打ってはいるが、逃げに徹すれば自分は簡単には捕まらない。
長はもう身体が持たない。
他では、体力が尽きるまで負けないだろうイチキが長持ちするだろう。
ミキは素晴らしい剣士だが、イチキと比べて自制が利かない欠点がある。
「ヨキはもう、無謀な特攻で死んでる可能性もあるな……」
そう言って歪な笑いを浮かべる。
「あいつ馬鹿だからな!」
口数が増えるのは情緒が不安定だからだ。
黙っていたら、その症状は手足に波及し技の精度を下げる。
そうなれば、死ぬ。
野良の中で恐らく唯一、死の覚悟を出来ていない者が、このイツツキだった。
道中もロッコの様子を確認すべく、中央広場の付近を偵察してきた。
其処には軍隊が丸々駐留しており、周囲には隠れる場所も高い建築も無く、地に足を着けば逃げ場を失うことは必定だ。
とても降りて近づく訳にはいかなかった。
どの道、彼女が処刑されるのは明日の昼。
今夜、全滅するかもしれない自分たちが気に掛ける事じゃない。
イツツキは走る。逃げるでもなく、標的を追うでもなく、何かを振り切るようにただ走った。
前方に雄叫びが上がる――。
「おらぁぁぁッ!! どんどん来いよぉッ!! ペースが落ちるだろうが!!」
聞き慣れた声の方向には、三十からのオークが群がっている。
イツツキは一瞬唖然とし、吐き捨てる。
「……何やってんだ!? あの、馬鹿ッ!!」
オークの密集地帯。建物の陰に、まだどれほどいるかの判断も着かない。
本来ならば絶対に近づかない所だ。
「――二百六十七ッ!!」
ヨキの長柄武器が豪快にオークの首を跳ねた。
一匹を倒せば、三方から立て続けに巨体が襲い掛かる。
長身を誇るヨキの振るう長柄武器は、相手の攻撃の間合いより数歩早くその喉笛に突き刺さり、貫通させる流れで撫で斬りに首を跳ねた。
人間の胴ほどもある首回り、それを寸断できるのはヨキならではの芸当だ。
刃を振り切ると短く引いて、器用に次のオークの甲冑の隙間に差し込んだ。
追い打ちの動作で後方から迫るオークの攻撃を回避し、オークを蹴り倒して突き刺した刃を抜き取る。
その豪快で大きな挙動には非常に華がある。
ヨキの立ち回りには、合理性や強さに止まらない魅力があった。
豚を三匹ねじ伏せた隙を突き、更にオークが左右から襲い掛かった。
「ちぃっ!?」
一方をヨキは叩き斬る。反す刃が間に合わず、彼の頭部に向かいオークの剣が振り下ろされる。
振り下ろされて、オークの剣は手首ごと地面に落ちた。
手首から先が無くなった刹那、ハチェットの一撃に頭蓋を割られ、豚は地面に崩れた。
イツツキがヨキに一喝。
「何やってんだよっ!! そんな声を張り上げてたら、集まって来て当り前だろっ!!」
屋上から飛び込んだイツツキが、二本のハチェットのワンアクションでオークの手首を落とし、頭蓋を砕いていた。
「ああっ!? 数が分らなくなるだろうが!!」
ヨキの感謝不足と意味不明な抗議に、イツツキは不快感を炸裂させる。
「はあっ?! 何ッ!!」
「……二百七十一だ、たぶん! 撃墜数だよ!」
消極的だったとはいえ、七頭に止まる自分と比較して、それは破格すぎる数だった。
「馬鹿言うな! とうとう数もまともに数えられなくなったっての?!」
イツツキは悪態をつきながら、正面に迫るオークの剣を右斧・刃底で外に弾き、がら空きになった鎖骨に左斧を打ち込む。
痛みにオークが悶絶するより早く、剣を弾いた右斧が反って来て横っ面に叩き込まれる。
それはオークの頭部を抉って脳みそを吐き出させた。
「本当だよ! サバは読んでねぇ!」
右上段から袈裟切りに地面ギリギリを撫でたヨキの鉾が、オークの出足を切断し数メートル先まで弾き飛ばす。
片足になったオークはその場に転倒した。
見ればヨキの手足は疲労で痙攣を繰り返し、全身は土砂降りに打たれたように汗で湿っていた。
イツツキは察した。ヨキは開始からずっとこのやり方で闘い続けているのだ。
独り、誰と数を競うでもなく。
いつか百万の敵を倒せると、それによって仲間の全滅を免れると信じて。
「どうりで、戦い方が雑な筈だよ……」
イツツキは熱くなる目頭に涙を堪えて言い捨てた。
「はっ!? 馬鹿にすんな、俺ぁまだ全っ然、余裕だからなぁ!!」
満身創痍を隠して虚勢を張るヨキ。
この頭の悪い男をイツツキは一度だって尊敬したり、敬愛したりした試しがない。
むしろ上の兄たちと比較して、見下してすらいたかもしれない。
だけれど、一番馬が合った。
いつもムカついていたが、それが楽しかった事に今頃、気が付いたのだ。
迫りくるオークの膝を右斧で割り、跪いた頭に左斧でトドメを入れる。
左で捌き右で仕留め、右で捌いて左で崩して右で仕留めた。
「ヨキのこと言えないや、俺もどうやら馬鹿なんだわ……」
イツツキはヨキの背後に背中合わせで寄り添う。
「どうやらだぁ? へっ、元からだろ」
生意気な弟分の登場に、ヨキは頼もしさを覚えながら、枯渇しかけた余力が蘇るのを感じていた。
まだまだ行けると、雄叫びを上げた。
「ヨキが今ので丁度三百ね? こっから追い上げるわ」
「ああ、他の連中の分、全部取り上げちまおうぜ」
いくら頭で損得を計算しようと、それで自分を説得しようとしても無駄なのだ。
関係ない。仲間がいる限り、この場を離れることを出来はしない。
いざという時、一体自分がどうするのか、何を選択するのか、それは直面しないと分からない。
イツツキの死に対する恐怖はいつの間にか払拭され、死ぬ覚悟は決まっていた。
第十二話、『散華』に続く。
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