二場 死肉の箱


私はただ必死に死肉を掻き分けた。


こうしている間にも室内は阿鼻叫喚の地獄絵図。


礼拝堂を死者が埋め尽くし、もはや周囲を見回すゆとりも無い。


これは世界の終焉を想起させる景色。


どうしてまだ無事なのかも分からないくらいに、ただただ必死にリビングデッド達を跳ね除けた。


自分が死霊術師でなかったならば、とっくに捕まっている。


しかしそれも時間の問題だろう。


のしかかる群れ、群れ、群れ、地獄の底から誘うような呻き声の大合唱に正気を保てているのかも定かではない。


勇者はどうなっただろう?


もはや我が身を守ることに精一杯で確認する暇もない。

私でこのザマなのだ、あのクソ雑魚ではひとたまりも無く飲み込まれてしまうだろう。


掴みかかってくる数多の腕を肩で頭で払い除け、不死者たちを踏み、押し除け、狭くなっていく抜け道を必死に探して身をねじ込む。


襲いくる個体に『止まれ』と命じ続けながら手足を動かすことも、大群に作用させることも、限られた魔力では限界がある。


膨大な魔力を蓄積したマリーの【宝玉】があれば、彼女の支配力を上回り逆転することも可能だろうが、そのありかは持ち主すら把握できていない。


刹那、床の感触を見失う──。


なにがどうなったのか分からなかった。


横から押されたのか、足を掴まれてつまづいたのか、意識が動転したと思ったら私は転倒して頭部と脛に激痛を覚えた。


どうやら悪足掻きもここまでと覚悟を決める。


体力、集中力、魔力、あらゆるものの限界だ。


迫り来る人間だった物のおぞましさに自らもそうなるのだなと思うと不本意だが、死の淵を奇跡的に何度も乗り越えてきた私だ。


──そろそろ命運尽きて当然か。



「アルフォンスッ!!!」


その澄んだ声は腐った泥水に押し流される悪夢を一掃する。


「アルフォンスッ!! らしくもなく観念してんなッ!! 足掻けっ!! 普段通りの意地汚い生き様みせろッ!!」


「私のどこが意地汚いんですかッ?!」


私はムキになって反論した。


しおらしい姿を見られて恥ずかしかったのだ。


腰まで登ってきたリビングデッドを蹴り押した勢いで跳ね起き、身体を捻ると声の方へと駆け出した。


ドカンッ!!


破裂音、追い縋って来るリビングデッドが後方で弾け散る。


ウロマルドのバスタードソードが私の背後を薙いだのだ。


今だとばかりに私はその場を駆け抜けた。



大聖堂最奥、聖堂内で最も聖なる場所とされる祭壇の先。


神体が掲げられている真下にある司教座の前に勇者と、なぜか単独で事件を調査していたはずのイバンの姿があった。


「アルフォンスさん!! こっちです速く!!」


なるほど、勇者は彼に助けられて窮地を脱したのだ。


不公平だ!


