『 DAY of WRATH 』

『 DAY of WRATH 』【α】


『 DAY of WRATH 』





 市国しこく、ヴァティカヌス――。

 この国の所在と成り立ちは少々複雑だ。地中海沿岸を一帯に支配する列強国――『ローマ帝國』の領土内に入れ子式に存在する、世界最小の独立国家にして、宗教国家。現世三大宗教のうちひとつ、『クルス教』における最大派閥、『ローマ・カトリック』の総本山とでもいうべき〝聖域〟である。

「市国」の名が示す通り、ヴァティカヌスの国土面積は、せいぜい市町村かそれ以下――言ってしまえば某「夢の国」テーマパーク程度の広さしかない、正真正銘、世界で最も小さな国だ。

 だが、その最小の領土内には、世界最大の宗派を束ねるに相応しいカトリック信仰の本拠地『サン・ペトロ大聖堂』が存在し、クルス教最高権威である〝法皇〟が治めるこの国は、まさに不可侵領域であり、こと宗教界においては、絶大的影響力を持っていた。

 紛うことなき〝聖地〟――。

 その聖なる地の足下、地下奥深くに、〝彼ら〟のアジトはあった。

 クルス教を信奉崇拝する秘密結社であり、世界を股にかける大規模な犯罪テロ組織――破滅的教義に身心を捧げ尽くした異端信徒のみで構成された、異色の。司祭が、信者が、連なっては剣をとり、また銃砲を以て、鉄火の裁きを下す。――彼らの名は《十字背負う者達の結社》といった。

 《十字背負う者達の結社》では、おさとして崇められる『教主』を筆頭に、幹部である『枢機卿』『大司教』、そしてその下に控える『司教連』によって組織の運営が為されている。幹部以下では、実動部隊の指揮と信者の引率を任される『司祭』がおり、それらに付き従うのが、ヒエラルキーの最下層として『信徒』と呼ばれる一般構成員である。

 司祭クラス以上の教団員には非常に厳しい戒律が課されており、表向きでは姦通や妻帯が許されていない。そのため、一般信徒どうしをつがわせ、彼らの産んだ子供を洗脳教育し、次世代の団員として育て上げるというサイクルが成されている。そのピッチは急速で、十四、五歳という若さの娘が、二、三親等ほどしか離れない近親の夫から仔を身籠ることも少なくない。――歪に強固な信仰の絆で繋がった兄弟家族でもある彼らの間には、実際にも、おぞましく濃い血が流れていたのである。

 これらシステムのせいで、非常に若い世代の信徒、司祭たちが破壊工作員として育成され、実戦の地に送られる。そして、そのうちの決して少なからずの者達が、戦火に命を散らしてゆく。

 このような異色極まりない集団である彼らが、畏れ多くも法皇庁の存在するヴァティカヌスを隠れ蓑とし、本拠地を構えていたのだ。

 地上最大の信徒数を誇る大宗教、その最高位に位置する教会が保持する独立国家内テリトリー。そのは、あらゆる干渉を遮断し、いかな大国といえど迂闊に手を出すことはできない。結果、国連からのバイアスを退け、ICPOインターポールなどによる強制捜査の手も入りにくくなっていた。歴史と権力、そして神秘に護られたこの地はまさに、《十字背負う者達の結社》が身を隠すには好都合うってつけの物件だった。


 ――しかし。

 この時ばかりは、勝手が違った。

 《結社》は敵を作りすぎた。あらゆる場所で、自他の血を流しすぎた。

 応報のときは、きたのだ。

 此処ここが、神のため躊躇うことなく無数の血屍けっしを築き続ける破戒者達の母屋であるならば。その聖域も今や、神をも畏れぬ軍勢によって蹂躙されようとしていた――。



 †



【3 / 16 (Thu)――『ゲヘナ』での死闘】


 ――『ゲヘナ』とは、クルス教における〝地獄〟を意味する。

 そしてそれは、聖地ヴァティカヌスの足下深く、蟻の巣状に広がっている巨大地下施設――《十字背負う者達の結社》の総本山アジトの呼び名でもあった。

 自ら進んで戒律を冒すこと厭わず。その身を地獄に墜としてまでも、只、神のためのみに働かんとする。

 そんな彼ら結社が、あえて名付けた皮肉の名。

 ――――偶然か、必然か。

 今まさにこの場では、〝地獄〟と呼ぶが相応しい、死屍累々の掃討作戦が執り行われていた――――。




(午前、2時16分)

 ――鮮やかな奇襲だった。

『ローマ帝政直属・異端審問部隊』――。

 彼らは国連からの要請を受けて差し向けられた、帝國政府直轄の特殊部隊。帝國ローマにおける特殊警察のような組織であり、異能者に対抗するため存在する戦闘部隊であった。

 国際特殊軍事警察機構・異能取締部門地中海沿岸地方担当における特記戦力とまで称される手腕は伊達だてではなく、その働きは〝見事〟の一言に尽きるものだった。

 審問部隊の者達は皆一様に、夜間迷彩の夜戦装束と完全防弾のタクティカルベストに身を包んでおり、暗視ゴーグル付きのヘルメットを装着。真っ暗闇の地下施設中を機敏かつ統率のとれた動きで進んでいく。主武装のアサルトライフルにはフラッシュライトや銃口付近の打撃スパイク、銃剣、その他オプショナルウェポンなど様々なアタッチメントを着脱可能。サブウェポンには短銃と手榴弾を装備。無論、通信機器にも余念はない。いかにも「近代的武装の完備された特殊部隊」といった見た目をしている。

