その3(全3回) 軍事には信用と正義が、どうしても必要になる

 図上演習のあと、クリーは待合室で待機させられた。係官が今回の結果を整理したうえで、査問に参加する政府高官たちに配布する資料を作成するらしい。


 それから2時間後、クリーは宮殿の大広間に案内された。


 大広間の正面にはりっぱな玉座があり、けこんで見える人物が、ゆったりとしてきらびやかな伝統衣装を身につけて座っている。皇帝だ。


 その左には摂政せっしょうのタケト皇子が、その右には文官のトップとしてイチマツ宰相がはべっている。


 タケト皇子は、双子なので見た目がフミト皇太子と瓜二うりふたつだ。ただフミト皇太子と違って、目つきが鋭い。皇子派の領袖リーダーということになっているが、事実上の領袖リーダーはイチマツ宰相だった。


 イチマツ宰相の斜めうしろに黙然として控えている老将は、ムトウ総司令官だ。武官のトップとして帝国軍をべている。今年で80歳になる高齢者だが、いまだに現役だった。


「老人だからコントロールしやすく、皇子派としては帝国軍を押さえるために便利なのだろう」


 政敵からは、そんな悪口を言われていた。しかし、当のムトウ総司令官は「厚顔無恥」なので、少しも気にしていない。


 この摂政、宰相、総司令官の3人は、三公会議の構成員メンバーで、病身の皇帝になりかわり、シン帝国の政治をとりしきっていた。この3人が「試験官」となる。


 その他には、大広間の左右に大臣や将官のほか、図上演習に参加した関係者たちも居並んでいた。この全員が「参考人」として、必要に応じて「試験官」に参考意見を述べる。


「今回の図上演習をうけ、この者に質問したい者はおるか?」


 イチマツ宰相が大広間を見渡しながら問いかけた。


(いくら皇太后陛下のお考えとはいえ、こんな女の子を将校にとりたてるなんて冗談がすぎる)


 その場にいた大臣や将官は、そんなふうに考えていた。


 だから、だれ1人として質問しようとしない。バカらしくて、質問する気にもならない。


「どうでもいい」


 それが彼らの本音ほんねだろう。


 皇太后がじきじきに推挙してきたから、やむなく査問につきあっているだけだ。


 ただし例外もいた。トキヤ少尉だ。


「恐れながら――」


 トキヤ少尉が視線を伏せ、腰を前向きにかがめながら御前に進み出る。


「何者か?」


 イチマツ宰相が傲慢な目つきで壇上から見下ろしながら言うと、「参考人」のうち1人の軍人がこたえた。


「トキヤ・タクト、身分は平民、階級は少尉、帝国士官学校において教官の任についております。今回の図上演習におきましては、査問対象者の対戦相手となっております」


「そうか。――では、トキヤ少尉よ、なんなりと質問するがよい」


「はっ」


 言ってトキヤ少尉は後ずさると、クリーのほうを見た。その表情は険しく、その視線は鋭い。


「クリー殿に問いたいことがあるのだが、よいだろうか」


「はい」


 トキヤ少尉の気迫にたじろいだように見えたクリーだが、その口ぶりはおちついていた。


「感謝する。では、さっそくだが、貴殿は今回、力ずくで攻めれば勝者となれたにもかかわらず、投降勧告をくりかえすことで敗者となった。そこまでして、どうして投降勧告にこだわったか?」


「えっと、こだわったわけじゃないけど、信用を得るためには、命を粗末にするわけにはいかない。だから、勝敗が見えた時点で投降勧告を出したほうがいいと思った」


「信用のため……? 命を粗末にできない……?」


 トキヤ少尉は面食らったような顔になった。


(どんな手段を使っても勝たねばならない戦争で、信用を得たい? しかも、命を奪いあう戦争で、命を粗末にできない? どんだけ青くさいんだよ。……まあ、女の子だから、やむをえないのかもしれん)


「はい。今回の図上演習だけど、わたしたち侵略軍にとって戦場は難所、敵陣は難攻不落、敵の防衛設備は充実していた。だから勝ち目が少なかった」


 クリーは、たんたんと語った。


「たしかに戦場には多くの城がある点で、侵略軍にとって難所だったろう。しかも本城には大軍がたてこもっていて難攻不落であり、守城兵器も十分にあった。ふつうなら侵略軍に勝ち目はないだろうな」


「はい。でも、そんな苦境にあっても、信用があれば、なんとかなる」


「は?」


「つまり、兵士たちが“働きがよければ必ず賞されるし、働きが悪ければ必ず罰せられる”と信じてくれていれば、兵士たちは全員が奮闘するようになる」


「まあ、そういう理屈もあるな」


(そのように信用をとらえるなら、たしかに軍事的に重要だと言える)


