第二話 この国の風景


 ヒューマン、エルフ、ドワーフ、ホビット、多様な種族が犇めくこの大陸において、此処は最大勢力であるヒューマンの収める国の一つだった。


 山岳地帯に位置する都市は森林や断崖に囲まれており、独立した王都は国というよりも巨大な集落といった様相を体している。


 広大な敷地を堅牢な壁で囲い、巨大な地下水路を完備した要塞都市は、孤立しているにも関わらず地形の難解さも手伝い、他国からの侵行は皆無だった。


 しかし、その洗練された都市機能とは裏腹に、景観は乱れに乱れている。


 その原因は、あまりにも膨れ上がってしまった人口のせいであるが、人々は統治者に至るまで刹那的に暮らし、それを気にする様子は無い。


 人間は繁殖力が強く、その上に大食なので、慢性的な食糧不足であったが、それは共食いで解消できていた。



――早朝。家畜のロッコは今日も主人に連れられ、街を徘徊する。


 外を歩けば、ロッコは人目を惹いた。


「羨ましい。ああ、とても羨ましい。その雌、こっちに譲ってくれよ」

 見知らぬ他人が声をかけてくる。


「そうかい。だが、コイツは子供を十一人も金に替えて買ったんだ、誰にも譲るつもりは無いね」


 主人はこれ見よがしにロッコを人目に曝し、その反応を噛み締めていた。

 散歩とは名ばかりの連れ回し、要は高級品の自慢である。


「さあ、こっちに来るんだ!」

 主人はロッコの首にかけたリードを乱暴に操作する。



 二足羊は食用の家畜であるが、一度の出産で少数しか産まれない。

 成長が非常に遅いことからも稀少な食材とされた。


 それ故に所有欲を満たす為、調理する直前までは愛玩用とされるのが一般的だ。


 二足羊を飼うことはステータスであり、子供を何人売ってでも手に入れたがるのが普通だった。


 特にロッコは珍しい種類で、何より造形が優れている。

 そんな背景から、野良の蹂躙により主人を失った後、すぐに新しい飼い主の手に渡ったのだ。


 そして、主人の自己顕示欲を満たす為、今日も街中を引きずり回されている。



 市場に差し掛かると、其処はいつも以上に賑わっていた。


「おおっ?!」

 主人が声を上げる。

「おいっ、見てみろっ! あの人だかりを!」


 主人に従い、ロッコは「はい」と答えた。


 例え空返事でも、主人の問い掛けには「はい」と答える。

 そういう決まりだ。


 正面には<二足羊の屋台>が出ていて、食べ頃の家畜たちが一列に並べられていた。

 列の先頭では二足羊が横に寝転がされ、頭を専用の石板の上に置かれる。


 そして巨漢の男が専用の大金槌を振りかぶると、一撃でそれの頭蓋を打ち砕いた。

 景気の良い音を響かせ、頭部を平たくされた二足羊が絶命する。


 野次馬からは拍手喝采が巻き起こった。


 頭部が砕け散ったそれをどかすと、次の家畜が石板にセットされる。


 二足羊達は大人しく自分の番を待っていた。

 年齢はどれも十代半ばくらいだ。国の法律で、二足羊は十五歳までには必ず殺処分しなければならなかった。


 誰も貴重なペットを手放したがる訳もないが、反した者は即座に極刑の重罪だ。

 それ故、養殖には向いていないけれど、最終的にはこうやって食用になる決まりなのだ。


 殺処分の屋台は国の管理下にあり、二足羊の所有者は、期限までにそれを食用加工するか、国に引き渡して幾ばくかの金銭に変える。


 頭を砕いた二足羊は、肉切り包丁で関節から切り分けて、その場で部位ごとに売買される。

 解体ショーを見物に来た野次馬も多いが、主な客は食材の調達に来た飲食屋だろう。


 頭を粉砕される列に並ぶ家畜たちが、逃げ出すどころか不平すら漏らさないように、ロッコにとってもそれを疑問視する発想は無かった。


 ロッコは十歳になる。

 若い方が高く取引き出来るが、愛玩用としての人気もある為、ロッコみたいな希少種が解体されるのは十四歳の終わり頃だと予想できた。


――それは日常の風景。




「おい、そこのお前っ!! 止まれっ!!」

 しばらく歩くと、ロッコとその主人を男が呼び止めた。


「何だお前、何か用か?」

 見知らぬ男の無礼に対し、主人が不快感を示す。


 男が言った。

「連日、得意気に見せびらかしやがって! いい気になってんじゃねえぞ!」


 どうやら、愚にもつかない嫉妬だったが、男はかなり憤慨していた。


「もう我慢できねえ。その雌を此処に置いて行きなっ!!」


 男の理不尽な要求に、主人が食って掛かった。


「ふざけるな! ぶち殺されてえ――!?」


 次の瞬間、主人の頭部に<鉈>が深く埋め込まれていた。



「ぐぴゅッ!?」

 頭を両断された主人は、奇妙なうめき声を上げて地面に崩れ落ちた。

 痙攣しているが、すぐに絶命するだろう。


 今までも、こうやって主人は交代してきたのだ。


「おい、雌。名はなんだ?」


「ロッコです」


「下品な名前しやがって、気に入ったぜ」

 男は浮かれていた。

「今から俺がお前の主人だ、いいな」


「はい」と、ロッコは頷いた。


 別に主人は誰でも構わなかった。

 これまでも何回も同様のことが起きたが、何処に行っても待遇に変わりはなかったのだから。

 そうやって、あと数年の間、殺処分されるまでの時を過ごすだけなのだから。