 だが、見た目に反してその歴史は永く、事の起こりは遥か中世以前――彼らこそ、この国で古くから『魔女狩り』を称して、帝政に仇成す異能者達と戦ってきた、弾圧者にして制裁者に他ならなかった。

 クルス教的価値観に支配された欧州エウロペ全域では、異能者たちはかつてより〝邪教徒〟や〝異端者〟などと呼ばれ恐れられてきた――。それは例えば、ドルイド的体系を持つ古き民や、流入する他宗教の神官・司祭、果ては邪道の魔術師達。これらの不穏分子を「宗教上の取締り」という大義名目を掲げ、帝政支配の手先として排除し続けてきたシステムこそが、宗教裁判による政敵排除――即ち『異端審問』であり、その決議を実行に移す執行部隊が、彼ら異能審問部隊である。

 〝王道〟と〝施政〟――〝覇道〟と〝侵略〟。その裏に存在し続けた、帝政の暗部。

 故に彼らは間違いなく、人類史上有数に古く、由緒正しい、世界でも指折りの対異能戦闘専門機関と言えた。――そして、歴史や格式だけではない。恒常的に国家からの政治的・軍事的バックアップを余すことなく受けながらに、貪欲に最先端の戦略・技術を取り込み続けてきた、近代戦闘のプロフェッショナル集団でもあった。

 先ず先遣部隊の急襲作戦は成功。既に結社アジトの自家発電炉は制圧され、内部電源は一つと残らず落とされていた。よって、地下施設ゲヘナの中は現在、真の暗闇に包まれている。

 無論、この状況を作り出した当の審問部隊員達は皆、可視光増幅方式と赤外線照射を併用した暗視スコープにより状況対応済み。そのうえで高性能かつ最新鋭の銃火器を携行している。戦闘は始終、彼らの一方的有利な状況で進んでいた。


 一方で――――。


 斯様かようにして血の河が流れ、屍の山が積み上げられたアジト内の通路――今や地獄の一部と化したような光景にもおそれすら抱かず慣れた足取りで歩く、四人の司祭がいた。

 彼らは、結社に仕える生え抜きの異能戦闘集団――――『十二使徒』に選ばれた戦徒たち。


 四人のうち一人、ひときわ背の高い青年が、革表紙の大きな書物を取り出す。

 ――――その書物はおそらく、クルス教の『聖典』であると思われた。

 などと言ったのは、それが通常の『聖典』と比べて、明らかに大きく、そして――驚くほどに分厚く、また、ずっしりと重そうな物――であったからだ。その重ねた年月の深さをありありと感じさせる革表紙と紙質の劣化は、「年季が入っている」などという言葉ではまったくを以て足りないと一目で解るほどに――古い。

 教団に仕える、異能の老鍛冶師――トバルカイン(彼は武具鍛造だけでなく戦闘装束などの裁縫、聖典の製本から古文書・魔導書の復元までも手掛ける〝作り手(クラフター)〟である)によって手を加えられたこの書物は、およそ成人男性一人分ほどの重量を持ち、不思議なことに幾らページをろうとも、決してめくり尽きることがない。しかしその膨大気遠なページ数にもかかわらず、読み手の意志に反応し、読みたいと思ったページを一瞬で呼び出すことが出来た。

 これらの機能だけなら、やたらと重いだけの便利な本に過ぎない――が。

 男がその古文書のページを繰り、


「〝光よ、あれ――〟」


 と唱える。

 すると、黒暗暗と地下通路を包んでいた一切の闇が一瞬にして切り払われ、一帯はまるで白昼のような明るさに照らし出された。

 勿論、通路のどこにも機能している電燈など無く、青年の所持品や身の周りにも光源と成り得る物は一切存在しない。それは間違いなく『異能』の成せるわざだった。

 たった今、神の御言葉みことばを借り、〝秘跡〟を行ったこの使徒の名は、士門シモン

 一見、おだやかに整った顔立ちの好青年であり、色素の薄い赤みがかったブロンドの長髪は、前髪がきっちりと真ん中から分けられている。その髪色とは対照的に、青雲を凝縮して閉じ込めたような、空色の瞳――瞳の奥は生気に満ち、澄んだ輝きさえ秘めているようにみえた。くるぶしまで隠れる祭服アルバは白地を黒で縁取られたシンプルなデザインで、清貧な気高さを感じさせる。

 ――その爽やかな外見と立ち振る舞いは、とてもテロ組織の一員などには見えないが、実際には『十二使徒』の中でも顧問補佐を務めていた、高位の使徒である。


 士門の〝秘跡〟から発生おこされた光によって、通路に積み上がった同胞達の屍が、まばゆい明かりのもとにさらけ出される。その有り様を見て、もう一人――黒衣の使徒が足を止めた。

