第86話 逃げる鬼少女
生成りとなってしまった佳代を人間に返す方法が思いつかないまま、護と佳代、法師は膠着状態になってしまった。
いや、おそらく法師は逃げようと思えば逃げることができるのだろう。
法師が逃げない理由は、自分が契約を結んだ無知な娘が絶望の中で鬼へと変わりゆくその様を、かつての仇敵の子孫が浮かべる苦悶の表情を楽しんでいるためだ。
「さぁ、お主はどうする? この娘を見捨てて殺すか?それとも食われるか?」
大陰陽師とまで呼ばれるほどになったあの男ですら、鬼を人に戻したことはない。
せいぜい、鬼や閻魔をだまして死にゆく
対処する手段があるとしたら。
「さぁ、いかにするいかにする? 鬼となった娘に食われるか、鬼となる前に娘を殺すか!」
人としての心を持っているうちに人としてその天命に幕を閉じさせるか、自分の心の負担を軽くするため、あえて鬼に変化させてから退治するか。
二つのうち、どちらかしかない。
どちらを選んでも、法師にとっては面白い事態となり、どちらを選択するとしても、法師の望む選択をしたことになる。
それを理解したのか、それとも、単に自分が導き出した答えはすでに法師に予想されていると思ったからか。
「うっさい! 黙ってろ、くそ爺!!」
護はどちらも選択することなく、何かほかに道がないか必死に考えていた。
――くっそ!
だが、どう考えても、答えを導き出せない。
一つだけ案はあるのだが、今この場で行うことはできないし、何より本当にできるかどうか、という不安があった。
どうすればいい、どうすれば今もいやらしい笑みを浮かべている法師の鼻を明かすことができる。
ただそれだけが、護の脳を支配していた。
それをわかっているのか、法師がからかうような口調で声をかけてくる。
「ほれほれ、急げ急げ。さもなくば、この娘、本当に」
「黙ってろって、言ってるだろうが!!」
思考を妨げられ、護は苛立ちのままに呪符を引き抜き、法師に投げつけた。
呪符は込められた霊力をまとい、キツネの姿となって法師にむかっていったが、法師はそれを片手で振り払う。
それくらいはやってのけるとは思っていたからか、たいして驚く様子もなく、護は再び呪符を引き抜いて構える。
だが、呪符に霊力が込められる気配も、呪文を口にする様子もなかった。
いつでも、法師の行動に反応できるようにただ身構えている。
そして、その行動に対し、カウンターを仕掛けられるように。
だが、それよりも早く動いたものがいた。
「うっ……うぅぅぅぅぅっ!!」
低いうなり声をあげながら、鬼となりかけた佳代が走り出し、教室から飛び出してしまった。
むろん、理性的な行動ではなく、衝動的な行動だ。
ただその場から逃げたい、護の前から確実に脅威となりえる存在の前から消えてしまいたい。
その衝動だけで、佳代は教室を飛び出していったのだ。
だが、それは同時に。
「なっ?! なんだ??!!」
「きゃっ??!!」
「うぉわっ??!!」
「な、なんだってんだよ、いったいっ??!!」
廊下という廊下から、学校に残っている生徒や教師の悲鳴が聞こえてきた。
どうやら、佳代とすれ違ったしまったらしい。
理性がないからこそ、他人の目を気にすることはないのだろうか。それとも、他人の目を気にすることができないほど、余裕がないのか。
いずれにしても、あとから記憶処理をする必要があることは明白だ。
だが、護はそんなことを考える余裕がない。
――あいつ、このままどこに行くつもりだ? あいつが行きそうな場所なんて知らねぇぞ!
そんなことを考えるより、佳代がどこにむかっても位置を特定できるようにすることのほうが重大だった。
家族と清、月美の友人と、誰よりも月美以外の人間はどうでもいい。
とはいえ。
――知らないところで俺の知らない術者に、多少なりとも関与した奴が修祓されるのは目覚めが悪い
どうせ手を下すのならば、自分の手で。
それが、護が示すことができる唯一の慈悲だった。
「ほっほぉ?! 追うか、追うというのか?」
「黙ってろと言ったぞ、爺!! お前もあとできっちり落とし前付けてもらうから、覚悟しとけ!!」
愉快そうに笑いながら問いかける法師に、護はこれ以上ないほどの怒りをぶつけながら叫んだ。
すべての元凶である、この悪霊だけは許すことができないし、許すつもりもない。
本当ならば今すぐにでも修祓したいところなのだが、今はそれよりも佳代のほうを優先すべきだ。
そう判断した護は、法師の声をすべて無視して、佳代を追いかけ、教室を飛び出していった。
――なんじゃ、術比べをせんのか。つまらん
無視されて、一人教室に残ることになった法師は、心中でそうつぶやく。
正直に言えば、護と術比べをしてみたいという気持ちが強かった。
成り行きであったとはいえ契約することになった佳代を使って、護をあおるつもりだったが、存外、仕事に対する責任感が強いらしい。
あるいは、それだけあの少女のことが気にかかるのか。
いずれにしても、その点だけはあの男とは違っているようだった。
――なるほど。子孫とはいえ、性格が似る、ということはないか……それはそれでつまらんな
あの男は、その実力の高さゆえか存外、矜持心が強かった。
師である賀茂保憲が後継者としてどちらを指名するか、兄弟子と言い争ったことがあるという。
もし、護があの男と同じ性格であったなら、その矜持心も持ち合わせているはず。そう考えていたのだが、当てが外れた。
そういわんばかりに、ため息をつきながら。
「つまらん」
法師はそうつぶやいた。
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