四場 あたたかい部屋
目を覚ました。
緊急でなにかをしなくてはいけない気がするのだけれど、それがなにかは思い出せない。
「……アツッ!」
頭痛、つづけて緊張した手足の先端に激痛がはしった。
放心状態で意識がさだまらず、ぼんやりと周囲を見渡してみる。
民家の一室だろうか、わたくしは簡素なベッドのうえに寝かされていた。
「あらあら、お目覚めですか」
老齢の女性が駆けつけてくる、しらぬ顔だが家主だろうか。
わたくしはたずねる。
「どなたですか?」
「名乗るほどの者ではございません。陛下が生き埋めになられていたところを近所の男たちがお助けして、一時おあずかりさせて頂いております」
生き埋めになっていた――。
どうやら助けられてここに運ばれたようだ。
「そうですか、ありがとうございます……」
感謝を伝えると老女は「勿体無いことです」と、微笑んだ。
悪夢のように理不尽で残酷な目にあった気がするのだけど、なにもかもが夢だったみたいに現実感が希薄だ。
老女は恐縮しながらベッド横にある椅子に腰をかけた。
話し相手をしてくれるということか。
「息子を王宮に向かわせましたので、もうすぐお迎えが来ると思いますよ」
カラダ中が痛む、とくに四肢の先端は包帯で強く固定されている。
「末端のケガは頭痛や吐き気を誘発しますからね、安静になさってください」
自分の手を眺める、刺すような痛みが持続的に襲ってきている。
思いもよらず涙がこぼれ落ちた。
一粒がこぼれるとあとを追うように水滴が包帯に落ちて吸い込まれていく。
「あらあら、痛いわよね。どうしましょう」
老女が容態を気づかってくれた、けれど涙の理由はそうではなくて。
手足が痛むほど、頭部から背にかけてまったくの無傷であることを思い知る。
それが哀しい、そしてどうしようもなく恐ろしい。
「あの……」
指をにぎり込めないこと、掴めないということの途方もない心細さにくちびるが震える。
「──わたくしと、一緒に……。生き埋めになっていた騎士は?」
レイクリブの安否を確認すると老女はうつむいた、重そうに口をひらく。
「まだお若かったのに……」
そのひと言で十分だった。
「そうですね、知っていました」
鮮明に覚えている。
背中ごしに感じられていた鼓動が弱まり、やがて止まってしまったときの絶望を。
「──知っていました……!」
レイクリブはもうこの世にはいない、二度とわたくしを叱ってはくれない。
包帯まみれの手にまぶたを押し付ける、押さえていないと破裂して中身が全部でてしまいそうだ。
「大変でしたね。こんな小さな娘さんがね。私は知っていますよ、女王様がそれはもう頑張っていることはね」
老女はわたくしの背をさすって慰めの言葉をかけてくれた。
もう感情の抑制はできなかった。
レイクリブの死という悲しみが。
手を差し伸べられなかったことに対する恐怖が。
老女の温かい優しさに対する安堵が。
すべての事態をまねいた自分の無力に対する憤りが。
一斉に降りかかってひと塊になってわたくしの感情を打ちのめす。
「申しわけございません! わたくしが、いたらないばかりに……! 国民の皆さまに、……苦労をかけてしまいッ!」
抗う術もなくあふれ出るままにむせび泣いた。
「とんでもないことですよ、とても真似できるようなことじゃあない。がんばってますよ、女王様は」
「わたくしはッ!! わたくしは……ッ!!」
ノドを痛めつけて叫んだ、甘えをすべて吐きだしてしまいたかった。
老女は「可哀想な子だ、可哀想な子だ」と、わたくしをつつみ込んでくれる。
「女王様にだってお心がありますものね、感情のかよったひとりの人間ですものね……」
わたくしは彼女をたいへん困らせただろう。
今日までいろいろなことが起こりすぎて、なにを後悔して泣いているのか、わたくし自身が明確にできないのだから。
人間とはなんなのだろう、あのような冷酷な者もいればこんなにも優しい人もいる。
わたくしは泣いた、涙が枯れて疲労で声を発する気力が尽きてしまうまで。
夜更け過ぎ、騎士団が到着した。率いるのはダーレッド・ヴェイル騎士隊長。
「陛下! お迎えにあがりました!」
ダーレッドは仰々しく居住まいをただすと敬礼をして見せた。
なぜだろう、それに対してわたくしはやけにシラケた気分だ。
「レイクリブが死にました」
「それは……」
第一声にダーレッドは戸惑っている。
騎士団の手厚い迎えにまずは謝辞を述べるとでも思ったのだろうか、平時ならばそうしたのだろう。
いまはもうそんな気持ちは微塵もわいてこない。
泣き枯らしたかすれ声でつづける。
「ダーレッド卿、騎士団は半日ものあいだなにをやっていたのです。わたくし達が戻らなかったことを不自然には思わなかったのですか?」
わたくしはじめて臣下をとがめた、自分でも知らない冷めきった感情とそこから発せられる冷徹な声で。
「申しわけございません、目的地が遠かったため遅れることもあるかと。それに護衛部隊がついておりましたもので……」
そうだろう、ありふれた理由だ。特別な不備はない。
なのになぜ、こんなにも不快な感情が体内をうずまいているのだろう。
あの男は言っていたな、言いわけをするのは反省していない証拠だと。
──おまえはどっちだ?