「――――エイメン。」

 彼は厳粛に、胸の前で十字を切った。

「……よもや、たったあれだけの寡兵を相手にここまで数を減らされるとは、な。向かう先の地下墓堂カタコンベもまた、数多あまたの敵によって包囲され袋の鼠――我らもいよいよ潮時が来たと言える、か」

 深刻ではあるが、焦りをまったく感じさせない声でそう言ったのは、使徒が一人――〝殉葬磔刑〟神父アンドレ。

 どこかしら東洋の武人のように落ち着いた神秘性を見せる男――長く伸ばした艶やかな黒髪は、前髪から左右に分けられ、独特な形で後ろに周ってから、輪のように垂らされながら結わえられている。髪から祭服まで漆黒で統一されたその静謐な佇まいたるや、黒の大理石で造られた堅牢なひつぎが、昏き水底にて横たわる様を思わせる。その冷静沈着な心のうちを表すかのように、現在、絶体絶命の危機に曝されているにもかかわらず、彼の両の目はまるで、眠っている猫のようにしずやかに細められていた。

「聖務に関する情報データおよびそれにまつわる神官の『預言録』は全て〝焚書デリート〟しておいた。これ以上敵に情報を渡すようなことは無いだろうが、正直なところ焼け石に水、か。現在ヒノモトへ〝巡礼〟中の教祖様に関しては、護衛としてトーマスとタディを向かわせてあるが――組織のインフラに壊滅的打撃を受けている今、彼らからの連絡も途絶えている。おそらくは、現地で教祖様と合流している頃の、はず……」

 アンドレは上層部から与えられた聖務を適材適所に割り振り、遂行状況や結果を記録・保管するための「聖務管理官」を務めている。

 だが、そんな彼の背中にも、交叉するように背負われた長物の得物が二本――本職こそ文官であるアンドレだが、その実、自身もまた鉄棍を用いた棒術を得意とする武官でもあった。

 これまで、《結社》を追っていた各国の捜査官やエージェントが幾人も、まるで見せしめのような「はりつけ」の死体で見つかってきた。手足が完全に壁材とし、身動きできぬ状態で絶命させられたと思われるそれらすべて――――〝殉葬磔刑〟のあざを持つこの使徒、アンドレによる行いである。


「人事は尽くした。もはや私達に残された天命は、ここで最期まで戦う事、だけ――」


 士門も、アンドレの言葉に対し、苦渋の相で頷いた。

「わたくし達の教団は、もはや完全に首根を押さえられていた。政治的、資金的、人脈的にもあらゆるパイプラインを断たれ、情報伝達の手段をも封じられ、混迷極まっていたところへの、見事な奇襲。してやられたというべきか」


 ――それを聞いて、士門とアンドレの後ろに付いて歩いていた三人目の使徒、褐色肌の青年も口を開いた。

「けど、教祖が不在の時を狙ってくれたのは、不幸中の幸いと言うべきじゃあないか? あの御方さえられれば、結社は何度でもよみがえる。今となって俺達に残された聖務は、アンドレの言う通り、この神の地に群がる神敵どもを、一匹でも多く仕留めることのみ、だ」

 ――中東との混血と思わしきこの青年の名は、使徒フィリプス。

 金色の瞳と、明るいオレンジ色の髪が、浅黒い肌の色に映える。

 彼のよわいは今年で十九――『十二使徒』の中でも、二番目に若い。純粋な戦闘員であるため、使徒としての地位もそれほど高くない。


 そして、フィリプスのさらに後ろに控える、最後の一人。まだ驚くほどに若い少年――使徒 冶羽ヤハネが、それに続いた。

「ここ『ゲヘナ』は、聖戦の徒たる僕たちの育った、唯一の故郷……。師兄しけいの皆さんと一緒に、この聖地で果てることができるのなら僕は本望です。怖れることなんて、もう何もありません」

 ――そう言って涙を滲ませている姿だけを見れば、未だ大人への過渡期を抜けきっていない、華奢な少年にも見えよう。それも、ただの少年ではない。「美しい」という言葉だけでは形容するに足りない―― 一見、「性別」という概念さえも忘れさせてしまうほどの造形美を感じさせる、中性的な美少年。

 透き通るような白磁の肌と、絹のように滑らかで艶のある、乳白色の髪。穢れを一切知らぬかのような、純白の祭服。――信心深い者ならば、誰もが「天使」と例えたくなるであろう容姿をしていた。

 しかし、そんな冶羽の纏う、目が痛くなるほど純粋な「白」の中、両の目の瞳だけは、鮮血を煮詰めて精製された宝石のような――まるで、錬金術における賢者の石か、もしくは悪魔から授けられた紅玉ルビーの如く――神秘的な真紅に染まっており、ひと際異彩と死臭を放っている。

 どんなにか弱く愛らしい姿をしていたとしても、最年少で『十二使徒』入りを許された狂信徒。わずか十五歳という若さで破壊工作部隊に身を置く彼もまた、例外なく人外の戦力を持つ戦徒であることに、疑いは無いのだ。