しかし、どちらから助けるかと言えば自力で助からない方を優先されても仕方がない。


辛うじて、二人の周辺まではリビングデッドが到達していない。


だからといって。


そんな奥まで引っ込んでしまっては袋の鼠ではないかと一瞬過ぎったが、イバンの突然の登場が『抜け道』の存在を示唆していることに思い到る。


私は一目散に走った。


そこまでのルートはウロマルド・ルガメンテが防波堤となり辛うじて確保されている。


人間の動作を先読みするその能力を、自我のない獣と卓抜した技術を持つ戦士との間で微調整し、リビングデッドを迎え撃っている。


それはまさに戦の神と言っても不足はない、人智を超越した奇跡。


最大の危機的状態に追い込まれ、ウロマルド・ルガメンテの強さは最大限に引き上げられ、昇華されていた。


それは触れたら弾け飛ぶ刃の風車よろしく、二枚のバスタードソードを豪快に振り回し、首を跳ね、腕を落とし、足を吹き飛ばし、動く死体を欠損させていく。


彼の存在がなければ、今よりずっと短い時間で室内は死肉に満たされていただろう。


しかし確保されたスペースは容赦なく狭まっていく。



「速く! 速く!」


勇者がこちらに手を伸ばしている。


私はそれを掴み返すとステージ上に引き上げられた。


登場の演出用か避難用だろうか、司教座の下にはイバンが侵入して来たであろう地下通路への抜け道が顔を覗かせていた。


鉄製の頑丈な扉の下、深さ二メートル程度の浅いスペースに梯子が掛けられている。


私はその抜け道へと滑り込んだ。


「これは……」


見たままの地下通路以外のなにものでもないが、状況の目まぐるしさに対する混乱も交えて私は呟いた。


「もう一段下った先が倉庫で会議室と宿舎方面通路の二箇所に繋がっています」


続いて降りて来たイバンが説明してくれた。


通路の出口の他にも、なぜ彼がここに居るのか謎ではある。


彼は剣闘士を調査していて、私たち同様に聖堂騎士団は警戒してすらいなかったはずだ。


イバンが勇者に声を掛ける。


「姉弟子!」


勇者は梯子に足を掛け上体を外へと乗り出している。

そんな場合ではないと解ってはいるが、尻を眺めるのには良い位置関係だ。


「ウロマルドっ!!」


脱出の準備が整ったと勇者が剣闘王者に対して合図を送った。


しかしウロマルドは手が放せない様子で「行け!!」と突っぱねた。


「でもッ!!!」


喧騒激しく二人のやり取りもかすかにしか聞き取れないが、勇者の説得は難航している様だ。


勇者が悲鳴を上げた。


もはや振り返ることはおろか後退することもままならない状態みたいだ。


とても共感できないが、もしかするとこの状況すらインガ族の戦士は楽しんでいるのかもしれない。



「姉弟子ッ! 失礼します!」


痺れを切らし、イバンが勇者の腰に手を廻して下へと引き下ろした。


「痛って!?」


ぶつけたのだろう頭部を抱え勇者が地面を転がる。


──同時にリビングデッドが飛び込んで来る。


私が尻に見とれている間にイバンはそれを察知したのだ。


敵の侵入を防ぐため私は勇者と入れ替わりに梯子を駆け上がり、取っ手に手を掛けると上方に立っていた扉を下ろす。


「うおおおっ!?」私は叫んだ。


間一髪間に合わず、リビングデッドが上半身を扉の間に捩じ込んできたのだ。


胴体が挟まっていて扉を閉めることが出来ない。


リビングデッドは激しく暴れ、馬鹿みたいな怪力で扉をこじ開けようとする。


このまま後続がなだれ込んだらお終いだ。


私は扉の取っ手から手を離さないことで精一杯、他の二人にも激しく暴れるリビングデッドを押し戻すことは体制的に難しい。


私は提案する。


「一体だけ引き入れて始末しましょう!!」


それで扉を閉めてしまった方が安全だ。


同時にウロマルドをここから逃がすことは絶望的になってしまうが、考えている時間はない。


決断した刹那、私は「おおッ!?」と驚嘆の声を上げていた。


リビングデッドの上半身だけが千切れて地下に落下したのだ。


障害物のなくなった扉が重い金属音を立てて閉じる。


扉の重量でそうなったのではない、上でウロマルドがリビングデッドの胴体を切断してくれた。


それは仲間を見殺しにする免罪符を本人が与えてくれたのと同義だった。


見捨てたのではない、彼が進んでそう仕向けたのだと自分に偽る材料をくれたのだ。



落下したリビングデッドの上半身は、その勢いを微塵も衰えさせずに手近な人間に襲い掛かる。

しかし流石に足のない相手に後れを取るほど我々も平和ボケしてはいない。


仮にも命のやり取りを経験した元剣闘士、イバンが持参した大鉈で難なくリビングデッドの頭を割ってトドメを刺した。


「そこで拝借してきました」


この際、武器の出処に興味はないが、おかげで九死に一生を得られたようだ。


敵の侵入を防ぐため私は扉にカンヌキを掛けた。


鉄製の頑丈な錘がガッチリと通路に蓋をする。


勇者は悲痛な表情をしていたが、その状況をウロマルド本人が作り出した以上は口に出して非難することはしなかった。


私は慰めの言葉をかける。


「逃げるつもりならばとっくにそうしていますよ」


ウロマルドは自分の意思でその場に残った。


強敵を求めて現れ想定よりも多くの障害が立ちはだかった。

それによって望み通り本来のスペックを最大限に発揮することができたのだ。


なにを良しとするかは結局本人の問題だ。


