暗愚の女王と愛しのグラディエーター matinee
開幕
女王の結婚
――昨夜、訃報が届いた。
彼はたよりにしていた書記官でした。
リビングデッド事変による被害は甚大で、人手不足から皇国の機能のおおくが麻痺してしまった。
未曾有の事態にさらされた民衆が心に負った傷は深く、復旧に着手できない彼らに鞭を打つような真似もできない。
そのしわ寄せで臣下たちに処理能力を超える負担を強いることになったのは女王であるわたくしの責任だ。
彼はとても優秀な人物でいやな顔ひとつせずに対応してくれていた。
わたくしは彼をとても尊敬し、信頼していたのです。
書記官リヒトゥリオは亡くなった──。
死因は突発的な心不全やそれに類するものではなく自殺だった、そう報告を受けた。
顔を合わせたときには互いをねぎらい、笑顔を交わして別れたはずだった。
しかし、その日のうちに彼は自死した──。
彼の訃報を知らされたときわたくしは意識を失い、目を覚ませば自室のベッドのうえだった。
「レイクリブ、彼はどうして命を絶ってしまったのでしょう……」
わたくしはベットに横たわったまま護衛騎士のレイクリブにたずねた。
日はすでに半周していて執務の遅延が気がかりだ。
そしてリヒトゥリオ書記官の自死の動機がどうしても知りたい。
わたくしは未熟な女王だ──。
現在は閉鎖中のコロシアム、そこで人生の半分を過ごした。
それ以前はおさなく自我が未発達だったという意味で、人生のほとんどをそこで過ごしたと言えるかもしれない。
社会との繋がりがそうであると言うのならば、私の人生はまだ一歳半しかない。
その監獄の中でわたくしは生を奪われていた。
社会的に抹殺され、役割もなく、人との接触すらない。
主の心を癒すだけ『籠の鳥』のほうがはるかに存在意義がある。
家畜のように人の腹を満たすわけでもなく、道具のように用途があるわけでもない。
誰に影響を与えることもなく、ただ呼吸をして過ごしてきた。
よく泣いたと思う。
けれどそれは睡眠導入剤とおなじ意味で、そうしなければ眠りにつけない時があったというだけ。
泣いても誰にも響かない、壁に吸収され溶けてきえるだけ。
一昨年まで、わたくしは世界から断絶されたまったく空虚な存在だった。
孤独だった、書物だけが友であり教師だった。
おかしな話だけれど、わたくしは書物に嫌われないために70000時間、3000日のあいだ背筋を正していたようなものなのだ。
書物のなかの登場人物にすら嫌われたくないという滑稽な理由で。
私は死にたかった――。
でも、自分で命を絶つのはあまりにも惨めで、いつか誰かがそうしてくれることを夢見て生きていた。
他殺を、夢にえがいて生きていた。
英雄であるにもかかわらずわたくしへの忠節を尽くすため、看守に身をやつしたヴィレオン将軍。
実際に口にだして伝えたことはなかったけれど、彼にそれを求める気持ちでいたこともあった。
彼ならば適任であると思えたからだ。
私のためにすべてを捧げてくれた彼になら、その権利があると疑わなかった。
けれど死を夢想することは二度とない。
――あの人に出会って人生の愛おしさを知ることができたから。
「お言葉ですが、その答えをいま得ることは不可能でしょう。一刻もはやくの復調を目指し安静につとめてください」
相変わらず神経質そうな声でレイクリブがわたくしをいさめた。
これまで専属の女中とイリーナ以外の私室への立ち入りはなかった。
わたくしが倒れてしまったため急遽スケジュールの変更が必要になり、こうやって護衛騎士のレイクリブが調整にきてくれている。
それと女中のサンディがいつものように付き添って身辺の世話を焼いてくれた。
彼女は私より二つ年上で背丈もちかしい可愛らしい女子だ。
長い牢獄生活で特定の世話役などつかなかったため、気安い相手をとの理由から若い彼女が担当に選ばれたということらしい。
「ごめんなさい、この忙しいときに……」
仕事をとどこおらせていることをレイクリブに詫びた。
「不謹慎であることは承知のうえ、言ってもきかない陛下を休ませるよい機会が得られたと考えています」