 その天使めいた貌に埋め込まれた悪魔じみて美しい瞳が、語らずとも「この地で最期まで戦う」という彼の意志を、覚悟を、強く、たしかに示していた。

 しかし――、

「否――冶羽」

 アンドレがゆっくりと首を横に振る。

 そして士門も、

「うむ。わたくしもそう思います。君はここで死すべきではないと」

 そう言って優しく冶羽の肩を押さえた。

「君は我ら使徒の中で、最も若く、そして最も神の愛に満ち溢れている。これより先、教祖に永く仕え、貢献できるだけの未来と力を持っている。故に君は、この場を落ち延び、教団の行末ゆくすえを見届ける義務がある」

「そんな……」

 少年は悲しそうに、兄弟子を見上げた。

 士門は特に、他の使徒たちに対しても非常に面倒見がよい、仲間内の世話役だった。そんな優しい兄弟子のことが、冶羽は好きだった。士門のことだけではない。幼い頃から教団内で育ち、苦楽を共にしてきた『十二使徒』の兄弟子たちは、冶羽にとって常に敬愛の対象であり、血を分けた本当の兄たちにも等しい存在だった。

「――そんな、嫌です!! 逃げるだなんて、使徒の恥だ!! 僕は兄さん達とここに残って最後まで闘います……!!」

 いきり立つ冶羽を、フィリプスが後ろから押さえなだめる。

 士門は、背の低い冶羽の目線に合わせるよう屈み込み、悲しい笑みで微笑みかけた。

「君は我々使徒の希望なのです。我らの遺志を継ぎ、繋げ、大願成すことは、おそらくもう、君にしかできない。どうか、ここは聞き分けて」

 そう言ってから、フィリプスのほうに視線を上げる。

「……フィリプス、君の行う〝秘跡〟は、冶羽の〝秘跡〟と非常に相性がいい。彼と一緒に逃げて、彼を守ってあげて下さい」

「し、しかし――」フィリプスは遠慮がちに目を逸らした。

 そこへアンドレも、迷っている弟弟子の背中を押すように言う。

「これも我等使徒に与えられたもう、運命。臆することは無い。活路は私達が開く。お前達は二人、ただ出口に向かってひた走ればいい」

 二人の兄弟子にそう言われて、フィリプスも決心したように、「ああ、分かった――」と、悲痛な顔で頷いた。

「……!! フィリプスさんまで、何を言っているんですか! 子供扱いしないで下さい! 僕は皆さんと肩を並べるに足る、神のしもべです! 戦士です……! どうか一緒に、一緒に戦わせて下さい!! お願いします……!」

 冶羽は泣きながら懇願したが、その願いは聞き入れられなかった。

「ここを出たあとは、東の国でヘテルと合流しなさい。すでに鷹文たかのふみは飛ばしてありますから、情報は届いているはず。彼自身は使徒として何かと問題も多い御仁ですが――遊夛ユタのなき今、残された同志のうちでは、あらゆる意味で……最も強い」

 使徒ヘテルについて、士門は複雑な表情を見せる。そんな彼に代わって、アンドレの言葉があとに続く。

「そのうえ、ヘテルが用いる、かの〝秘跡〟。あれは我等が神の加護なき地で戦うには、必須とも言える、代物もの――」

「でもっ……!!」

 冶羽は未だ反論しようとするが、前方――〝地下墓堂〟へと繋がる通路から、敵の分隊が迫ってくる。もはや、口論している時間も残されていなかった。

 士門が戦闘へ備えた構えに移行し、叫ぶ。

「……さあ、フィリプス! 冶羽! ゆきなさい!!」

 アンドレが、冶羽の頭にそっと手を置いた。

「振り返らずに、走れ。案ずるな。我ら使徒兄弟、仮令たとい何処へ離れようとも、御霊みたまは常に共に、る」

 言うや否や、士門とアンドレの足が地を蹴った。彼らは若い弟弟子達を逃がそうと、敵の部隊へ切り込んでいく。

 フィリプスは兄弟子らの意志をしかと汲んだ。その場を離れようとしない冶羽を無理矢理担ぎ上げ、言われた通り、振り返らずに全速力で出口を目指し、走り出す――。


 ――走り去る同胞のうしろ姿を、見届けることはしなかった。アンドレは背中に負った己の武具を手に取り、言った。

「かの国で屋古部ヤコベを屠ったという女傑は、彼奴きゃつを上回る槍術の使い手だったと聞く。私も同じ長物の使い手として一度、その者と死合ってみたかったものだが――それももう、叶わぬ、か」

 使徒の中でも特に粗暴で喧嘩っ早かった屋古部とは違い、アンドレはいかにも武人然とした性格をしている。そのためか折が合わないことも多かった二人だが、しかし彼らは、似たような武器を扱う者同士、幾度も手を合わせ、武技を研鑽しあった仲でもあった。どうやらアンドレは、同志を打ち斃したそのかたきと戦えないことが、少しばかり心残りなようだった。