「それに天の時と、地の利と、人の和が失われると、どうにもならなくなるわけだけど、天の時よりも、地の利よりも、人の和が大切だと言われている。そして、指揮官に信用があれば、人の和も保たれる」


「だから、信用を得る必要があると考えたと?」


「はい」


「たしかに信用ならない指揮官のもとでは、兵士らもやる気が出らんだろうから、団結もせんだろうな。その点では、信用が大切だと言う貴殿の意見に賛同できる」


「ありがとう」


「ただ貴殿の意見にも一理あると思うが、しかし、やはり自分としては信用――今回の場合で言えば信賞必罰よりも、戦いにおいてはパワー権謀術数トリックのほうが最優先だと思える。この点については、どうか?」


「たしかにパワーとか、権謀術数トリックとかも大事だと思うけど、優先順位を言うなら、敵の無防備なところをねらうのが一番だと思う。そのためにも敵の裏をかくようにすれば、敵の無防備なところをねらえる」


「無防備なところをねらうために裏をかくと?」


 トキヤ少尉は、少し考え込んだ。


「――今回の場合で言うなら、貴殿が本城を攻めたとき、東門を力ずくで攻めて注意を引きつけ、そのすきに南からトンネルを掘って奇襲すると見せかけながら、西門を奇襲した。これには自分もまんまとハメられたわけだが、貴殿の言う“裏をかく”とは、このようなものか?」


「はい」


「そうか……。ところで、わが防衛軍は最後の段階で内城にたてこもったが、もし防衛軍が打って出てきた場合、貴殿はどうしたか? それでも命を粗末にせぬため、戦いを避けたか?」


「はい。戦いたくないので、守りを固めて誘惑や挑発にのらないようにしたと思う――」


 クリーは、なんのためらいもなく言った。


「――ただし、どうしても戦うしかなくなれば、背水の陣をしきつつ、持久戦の構えをとる」


(戦争で命や信用を大切にしたいという非常識な考えを前提としながら、そこから生み出されてきた作戦は実に巧妙なものだった――)


 トキヤ少尉は、クリーの言葉を聞きながら考えていた。


(――それに軍事についてシロウトかと思えば、それなりに戦法をわきまえている。その点からも、今回の作戦がただの思いつきではないと分かる。とんだ変わり者だが、この者が軍人となったとき、もしかすると帝国軍にRMA――軍事における革命的な変化をもたらすかもしれん。それが吉と出るか、凶と出るか、楽しみではある)


 このころになると、トキヤ少尉の表情から険しさが消えていた。


「納得した。ただ一つだけ教えておこう。図上演習で“背水の陣”をしけば、それは防御力の低下とカウントされる。つまり弱くなるぞ」


 トキヤ少尉は、ほほ笑んでいるようにも見えた。


 そのとき――。


「そのほうは詭弁家きべんかか?」


 いきなりタケト皇子が口をはさんできた。


「あれこれと御託ごたくを並べているように聞こえるが、そもそも戦いについて知っておるのか?」


 クリーに対して、侮蔑ぶべつするようなまなざしを向けている。


「はい。戦いは、攻めと守りから成り立っている」


「では、その攻めと守りについて説明してみよ」


「はい。まずは攻めだけど、うまく攻めたいなら、一点突破を目ざす錐行すいこうの陣形をとり、精鋭を選抜して部隊を編成したうえで攻めていくといい」


「うむ」


「それから守りだけど、うまく守りたいなら、すぐに交代できる雁行がんこうの陣形をとり、連続で射撃して敵を寄せつけないようにするといい」


「うむ。それだけか?」


「わが一族に伝わる教えでは、さらに“つむじ風のような構えをとったり、たくさんの兵力をもち、みんなで協力して戦ったりする”ことが推奨オススメされている」


「兵士の人数が多くて団結していれば勝てるのはあたりまえではないか」


 タケト皇子は、あきれたように言った。


「はい。ただし名君や名将は、数字だけでは戦わない。数字だけで計算して有利だとの結果が出ても、それが道理になかったものでなければ勝てない。むしろ負けてしまう」


 クリーは釘をさすように言った。


「ふん。そうか」


 タケト皇子は、クリーを小バカにするように鼻で笑った。


(こんな理想論に走る青二才は、机上の空論だけで作戦を計画し、大敗をまねくだろう。今回、勝ちを逃したようにな。これなら、あのフミトを痛い目にあわせるのには、ちょうどよいかもしれないな)


