第194話 兆しに気づくは……

 土御門家が総出で神社の掃除を始めていた頃。

 都内の某所にある、とある神社に一人の老人が佇んでいた。

 その神社には管理人がいないらしく、蜘蛛の巣こそ張ってはいなかったものの、その神社はかなり古ぼけており、時間によっては不気味な雰囲気を漂わせる気配すらあった。

 だが、神社の外観だけがその雰囲気を生み出しているわけではないようだ。


 和装をする人間が珍しくなった昨今だというのに、喪服のような黒い着物、それも平安時代の貴族が普段着として着用していた狩衣と呼ばれる着物を着ている。

 さらに着物の裾はほつれ、所々がすすけ、泥で汚れている。

 どう見ても、浮浪者のようなその姿は、不審者として見られても文句は言えない。

 だが、通行人は老人の姿が視界に入っても、まるでその場にいないかのように、いや、はじめから意識に入っていないかのようだ。

 それもそのはず。

 ここにいる老人は、この世に生を受けた人間ではないのだから。


「ふむ。全快というにはまだ遠いが、霊力は戻ったか……しかし、神域であっても霊力の回復に時間がかかったのぉ」


 自分の手を何度も握っては開き、老人はそうつぶやいた。


「試したことと言えば……あの子娘に呪詛をかけたことと、晴明の末との術比べか……たかがその程度であっても、これほど力の戻りが遅いとはな。それほど消耗していたということか、それとも……」


 そう言いかけて、老人は口を紡いだ。

 数か月前、この老人はとある少年と出会い、術者同士の勝負『術比べ』を行い、敗れた。

 少年にそのまま退治させられそうになったが、この老人、逃げの一手に関しては少年よりも数枚上手で、退治される前に逃げだすことに成功したのだ。

 そして、術比べで疲弊した霊力を癒すため、こうして誰も近寄らない神社に身を寄せていたのだが、想定以上に回復が遅いらしい。

 それもそのはず。


「それとも、そもそも儂とこの神社の相性が悪いのか……ふっ、そもそも物の怪である儂と神社の相性がいいわけがないというにのぉ」


 自身でそうつぶやいた通り、彼は生きている人間ではない。

 物の怪、化生、妖怪。

 そういった、現実ではありえないはずの存在だ。

 現に。


「いかん、いかんなぁ……あの時の術比べがおもしろすぎて、つい昔の感覚に戻ってしまったわ。この道満、死して以来初めての失態よのぉ」


 本人がすでに死人であることを自覚しているようなことを呟いていた。

 仮に、この場に彼を認識することができる、見鬼と呼ばれる才能を持っていて、なおかつ、それなりに日本の歴史やオカルトに精通している人間がいたとしたら。

 その人間は、この老人の姿をした物の怪が、安倍晴明と並び立つほどの実力を有していたといわれている野法師、芦屋道満であると気づくことができるだろう。


「あぁ、もどかしい。もどかしいのぉ……早ぅ戻らぬかのぉ。早ぅ戻って、あやつともう一度、術比べをしてみたいものよのぉ」


 くっく、と喉の奥で笑いながら、道満は脳裏に術比べを行った少年、護の顔を浮かべていた。

 夏の頃、道満は護と術比べを行い、そして敗北した。

 若造に負けたことは確かに腹立たしいことだ。だがそれ以上に、生前、自分が味わうことができなかった高揚感を覚え、柄にもなく熱くなったことは記憶に新しい。


 今までは、じぶんを感知できる人間に対し、ある条件を満たすことで発動する呪詛を仕掛けたり、気まぐれに願いをかなえる代わりに、人ならざるものへと変貌する術をかけたりして暇をつぶしていた。

 だが、そのいずれよりも、術比べほど面白いと感じるものはないし、先日は自身が覚えている中でも名勝負と言っても過言ではないほどのものだった。


「力が戻り次第、次なる手を考えるとしようかのぉ」


 にやにやと笑みを浮かべながら、次はどのような手を使って、護を術比べの場に引きずり出そうか思案していると、ふと、何かに気づいたらしく、視線を社の方へと向けた。

 ただ見ただけでは、特に何か変化があるわけではない。

 だが。


 「ふむ?これはちと良い状態とは言えぬの」


 彼はすでに死霊であり、それ以前に、かつては安倍晴明と並び立つほどの実力を持つ野法師だった男。

 人間ではない、霊的な存在を捉える特殊な才能がなくては見えないものも捉えることなど造作もないことだった。

 現に彼の目は、禍々しい雰囲気すら感じさせる陽炎のようなものが、社の周囲から立ち上っている様子を捉えていた。


 通常、神社や寺は、その場に祀られている神仏が影響を与えるため、正常な空間となる。

 そのため、道満のような人ならざる物の怪は、神域に入った瞬間にその存在をかき消されてしまう。

 だが、その空間は人間が祀られている神仏に対する祈りと信仰が、その存在を自分たちと同じ位相と同期させていることで成立させる。いわば大規模な呪術が日ごろから行われているからこそのこと。


 人の管理があまり行き届かず、参拝する人間もいなくなったような神社では、その力は弱まってしまい、簡単に物の怪の住処となってしまう。

 もっとも、道満が身を寄せているこの神社は、まだ人が管理し、信仰を集めているようで、道満以外の物の怪や妖怪の類は侵入していないようだが。


「わしがしばらくの間陣取っていたから、というわけではあるまいに……はてさて、何が起きておるのかのぉ?」


 そんな疑問を口にしながらも、道満の顔はニヤニヤとした笑みをたたえていた。

 その笑みは、まるでこれから起こることに好奇心と興味を隠しきれない幼い子どものようだ。


「力の回復に努めようと思ったが、いましばらくはこの事態がどう動くか。それを見守るも一興か」


 そうつぶやきながら、道満は暗がりの中へと身を鎮めていった。

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