「老師とともに散っていった屋古部と叉井、そしてこれより死地へ向かわんとするわたくし達――それらが決して実を結ばぬ仇花であったとしても、必ずや、生き残った兄弟たちが望みを、種を残してくれましょう。死者から流された血も、その血の応報も、道半ばの無念も……彼らがきっと果たしてくれる。憂うことなど何もありません、アンドレ――」

 士門は、穏やかに、そう答えた。

「そう、だな……」アンドレもまた、達観した様子で、士門の言葉に同意する。


 滅びの覚悟はとうの昔に決まっている。しかし、聖域を土足で踏み荒らした神敵共を、ただで終わらせてやるわけには、いかない――。士門は古の聖典を開き、己が異能と闘争本能を呼び覚ます。



「では、くとしましょうか。我ら使徒の力、憐れな不信心者どもに存分と見せつけて差し上げましょう――」



 †



 ――《十字背負う者達の結社》地下アジトにて、勇猛果敢に戦う信徒達。

 施設内の武器庫全てを敵部隊に押さえられてしまった今、彼らが手に取ることのできるのはせいぜい、礼拝堂に残されていた儀礼用とおぼしき武装――西洋拵えの古めかしい両刃剣や、大小様々な鋼鉄の十字架、厳かな礼装を施された古式拳銃、銀の短剣などなど――といった品物ばかり。

 それに対し、整えられた近代兵器を駆り、まるでネズミか害虫の一匹一匹を駆除するかのように冷静かつ執拗確実に信徒達を狩り殺してゆくのは、帝國公安部の厳しい選抜試験と訓練を乗り越えた、選りすぐりの異端審問官たち――『帝政直属異端審問部隊』。

 ボディアーマーと高性能な銃器・通信機器により武装した、屈強な隊員の群れ。その近代武装と徹底的に訓練されたチームワークの前に、結社構成員たちはすべなく撃ち殺されていく。

 決して結社の構成員たちが弱いわけではない。むしろ、幼少より苛烈な戦闘訓練を日常として育てられてきた信徒達の中には、身体能力や個々の力量に限って言えば異端審問隊員たちの平均的戦闘値アベレージをいくらか上回っている者さえいた。そのうえ、少数とはいえ異能の力を使える者まで存在するのだ。

 しかし。信徒達にとっての不幸は、それだけのアドバンテージを帳消しにしてしまうほど、異能審問部隊における指揮官の采配が優秀だったことだ。現在、信徒勢が頭目無き烏合の衆団であることを差し引いたとしても、「多対多」における連携戦術の練度、戦略の習熟度、実戦での経験値――どれをとっても教団を圧倒している。

 ――ローマ公安部・異能取締部門・殲滅課属・異端審問部隊・討滅科連隊隊長。指揮官、ドラコフ・レングラン。

 いかにも軍人然とした見た目の、元軍人。

 かつては帝國軍に所属、陸軍少将まで上り詰め、戦闘の最前線では軍一個師団から一個旅団の指揮統率を任されていた。キャリアこそ優秀な成績で士官学校を卒業し、将校からスタートしたエリート中のエリートでありながら、実地による実戦を何よりも信奉し、自ら志願した数々の過酷な戦場にて、実力と地位を叩き上げてきた。その肩書、内実ともに偽りはない。

 ただ一つ、彼に軍人としての問題点があるとすれば、それは彼のサガ――〝戦闘狂〟と言っても差し支えのないほどの、血と闘争への渇望だった。

 、清らかな水でもなければ、友愛の安息でもない。ただただ、流される血潮のみ。そう。敵の、同胞の、己の、流し合い、混ざり合う血こそが――――。


「――我が部隊の、現在の被害状況および、作戦の進行状況を」


 ドラコフが、隣に控える副官に尋ねた。彼の副官は、きびきびと動く、褐色肌の逞しい女性隊員だった。彼女は、「はっ!」と気を付けをして答えた。

「把握しているだけでも、死者、百五十四名。部隊のおよそ半数が壊滅。しかし、今や敵も総崩れであります。現在、最奥のカタコンベにまで後退した残党は推定三百名――墓所入口付近にて、第一部隊が交戦中ですが、これらを片付けて最奥へ突入するのも、もはや時間の問題と思われます。また、別働隊は施設内すべての発電源、配電盤を掌握。作戦の通り、換気装置も一つ残らず停止させたとの報告を受けております」

「死者半数か……」ドラコフは帳簿の数字を勘定するかのような事務的口調で、そう言った。「上出来だ」

 ――本来ならこの階層に来るまで、部隊の三分の二を犠牲にすることも想定していた。

 勿論、このような突入作戦よりも安全確実に事を運べるであろうプランは、作戦会議上、幾つか存在した。

 例えば、こちらから新たに地下トンネルを掘り進んで仕掛ける坑道戦――却下。法皇庁からの許可が下りるわけがなく、工事にも時間が掛かりすぎる。敵に感知されるリスクも高い。

 もしくは隠密潜入から建築支点への爆発物使用、敵アジトの自重崩壊工作――却下。この地下施設の真上には、ユネスコから世界文化遺産にも登録されている、傷つけることの許されぬ大聖堂が存在する。

