五場 消滅
誰かの断末魔が脳天を突き抜けた――。
「!?」
意識の覚醒を待たずに上体を跳ね上げ、俺は枕もとに置いた剣を手繰り寄せる。
特注の大剣ではなく閉所でも扱いやすい短剣だ。
目覚めて数秒、朦朧とする意識のなか俺は膝立ちで状況確認を急ぐ。
悲鳴の発生源は室内、俺の他にイリーナとアルフォンスが寝ていたはずだ。
──外部からの侵入に気づかなかった?
アルフォンスの話ではイリーナは何者かから命を狙われていて、それをイバンが裏取りしていた。
警戒を怠っていはいなかったし、備えて入り口の横に陣取ってもいた。
──いや、侵入の気配はなかった。
遅くまで語り合っていたため睡眠時間こそ長くはないが、体調から察するにとっくに日は昇っている。
「イリーナ! アルフォンス!」
日光の照り返しにまだ眼が慣れていない、せめてと呼びかけるが返事はない。
眼を細めて見渡すと部屋のすみでうごめく影、何者かが人に跨って振り上げた凶器をその人物にむけて叩きつけていた。
再び上がる悲鳴。
「おい! 止めろ!」
俺は慌てて飛びかかり、不審者を取り押さえ組伏せる。
暴れているがあまりにも軽い手応え、女だ。
「何者だ貴様ッ!」
俺は襲撃者の正体を確認する。
「離せ!! そいつ、ぶっ殺してやる!!」
「え? は?」
俺は困惑した。
腕の中、殺気を剥き出しにして叫んでいるのはイリーナだ。
そして床に横たわる暴行の被害者はアルフォンスだった。
──なるほど、敵の襲撃はなかったのか。
俺はアルフォンスがイリーナの寝込みを襲い、返り討ちにあったのだと結論づける。
「良かった、なにも問題はないみたいだな」
アルフォンスが異議を唱える。
「よ、良くはないです……」
その顔面はしたたり落ちる血液で真っ赤に染まっている。
「たしかにやりすぎだが、なにをされても自業自得だろ」
トラブルの原因はだいたいアルフォンスのせいに決まっている。
役には立つが信用できない男──。
帰ってなにをする間もなくコイツの悪評だけは耳に入ってきた。
「ち、違います……! 寝ていたらとつぜん頭をかち割られ、逃げ出したところを馬乗りされてもう一撃……!」
「はなしてよ、このっ筋肉オバケっ! あたしはそのクズをぶち殺すんだからっ!」
暴れるイリーナを俺は「おいおい」となだめて怪我をさせないよう加減をしながら拘束する。
イリーナの激昂はただごとではない、開放すればそれを実行するであろう彼女をはやすわけにはいかない。
「ちょっと待て、とにかく落ち着け」
しかしなんだろうか、どこかに俺は違和感を覚えた。
──なんだかイリーナっぽくないぞ?
そしてアルフォンスが不可解なことを口走る。
「ま、まさか……、人格が戻った……?」
「はあ?」
聞き違いか言葉のあやか、記憶が戻ったの間違いだろう。
記憶喪失だったことは事前に知らされている。
記憶が戻った結果、パニック症状を起こしてこんな状況だというのならなんとか理解はできる。
「聞いてるの! 話せって言ってるのよ! アンタみたいなゴリラに押さえられて平気なほど頑丈にできてないんだから!」
イリーナは収まらずに暴れ続けている。
「とりあえず落ち着け、理由を聞かせろ」
「あたしはイリーナじゃないわ! 聖竜の巫女イーリス・マルルムよっ!」
聖竜の巫女イーリス──。
それは俺がマウの行商人から聞いた情報どおり、やはり記憶が戻った様子だ。
「私から説明するので、とりあえず彼女を拘束しましょう」
アルフォンスが自分の止血をしながら提案した。
気は進まないが、いつまでも俺の腕力で押さえつけている方が危険に思える。
俺はアルフォンスの指示に従ってイリーナを縛り上げることにした。
「おいやめろぉ! なんなのっ! なんでビクともしないのよ、このトロールッ!」
拘束している最中、終始罵声を浴びせかけられた。
トロールってあれだろ、巨体で怪力だけど動きが鈍重で頭の回転が鈍い、醜い怪物だ。
「ひとつしか当てはまってないからな!」
両手を縛り、ベッドのヘッドボードにそれを引っかけて固定した。
床に尻を着いて、バンザイのポーズで括りつけられている状態だ。
叫び疲れたのか無駄な抵抗に飽きのか、イリーナは黙り込んでしまった。
しかし、女性に対してこの仕打ちはとても罪悪感がある。
「この背徳感が堪りませんね」
アルフォンスは違うみたいだ。
「さてと――」
やっとこさ説明を聞こうかとした時、ドアがノックされ上級騎士レイクリブの声が聞こえる。
「どうした! なんの騒ぎだ!」
ドアを開けるとそこにはレイクリブとティアン女王の姿があった。
「無事みたいだな。騒音を聞きつけた女中が血相を変えて報告に来た、緊急事態かと思ったぞ」
無事を確認したレイクリブがそう言ったが、俺もまだ状況を整理できてすらいない。
「おはようございます、オーヴィル様」
姫さんの呑気な挨拶にはとりあえず「おお、おはようさん」と返す。
「ちょっと妙なことになってな、とりあえず入ってくれ」
俺は二人を部屋に招き入れた。