 新しい主人が死んだ。

 今日からはまた、ロッコは新たな飼い主の所有物になる。


 何人目だろう。

 ある主人は今日と同様に殺され、ある主人は大金で自分を取引した。


 始まりはどんな感じだったろうか。最初の主人はどんな人物であったろうか。

 二足羊からは人間の外見の見分けはつきにくい。

 ガタイの大小くらいで、性別の判断も一目ではつかないくらいだ。


 何もかも忘却してしまったが、二つ前の時を鮮烈に覚えていた。


 二つ前の主人は首だけになった。二匹の<獣>が食い荒らしたのだ。

 闇夜でも僅かな光を反射して煌めく、その鋭い牙で――。



 ロッコはただ無心に指示を待った。


 じっとしている事、賛同する事、指示に従いなるべく失敗をしない事。

 そうする事で、与えられる苦痛が軽減される。


 人間の力は強く、加減を間違えればすぐに二足羊を壊してしまう。

 そうなれば、後は食卓に並ぶ他にない。


 本来、殺処分の期日まで生き残る事すら困難なのだ。



 ロッコは便所に付き従い、主人が用を足し終わるのを眺めて待った。


 終わると主人が尻を突き出して来て、ロッコは通例通り、主人の肛門を舌で掃除した。

 こびり付いた便を綺麗に舐めとる。直腸にまで舌を挿し込んで、主人が許すまで念入りに舐め回した。


 それまでの間にコミュニケーションなどは無い。

 一々指図が必要な手際なら、ロッコは今日まで生きてはいなかっただろう。


 短気な人間達は思い通りにならなければすぐに発狂し、その怪力で首を容易にへし折るに違いないからだ。


 幸いロッコは同種の中でも類希な勘の良さと、器用さとを資質として備えていた。

 主人の望む繊細な匙加減を、その反応から見極める事で重宝された。



 主人が立ち去ると、木製の器に落とされた便が残される。

――それが彼女の今夜の食事になる。


 その様に教育を受けた。

 延々と続く苦味に飽きが来るだとか、食感が不快だとか、悪臭に咽ぶだとか、そういった感覚は無い。


 空腹を満たす。それ以外の食事を知らなかった。

 それ以外は、これを日常だと受け入れた時に忘却してしまった概念だ。


 他には主人の吐瀉物や、雑草や藁が主食になる。

 野菜の切れ端や肉の脂身、所謂、残飯を与えられれば御馳走で、それに不満を覚えた事は無い。


 ただ、よく腹を壊したし、死にかける事は幾度もあった。

 それも日常の一部。


 気にもならない、それ以外の方法は知らない。



 食事を終えて戻ると、主人が殴り殺した妻と子供の死体が転がっていた。


 家畜とはいえ二足羊は高級品。

 その扱いを巡って家族が対立し、激昂の勢いで殺し合いが起きることも稀にあった。

 妻の代わりはいくらでもいるし、子供もすぐに増える。


 明日また調達してくれば良いだけの話だ。



 翌日は、持て余した家族の肉が食卓に並び、豪華な食事にありつける事もある。

 腹が減れば家族を食せば良い。彼らの習慣の一つだ。


 主人はリビングの惨状に興奮がぶり返し、激昂していた。

 癇癪を起した彼らは、取り返しのつかない事態が起きても止まらない。


 ロッコは嵐が過ぎ去るのを待つ様に、身を縮めて大人しくしていた。


 一々騒がない程度には慣れてしまっている、その機微の少ない態度が癇に障ったのだろう。

 主人は腕を振り上げ、拳の底面でロッコの顔面を殴打した。


 しかしそれすらも彼女には想定内らしく、大したリアクションを引き出せない。


 ムキになっているのだろう。

 何かしらの反応を得ることで溜飲を下げようと、主人はロッコを床に組み伏せ、小さな身体に圧し掛かる。



 二度、三度と、顔面を打った後、打たれて腫れ上がったロッコの瞼に、親指を押し当てた――。


 その行動の意味が解らず、ロッコはきょとんとする。

 意図を汲み取ろうと思考。そして、それを理解すると同時に急激に血の気が引いた。


 その絶望の表情はようやく主人の嗜虐心を満たし、親指が力任せに眼球を押し込んだ。


「――!!?」

 激痛に呻く。眼球は圧迫から破裂し、太く武骨な指が捩じ込まれた眼底の骨にはヒビが生じた。


 驚きだとか困惑だとかの意思ではなしに、ただ痛みに対する反射として、ロッコは激しく絶叫し、手足を激しくばたつかせた。


「ひうっ!!? あああ、いぎぃひぃぃッ!! あああああッッ!!!」


 主人は暴れるロッコの腰をしっかりと押さえつけ、眼球を押し潰した指を抜き取る。

 ロッコが痛みの発生源に手を当てがうと、そこからは赤い血が流れ出ている。


 手当てなのか追い打ちなのか、主人は煽った酒の瓶を返してロッコの顔面に浴びせた。

 強いアルコールが傷口を刺激する痛みと同時、呼吸器官からの侵入に咽び、激しく跳ねる。


 それがよっぽど愉快だったのだろう。

 主人は機嫌を直すと、立て続けの苦痛にパニックを起こすロッコを見下ろし、高笑いをあげていた。


 怒りは無い。悔恨も、憎悪も無い。

 痛みに対する恐怖はあるが、そうされることを理不尽と感じる為の比較対象は無かった。

 

――それが彼女の日常の風景。





  第三話、『運命の出会い』に続く

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