 ならば、地中の施設に対し、運河から引いた大量の水を流し込む水攻作戦――却下。施設の各階層に設置された、水位に反応して開閉する排水機構の存在。そして結社構成員、水を無尽蔵に吸収・放出する異能者「〝海割り〟のモゼス」の在籍により、戦果期待できず。

 ――上記理由と、幹部数名ほどは生かしたまま身柄を拘束しろという上からの命令。それらを鑑みてドラコフの取った選択が、此度の精鋭一個中隊による大規模突入作戦であり、オペレーションの進行度も既に佳境へと差し掛かっていた。

 通常の掃討戦であれば、戦意喪失した敵軍を追滅するのは、想像するよりもずっと容易い作業――例えるなら、ひっくり返した岩の裏にわらわらとへばりつく、虫の子たちを散らすようなもの。だが今回のような敵――狂信者どもが相手と限っては、そうも単純な話ではなくなる。投降の生よりも、特攻の死を嬉々として選ぶような連中に対し、自分達と同じ思考や倫理観を期待してはならない。たとえ少なくない数の駒を失うことになっても、念入りに、虱潰しに、敵残存兵力を殲滅していくことが肝要となり、それが、後々の禍根――報復者の誕生や、生き残りによる組織の再興――を断つことにもつながる。


「重要な幹部連中と敵戦力が一つ所に集まっているこのタイミングを叩けるのは、おそらく最初で最後のチャンス。なんとしても根絶やしにするのだ」


 諜報部から入ってきている情報によれば、四月に控えている結社の〝復活祭〟なる儀礼――そこでは、相当人数を要する大掛かりな礼拝と、多数の異なる再生能力者リジェネーターたちによる異能を複合、増幅させ、大規模な〈死者蘇生〉の儀式が試行されるらしい、とある。人材を失った組織を立て直すためもあるのだろう。何があっても阻止すべき馬鹿げた計画であると同時に、運行準備のために人員のかき集められた今この時期こそが、結社潰滅における千載一遇の好機なのだ。

 やはり、あの国――「ヒノモト」の特警から提供されたデータが役に立ったな――と、ドラコフは思う。

 以前、ヒノモトの特殊警察が捕らえた重要人物――国際手配犯でもあり結社実動部隊『十二使徒』の実質的リーダーでもある男――遊夛ユタから聞き出した機密事項、そして、そのリークをもとに彼ら特警お抱えのハッカーが集めてきたという更なる情報を、帝國政府と異端審問部隊の上層部は、密かに受け取っていたのだ。

 件のデータファイルには、幹部や構成員の情報、教団の計画進行のレポート等だけにとどまらず、《十字背負う者達の結社》に対する資金援助や政治的なサポートを行う企業と政治家政党、宗教法人など、ありとあらゆる情報が網羅されていた。

「(辺鄙な島国の警察とはいえ、なかなか馬鹿には出来ないものだ――)」

 もちろん、強力な異能者であり、結社内の実力者でもある遊夛の身柄を奪われた事は痛手だったが、ただでさえ無国籍化の進んだこの世界、未だ〝近代鎖国〟の名残と影響も色濃いヒノモト政府を相手に、形骸だけに成り下がってしまった治外法権も国際犯罪法も適用させることは困難だ。特に《十字背負う者達の結社》の上位構成員達は皆、国籍を抹消されており、結社の揺籃ようらんで生まれ来る者たちもまた最初から国籍を持たないとなれば、尚のことである。当然、強制送還措置、国際刑事裁判なども不可能。また、先の大戦より戦勝国としてヒノモトの背後に控え、国際情勢を傀儡の如く操るかの国――米大べいたいを引っ張り出してきてしまっても厄介である。本来、強大かつ希少な能力を持つ異能者の取り扱いに関しては、国家間での研究や利権がキナ臭く絡んでくるものだが、ここはギブアンドテイクと言ったところで手を打つべきだろう。


「(……そう、そんな事は。そんな事はどうでもいいのだ……。私にとって、すべて、戦いこそが――――)」


 もとよりドラコフにとって、その手を血で汚すことも知らぬ微温湯ぬるまゆの権能者どもなど、唾棄すべき侮蔑の対象。当然、彼らが贅肉の付いた尻で椅子をぬくめながら行っている、御託の並べ合い――利権の争奪戦に関しても、埃一片の興味すら持ち合わせてはいなかった。

「首尾も上々、作戦進行上の問題もない。別働隊には、そのまま地上付近にまで隊を戻し、各出口を固めるよう伝達。ネズミ一匹逃がさないよう、しっかり見張っていろとな」

 ――そんなドラコフに対し、副官の女性は自信と誇りの表情を見せ、言った。

「敵も手強いですが、我々とて少将御自らが育て上げられた優秀な兵士であります。勝利は当然の成り行きでありましょう」

 〝少将〟――と呼ばれ、ドラコフは少しだけ顔を曇らせる。

「その呼び方はよせ。私はもう軍人将校ではないのだから」

 そう、己はもう純粋な軍人ではない――。

 位の高い将校は、なかなか自らが最前線に出ることが出来ない。人の死に直接、触れられない。

 だからこそ、退役後わざわざ、軍の誉栄職と莫大な褒章を蹴ってまで、彼は熱烈に志願したのだ。一大軍閥を築けるほどの多大な権力と、金満に私腹を肥やせるポストにも、一切目もくれず。この特殊な軍事警察機構における対異能戦闘殲滅部隊――遥か昔より人外の者達と血で血を洗う闘争の歴史を刻んできた、『帝政直属異端審問部隊』を。