歯に衣着せぬ物言いが特徴の彼だけれど、今回ばかりはさすがにひどいと感じた。
「そんな言い方……!」
護衛騎士は女王であるわたくしがとがめても一切ひるむことなく意見をのべる。
「自覚をもたれよ、献身の心は尊いがそれで陛下が過労死などされたら皇国は滅亡だ。書記官を愚弄するつもりはないが、俺は陛下のためには命を賭する覚悟です。他者にもそれを望んでいる」
厳しく口うるさかったヴィレオンでさえこちらが意見をすればかしこまって折れたものだった。
さすがはフォメルス元国王の次男である。
レイクリブ上級騎士はリヒトゥリオ書記官の自殺に対して哀悼をあらわすよりも、むしろ憤慨している様子。
自死を任務の放棄とみなしたのだろう。
しかしリヒトゥリオのこれまでの働きぶりや貢献を考えれば、悼みこそすれ非難する気はおきない。
「それよりも陛下、ダーレッド・ヴェイルに婚姻を迫られている。といううわさを耳にしました」
ダーレッド・ヴェイル騎士隊長との婚姻──。
その話はさきほど騎士団長からされたばかりだ。
わたくしと身のまわりの世話をしているサンディしか知らないものだと思っていたのに。
「もう話がひろまってしまっているのですか?」
「人の口に戸は立てられませんよ」
レイクリブが言うと女中のサンディが突然、忙しなげに部屋の掃除などを開始する。
──私とサンディしか知りえない情報が、いったいどこから漏れたのだろう?
「陛下は、どのようにお考えか?」
質問の意図がわからず私は首をひねり、レイクリブの口調が険しくなる。
「ダーレッド卿に対してどういった印象をお持ちかと聞いている」
その威圧感はとても女王に対する騎士の態度とは思えない。
「ええと……、優秀な騎士長だとうかがっております。それと……そう、とても快活なお人柄でいらっしゃいますわね」
何度かお会いしたときはとても紳士的な方だった、よく気をまわして冗談でなごませようともしてくださっていた。
その冗談は私には難度が高く、笑うタイミングがよく分からなかったのだけれど。
「陛下のまえでは皆、そのようにふるまう努力をするでしょう」
「なにを怒っていらっしゃるの……?」
彼は否定も物怖じもせずに言い放つ。
「陛下は愚昧である、としか言いようがございません」
「ええ……」
彼がいったところの「そのようにふるまう努力」とやらを怠っている者が目のまえにいることにわたくしは戸惑った。
レイクリブは続ける。
「陛下と婚姻を結べばその者は実質の皇帝です。僭越ながら感想を述べさせていただきますれば、ダーレッド・ヴェイルという男にかしずくことに激しい抵抗をおぼえずにいられません」
つまりレイクリブはこの縁談に反対なのだ。
言葉は乱暴だ、けれど真意のわからない者だらけのなかでハッキリと本音で向き合ってくれることには安心感がある。
そしてレイクリブのそれは無用な心配だった。
「ふふ、安心なさってくだ──」
「ダーレッドは陛下に対する建前どおりの男ではありません、かならず御身を不幸にすることでしょう」
「わたくし、はじめから縁談をうけるつもりは──」
「しかし陛下がこの調子ではそうも言っていられない、国家の存続があやぶまれれば否応なく──」
「レイクリブ、あの、レイクリブ?」
「求心力のある騎士団長とその息子に実権をゆずらざるをえなくなるのは必――」
「結婚しませんってばっ!!」
女王の言葉を無視して話しつづける騎士に、ありったけの声量をぶつけた。
「……はっ? ダーレッド卿との婚姻は破談になさると?」
「なんども言いました!」
レイクリブは、ふむと、ようやく納得したそぶりを見せる。
「そうですか、無知蒙昧な陛下でもあの男に権力をあたえる危険性は理解しているご様子。安心しました」
わかってもらえたみたいでよかった。
「ダーレッド卿の人柄は関係ありません」
わたくしはその理由を誇らしげに掲げる。
「――なぜならば! わたくしはイリーナと結婚すると心に誓っているのですから!」
ですから!
から!
ら!
