第85話 生成りとなった少女

 道摩法師は笑みを浮かべていた。


――よもや、これほど早く生成りになるとは思わなんだ……あの小僧に己を否定され、何かが壊れたようだのう


 予測では、あと七日ばかり時が必要になるはずだったのだが、護に否定されたことで彼女の中の何かが壊れたのだろう。

 予測が外れはしたが、法師にとって歓迎すべき事態であった。

 激しい憎悪を持つ人間が、抱えているその憎悪をさらに増大させれば見鬼の才や先を見通す才がなくとも、ひ弱な術者ほどの霊力を持たずとも、憎悪の果てに鬼へと堕ちることはできるのか。

 たまたま、この地に降り立った時、強い憎悪を感じ取り、佳代に出会った瞬間、法師の脳裏に浮かんできた疑問であり、興味だ。

 その実験の結果を知るために、法師は彼女に力を貸していた。


――この女子おなごには、儂が手ずから呪詛を行う術や呪具の作成方法を伝授し、さらには霊力まで貸し与えた。まぁ、その代償として、儂の試みに付き合ってもらったがな


 むろん、佳代は自分が法師の実験台になっているとは知らずにいた。

 そもそも動物を使った実験で、何の実験を行うための被験体になってもらうのか、その結果、どのような作用が起こるのか。

 そういった事情を、動物たちに逐一説明することはない。

 法師から見れば、佳代を実験台にすることはそれと同じことだった。

 話すだけ無駄であり、話したところで何か変化が起こるわけでもない。

 それが、一般人の感覚なのだが、法師は少しばかり違った。


――理解できぬのなら、初めから話すつもりがないというのもそうだが……


 にやり、と法師の顔に笑みが浮かぶ。

 目と口が三日月のように歪んだ、なんとも不気味な笑みだ。


――話さずに結果を突き付けられたほうが、面白いことになるだろうからのぉ


 自分が何に助力を乞うたか、その結果がどんなものになるのか。

 最後の最後になって、それらに思い至り、絶望する顔を見ることが何よりの愉悦。

 ゆえに自分が何を与え、何を奪うのかを教えることなど一切ない。

 そもそも、平安の世より千年という人は変わりすぎた。

 すぐ隣にいる妖の存在を忘れ、霊魂を否定し、それ故に呪詛や怨念の恐ろしさまで忘れ、それに比例するように、見鬼の才を持つ人間も減少。

 結果、そういった存在を見えるということが特別となり、迫害や傲慢さを生むきっかけになった。


――いや、視えることが特別であるということは変わらぬが……かかっ、千年前と今とではその意味はまったく異なるものよ!


 千年前、法師にまだ肉体があり、野法師として健在であった平安時代において、霊魂や妖を見る才能を持つ人間は、たしかに希少な存在だった。

 見えるということは、その存在を認識するということ。

 それができるということは、魂がそれだけ妖たちや神仏と同調しやすいということであり、人それぞれではあるものがそれなりに高い霊力を保持していることになる。

 当時の人々は、それがどれだけ危険であるかということを理解していた。


――魂が人ならざる存在と同調しやすいということは、それだけ人外となりうる可能性を秘めているということ。ゆえに、少しでも霊障と疑わしき現象が起きれば、陰陽師や僧侶が祈禱を行い、邪気祓いをしておったわ


 だが、それは人外がすぐそばにいることを知っていたからこそ。

 科学という世界の原理原則を解き明かす力を得て、あまねく世界の現象を再現できるようになった人間は、人外の存在を否定し、忘れ去っていった。

 ゆえに、人間は霊魂や妖といった人外の存在を『物珍しいもの』あるいは『自分だけが見える特別なもの』として、忌避すべきものと認識することはなくなった。

 その背景に、現代に生きる人間が抱える、承認欲求が関わってきていることは言うまでもない。


――人とは、自分の欲を満たすために奔走するもの。自身の才能、異能を明らかにする結果となっても、その欲を満たすためであれば些細なことと受け取る……いやいや、実に愚かしく、愉快なものよ


 たとえそれが、自分一人ではなく、村一つ、町一つを巻き込むほどの災厄を呼び起こすことになるとしても、だ。


「ほれほれ、若いの。どうにかせねば、この小娘が鬼へと変わってしまうぞ?」

「ちっ!完全に楽しんでやがるな、このくそ爺!!」


 からかうように、からからと笑いながら、法師は護を煽る。

 護は舌打ちをしながらも、どうすれば佳代がこれ以上、人外にならずにすむか、自分が持っている知識を総動員して考えていた。

 だが、生成りは生きながらにして鬼へと変わったもののことだ。

 人が鬼へ変じた伝承は数多くあるが、鬼が人となったという伝承など、護は知らない。

 少なくとも、聞いたことがなかった。

 変じかけている今の状態であれば、人に戻すことができないこともないのだろうが、面倒なことこの上ないことは目に見えている。


――くそっ! 仕事じゃなけりゃ、こいつをさっさと鬼にして修祓するだけなのに!!


 ゆえに、護は仕事でなければ投げ出したいという気持ちを芽生えさせていた。

 そもそも、護は佳代に対して特別な感情を抱いているわけではない。

 いじめられているところを助けたのは、単なる気まぐれでもあったが、佳代が抱えていた憎悪に引き寄せられた妖に、厄介事を引き起こされても困るからだった。

 だが、人と関わることを嫌う傾向が強いその性格があだとなり、結局、法師と彼女を引き合わせ、厄介事を引き起こしてしまっているのだが。


――やっぱ鬼になるのを待つか? いや、それだと時間がかかる


 なにより、と護は法師に視線を向ける。


――あの爺がその間、何もしないという保証がない……下手すれば、もっと厄介な事態を引き起こしかねないしな


 いやらしい笑みを浮かべながらこちらを見ている法師に、護はいい加減、苛立ちを覚え、悪態をつき始める。

 だが、打開策を見出すことも出来ず、膠着状態になることを許してしまっていた。

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