第205話 画面の向こうで

 都内某所にある高層ビル群。

 その中に、『幻想召喚物語』の開発と管理を行っている会社がある。

 オフィスでは、次回のイベントや明美が話していたアップデートの準備のため、エンジニアたちがせわしなくキーボードを叩いていたり、営業やコールセンター担当者がかかってくる電話の対応に追われていたり、時にはエンジニアと営業担当が納期のことやクライアントから苦情を受けたことに対して、何やら言い争いをしたりしている光景が広がっていた。


 IT化が進み、いまやインターネットなくして回すことが難しい世の中。

 社会を回すための最前線ともいえる、IT関連の会社内が慌ただしくなっているのも無理はないことだ。

 だが、時に騒がしく、時に慌ただしく社員たちが動く中で、社長室だけは異様な静けさに包まれていた。

 社長が不在であるためではない。

 まるで、社長室だけ自分たちのいる空間から切り離されている。そんな感覚を覚えるような、奇妙な静けさだ。

 だが、社長は確かに、社長室の中にいた。


『それで?いまのところ、計画はどの程度の進捗だ』

「現在、アプリのダウンロード数は一万件を超えています。このペースならば、春を迎える前にそちらから要求された人数は確保できるかと」


 秘書すらいないその空間で、社長はパソコンの画面越しに誰かと通話をしていた。

 だが、その画面に映っているものは、ただの黒い影でしかない。

 加えて、社長の耳に届いている音声も人間の言葉というよりも、電子的な音声のようにも思える。

 はたして、社長が話をしているのは本当に人間なのか。いや、人間だとしても、反社会的勢力に関わりを持っていない人間なのかすら怪しい。


「加えて、後日行われるアップデートで、より純度の高い気をお渡しできるかと」

『そうか。ならば実行を少しばかり早めることも可能かもしれんな』


 顔色一つ変えずに付け加えられた社長の報告に、画面の向こうの相手は満足そうな声色になる。

 その声色に、社長も満足そうに笑みを浮かべていた。


「それは何よりです」

『さて、それでは次の約束があるので、このまま失礼する。吉報を待っている』

「えぇ。それでは、失礼いたします」


 相手が通信を切ると、それまで起動させていた通話アプリの使用を中止し、社長は背もたれに自分の背中を預け、天井を仰いだ。

 その口元は、怪しげに吊り上がっていた。

 そして、彼の脳裏には。


――もうすぐだ。もうすぐで私の目的が達成される。そのためには、依頼者クライアントからの依頼を確実にこなさなければな


 という思考がよぎっていた。

 依頼者というものが、さきほど画面越しに会話をしていた存在であるとすれば、この男はその存在と何かしらの取引をしたようだ。

 その内容は不明だが、その過程で必要となるものが『幻想召喚物語』、より正確には『幻想召喚物語』で遊んでいるユーザーから集められる精神力だった。


 だが、彼は自分の会社が制作したアプリが、ユーザーの精神力を集めるための道具になっていることなど、まったく知らない。

 それどころか、人間の精神を収集するための道具となっていることを話されたとしても、信じることはないだろう。

 彼は、オカルトを信じることはない、生粋の現代人なのだから。

 そして、生粋の現代人だからこそ、自身の欲望には忠実であり、その欲望を満たすために手段を選ばない。


――そのためにも今回のアップデートは重要なものになる。確実性を求めるためにエンジニアたちの尻を叩くか


 自分はあくまで命じる側であるため、現場がどれほど凄惨なことになろうと関係ない。

 生産された商品が無事に出荷され、利益を生み出せばそれでいいのだ。

 そこに、人間の情というものは存在しない。

 いや、存在してはいけないのだが。


――アップデートの予定は来月だから、あと二週間ほどか。まぁ、急がせて不都合が生じてしまってもそれはそれで問題だな


 だが、この社長は自分の目的を達成するために、社員たちの能力が不可欠であることを理解している。

 下手なものをつついて、社員たちが反発し、ストライキを起こされてはたまったものではない。

 何より、今のところ予定通りにアップデートのためのメンテナンスを行うことができることは、開発責任者から聞いている。

 ゆえに、圧力をかけるようなことはせずに、メンテナンス完了の報告を待つことにしたのだ。


――さて、それはそれとして、私は私の業務を行わなければな


 怪しげな人物とコンタクトを取ってはいるものの、秘書や何かしらの用事でやってきた社員や外部の人間に怪しまれないようにするためとも取ることもできるが、存外、彼自身は仕事に熱心なタイプの人間らしい。

 先ほどの人物とのやり取りに関すること、自分の目的に関することは一度頭の隅の方へ追いやり、自分がやらなければならない仕事に取り掛かった。

 だが、この時の彼は。

 いや、おそらく『幻想召喚物語』というアプリの存在を知っている人間すべてが、知るはずもなかった。

 自分たちが売り出しているアプリゲームが、数週間後、とんでもない事態を招くことになるとは。

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