敵なのか、味方なのか。
水分の抜けた渇いた眼でそんな問いかけをするように、わたくしは彼をにらみつけていた。
「護衛部隊はどうしていますか?」
礼拝堂の外で待機していたはずの兵士たち、なぜ現場をはなれたのか。
そして、戻って来なかったのか。
「それが、報告によれば先日の黒衣の騎士の襲撃にあい殉職、または消息不明と……」
ザワリと血が泡だつのを感じた。
またアイツだ、礼拝堂の崩落もやつの仕業なのか。
アルフォンスを殺し、レイクリブまでも。
なんだ? 誰だ? 何が目的だ?
わたくしが憎悪の念に周囲の音を遮断しているあいだ、ダーレッドはレイクリブを悼む様子を見せていた。
「レイクリブとはいさかいが絶えませんでしたが、それも好敵手と認めていたがゆえ本心では敬意を払っていました。残念でなりません」
「……そうですか」
なんて言ったのか聞き逃してしまい、適当に相槌を打った。
ダーレッド騎士長を責めても仕方がない。
「城に戻ります」
帰って仕事をしなくては。
友が死んでも、教師が死んでも、仕事をしなくては。
民を幸せにしなくては。
「我が背におぶさりください」
ダーレッドがさしだした手をわたくしは振り払った、当たった指先が痛みで痺れる。
「大丈夫、馬車まで歩きます」
入口には家主の老女とその長男が見送りに立っており、わたくしは二人に挨拶をする。
「おば様、お世話になりました。この御礼をしにかならずまた伺います」
「いいえ、先ほどいただいた分で十分でございます」
「遠慮なさらないで、わたくしはあなた方のような人々にこそ報いたいのです」
わたくしは彼女らの手を握り、心の底からの感謝を伝えて民家をあとにした。
帰路のあいだ馬車の振動が怪我に響いていた、陰鬱な精神状態でなければ苦痛を訴えていたはずだ。
けれど、わたくしはみずからの内に起こっている変化に気を取られてそれを無視していた。
正面に座っているダーレッド騎士長に伝える。
「明日、捜索隊を出していただけますか」
「黒衣の騎士ですか?」
そちらも放置しておかないが、さしあたり盗賊ギルドに調査を任せてある。
「礼拝堂の崩落後、敷地に立ち入った二人組の男性がいます。目撃証言がないか調査してください」
まったく理解しがたい存在だった、今後のためによく研究しておかなくてはならない。
なぜあのような態度をとれたのか、納得いく説明をさせよう。
「それだけで特定するのは難しいかと」
ダーレッドの反応は芳しくない。
「見つかったらで構いません。嫌疑のある人物を全員つれてきてください、特定はわたくしがします」
あの下卑た声、忘れもしない。
「どうなさるつもりです」
さて、どうすればよいだろうか。
どうすれば今後、あのような悲劇を回避できるだろう。
わたくしに逆らわなくなるだろう──。
「もし、満足いく釈明ができなかったならば処刑しましょう」
その言葉を口にしたのは初めてだったけれど、別段、抵抗もない。
むしろしっくりと来た。
ああ、こんな感情が存在するのだな。
これが憎悪――。
「生皮をはいで苦痛をあたえ、十分に後悔させたあとに首を跳ね、城下でさらしものにします」
わたくしは微笑んでいた。
そう決断したとき苦しみが少しやわらいだ気がしたからだろう。
リヒトゥリオにはじまり、アルフォンス、レイクリブ、わたくしを支えた力ある人々が立てつづけに失われた。
大切な人々にこれ以上、悲劇が及ばぬよう、わたくしは変わらなければならない。
──変わらなければ。
無力な自分にはもうウンザリだ。
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