第64話 異形の末路
自身のうちに封じていた神狐の焔をわずかながら解放した護だったが、その額には汗が浮かんでいる。
月美の霊力でだいぶ抑制されているとはいえ、ただでさえ苛烈すぎる神狐の力を制御することは、やはりかなり困難であるようだ。
さらに、一度その身を焼かれたという経験をしているため、その時の感覚がフラッシュバックしているらしい。
表情を崩さないよう努めている護の脳裏には、焔に焼かれたときに感じた熱と痛み、そして死へとむかっていく恐怖がありありと浮かび上がっていた。
――あぁ……やっぱやだなぁ。こういうのは
浮かび上がってきた痛みや恐怖からか、護は心中でそうつぶやく。
感情が欠落しているのではないかと疑われるほど、感情表現に乏しい護ではあっても、やはり死に対する恐怖はあったらしく、心底、嫌そうな表情を浮かべている。
そんな護の心に、ふと自分のものではない、別の誰かの感情が流れてきた。
自分の心に他人の感情が流れてくることなどありえないのだが、それができる人間がただ一人だけ、この世にいる。
護はそれができる唯一の少女へと視線を向けた。その視線の先には、不安そうな顔をしている月美の姿があった。
その表情を見た護は。
――またやっちまったな……
またも月美を不安がらせてしまったことを思い知った。
本当はそんなことはしたくないというのに、自分はまたも彼女を不安にさせてしまったのか。
成長していない自分にいい加減、腹立たしさを覚えたが、流れ込んでくる感情は何も、不安ばかりではないことに気づく。
不安や不満、憎悪や嫌悪などの負の感情で感じ取ることができる冷え切った感覚ではない。
柔らかく、温かな感覚。
それは『信頼』と呼ぶべきものだ。
月美からすれば、たしかに護が危ない橋を渡ることは不安で仕方のないことだろうが同時に、何が何でも自分のもとへ帰ってきてくれると信じてくれている。
自分の中に流れてくるその感情に気づいた護は。
――なら、いつものように帰って来ないとだよな
信じてくれているのだからその想いに答えたい、答えなければならない。
そんな使命感のようなものが芽生え、いつの間にか、埋め尽くしていた恐怖を塗り替えていた。
それに気づいた護は、微かに笑みを浮かべて、月美の方へ顔を向ける。
その微笑みに気づいた月美は、不安を隠しきれていない表情のまま、笑みを返してきた。
――あなたがまた無理するのはすごく心配で、不安だけど……信じてるよ。わたしのところに帰ってきてくれるって
そんな月美の声が、聞こえた気がした。
そう思ってくれているのなら、信じてくれているのならば。
――帰らないとな、月美のところへ!
その決意が、護の心から、不安を完全に掻き消した。
「……五色狐」
護が自分の使鬼たちを呼んだ。
その瞬間、護を囲むように立っていた五色狐たちの毛が、ざわり、と逆立ち、額の五芒星が光を放つ。
光は五色狐たちをそれぞれ結び、巨大な五芒星を描いた。
その中心で、護は静かに両手を組み、剣印を結び、その視線の先を月美から異形へと移す。
「臨める兵、闘う者、皆陣列れて前に在り!!」
九字を唱えたその瞬間、剣印から白い光が三日月の形となって異形へむかっていった。
護の気配に圧倒されたからか、それとも光に反応することができなかったからなのか。
いずれにしても、剣印から放たれた光は異形の三つある首のうち、真ん中の首へ吸いこまれるようにむかっていき、その頭を真二つに切り裂いた。
「……ガァァァァァァァァァッ???!!!」
残った二つの首に痛覚が伝わるまで時間がかかったのか、数秒遅れて、異形の二つの口から悲鳴が聞えてきた。
「悪いが、情けをかけてやるつもりはないんでな……時間もかけてられないから、さっさと終わらせる」
そう言って、剣印から隠形印へと印を結び直す。
「オン、マリシエイ、ソワカ」
一度だけ、摩利支天の真言を口にすると、今度は右手で呪符の束を取り出して異形にむかって手を伸ばし、左手で刀印を結んだ。
「奇一、奇一、たちまち
太乙真君交感咒を口にした瞬間、呪符が次々に舞い上がり、異形の周囲へむかっていった。
だが、異形は呪符の存在に気づくことはなく、いまもなお、九字の刃に切り裂かれた痛みにもがき苦しんでいる。
そんな異形の姿に、一切の同情をむけることなく、護は咒言をつないだ。
「奇一、奇一、たちまち感通! 急々如律令!!」
護が高らかに叫んだ瞬間、周囲に飛んでいた呪符に記された文字に光が灯り、異形へと伸びていく。
四方八方から伸びてきた浄化の光に、異形はさらに苦し気な声を上げたが、異形は光から抜け出ることができず、異形は光の中で崩れ落ちていく。
やがて原型すらわからない肉塊になり、最後にはその肉塊すべてが灰へと変わり、光が止まるころには、異形の姿は完全になくなってしまっていた。
異形の姿が完全になくなると同時に、護の髪の色が元に戻り、この場を包んでいた清冽な霊力もなりをひそめている。
護から放たれていた霊力が消えたことで、光は緊張の糸が切れてしまったらしく、その場にへたっと座りこんだが、月美は一目散に護のもとへと駆け寄り、抱き着いた。
「すまない、心配かけたな」
「……うん……」
護は優しい微笑みを浮かべながら、月美の頭を優しくなでる。
月美はどこか満足そうに、優しい手の感触に浸っていた。
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