 血と硝煙にまみれた過去を懐かしみながら、ドラコフは今再び、こうやって〝戦場〟に立てていることを、歓喜さえしていた。もし彼がクルス教徒であれば、天の神に感謝の祈りでも捧げているところだったろう。

 だが、その闘争の悦びを解き放つべくは、今ではない。まだだ。――まだ、熱く疼く血管と、心の臓の高鳴りを理性で抑えながら、ドラコフは指揮官プロに徹する。

「――そんなことよりも、だ。今現在、最重要リストに入っている対象たちのうちで死亡、もしくは捕虜となった者は、何名確認出来ている」

「は。投降してきた大司教と枢機卿を一名ずつ捕虜に。射殺を確認できているのは、幹部以上では枢機卿二名、大司教三名、参謀『東方三賢者』の三名、そして司教連から十四名。それ以下では、特記異能戦力ネームド『〝百人長〟コルネリウス』『〝取り成し人〟バルナバ』『〝徴税者〟ザァカイ』『〝裁き〟のギデオン』『〝免罪符〟ヨハン』他、能力持ちの戦闘司祭が二十八名―――――流石に本拠地に襲撃を掛けた甲斐があり、多大な戦果であります」

「……死んだ司祭どもの中に、『〝鍛冶屋〟トバルカイン』、もしくは『十二使徒』のメンバーはいたか?」

「いえ、それは、まだ……」

「フン。もっとも厄介な者達は未だ仕留めきれていない、か……」

 『十二使徒』――幼少の頃より異能を開花させた者を集め、狂信的な戦闘機械として育て上げられた、武装司祭集団。彼らの強さと信仰心、そして危険度は、一般の信徒どもとは次元が異なる。

 先日、地上で取り逃がした四人の使徒が、この本拠地に逃げ込んだという情報もある。おそらく、この掃討作戦で失われた大勢の部下も、半数以上はその使徒達によってもたらされた被害だろう。

 ドラコフも、先の戦闘で、率いていた一個中隊が全滅する憂き目に遭っていた。そのとき、司祭、信徒らの遣う異常極まりないわざを、彼は見た。

 特に『十二使徒』のうちの一人は、明らかに〝区画間消失級ブロックバスター・クラス〟に値する能力――『聖典』の文句を唱えるだけで、まるで天変地異のような超常現象を引き起こす異能ちからを持っていた。落雷と地震で高層建築物は須く瓦解し、水流や地割れによって半数近い隊員たちが一掃され、残りの半数は天上から差し込んだ閃光とともに物言わぬ塩の柱に変えられ、砕け散った。まるで神の怒りの具現、悪い夢でも見ているかのようだった。


「(しかし、それでこそ倒し甲斐が、殺し甲斐があるというもの――。

 いつかのように、また私を愉しませてくれるか? おぞましい、モンスターどもめが……)」


 ドラコフは、軍人時代に行った、かつての「ゲーム」を――血潮の沸き立つ闘いの数々を思い出す。

 前線に立てぬ鬱憤と欲求不満を晴らすため、自ら買って出ていた。衆人環視の中で行われる、捕虜や反逆者の処刑である。

 ルールは単純にして明快。第三者の手出しできない鉄檻の中で一対一、ドラコフと相手はお互い己の身一つ、ナイフ一本と拳銃一挺を持たされ、フェアな条件の下殺し合う――――。

 部下の兵士たちは、古のコロセウムの観戦者さながらに熱狂し、また同時に、自分達を率いるこの少将の強さと残虐性に恐れ戦き、心酔した。兵士間で一大娯楽となったこの「処刑遊戯デスゲーム」の観戦権チケットは、金品や軍票、配給品にごくたまに紛れ込むレアなチョコレート菓子などで取引され、あまつさえ血の気の多い連中が腕ずくの決闘で奪い合う始末だった。

 だが、そんな誰よりも、そして何よりも、この血みどろの遊戯を楽しみにしていたのは、他ならぬドラコフ少将本人だった。彼の顔や躰には、それらの戦いで負った幾つもの傷が、勲章のように誇らしく輝かしく、生々しく残されている。

 その幾多の闘いの中でも、彼をギリギリの一線まで追い込み、これ以上ないスリルと愉悦をもたらしてくれた相手こそが、他ならぬ『異能者』達だった。

 戦場の、究極とも言えるストレスと危機的状況下を切り抜けてきた生存体。彼らの中には、様々な要因から異能を発現させた者も殊の外多く存在した。敵にも、味方にも。捕虜にせよ反逆者にせよ、異能者達の持つ面白おかしい特殊能力、そして鋭敏化された戦闘本能は、ドラコフを存分愉しませるに足る代物だった。