わたくしが決意表明をするとレイクリブは眉間をおさえてうつむき、黙ってしまう。
「どうかしまして?」
「…………クソが」
──いま、ありえない言葉を小声でつぶやかれたような……。
レイクリブはたびたび聞かせてくるのを上回る大きなため息をついた。
「それ、嫌いです」
あてつけがましいため息を非難すると彼は心底いまいまし気なまなざしでわたくしを見返した。
あまりにトゲトゲしい、ちょっと人にむけて良い視線ではない。
「君主が予想をはるかに上まわるアホだったので目眩がしました」
「なにがアホなのです!?」
愛しあう二人が契を交わす、当然の帰結のはず!
それのなにが間違いなのか、わかりやすい説明をもとめます!
次の瞬間、レイクリブはとんでもないことを言った。
「イリーナとは結婚できませんよ」
「……ん?」
わたくしはなにかの間違いかと聞きかえした、しかし同様の返答がくりかえされるのみ。
「イリーナとは結婚できません」
できないっ、なにがっ? ……結婚が? なぜっ!?
結婚とは生涯のパートナーをさだめる儀式、わたくしにとってそれは無二の親友たるイリーナ以外にはありえません。
レイクリブはなぜ、そんな理不尽を言うのでしょう!
「なぜです!? あんまり不敬がすぎると免職にしますわよ!!」
「女同士だからだよ! 同性婚はできない法律だろうが、アホがっ!」
──同性、同士の、結婚は、法律で、禁止されて、いるっ!!?
「そんな……、そんなこと、どの書物には記されてはいませんでした……」
「記すまでもないんだよ、常識なんだから」
生涯のパートナーを異性に限定する理由はなんだろうか?
結婚出来なかったらどうなるの? べつの異性の方を生涯のパートナーに?
えっ? えっ?
べつの方をパートナーにしたらイリーナはどうなるの?
お別れなの?
イリーナとお別れしてべつの方を愛する……。
それは不可能だ。
「……おい、その絶望顔をやめろ」
「やだ! いやです! わたくしはイリーナと結婚します!」
「無理を言うな!」
わたくしの理性とレイクリブの敬語が溶けて消えた。
「無理なものですか! 私は皇帝なのですよ! 決めました。いま、決めました! 今日から同性同士の婚姻以外は法律違反にします!」
「落ち着け! まず、落ち着け!」
「だってだって! ありえませんもの! 今後、イリーナ以外の人をどうやって彼女以上に愛せると思いまして!」
取り乱す私たちを見てサンディが「あはははは」と、笑い出す。
「笑い事じゃねえーんだよ!!」「笑い事じゃありませんわ!!」
「申し訳ありません……」
どんなに苦境に立たされようと皇国の復興を続けることはできる。
けど、これだけは無理ッ! ぜったいに無理ッ!
「とにかく、いますぐ手配してください。アシュハは今日から同性婚を許可します。いいえ、推進します。むしろ賛美します。そう致します!」
「おいっ! 陛下がご乱心なされたぞっ!」
主君に対して頭のおかしい相手を見るような眼差しをむけるのはやめなさい!
「どうしてですのぉ……」
「ほかの娘がどんな恋愛をしようがかまわん、しかし女王である以上はその血を受け継いだ跡取りを残さなくてはならないだろう」
「それのどこに問題が?」
「女同士で子供は作れんだろうが……」
わたくしはなにかの間違いかと思って聞きかえす。
「……ん?」
「なにがっ!」
レイクリブはそりかえって頭をかかえた。
「ええと……、ちょっと考えを整理させてください」
わたくしは指をおってなにかも分からない数をかぞえはじめる。
「その必要はない、女同士では子供は産まれないと言っている」
その瞬間、わたくしは天啓を得たかのようにすべてに合点がいったのだ。
──そうか! 女同士では子供はつくれないんだ! それで性別なんてものがあるのか、なるほどなぁぁぁ!
「あきらめて婿をさがすんだな」
そう言ってレイクリブがこの命題を雑に完結させようとする。
わたくしは懸命に思考しひとつの妙案を思いついた。
「そうだ、仮にも貴方は一時王位継承権を有していました。未練がおありでしょう?」
わたくしの発言にレイクリブは過去一番の軽蔑顔を見せる。
「おい!! 皇国の命運を丸投げしてきたぞ!?」
「冗談です! 冗談です!」
あまりの剣幕にわたくしは前言を撤回した。
だって、彼のほうが適性があるような気がするんですもの!
