第67話 戻ってきた日常とその裏で

 中間試験を終え、へとへとになりながら帰途に就いた護と月美だったが、帰宅した二人を待ち受けていたものは修行の時間である。

 頑張って試験を終わらせたのだから、ゆっくり過ごすためにも修行は休みたいと思うのが高校生としての心理なのだろうが、護はさぼろうという仕草すら見せることなく、自室に戻ると白単衣に着替えてすぐに滝のある庭へとむかっていった。


――護、さっきまでへとへとだったのに、どこにそんな体力が……


 護のそんな様子を眺めながら、月美は体を冷やして戻ってくる護に、何か温かいものを作ってあげようと思い、疲れた体に気合を入れ、台所へとむかっていく。

 エプロンを身につけ、髪をシュシュでまとめると、冷蔵庫に入っている食材を確認し始めた。


――お味噌はあるし、豚肉、人参、玉ねぎ……豚汁でもしようかな? いや、けどそれはないかなぁ


 それでは夕食のメニューになってしまうと考え、頭を左右に振ってその考えを消し去る。

 かといって、それ以外に何ができるのだろうか、そう思った瞬間、ふと、視線を上げると蜂蜜の瓶が目についた。


――蜂蜜かぁ……なら、蜂蜜生姜かなぁ。あ、レモン果汁もあった!


 思わぬところで材料がそろったことで、月美の頬は自然と緩んだ。

 作るものが決まれば、月美の行動は早かった。

 やかんに水を入れてガスコンロにかけると、生姜半分に切り、片方を細かく刻む。

 もう片方を輪切りにして護のマグカップに入れて、蜂蜜を大さじ三、四杯ほど、そこにレモン果汁を三滴垂らした。


――う~ん……ちょっと甘くなっちゃったかなぁ? けど、大丈夫かな、これくらいなら


 少しばかり、出来上がりを心配になりながら、月美はお湯が沸くまで待った。

 数分とせずにお湯が沸き、月美はガスを止め、お湯をマグカップに注ぎ、輪切りにした生姜をスプーンの腹で押しつぶしながらかき混ぜる。

 ある程度かき混ぜると、月美はマグカップの中身をかき混ぜていたスプーンですくい、二、三回、息を吹きかけてからすすってみた。

 蜂蜜の甘い風味とレモンのかすかな酸味が、生姜のピリッとした辛みを和らげながら口に広がっていき、お腹の中からじんわりと体が温まっていく。

 その感覚から、これなら大丈夫だろうと満足そうに頷いた。

 タイミングを図っていたかのように、着替えを終えた護が頭を拭きながら入ってくる。

 護はまさか台所に月美がいるとは思わず、珍しく目を丸くしていた。


「……あれ? 月美、部屋にいたんじゃ?」

「護が滝行から戻ってきたときに、あったまるものを用意しておこうと思ったの。はいこれ」


 そう言って、出来立ての蜂蜜レモン生姜が入ったマグカップを差し出した。

 差し出されたマグカップを受け取った護は、一言、お礼を言ってから、マグカップに口をつけるが。


「あつっ!!」

「あ、出来立てだから、気をつけて!」


 出来立ての熱さに悲鳴を上げてしまった。

 慌てて月美が説明すると護は、先に言ってくれ、といわんばかりのジト目を向けて、二、三回、息を吹きかけてから、少しずつ、生姜湯を口に含んだ。


「……うまい」

「ほんとっ?!」

「あぁ、ほんと……これ、月美が作ったのか?」

「うんっ!」

「そっか……ありがとう」


 柔らかな微笑みを浮かべながらお礼を言う護に、月美は、どういたしまして、と微笑みを返した。




 そのころ。

 月美が水鏡で見た場所とどこか似ているが、明らかに違う場所。

 そこには、すでに廃墟と化した研究施設があった。

 対外的には・・・・・廃墟の内部は荒廃しすぎているため、とても人が入ることの出来る状況ではないとして、立ち入りが禁止されている。

 だが、廃墟、いや正確には廃墟の地下にある空間には電気が通っていた。

 特に電気が集中している一角にいくつかの人影があったが、彼らは何かの作業をしているわけでも、会話に花を咲かせているわけでも、まして、食事をしているわけでもない。

 頭にはいくつものコードがつながったゴーグルをつけられ、椅子から離れられないように手足を固定され、さらには何かの薬品なのだろうか。

 大量の液体が入ったいくつものパックに取り付けられたチューブが、露出している腕につなげられていた。


「あ……う……」

「うぅ……あ、あぁ……」


 ゴーグルで顔が隠れているため、表情は定かではないが、だらしなく半開きになっている口と、その端から流れている唾液と漏れ出ている言葉になっていない声。

 それらの様子から、おそらく正気を保てていないということは察することができる。

 そんな彼らの合間を縫うように、白衣を着た男が歩きながら、記録をつけていた。

 もはやその光景だけで、ここが非合法的かつ非人道的な実験施設であることは明確だ。


――三号、四号、六号、共に変化なし。他の奴らも同じ、か……これでは以前ほどの成果は得られないな


 白衣の男はそっとため息をついて、記録を付けていたノートを閉じる。


――理論は間違っていないはずだ。だというのにいまだに成果が出ないのは、実験材料が粗悪だからか? それとも、施設がお粗末なのか?


 いったい、何が原因で自分たちの研究が停滞しているのか。

 男の頭の中はそのことでいっぱいになっていた。

 非合法かつ非人道的なものとはいえ、彼もまた研究者の端くれ。

 思うような結果が出なければ、なぜそうなってしまうのか、理想の結果を得るためにはどうすればいいのかを考えることは、他の一般的な研究者と変わりないようだ。


「主任、少しよろしいでしょうか?」


 だが、その思考は彼を呼び止める声に一時停止する。

 思考の邪魔をされたことに苛立ちを感じたのか、不機嫌そうな様子で男は振り返った。


「……なんです? 簡潔にお願いしますよ」

「お客人です。なんでも、研究の手伝いをしたいとか」

「……ほう?」


 苛立たし気に返答した男だったが、呼び止めた研究員の言葉に、その表情は一変し、興味深いとでもいいたそうなものへと変わる。

 男は研究員から客人を待たせている部屋を聞き、足早に向かった。

 部屋に到着すると、男はドアを開けて部屋に入っていく。


「どうもお待たせしました」

「いえいえ、研究者ともなれば自身の研究に時間を費やしたくなるのは当然のこと。気にしていませんよ」


 男の謝罪に微笑みを浮かべながら客人はそう返す。

 客人は、年の頃は六十を超えているように思える老人だった。

 いや、白く蓄えられた髭と目元のしわの割に肌には張りがあるため、もしかしたらもう少し若いのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。

 重要なのは、この客人が持ち込んできた話だ。


「それでは、早速ですが、お話を聞かせていただきましょう」


 男は老人の前に座ると、黒い笑みを浮かべ、早速、話題を切り出す。

 その反応に、老人もまた、黒い笑みを浮かべていた。

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