外伝 豚の国
第一話 獣の舞踏
それはまるで舞踏の様であった。
人々の群がるその中心で、二足羊が舞っている。
――<二足羊>は食用の家畜だ。
下等で、人間の手により養殖、飼育される。
労働力として酷使され、または愛玩され、最後は食用として消費される。
暴れているのでも、のたうっているのでもない。
それは確かに舞っていた。
家畜が舞うだなんて、それは誰の目にも明らかに異常な光景であった。
そしてその異常さに輪をかけたのは、家畜がクルクルと回る度、それを取り押さえようと、否、叩き潰そうと群がる人々の手足、頭部、血液、脂肪が躍動的に弾けて飛んでいる事実。
ヒトの部位や内容物が、弾けて飛んで、雨のように降り注いだ。
――まるで嵐のような舞踏。
流れるように、それでいて手のつけようもなく荒れ狂うその獣。
主人の不在から<野良>と呼ばれる野生の二足羊。
大勢の人間がまるで吸い込まれるように、野良に飛び掛っては弾けて散った。
怒り狂って我を失った人間達。対照的に無駄のない動作で、その間を縫う野良羊。
野良の手にした刀剣が、鋭い牙となって閃く。
獣がトントンと跳ねては、人間がポンポンと弾け、肉片がボタボタと地面に落ちた。
それを遠巻きに眺めている一匹の家畜がいた。
壁際で床に尻を着いているのは十歳の雌。愛玩用の二足羊だ。
雌はロッコと呼ばれていた。
その呼称は、人間の言葉では<便所>だとか<女性器>の隠語として使われる。下卑た言葉だ。
名付けなどと言う上等なものではなく、愛玩用の雌に対する蔑称だった。
ロッコは人間たちの怒号に委縮して、終始その場に硬直していた。
突如、ロッコの真横を高速で何かが通り過ぎた。
「――ンッ!?」
物体の過ぎった風圧が顔を撫でて、ロッコは呻き声を上げる。
それは背後の壁に衝突し、飛沫を雌へと浴びせると、重い音を立てて地面に落下。
ロッコの足下へと転がった。
「――――?」
ロッコがそっと視線を落とすと、それが人間の首であると確認できた。
野良が斬り落した物を、誰かが蹴り飛ばしたソレは、先程までロッコの飼い主だった男の首だ。
「……ご主人、様?」
それのサイズはロッコの頭の倍と巨大で、突き出し反り返った巨大な鼻の下、発達した下顎からは立派な牙が、天に向かって二本突き出していた。
ロッコは訳も分からず、野良が人間を細切れにしていく様を視ていた。
あの刀剣は何故、人間の分厚い皮膚を叩き落とすでもなく、こうも容易くスライス出来るのだろう?
そんな、素朴な疑問が過ぎった。
程なく人間は全滅し、死体の山が築かれる。
その場に人間が居なくなって初めて、ロッコは野良がたったの二匹しか居なかったことを確認できた。
あれ程の大乱闘の中に、害獣はたったの二匹しかいなかった。
人間に比べたら明らかに貧弱な二足羊が、たった二匹で十倍もいた屈強な人間達を皆殺しにしたのだ。
頭毛の白い野良と、頭毛の黒い野良。二匹とも雄の二足羊であった。
ロッコは特に、黒毛の個体に気を取られる。
戦闘中、より目を引かれる所作であったというのもあるが、雄が自分と同様の頭毛と肌の色をしていたからだ。
特にその赤みがかった肌と翡翠色の瞳は、外来種ということもあり、とても珍しく、ロッコ自身も遭遇するのは初めてだった。
黒毛の野良は歩み寄ると、地べたに座るロッコの正面に膝を着き、視線を真っ直ぐに合わせた。
二匹は同じ瞳の色をしている。
ロッコはこの暴走した野畜が、そこに転がる主人たち同様に、自分の首を落としに来たものと確信していたが、雄はそうしない。
それどころか、意思疎通を求めて来る。
「――俺達と来るか?」
二足羊が言葉を発する事自体、そう珍しくはなかった。
特に愛玩用の家畜ならば、人間との接触は常であり、会話が可能なまでに言語を習得することも珍しくはない。
しかし、その雄の言葉はあまりにも流暢だった為、ロッコを驚かせた。
「来るか?」繰り返し問う。
「あ、あ……あぃぅ。言って、いる、意味が分から、ない……」
言葉の意味こそ理解していたが、その意図がロッコには理解出来ない。
来る? 行く? 何処へ何をしに?
解らないから、尋ねた。
「私、は、その……どうしたら、良いです、か?」
ロッコは指示を仰ぐ。これ迄の様に。
白毛の雄が、「ほう、かなり喋れるな」と感心した声を上げる。
「しかし、放っておけ。連れて帰った処で、どの道、面倒は見切れん」
白毛は黒毛を諭す。しかし、それを押し止めて黒毛はもう一度問いた。
「自分で決めろ! 意思を、言葉にして示せ!」
強い語気と、真っ直ぐな眼差しで迫った。
ロッコは圧倒され、押し黙ってしまう。
それは無理な要求であった。この雌は奴隷などという高等な物ではなく、遥かに劣る家畜なのだから。
自分で決めて行動するという習慣は無く、意思という概念の理解すら無い。
雄の要求に対して、パニックを起こすのみだ。
「あの……指示をください。私には、分からない、です……」
ロッコは雄たちに指示を仰いだ。
黒毛の雄は「チッ」と舌打ちをする。
未練を断ち切るようにして立ち上がった。
「……舌打ち」
黒毛の態度を白毛が咎めた。
「悪い、時間を取らせた」
謝辞を示す黒毛を、白毛がやんわりと応対する。
「構わんさ。さあ、急いでここを離れよう。任務はまだ途中だからな」
二匹の雄は、ロッコに背を向け遠ざかって行く。
完全に興味を失ってしまったのだろう。
二人は立ち去り、二度と振り返ることは無かった。
一方、姿が無くなってからも、ロッコは彼らの去った方角から目を逸らすことが出来ずにいた。
立ち去る後ろ姿、特に手にした刀剣の輝きに目を奪われていた。
えも言えぬ感覚が湧き出て来たが、それを形容する言葉をまだ知らなかったし、何より、その言葉が表す概念を、これまでに認識した事が無かった。
只、涙が零れて止まらなかった。
そのシンプルな感情の揺らめきを表すのは、一体どんな言葉だったろう。
ロッコは自分の中で燻るその初めての感覚に戸惑っていた。
第二話、『この国の風景』に続く。
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