「説得してどうなる相手では無いと、そう言ったのは勇者様ですよ?」


「けどさ……ッ!」


勇者は無念を滲ませた。


その苦悩は解る。


私たちがしたことは見殺しに他ならない。


だが、手伝えることが万に一つも無いことは明らかだ。



一時、安全を確保できた私はイバンを振り返る。


「助かりました、ありがとうございます」


丁寧に礼を伝えると訊ねる。


「──どうしてこんな所に?」


偶然通りかかったとでも言うつもりだろうか、あるいは誰からか私たちの窮地を伝えられたか。


独自の調査でリビングデッドの発生源が教会だという真実に行き着いたのだとしたら、大したものだが。


イバンは質問に答えた。


「元老院のお偉方から、お二人を救出する様に頼まれたんです」


「元老院が?」


勇者が意外という反応を見せた。


ティアン姫を傀儡にしたい元老院にとって私たちの存在は邪魔に違いないからだ。


郊外に出て受けた野盗の襲撃も、もしや元老院の手の者かと疑ったくらいだった。


「なぜ貴方に?」


イバンは最近再会したばかりの個人的な友人だ、各組織の重鎮が集まる元老院が教会への侵入という大役を任せるとは考えにくい。


「いや、直接の依頼はウロマルドにされたんです。聖堂騎士団から二人を奪還して欲しいと」


つまり元老院も教会同様、私たちを監視していて正確な状況を把握できていた。


元老院に所属する面々はあらゆる人脈を持っているがそれ自体が武力組織ではない。


騎士団とも対立関係に構図にある。


そこで戦闘力に信頼のおけるウロマルドを頼ったが、急なことゆえに教会の本部襲撃と言う乱暴な手段になってしまった。


「馬の合わなそうな二人でしたが、よく一緒に行動をしていましたね」


素朴な疑問、口論が平行線を辿っていたはずがいつの間に仲直りを果たしたのだろう。


「ああ、捜査も行き詰まってすることがなかったので、あの蛮族野郎を説教してやらねばと追いかけたんです」


 仲直りどころか、凝りもせず自分の価値観を押し付けに向かったのか……。


その執念には呆れを通り越して感心すら覚える。


「──すると元老院の人間が接触して来たので、姉弟子の危機を指を加えて見てはいられないと便乗しました」


それで案の定、別行動になった訳か。


「奴とは違うルートで侵入したんですが、間に合って良かった」


ウロマルドが敵の目を一身に集めたことでルート確保が容易にできたのだろう。


「さすが遺跡荒らし」


抜け道を見つけるのはお手の物らしい。


「探検家ですってば」


「どうなのその無職っぽい肩書き……?」


イバンの訂正に勇者が口を挟んだが、真の無職が口にして良い台詞かというと疑問が生じた。


「やっぱりウロマルドはボクらを助けに来てくれたんだ……」


どこからが仕事でどこまでが趣味かの線引きは難しいが、それは事実だろう。


我々をイバンが急かす。


「さあ、速く脱出しましょう」


私たちの取るべき行動は自らの安全を確保し、緊急事態を騎士団に報告することだ。


それしかできない、それが最低限の義務であり最大限の仕事だ。


「どうかしましたか?」


ふと勇者が黙り込んでいることに気付き、私はなんとなしに声を掛けた。


「……いや、ゴメン。一刻を争うならアルフォンスの魔法で先に連絡をした方が良くないか?」


言う通りだ。


しかし教会から城までは徒歩で小一時間を要する距離がある。

全力の逃走劇で魔力をかなり消耗してしまった現状では――。


「すみませんが、とても魔力が足りそうにありません」


とは言え、マリーは引っ張り出した戦力を大人しく仕舞うことはしないだろう。


教会機能の維持はもはや不可能だ。


このままリビングデッド達を城下に放ち、礼拝堂で行われた地獄を地上で繰り広げるに違いない。


悠長に歩いているあいだに手遅れになってしまう。


「なにが最悪かと言えば、リビングデッド対策の指揮権が騎士団を離れて教会に一任された事です」


予め教会に踏み込む段取りがされている訳もなく、この急な展開に対応が間に合うとは思えない。


「いや、騎士団にはどうやら教会を完全に信頼していない人物がいる様で、先日も周辺を小隊が巡回しているのを見掛けました」


イバンが言った。


それが正しければ接触することで救援を呼ぶ時間の短縮になるかも知れない。


そう考えた直後、轟音が鳴り響き世界が震えた――。



「おおおおっ!?」


踏ん張って振動に耐える。


振動よりも爆音の衝撃による三半規管へのダメージが深刻だ。


「何ごとですか?!」


揺れる意識を押さえ付けながら誰へともなく疑問を投げ掛けた。


思い付くのは爆発だ、近くで大きな爆発があったのだ。


「おお、良いタイミングでしたね」


混乱する私にイバンが揚々と答える。


「騎士団が教会を警戒しているなら踏み込むきっかけを与えてやればと思って、あらかじめ仕込んでおいた仕掛けがいま爆発したみたいです」


この爆発はイバンが仕向けたものだった。


「爆発は小さいですが宿舎施設は派手に炎上するように細工してあるので、周辺もすぐに異常に気付く筈ですよ!」


イバンは得意げに説明して見せた。


それに対し、私はなかば呆れも含めて賞賛する。


「さすが遺跡荒らし、伊達に投獄されていた訳ではありませんね!」



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