第70話 見せたくなかったもの、知っていきたいもの
練習を終えた護たちは、更衣室でジャージから制服に着替え、教室に戻っていた。
心なしか、その顔はつかれているような印象を受ける。
どうやら、踊りの練習でかなり消耗してしまったらしい。
「……いつもながら、疲れた……」
「言うな」
清からのぼやき声に、隣にいた護は冷たく返す。
冷たくあしらわれた清は、疲労のせいもあってか、普段のしつこい絡みやニヤニヤとした笑みを浮かべる様子はなく、じっとした視線を護に向ける。
「とか言いながら、お前はまだ余裕そうじゃないか?」
「気のせいだ」
「いいや、気のせいじゃないね! その証拠に顔に疲れがまったく出ていない!!」
「……その観察眼だけは素直に褒めるよ、俺は」
清が示した根拠に、護はそっとため息をつく。
実際のところ清の言っていることは、当たらずとも遠からず、といったところだ。
確かに長い時間、踊り続けていたこともあり、肉体的な疲労はあるが、精神的な部分ではあまり疲労を感じていないため、別に眠くはないし、今はまだ眠りたいとも思っていない。
気持ちの問題であるような部分もあるのかもしれないが、精神力で眠気を抑えることができているこの状態は修行の賜物ということになる。
もっとも、こんなところで発揮されても感想に困る、というのが本人の正直な心境ではあるのだが。
「そういや、女子のほうはどうなんだろうな?」
「知るか」
「おいおい、風森から何も聞いてないのかよ?」
「月美から言ってこないってことは、俺に聞かせたくないか、聞かせるほどのことじゃないって判断してるってことだろ……まぁ、もしかしたら
取って置く、という単語に、清は首を傾げた。
一体、何のためにその話を取って置くのか訳がわからずにいた清だったが、数秒しないうちに察しがついたらしく。
「……なるほど、デートの時の話題か」
「……っ??!!」
唐突に出てきたその単語に、護の目は珍しく白黒した。
その表情に、清の顔はいやらしい笑みを浮かべ。
「なるほどなるほど……」
「……何が『なるほど』だよ」
「いんや? よろしくやってるんだなぁ、と思ってな」
その一言に、護は忌々しげに舌打ちをして机に突っ伏した。
これ以上、何も話すつもりはないという態度のようだが、こと護のこととなると容赦のない清は。
「で? いままで何度デートしたんだよ? 場所は? やっぱこの周辺か? それとも少し足伸ばして渋谷とか都心の方か??映画とか見に行くのか? それとも買い物だけで終わる感じか?? なぁなぁ、教えてくれよ~?」
まるで週刊誌のゴシップ記者のように矢継ぎ早の問いかけを仕掛けてきた清だったが、護はそれに対して、突っ伏したまま、黙秘権を行使した。
護に対して、反応するまで根気よく声をかけ続けることのできる清だが、普段なら机に突っ伏した時点で
五分もしないで諦めるのだが、今度ばかりは違った。
何が何でも聞きだしてやる、という強い意思がその行動には宿っている。
「最初のデートの場所は? 何した? どこまで行った? むしろ致した?? 待ち合わせとかしたのか? あ、同居してっから必要ないか」
「……」
「出発前とかに何かハプニングあったりしたか? こう、トラブル的な」
矢継ぎ早に飛んでくる清からの質問の一切を無視し続けてきた護だったが、いい加減、そのしつこさに苛立ちを抑えきれなくなってきていた。
「……いい加減に……」
どすの効いた低い声が、護の口から漏れ出てくる。
その声を聞いてさすがに、まずいと感じたのか、清は身を引き始めていた。
護のこんな声を聞くのは、いつ以来だったか。いや、考えるまでもない。
一年生の最初の頃、何度も声をかけていたらこんな不機嫌そうな声を出して威圧してきたことを、清はいまも覚えている。
現在の護はその当時と同等か、それ以上に不機嫌となってしまったらしい。
――やっべ、踏みこみすぎた……
護の様子を見た清は、身を引きながら、どう切り返したものか。この状態の護をどうなだめるか。
そのことだけを考えていたが、それは必要なかった。
「ま、護? どうしたの、そんな殺気立って」
突然、月美が護に声をかけてきた。
どうやら、女子たちも着替えを終わらせ、戻ってきたらしい。
「……なっ?! つ、月美?!」
「うん、そうだけど……ねぇ、大丈夫?」
「だ……大丈夫」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「ほんとのほんとに??」
「ほんとのほんとのほんとに」
護の最後の答えに、月美は満足したらしく、ならよし、とうなずいて明美のほうへと戻っていった。
その様子を、男子たちは三歩も四歩も引いた場所から眺めていたが、その表情は驚愕したり絶望したりと様々だ。
月美が介入したことで、護から放たれていた殺気が収まっただけでなく、殺気立っていた護に平然と話しかける月美の度胸や二人の距離感がそうさせているのだろう。
護の怒りを一瞬で沈めてしまった月美に尊敬のまなざしを向けるものもいた。
なお、事の発端となった清は。
――あれ? もしかして、俺、すごくくだらないことで悩んでたりしてた??
と首を傾げるのだった。
その日の放課後。
護はげんなりとした顔で、月美の隣を歩いていた。
そんな護の様子に、月美は微笑を浮かべている。
むろん、その笑い声が聞こえない護ではなく。
「……どしたよ?」
「ううん、なんでもない」
「なんでもなくはないだろ? どうしたよ?」
護の問いかけに、月美はなおも微笑みを浮かべながら。
「ふふ……護、あんなに怒ること、あるんだなって思って」
「……あぁ、あのときか。そら怒ることもあるさ、人間なんだから一応」
「ふふ、そうだね」
「けど、俺はあんま、あんな顔、見せたくなかったんだけどな」
「え、どうして?」
月美は護の言葉に首を傾げた。
「できることなら、あんな殺気立った顔、見てほしいなんて思わないだろ」
「……まぁ、それもそうだろうけど。わたしは、ちょっとうれしかったかな」
「うれしかった?」
普通、怒りや殺気立った顔を見せたい、見てみたいとは思わないだろう。
だが、月美はそうではなかったらしい。
なぜ、そう感じたのか、その理由を問いかけてみたが。
「こればっかりは秘密」
と、はぐらかされてしまった。
だが、はぐらかした本人の胸のうちでは。
――だって、わたしの知らない護をどんどん知っていくことができるなんて、面白いし、楽しいし、これから色んな護を見ることができるんだって思うとわくわくするんだもの
と、自身の想いを呟く。
もっとも、その胸のうちに秘められた想いを、護が知ることはできないし、知らせることもなかった。
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