 そう思うと、タケト皇子は愉快ゆかいでたまらなくなる。もちろん表情には出さない。


「こちらからは以上だ」


 タケト皇子は、イチマツ宰相に目くばせした。


「かしこまりました。――総司令官殿は?」


「特段ございません」


 ムトウ総司令官は、クリーをジロリと見て、ポツリと言った。いつものように無関心そうに見える。


 ただ、いつもなら死んだ魚のような目をしているが、このときばかりは好奇心にあふれているようだった。


(この若者には軍師としての才がある。皇太子殿下に欠けている戦略眼がある。この者が皇太子殿下のもとにつけば、今の閉塞状況もあるいは打破されるやもしれんな)


 そんなことを考えていたようだが、こうしたムトウ総司令官の心境に気づいた者はいない。所詮「お飾り」のムトウ総司令官に対しては、だれもが無関心だったからだ。


 イチマツ宰相は、目をふせながら皇帝の前にひざまずく。


「おそれおおくも皇帝陛下から、お言葉をたまわりたく存じます」


 言われて皇帝は、その落ち込んだ目でギロリとクリーをにらむ。


「よきにはからえ」


「ははーっ」


 かくしてクリーの査問は終わった。


 クリーが滞在先の離宮に戻ると、皇太后から召された。


 皇太后は、離宮の庭園にあるテラスのベンチに腰かけ、夕焼けに照らされ、美しく輝く花壇をながめていた。


「いかがでしたか?」


 皇太后は、笑顔で言いながら、ベンチに座るようにうながす。


 クリーは、皇太后の横にちょこんと座った。


「戦争のことを聞かれた」


「うまく答えられましたか?」


「はい」


「感想はありますか?」


「わが一族に伝わる教えには、“軍事について分かっても、道理について分からないとダメだ。軍事だけなら、国が滅びる”とある」


「ほんと男というものは武骨と申しますか、無用な争いばかりをいたしますからね。フミト皇太子とタケト皇子も仲良くしてくださるとよいのですが」


 そう言う皇太后は、遠い目をしている。


「わが一族では“国が栄えるためには、信用と正義が欠かせない”と教えられている。内輪もめがあれば、諸外国の信用は得られない。権力争いには、正義はない」


「ふふ。クリーちゃんは、ミン族でたくさん学んでいるのですね。その年の女の子にしては、すごいと思いますよ」


 皇太后は、クリーのことをほほえましそうに見た。


 クリーは、ポッと照れて、さっと目をそらした。


「フミト皇太子も、タケト皇子も、どちらもわたくしのかわいい孫です。皇太子は今、危機にさらされていますが、皇太子だけを応援するわけにはいきません――」


 皇太后は、ため息をつく。


「――大人のつまらぬしがらみのせいで、大々的に援軍をさしむけることもできず、そのせいでまだ15歳のクリーちゃんには迷惑をかけてしまい、ごめんなさいね」


「気にしないでほしい。わが一族に伝わる昔話だけど、荀灌シュングァンという女の子は、13歳のとき、敵に包囲された街を救うため、わずか10名の手下をつれて包囲を突破し、援軍を連れてきた。その荀灌シュングァンに比べたら、わたしは2歳も上だから、だいじょうぶ」


 ちなみに、荀灌シュングァンは、ウェイ国の曹操ツァオツァオのもとで活躍した軍師・荀彧シュンユィの6代目の子孫にあたる。


 当時の人は、荀灌シュングァン荀彧シュンユィの血をひいているから、すぐれた軍事的な才能を発揮できたのだろうと噂したそうだ。


「そうなのですか。それは知りませんでした。ミン族とは、なかなか人材のそろった部族ですね」


 皇太后は、驚きと笑顔のいりまじった表情で言った。


 それから数日後、クリーのもとに宮殿から採用の辞令が届いた。


 クリーは「近衛兵団このえへいだんづき情報参謀じょうほうさんぼう補佐ほさけん特命とくめい勅使ちょくし代理だいり」「大佐」という肩書が与えられ、但し書きには「1名の補佐官を登用し、大尉とすることを許す」とあった。


 通常、士官には補佐官がついている。今回の場合、異民族の補佐官になりたがる帝国出身の軍人はいないので、本人に任せた形だった。


 そこでクリーは、アルキンを大尉として登録した。


 * * *


全文訳『孫臏兵法』威王問


 斉国の威王が、孫子に用兵を質問して言いました。

「両軍の兵力が同等であり、両軍の将軍がにらみかっており、どちらも堅固に守り、あえて先に攻撃をしかけようとしないとする。このときは、どうすればよいのか」

 孫子は答えました。

「軽快な兵士たちを使って、敵を試しに攻撃します。身分は低いけれど勇ましい者に指揮をとらせます。その者たちには、敵が来たら逃げるようにさせ、戦って戦果をあげようなどとしないようにさせます。この小隊を編成することで、敵の側面を刺激させます。(こうすれば敵は動きますから)これが大成功につながります」

 威王が言いました。

「兵力が多い場合、少ない場合、それぞれの場合に応じた用兵の仕方があるのか」

 孫子は言いました。

「あります」

 威王が言いました。

「こちらが強くて敵は弱く、こちらが多くて敵が少ない場合、用兵の仕方はどうすればよいのか」

 孫子は、うやうやしく頭を下げたあと、言いました。

「その質問は、まさしく明君の質問です。そもそも多くて強いのに、あえて用兵の仕方を問うというのは、まさしく国を安全にする方法です。ご質問の場合には、誘導作戦を使います。兵士をだらしなくさせ、隊列を乱れさせることで、敵が“あれなら楽勝できるぞ”と思うようにさせます。そうすれば、きっと敵は戦いを挑んできます(こうして敵が攻めてきたら、あとはこちらの強大な軍隊でたたきつぶすだけです)」

 威王が言いました。

「敵が多くてこちらは少なく、敵が強くてこちらは弱い場合、用兵の仕方はどうすればよいのか」

 孫子は言いました。

「ご質問の場合には、回避作戦を使います。必ず後方にいる部隊の所在を敵に知られないようにして、いつでも退却できるようにさせます。長兵[矛や槍を使う兵士]を前に配置し、短兵[刀や剣を使う兵士]を(後)に配置します。そのうえ次から次に矢を放つことで、切迫した状況で白兵戦にのぞんでいる前線の友軍を支援します。~動いてはならず、動かないで敵が疲れるのを待ちます」

 威王が言いました。

「こちらが出撃したら、敵も出撃してきたが、どちらが多くて、どちらが少ないのかわからない場合、用兵の仕方はどのようにすればよいのか」

 孫子は言いました。

「この場合には、険成作戦を使います。険成とは、敵が正攻法で戦おうとして、出撃してきたとき三つの陣を組み、一~お互いに助け合うことができ~、止まることができるなら止まり、行くことができるなら行き、~を求めてはいけません~」

 威王が言いました。

「追いつめられた敵を攻撃する場合、用兵の仕方はどのようにすればよいのか」

 孫子は言いました。

「~活路を求める作戦を立てるのを待つことができます」

 威王が言いました。

「兵力が同等な敵を攻撃する場合、用兵の仕方はどのようにすればよいのか」

 孫子は言いました。

「敵を惑わしてバラバラにさせます。こちらは兵力を集中して敵を攻撃します。この作戦について、敵に知られてはいけません。しかしながら、バラバラにならなかったときは、待機して動きません。ワナかもしれないと疑わしいときには、攻撃してはいけません」

 威王が言いました。

「十倍の敵と戦う場合、用兵の仕方があるのか」

 孫子は言いました。

「あります。敵の無防備なところを攻め、敵の思いもよらないところに出撃するのです」

 威王が言いました。

「土地が平坦で、兵士も整然としているのに、一斉に逃げていくなら、それはどうしてか」

 孫子は言いました。

「敵の陣営に精強な先鋒がいないのです」

 威王が言いました。

「人民をふだんから命令に従うようにさせたい場合、どのようにすればよいのか」

 孫子は言いました。

「ふだんから信用を重んじることです」

 威王が言いました。

「すばらしい。軍事のありようについて、なんでも答えられている」

 田忌が孫子に質問して言いました。

「兵士を苦しめる原因は何か。敵を困らせる原因は何か。城壁を突破しようとしてうまくいかない原因は何か。天の時を失う原因は何か。地の利を失う原因は何か。人心を失う原因は何か。以上の6つについて、道理があるのかを質問させてほしい」

 孫子は言いました。

「あります。兵士を苦しめる原因は土地です。敵を困らせる原因は険阻です。ですから、こう言われるのです。三里にわたる沼地は軍隊をわずらわせるだろう~渡河は完全武装の兵士を置き去りにするだろう。ですから、こう言われるのです。兵士を苦しめる原因は土地にある。敵を困らせるのは険阻にある。城壁を突破しようとしてうまくいかない原因は城を守る設備にある~」

(田忌が言いました)

