第143話 使鬼とのひと時

 喫茶店でのおしゃべりを終えて、護たちは解散し、家路についた。

 帰宅してすぐに清たちとのおしゃべりで使ってしまった時間を取り戻すように、護と月美は荷物を置いてすぐに単衣に着替え、小部屋へと向かった。

 いつも通り、部屋の真ん中に置かれている燭台にろうそくを灯し、しっかりと戸を閉めて般若心経を読み始めた。

 部屋にはろうそく以外の明かりはなく、聞こえる音も、ろうそくが燃える音と護と月美が二人同時に口にしている般若心経を唱える声だけだった。


 数分もすると、ろうそくの火は燃え尽きた。

 それとほぼ同時に、二人も般若心経を唱え終わった。

 経文を閉じて、そっとため息をつくと、いままで集中していたから気付かなかったのか、それとも集中するために自動的に脳がシャットアウトしていたのかはわからないが、長時間、正座の姿勢を保っていたことによる足の痺れと痛みが襲いかかってきた。

 護はかれこれ十数年、月美は数か月、この修行をしているが座布団を敷かずに長時間の正座はやはり慣れないらしく、二人同時にみっともない悲鳴を上げながら痛みにもん絶していた。


 「……我ながら情けない……」

 「けど、こればっかりは、ねぇ……」


 二人はそんなことを口にしながら、板の間に倒れ伏し、いまだ続いている痺れと痛みに顔をゆがめていた。

 だが、数分もすれば痛みは引き始め、十分ほどすると歩いても何も感じないほどまで回復した二人は、部屋を出た。

 部屋を出ると、二人の視界に白い毛玉が入ってきた。

 護が使鬼として使役している五体の狐精。そのうちの一体、白桜だった。


 「飯が出来たそうだ。さっさと着替えたほうがいいぞ」

 「あぁ、わかった……てか、知らせてくれてもよかっただろ」

 「いや、てっきりお楽しみ中かと思ってな」


 白桜がからかうような笑みを浮かべながら、護に返してきた。

 お楽しみ、というのが何を意味しているのか察するまで、護も月美もさほど時間はかからなかった。

 自分の使鬼から出てきたまさかのセクハラ発言にため息しか出なかった護に対して、月美は笑顔を浮かべた。


 「は~く~お~う~?」

 「……お、おぅ……」

 「そんなこという悪いお口は、紐で縛っちゃおうかしら?」

 「や、やめてください、お願いします……てか、からかっただけだろ!」

 「やられたらやり返されることも覚悟してからかわないと、ね?」

 「だ、だからって口を縛るのはやりすぎだろ!!ま、護!お前からも言ってやって……」


 契約者に助けを求めようとした白桜だったが、護はからかわれたことに怒っていたらしく、助け舟を出すことはなかった。

 それどころか、月美に向かって。


 「おいおい、口を縛るだけでいいのか?」


 と追加のお仕置きを提案する始末。

 さすがに分が悪いと感じた白桜だったが、月美にがっちりと抱きしめられているため、逃げ出すことができなかった。


 「でも、そうね……口を縛るのはかわいそうだから勘弁してあげようかしら?」

 「……え?」

 「その代わり、今夜一晩、わたしの枕になりなさい?異論は認めないわよ??」


 口を縛るのはやめる、ということは、何か別のお仕置きをしてくるということでもあり、もしかすると口を縛られるよりも酷い仕打ちを受けることになる可能性もあった。

 そのため、内容によっては何が何でも逃げてほとぼりが冷めるまで月美の前に出るのはやめようと思っていたところに、枕になれ、と言われたことに目を丸くした。

 普通の枕なのか、それとも抱き枕なのかはわからないが、とりあえず、口を縛られたり家事手伝いの代行をさせられたりするようなことではなかったことに、白桜は安堵していた。


 「それくらいなら別に構わないぞ」

 「そう?よかった」


 にこやかな笑みを浮かべながらそう話す月美だったが、護はやれやれと言った様子でため息をついて、ある意味、口を縛られるよりもきつい罰であることに納得していた。

 月美の寝起きの悪さは、幼いころからよく知っているし、抱き枕にされたら最後、月美が目を覚ますまで抱きかかえられたままの状態になることも知っていた。

 小学生の頃、遊び疲れて眠ってしまった月美に抱きつかれ、目を覚ますまで離してもらえなかったことを思い出し、白桜から目をそらした。

 唐突に目をそらされた理由がわからなかった白桜は首をかしげながら、視線を向けてきていた。

 その視線に気づいた護は、あえて何も言うことはなく、無理やり話題を変えた。


 「さ、はやく着替えて飯にしよう。早くしないと、母さんが怖い」

 「そうだね、行こうか」

 「お、おう?」


 なぜ急に話題を戻されたのかはわからない様子だったが、ひとまず、自分が頼まれたことは達成できそうであることに、ほっとした様子の白桜だったが、数時間後、その表情はゆがむこととなることを護は知っていた。

 だが、護は教えないことで罰であることの意味が理解できると考えたのか、特に何も言わずにリビングへと向かった。


 夕食を終えた後、二人はそれぞれの部屋で学校から出た課題を終わらせ、そのまま就寝した。

 むろん、抱き枕の刑に処されることになっている白桜も、月美と一緒だった。

 課題を終わらせた月美は、早々に白桜を抱き上げてベッドの中にもぐりこみ、そのまま寝息を立て始めた。


 ――こんなののどこが罰になるって……


 罰とするとしても、いささか軽すぎる気がしてならない白桜だったが、数分もすると月美は白桜を抱きかかえたまま寝返りを始めた。

 さすがに潰されるのは勘弁願いたいし、いくら罰として抱き枕になると言っても、寝ている間に手放した、と報告して脱出すればいいと考えていたので、抜け出そうとした。

 だが、がっちりと抱きかかえられている上に、尻尾も両足に挟まれてしまっているため、動くことができなかった。


 ――ま、まさか護の奴、これを知ってて黙ってやがったのか??!!


 今になって、この罰を言い渡された時、なぜ護が疲れたような顔でため息をついていたのか、白桜は理解した。

 結局、白桜は月美に抱きつかれたまま、その寝相の悪さで幾度も潰され、締められながら一晩を明かすこととなった。

 起床した月美が翌朝になって最初に見たものが、げんなりした様子で口から煙を出している白桜の姿であったことはいうまでもない。

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