そして拘束されたイリーナの姿を目にした二人は同時に足を止め、しばし硬直する。
密室で男二人が女を縛り上げている構図が二人の目にどう映ったか、とんでもない衝撃映像に違いない。
「イリーナ、大丈夫!」
咄嗟に駆け寄ったティアン女王にイリーナが罵声を浴びせかける。
「さわんな! 気持ち悪いのよ、このレズビアン!」
「…………!?」
ティアン女王が流れるように膝から崩れ落ちた。
「陛下ッ!?」
レイクリブが悲鳴を上げた。
まさか拒絶されるとは思わなかっただろうに、姫さんはショックのあまり放心してしまった。
虚空を眺めながら「レズビアンって、なに?」などと呟いている。
「勇者様、いまのはいけませんよ」
と、思わずアルフォンスが注意したが、問題はそこではない。
とにかく現場はしっちゃかめっちゃかだ。
「おい、どういうことだこれは……?」
レイクリブも当然のように困惑しているが、俺に聞かれても困る。
状況を把握しているであろう唯一の人物、アルフォンスがイリーナに歩み寄る。
「アナタは何者ですか?」
それは腑に落ちない質問だ。
「アンタがなんの説明もなく人格を上書きした本来のあたし、決まってるでしょう!」
イリーナの回答もよく分からない。
「つまり、記憶が戻ったんだろ?」
アルフォンスはそれを否定する。
「いえ、事態はもうちょっと複雑です……」
俺たちは次の言葉を待っていたが、アルフォンスはそれを口にすることをわずかばかり躊躇しているようだった。
「──本人以外の口から伝えられるのは不本意だとは思うのですが、埒が明かないので言ってしまいますと」
そう前置きをして、アルフォンスはイリーナの正体について詳細な説明を開始する。
それは耳を疑う内容だ──。
収監されたアルフォンスはコロシアム脱出のため異世界からイリーナの精神を召喚、このイーリス・マルルムに移植したと言った。
俺たちが昨日まで敬愛していた仲間は異世界から呼び寄せた精神体で、見慣れた肉体はまったく別人のものということになる。
「生命の危機に対する緊急措置として仕方がなかったのです」
その結果、イーリスの活躍により逆賊は討たれ、ティアン姫は救出され、リビングデッド事件も終息させることができた。
アルフォンスは胸を張って宣言する。
「──多くの命が、ひいては人類が救われた、私の判断は正しかったと言えるでしょう!」
一同、言葉を失ってしまう。
それが無ければ、ティアン女王を筆頭に多くの命が失われていたわけだが――。
アルフォンスは拘束した少女を振り返って言い放つ。
「感謝してくださいね?」
「はあ!? あたしは竜の巫女よ、勝算があって剣闘士に志願したの! それをアンタが勝手に説明もなしに!」
この少女が闘技場を制覇できたとは思えないが、アルフォンスに人道的な罪があることは確かなようだ。
了解を取らずに人格を上書きしたということは、一度殺されたも同然、彼女の怒りは正当だろう。
「いやあ、勇者様が自分の口から言うまではと我慢していたので言えてスッキリしました!」
罪人はすがすがしい表情で言った。
たしかに、ここまで引き延ばした以上、他人の口からは絶対に知られたくなかったに違いない。
「いや待て、するとだな……」
俺の言葉をさえぎってティアン姫がアルフォンスに詰め寄る。
「イリーナは、イリーナはどうなってしまったのですか?!」
そうだ、本来の人格が帰ってきたら付け足した人格はどこに行くのか。
最悪の事態を想像せずにはいられない。
「実験的な魔術だったので断定はできませんが、考えられるのは二つ。
効力が切れて勇者様の人格が消滅してしまった結果、もとの人格に戻った。
あるいはもとの人格に主導権が戻った結果、勇者様の人格が潜伏してしまったか。
考えたくはありませんが、消滅の可能性がないとは言い切れません」
アルフォンスは歯にきぬ着せず事実を言葉にした。
「そんな……」
ティアン姫の落胆は計り知れない、低くない確率でイリーナは死んでしまったと言われたようなものだ。
「そうだよ! 分かったらこの可哀想なあたしを解放してよ! あたし聖竜の巫女なのよ!」
巫女イーリスに罪はないのだから、いつまでもこのままというわけにもいかない。
しかし開放したら彼女はここを去るだろう、そしてそれを止める権利は誰にもない。
これがイリーナとの最後の別れになるかもしれないということだ。
俺たちは経験したことのないタイプの危機に直面していた──。
ショックのあまり血の気の失せた表情のティアン姫、彼女をアルフォンスが慰める。
「ティアン嬢、希望を捨てないでください。私はこの女の人格を滅してでも勇者様を奪還するつもりですよ」
頼もしい笑顔だ。
それを聞いた竜の巫女イーリス・マルルムは叫ぶ。
「あんたが希望を語るなッ!! このっ悪の魔術師ッ!!」
それには全面的に同意するしかない。
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