魔女の遊園地
ヒスイ リマ
準備
方眼紙、定規、鉛筆、消しゴム。
工具はとりあえず、ノコギリとカッター。
それから…発泡スチロール。発泡スチロールってどこに売ってるの?
私はメモを片手に夕暮れの街を歩いていた。
ネットで揃えればあっという間なんだけど、北海道は送料が高い。
送料無料という謳い文句だって、いつでも北海道と沖縄は別料金だ。
あとは粘土。
去年の暮れ、やっと見つけた人形作りの指南書。マニアックすぎてそこいらの書店には置いているはずもなく、バスと電車を乗り継いで街中まで出て探し当てた。
自分の人形がどうしても欲しかった。
球体関節人形という、それはそれは排他的で耽美な人形。
リアルすぎる造形に、人毛で作られた髪の毛。
美しい死体とも思えるその人形のジャンルは、かなり異端視されている。
関節全てが球体になっていて、四方八方自由に動かせる。実在の人よりも人らしく、そして、人に在らず。
アートであり、嗜好品でもあり、お人形遊びに興じるような代物ではない。
そんな人形が欲しかったのだ。
気味が悪い。そう言われて嬉しいと感じる自分が不思議だったが、気味が悪い程美しく、だからこそ魅入られた。
なかでも、私が欲しいと思った人形の作家はすでに故人で、作品はもはや手の届くはずのない金額にまで跳ね上がっていた。
高級外車がポンと買えてしまう金額だ。
軽自動車も厳しい資金のない私は、指南書片手に作る決意を固め、今は発泡スチロールを求めて東急ハンズにやってきた。
あるある。
四角やらタマゴ型やら、大小様々の発泡スチロール。
まずは持ち帰りが容易そうな大きさを選んだ。縦30横15奥行き15ぐらい?
800円もする。
想像の斜め上の金額に一瞬怯んだ。
そこそこのランチが食べられるじゃないか??いや、こんなもんなんだろうと自問自答しながらレジに運んだ。
キキキとスチロールは笑うように軋んだ。
丁寧に梱包された発泡スチロールは、冷たい風に煽られながら不安げにガサガサ揺れ動いた。
軽いものなのに、かさばる。雨予報を信じて傘を持ったはいいが、結局降らずに傘を持ち帰る時の心境とよく似ている。
100均であれやこれやと買い込むのは次回にしよう。とにかく今日は自宅へ戻ることにする。
自分のための買い物は、本当に久しぶりだった。
それが春物の服や靴でもなく、人形を作るための材料なのだから、贅沢なのだか何だか訳がわからなかった。
何でまた人形なの?しかもなんかリアル過ぎて気持ち悪いな。
さぁ?でもね、すっごく欲しくなったから。でも買えないから、だから作ることにしたんだよね。
え、子供欲しいとかそういう感じ?でも人形ってさぁ…
涼は、人形というものをひどく怖がった。
涼が特別怖がりなわけではなくて、周囲の人は皆そうだった。
リアルなだけでも生々しくて気持ち悪いのに、その上、関節が球体で動いて…
人形がなぜ怖いのか、いや確かに私だってはじめは少し怖いというかぞくっとくるものはあったけど。
目が怖い。
皆、口を揃えてそう言って、
呪われそう。
実際何かありましたか?と聞きたくなるような具合で怯えるのだった。
涼は酒飲みで、休みだというのに昼間から…休みだから?昼間から赤ワインをクイクイやっていた。
わざわざうちに来てまで飲まなくたっていいじゃない?もう何回そう言ってきたか分からないけれど、今日も私は言った。
「じゃあエリも一緒に飲もうよ」
お決まりの返事。
いや、今日はやめとくと手を振って、私は指南書に目線を戻した。
涼は昼下がりのドラマの再放送をぼんやりみている。
深紅の表紙の指南書は、それはそれはうやうやしく、分厚く、ちょっとした辞書ぐらいの重みがある。
書店で見つけレジに運ぶ自分は気分だけはもはや人形作家だった。
指南書は、必要な工具、材料、手順が図解つきで丁寧に書かれている。なんでもこの人形の世界では有名な越田 陽先生が手掛けた本で、人形制作者は必ず持っている一冊なのだとか。
準備は整った。指南書の通りにあれこれ揃えた。
次に私が始めることは、どんな人形を作りたいのかを具体的に決めること。
どんな顔形でスタイルで、何歳ぐらいの設定で、男の子なのか女の子なのか。
私は、あの高級外車の人形が作りたかった。
不気味な程美しい、不自然な程生々しい、死んでいて、生きていて、それでいてからっぽな瞳で…
頭の中にいる人形のイメージを、どう具体化すればいいのか…
「ううーん」
自然とうめき声が漏れた。
涼がグラスに口をつけながらこちらを見る。
「面白い?」
私は少し考えて、うん、と頷いた。
まずは、描いてみることにした。テーブルの隅にいつも置いてあるメモ用紙にと、涼の前に手を伸ばした。
すると涼はその腕をがっちり掴んで離さない。
「なに」
「何ってなんだよ」
涼はそのまま私に覆いかぶさった。
付き合いはじめて3年。そろそろ色々とマンネリ化が色濃くなってきた頃だった。
休みごとのデートもしなくなり、どちらかの家でなんとなく過ごす事が多くなった。
空気と言えばそうだし、
家族といわれても納得のいく、気を使わない関係になった。といえば聞こえはいいが、要するに緊張感がなくなって、お互いに性を意識する事が減ったのだ。
「珍しいね」
黙って目を閉じていれば良かったのに、何故だかそんな言葉が出た。
涼は無言であちこち触っては口づけている。
久しぶりなのに、私は全くそんな気分になれなかった。
涼が私のニットをたくし上げた瞬間、私の脳裏を小さな女の子が走った。
ビクンと身体が跳ね上がって、涼の顎を打ってしまった。
間抜けに舌を出していたせいで、しこたま舌先を噛んでしまった涼は、のそのそと姿勢を戻して正座になった。
私もゆっくり起き上がって、たくし上げられたニットを下げた。
私たちは無言だった。
再放送のドラマで、眉の濃い女優が笑っていた。
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