第69話 体育祭の支度模様

 護達が通う月華学園は中間試験が終わり、体育祭の時期に差し掛かっていた。

 この時期になると、学園の周囲地域の空気はどこか浮ついているようにすら感じることがある。

 それもそのはず。

 月華学園の体育祭は生徒の保護者とその関係者であれば見学が可能で、毎年、多くの人々が見学にやって来る。

 彼らの目的は名物といっても過言ではない二つのプログラム。そのうちの一つ、男子が中心になって行われるよさこいの練習に、護と清の姿があった。


「……毎年、思うけどよ。梅雨のこの時期に体育祭って、延長狙ってるよな?」

「……知らん」

「って、おい!」

学校を運営している側の御意向なんざ、俺たち下々のもんにゃわかりっこねぇ」

「そりゃそうだけどよ……」


 練習の傍ら、二人はそんな他愛ない会話が展開されていた。

 いや会話というより、清の一方的な愚痴に護が付き合うという構図にも見えなくもないが、そこはそれ。

 どう受け取るかは、受け取った本人次第、というものだ。

 なお、大多数の生徒たちはその光景に目を丸くしていた。


「……いま何秒だ?」

「十秒……いや、現在進行形で記録更新中」

「勘解由小路の根気強さと口の巧さはともかく、土御門が十秒も話してるとか、ありえねぇだろ……」


 生徒たちが小声でひそひそと話している通り、清はともかく、護は基本的に他人との会話をすることはない。

 だが、ここ最近になって話しかけられれば返事をするだけでなく、ある程度、質問や自分の意見を口にするようになった。

 そうなった要因に、周囲の生徒たちは心当たりがある。


「やっぱ、あれかな? 風森が転校してきてからか?」

「じゃねぇか? たしか、幼馴染だって話だろ?」

「やっぱ女で男は変わるんだなぁ……」

「いや、どこの年寄りのセリフだよ?」


 護は自分の悪口とも取れる会話が展開されていたが、それの会話は唐突に終わりを告げる。


「お前ら! くっちゃべってねぇで練習に集中しやがれぃ!!」

「やっべっ!」

「ったく、実行委員会の連中、真剣過ぎじゃねぇか?」


 飛んできた実行委員会からの怒号に文句を言いつつ、護と清を含めた生徒たちは練習に戻っていった。

 一方、女子達の方ではもう一つのプログラムである神楽舞の練習が行われている。

 なぜ神楽舞なのか、最初は疑問に感じた月美だったが。


『体育祭が無事に終わるように祈念するという意味合いが込められているらしいよ。本当の所は私も知らないけど』


 という、明美にこれ以上ないほど簡素な説明をされて無理やり納得することにした。

 篠笛の澄んだ音色が響く中、月美と明美は神楽鈴を手に、見本に合わせて体を動かしている。

 そんな中、明美はこのダンスのゆっくりとした動きにどこか不満そうにしていた。


「う~ん……」

「明美。我慢だよ我慢」

「わかってるんだけど……個人的には男子の方に交じってよさこい踊りたい……」


 活発な方である明美は、やはり動きが激しい踊りのほうが好みらしい。

 一方の月美はどちらかといえばのんびりとした気性であるためか、あまり気に葉していないように見える。

 そのためなのだろう、文句を言う明美を月美が諫めるという光景が当たり前のものとなっていた。


「まぁ、今回は諦めよう?」

「うぅ……あぁ、もう! せめてよさこいだったらよかったのに!!」

「一応、日本舞踊からは抜け出ないんだ……」


 どうやら明美は日本舞踊を踊るくらいなら、よさいこいを踊った方がましだと思っているようだ。

 ブレイクダンスやタンゴのような、日本舞踊というカテゴリーではない踊りを口にしないあたり、明美も諦めに近いものを抱いている様子が見て取れる。

 そんな明美に、月美は苦笑を浮かべながら。


「ほら、文句言ってないで、集中しよ? でないと、先輩が怖いよ?」

「うっ……はぁい……」


 こちらにも踊りを指導してくれている先輩がいるのだが、毎年、力を入れているだけに不真面目な生徒にはそれなりの対応をする、熱血な人間らしい。

 それをわかっているためか、明美はその一言で文句を言うことなく、再び練習に集中し始めた。

 なお、隣にいる月美は文句ひとつ言うことなく、練習を再開したことは言うまでもない。

 だが、月美も明美もこの時はまだ気づいていなかった。

 指導してくれている先輩の目を盗んで、数人の生徒が抜けだしていたことに。そして、彼女たちの周辺で奇妙な出来事が起こり始めるということに。




 神楽舞の練習場から少し離れた、月美たちだけでなく、指導してくれている先輩の視界からも死角になっている場所。

 そこに、練習から抜け出た数名の女子生徒たちが一人の女子生徒を囲むように立っていた。

 囲んでいる女子生徒たちは体操着を着てはいるが、履いている靴下のデザインやスニーカーのデコレーション。

 さらには目元の化粧や目の前にいる女子生徒を見下したような目つきから、いじめっ子集団であることは用意に想像できる。

 片や、囲まれている女子生徒はおどおどとした態度を抜きにしても、首元あたりで切りそろえられた髪や大きいレンズの眼鏡。

 さらには日に焼けたことがないのではないかと思わせるほど白い肌が、彼女があまり活発な人間ではなく、内気で自分の感情を表に出すことが苦手なタイプの性格であることを表していた。

 いじめっ子たちからすれば、恰好の標的であろう。


「あ、あの……れ、練習に戻らないと」

「その前に出すもの、あんだろ?」

「さっさと出しなよ」


 囲まれている女子生徒は、おどおどしながら囲んでいる女子生徒たちに紙封筒を手渡した。

 囲んでいる方の女子生徒たちの一人が、それを奪い取るようにして取り上げると、中に入っているものを確認し始める。

 中にあったものは、一万円札が十枚ほど入っていた。

 その札束を見た女子生徒たちは。


「はい、毎度」

「ね、ねぇ……こ、これ以上はもう……」

「は? 何言ってんの?? やめるわけないでしょ、佳代」


 佳代、と呼ばれた女子生徒の言葉に、囲んでいる女子生徒たちは卑下な笑みを浮かべて返した。


「あたしら友達だろ? 友達が困ってるなら、力、貸してくれてもいいよねぇ?」

「……う、うん……」


 佳代はそれ以上強く出ることができず、うなずいてしまう。

 明らかに本心からではない彼女からの返答に、囲んでいる女子生徒たちは満足そうにうなずいて、練習に戻っていった。

 だが、佳代はその場に残り、壁に寄りかかりうつむいていた。

 その顔には。


――今に見てろ……この報い、きっと受けさせてやる!


 眼鏡や髪形があっていないだけど、十分に愛らしい顔立ちの少女なのだが、その時の佳代の笑顔は、周囲の人間を見惚れさせるようなものではなく、人間とは思えないほど歪んでいた。

 人の道を踏み外すことにためらいを持たない、鬼と呼ばれても差し支えない、外道が浮かべるような笑顔。

 そんな表現が似つかわしいほど、彼女の笑顔は歪んでしまっていた。

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