その様子を見てサンディが腹を抱えて地面にうずくまっていた。
「駄目だ……死ぬ……」
ヒィヒィと苦しそうにえづいている。
わたくしはショックを受けていた。
イリーナがそういった話を一切してこないことが疑問だった、むしろ避けている様子もあった。
それをわたくしは時勢に遠慮してのことだとばかり思っていた。
しかし、それはとんだ勘ちがいで真相は女同士の婚姻が成立しないからだったのですわ。
女王だから男性と婚姻を結び時期皇帝たる跡取りを残さなくてはならない──。
だからわたくしが国を背負うと告げた日、イリーナはあきらめたのだ。
わたくしにそんなつもりはまったく無かったのに。
とても悲しい気持ちになる。
わたくしの思いいたらないところで皆が重大な覚悟や決断をしている。
わたくしを守るためヴィレオン達はながい屈辱に耐え、剣闘士たちは皇国に反旗をひるがえし、民衆はわたくしを支持してくれた。
とくにこのレイクリブはその信念に従って、敬愛する父親の仇であるわたくしに仕えてくれている。
個人のわがままなど許されないのかもしれない。
なにをおいても優先されるべきは民衆の幸福だ。
「考えずにはいられません、もしフォメルス王が健在ならアシュハが没落することは無かったのではないかと……」
そんな想像には意味がないとイリーナは言っていた。
フォメルス王であったがゆえにもっと悲惨な未来がおとずれた可能性も否定はできないのだと。
しかし事実としてわたくしは無力だ──。
リヒトゥリオのようにいまも誰かを不幸にしているかもしれない。
立ち去りかけていたレイクリブが私のつぶやきをうけて振り返る。
「おまえ一人の力が父におよぶ必要はない、我々の力も合わせて足りればそれで良いのだから。
それよりも陛下、ゆっくり休息をとり体力を回復されるよう、済んだことを悔やんでいる暇はありませんよ」
そう言い残して一礼すると今度こそ退室した。
レイクリブが去ったのを確認してサンディがボヤく。
「いやいや、気づかうならもうすこし態度ってもんがありますよね」
わたくしは薄笑いを浮かべてる、たしかにずいぶんとエキサイトしてしまった。
「でも、レイクリブ様のおっしゃるとおりだと思いますよ」
サンディのそれはどの部分を指しているのだろう、ふりかえってみると醜態をさらした記憶しかない。
「やっぱり、わたくしがアホだったのかしら?」
「ダーレッド様はなんか信用できないってとこです、男は慎重に選ばないと」
──まあ、アホに対する否定はないのかしら?
「……サンディは」
「はい?」
「たとえばどんな男性が良いと思いますか?」
私の質問にふと視線を泳がせたあと、サンディはなぜか名指しで特定の人物を否定する。
「明確な相手は思いつきませんが、あのアルフォンスとかいう魔術師が論外とだけは断言できます」
このときは無関係なアルフォンス様の名があげられたことが疑問に思えたのだけれど、その真相は後日、白昼のもとにさらけだされる。
「陛下は立派であらせられますよ、私がおなじ立場なら半日で投げ出していますとも」
いまとなれば彼女とのやりとりも懐かしい。
「──無学な私が言うのもなんですが、陛下を無理させてまで幸せになりたいとは思えないんです。皆、勝手に幸せにでもなんでもなればいい」
わたくしがした選択は正しかったのでしょうか?
「そう思うようになったのは身のまわりの世話を任されてからで、それまでは皆と同様に国家の不振はすべて陛下のせいだと思っていたので、えらそうには言えませんが」
それとも、間違えていたのでしょうか?
「皆、それを宿命だとか責任だとか言うでしょう。でも私はあなたの犠牲を望まないです、幸福を願います」
ありがとう、サンディ。
これから始まるのは最終章、結末の物語──。
それは大魔術師の死によってとうとつに幕を開け、皇国の崩壊と女王の死をもって幕を閉じる。
それは私の愛した勇者の物語。
脆弱な二人によるとても幸福で、ささやかな恋の物語だ。
『暗愚の女王と愛しのグラディエーター』開幕。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます