2 別格〈お父さん〉


 さて最後に紹介するのが〈おとうさん〉。55才で看護学校に入学してきた。入学試験の時の席は私の前だった。筆記試験が終わったら、面接試験が当日にある。二人一組みで受けるのだが、受験生全部をやるものだから、えら~く待ち時間が長い。

「長いなぁー、僕は田野歩(あゆむ)といいます。よろしく」。えらい年齢の人が受験してると気になっていた。「浜野ナミです。ナミはカタカナです」と挨拶を返した。

「ハハノナミダですか?」。「そんな名前があるか?この人どんな人、面接大丈夫か?」。それが口を聞いた最初だった。

 面接の時は〈おとうさん〉と同じだった。面接官は四人、全部女性。私は無難に済ませやれやれであった。〈おとうさん〉と面接官のやり取りは隣で余裕を持って聞けた。


「田野歩。55才。東京農工大学出身」と自己紹介。

「志望動機は?」まず、これは誰もが問われる。

「生命や、病気について勉強したいと思いましたが、医学部に行く程、学力と金力はありませんので、看護学校を受験しました」あれー、まずまずの答えだ。

「お歳ですが、健康に自信はありますか?」

「80才から見れば25才も若いことになります。健康?いつ人は大病を患うかわかりません。で、ないですか?」先生方、沈黙。ええぞー〈おとうさん〉。

「生命や、病気について学びますが、専門学校です。学んだことを生かして看護師になって病院に努めなければなりません。夜勤もあって若い人でもハードです。自信はありますか?」やっぱり心配事項は〈お歳〉なのだ。

「水泳などをして健康にいるようには心がけています。卒業して58才。定年65才として7年働けます。病院が採用してくれるのなら、勤めますが、病院勤務が無理なら、老人施設で働きたいと思っています。元気で使ってもらえるうちは70才でも、80才でも働きますよ」先生たち少し笑い。

「若い人たちの中で一緒にやっていけますか?」やっぱり年齢のことが問われる。

「この歳ですから、入学出来たら、若い人のお手本になるように頑張りたいと思います」言やよし。

 

 受け答えの印象も悪くなかったし、無事面接は通過と思った。国立大学を出ているぐらいだから筆記も悪くないだろう。合格発表の日、〈おとうさん〉とすれ違った。目礼をされたが笑顔はなかった。合格発表の掲示板を見たら私の前の番号はなかった。やっぱりあの年齢では無理なんだ。現役の子なら30年も40年も勤められるのだから、一つの席は若い人に譲るべきかもしれないと思った。でも「可哀想」。


***

 入学式の日、列を作った私の前に〈おとうさん〉がいるではないか?どうして?看護学校は実習があって水増し入学が取れない。何人かは他に行く(例えば、国立病院の付属に受かった子はそちらに行く)その分、補欠合格を出し、欠員分を入学とする。1学年定員100名の學校。〈おとうさん〉は100番目の合格者になったのだ。

「よかった、よかった!」私は〈おとうさん〉の手を取って飛び上がった。事情の分からない皆は「何事?」と私たち二人を見やった。〈おとうさん〉との再会だった。

 後でわかったのだが、オザッキーによると、〈おとうさん〉の入学にはチョット問題があったようだ。なんぼなんでも年齢がいっているし、他の人たちとの兼ね合いもあるという意見だ。古手の「白衣の天使」的な看護婦イメージを理想としている世代には、抵抗感があったのだ。八宝先生が「面白いじゃないの。面接の感じも悪くなかったし、ウチは公立。公平にあくまでテストの成績で行きましょう」と押し切ったというのだ。


 すぐに、若い娘たちは〈田野さん〉とは呼ばず、〈おとうさん〉と呼んだ。私も自然そうなった。「僕は、みんなの〈おとうさん〉になってしまった。異性と感じてはいかんのや。哀しいがしゃない。僕は女の薗に来たのではなく、学問の府にきたのやから…」とは〈おとうさん〉にさせられた、〈おとうさん〉の寂しい感想だ。

 今でも「若い人の手本になります」には笑ってしまう。〈ドジで、ヘマなおとうさん〉。レポート出すのも一番最後、それも私が念を押してやっと。試験のとき横を見れば「モー出来た」と涼しい顔。「裏もあるのにぃー」。解答用紙があるのに問題用紙に書き込んで減点されたり、横の席にいる私はまるで世話女房。

「おとうさん、中学校、高校の時もそうだったんでしょう」と云ったら、頭カキカキ、「治らんね。クセというものは」と云った。高校時代にそのままフュチューダバックしてしまったのだ。

 

 花子が一人ベンチでサンドイッチを食べていたので、並んで食べた。〈おとうさん〉のドジ、ヘマ振りを喋った。「本当に55歳なんやろか?社会性を疑う」と言ったら、

 花子は「私、そんなおとうさんが可愛くって好き」と言った。世話の一つもせずに、「好き、可愛い」何を云う。紳士然とされていたり、落ち着いた貫禄を見せられたら、教室の違和感が倍増するかもしれない。花子の云うのが正しいかも。私も花子に負けずに〈おとうさん〉を「好き、可愛い」になろう。


***

〈おとうさん〉は夜、中学生相手の塾の先生をやっている。土日は場外馬券場の交通整理の警備員をやって生計を立てている。玉ちゃんが梅田に出たとき、見つけたのだ。信号待ちをしていたら、制服制帽の警備員が帽子をアミダにかぶって、顔を横に向けていた。最初はわからず通り過ぎたが、気になって、玉ちゃんは引き返してきて〈おとうさん〉を確認した。早速、玉ちゃんから私の携帯に〈驚きニュース〉のメールが入った。

「隠れようとしていたのに、わざわざ引き返して見るか!」。玉ちゃんは何かにつけてはっきりさせる性分だ。野次馬根性も強い。でも、聞いて驚いた。昼は看護学校、夜は塾の先生、土日は場外馬券場の警備員。いったいどんな生き方してきた人?


〈おとうさん〉には、お世話になることもある。私たちは理系に弱い。〈おとうさん〉は農学部、一応理系だ。みんなが最大に苦手とする『解剖生理学』は抜群の成績だ。解らない時は教わる。さすが、塾の先生だけあってわかり易く説明してくれる。解らないとこも納得で授業がやっていけるのは、〈せんせい〉いや違った、〈おとうさん〉のおかげだ。何にもなしで、世話女房するほど私は人がいいわけではない。

 授業中の〈おとうさん〉だが、時々、窓の外を見て、心ここにあらずというような様子がたまにあった。あるとき、あまり長く見ているので、何を見ているのだろうと私も窓の外をみやった。電線に鳩が二羽離れて止まっている。その二羽が近づいて来て並んで止まった。教室に目を戻した〈おとうさん〉と目があった。〈おとうさん〉チョット恥ずかしそうににっこり笑った。何故か「寂しそう」。

 

***

〈おとうさん〉は何であの歳で看護学校に来たのだろうか?看護学校の先生はおしなべて気が強い。〈長幼之序〉なんて考えはさらさらない。〈おとうさん〉はヘマをやらかすが、叱責する先生は情け容赦がない。

 あえて、〈おとうさん〉を弁護するなら、ともかく目立ってしまう。私たちなら〈女の子〉の中に、オザッキーなり大谷なら〈おとうさん〉がいる限り、何とか〈僕たち若い者組〉の中に隠れることができる。〈おとうさん〉には〈その他大勢〉の隠れ場所がないのだ。中には「変な中年が迷い込んできた」位に思っている先生もいる。


 生徒なんだから一律平等でいいのだが、もう少し言葉使いぐらいには配慮があっていいと私は思う。〈おとうさん〉は、それは仕方がないと割り切っているのか、顔に出さないが、さすがに酷いときは、うなだれて帰る時がある。

 こんな時、大谷や、オザッキーはやさしい。「田野さん、明日も来てくださいよ!」と声をかける。彼らはチャント〈田野さん〉と呼ぶ。男の友情は見ていていいものだ。勿論、〈田野さん〉がいなくなったら自分たちが最年長の男生になるのが嫌なのだろうが…。そんな我慢までして看護学校にこなければならない理由が知りたい。

 

 一応面接の時に私は聞いているが、あれは表向きだと思う。〈おとうさん〉がいないときの話題は何時もそこにいく。お子さんは2人いるという。たまに奥様の話が出たりするが、昔から塾の先生をやっていた感じではない。どんな仕事をやっていたのだろう?あまり人の詮索はよくないが、3人よれば詮索話は大好きだ。

 おザッキーは「学校の先生」。玉ちゃんは「私の経験からいって先生の匂いがしない。商社勤務で窓際にやられた」。大谷は「さばけたとこがあるから商売してた人?」。高島花子は「中小企業の経営者、倒産して奥さんに逃げられた」。「何で看護学校に来た?」と私。「嫁さん探しに」花子は真面目かと思うとはぐらかす。あんたにはついていけない。デモ、ひょっとしてそうかも?少しはお洒落をしてこようかな。詮索はやめましょう、その内、徐々にわかるわよ。

 ともかく今は、昼は看護学校の生徒で、夜は塾の先生で、土日は警備員なのだ。お弁当は自分で作ってくるが、卵焼きはいつも黒く焦げている。

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