「~どうしたらよいだろうか」

 孫子は言いました。

「勢いをつけて敵を圧倒し、あらゆる手法を使って敵を誘導します」

 田忌が言いました。

「隊列も陣形も整っていて、いよいよ行動するときに兵士たちが必ず命令に従うようにするには、どうしたらよいだろうか」

 孫子は言いました。

「兵士に厳しくするのと同時に、命令に従うことがメリットになると兵士に思わせることです」

 田忌が言いました。

「賞罰が軍隊において最優先となるものか」

 孫子は言いました。

「違います。そもそも賞とは、みんなを喜ばせ、兵士を必死にさせるためのものです。罰とは、乱れを正し、人民を上位者に服従させるためのものです。勝ち目を高めてくれますが、最優先となるものではありません」

 田忌が言いました。

「権(権力)、勢(態勢)、謀(謀略)、詐(詐術)が軍隊において最優先となるものか」

 孫子は言いました。

「違います。そもそも権とは、みんなをまとめるためのものです。勢とは、兵士が必ず戦うようにさせるためのものです。謀とは、敵を無防備にさせるためのものです。詐とは、敵を困らせるためのものです。勝ち目を高めてくれますが、最優先となるものではありません」

 田忌はムッとしました。

「賞、罰、権、勢、謀、詐の六つは使い物になるが、あなたは最優先ではないと言う。それならば、何が軍事において最優先なのか」

 孫子は言いました。

「敵の状況がどのようであるかを把握し、土地の険しさがどれくらいであるかを理解し、必ず遠いのか、近いのかを明らかにし~将軍のやり方です。必ず敵の守っていないところを攻めるのが、軍事において最優先のことです。~骨です」

 田忌が孫子に質問して言いました。

「全軍を配置につかせたが、戦いたくないとき、そうする方法があるか」

 孫子は言いました。

「あります。険しいところに陣取り、防塁を高くし、しっかり警備して(攻撃されても)動くべきでなく、(有利そうに見えても)利につられて進むべきでなく、(挑発されても)怒るべきではありません」

 田忌が言いました。

「敵が多くて戦いたがっており、必ず戦うしかない場合、対策はあるのか」

 孫子は言いました。

「あります。防塁を低くし(戦うしか生き残れないという状態に兵士を置くことで)士気を高め、規律をしっかり保ち(だれにも二心をいだかせないことで)全軍を団結させます。敵を避けることで(敵がこちらを臆病者と思わせて)敵をおごらせ、敵を誘導することで(敵があちこち出撃しないといけないようにさせて)敵を疲れさせ、敵の無防備なところを攻め、敵の思いもよらないところに出撃し、必ず以上のようにすることで(敵が決戦したくても決戦できなくさせて)持久戦の構えをとります(こうしてジワジワと敵を弱めていくのです)」

 田忌が孫子に質問して言いました。

「錐行[▲の陣形]とは何か。雁行[∧の陣形]とは何か。選卒[えりすぐりの兵士]力士[力のある兵士]とは何か。勁弩趨発[強い弩ですばやく矢を放つ]とは何か。飄風[つむじ風]の陣とは何か。衆卒[普通の兵士]とは何か」

 孫子は言いました。

「錐行とは、敵の堅い守りを突破し、敵の勢いをそぐためのものです。雁行とは、敵の側面を刺激し、~に応じるためのものです。選卒力士とは、敵陣を打ち破り、敵将を討ち取るためのものです。勁弩趨発とは、激戦がくりひろげられているときに持久するためのものです。飄風の陣とは、~回~ためのものです。衆卒とは、みんなで協同して成果を出し、勝利を手にするためのものです」

 孫子は言いました。

「賢明な君主、道理のわかっている将軍は、衆卒に頼って成果をあげようなどと思いません」

 孫子が退出すると、弟子が質問して言いました。

「威王様と田忌様という主君と臣下のご質問は、いかがでしたか」

 孫子は言いました。

「威王様は九つの質問をされ、田忌様は七つの質問をされた。ほぼ軍事について知ることはできただろうが、まだ道理には到達できていない。私は、こう聞いている。ふだんから信用を重んじる者は繁栄し、すべてに正義を優先する者は~、戦争して無防備な者は敗北し、好戦的な者は滅亡する。斉国は、これより三代目くらいの王様のころには混乱していることだろう」


※その他、残っている言葉

~善~れば、敵はこんな備えをする」孫子は言いました~

~孫子は言いました。「八陣が布陣し終え~

~三日もかけてはならない~

~也」孫子は言いました。「戦~

~威王が言いました。「~

~道理です」田忌~

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