 だが、それと同時に、当時の陸軍少将はこうも思った――。

 この異端どもはおそらく、飽和状態となった人類から湧いて出た「膿み」だ。歪な成長を続けた末あちこち裂けた骨肉から、止め処なく流れる膿汁。傷を傷で返すことで歴史を重ねてきた我々の創部を汚す、雑菌ども。いずれ自分達人間にとっての害悪となるは必至。可及的速やかに排除しなくてはならない脅威である――――と。


「(だからこそ今、自分は、ここにいる――――帝政直属異端審問部隊の隊長として)」


 殊更、それが宗教的思考に精神を支配され、そのうえ徹底的な戦闘訓練を受けてきた異能者となると、その危険度は言うにも及ばず。もはや存在をゆるされるべき者たちではない。一刻も早く、狩り殺さなくてはならない。

 ドラコフたち一行は奥へ奥へと突き進み、敵勢が立て籠もっている、最奥の地下墓地前へと到達した。扉の前を守っていた信徒たちは、既に先遣隊により完全に排除されている。あとは、指揮官による突入の合図を待つばかりである。

「……少将!」

「少将殿!!」

「命令を!」

「今すぐオーダーを!!」

 熱に浮かされたような目をした隊員達から、口々に声が上げる。

 その狂信的な部下たちを見て、隊長ドラコフ・レングランは、誇らしげに口の端を吊り上げた。

 本当に、良く出来た戦闘マシーンどもだ。

 いいだろう、御褒美だ。号令オーダーが欲しくば、くれてやる――。


「――聴け諸君!!」


 ――興奮していたはずの兵隊達が、指揮官の声に傾聴すべく、一斉に静まり返った。

 彼らの指揮官は、澱むことなく続ける。


「――我々はここへ辿り着くまでに多くの同志を失った。

 だが、戦友達の流した血は、ただの一滴たりとも無駄にはならない。

 何故ならその血河は我等を勝利へと導く道標であり、積み上げられた屍肉はその上に建つべき平和のいしずえであるからだ!!

 だからこそ私は! これだけの犠牲を重ねたうえで、なお! 敢えて言おう! 貴様らに『死ね』と! 『命を捨てろ』と!! それこそが我々の使命、兵士の役目であり、そして誇りであると……ッ!!」


 サー! イェッサー!! 突撃銃を構えた隊員たちが、声を揃えて敬礼する。


「武器を取れ! 確乎たる殺意と強固なる覚悟を以て引き金を引け! 死ね! たった今、お前達は死んだのだ! 自己を殺せ、公僕ども! 己を殺し――そして死んでも敵をれ!!」


 サー!! イェッサー!!! 隊員達は、先ほどより、ひと際大きな声で、最敬礼する。


「――闘いが怖い者、死ぬのが怖い者、一歩でも引き退がりたいと思った者は、今すぐ前に出ろ! 私が今ここ、この手で、その軟弱な首の根をへし折ってやる!!」

 彼が弁舌ともに振り下ろした裏拳で、石の壁が砕け、こぶし大の穴が開いた。がらりと崩れ落ちる瓦礫に、その場にいた全員が、息を飲んだ。


「臆してはならない……!

 退いてはならない……!!

 神話を思えッ!! 自ら『死』に飛び込み、それを乗り越えた、超越者だけが英雄と呼ばれることを……!

 これは決まり事なのだ! 古来より、化け物は英雄によって駆逐されてきた!

 なれば今この時とて同じ! 敵は醜い化け物であり、諸兄等は祝福された英雄に他ならない!

 を滅し、国を、民を護る! 個々ではない! 今や我々全体が、ひとつの英雄的概念として機能している!

 故に!! ここで死ねばそれ即ち英霊!! 生きて帰っても蓋世の英雄である!!!

 分かるか!? 確約されているのだッ! どう転ぼうとも、栄誉は……ッ!!

 だからこそ、心せねばならない――正義は我々にあると!! そして正義とは、英雄と呼ばれるべき者だけに許された純粋なる暴力パワーであり、それを躊躇うことなく行使するための、鋼の意志であるとッ!!

 忘れるな――! 貴様らにはそのパワーを存分に振るう権利が――そして振るわなければならない、義務があるッッ!!」


 ドラコフは、演説を畳み掛けるため、「すぅ」と深く吸い込んだ。

 ――戦狂いの血が、騒ぐ。


「――さあ、待ちかねただろう!? 戦闘だ!!!!

 制圧せよ、撃滅せよ、鏖殺せよ、蹂躙せよ! 帝政に仇成す愚か者ども、完膚なきまでに叩き殺してやれ! 横たわった奴らの躯を、頭蓋を、はらわたを、轟く軍靴で踏み砕くのだ!!

 自己おのれを殺した、公僕ども! 覚悟を持って死人しびととなった貴様等とて、テロリストどもを前にタダで死んでくれてやる気は毛頭無いのだろうッ!!

 この日のために磨き上げた、黒光りする突撃銃イチモツは何のためにある!?

 そいつをしごいて、イカレた宗教狂いどもを鉛玉でファックしろ!!

 ソドム・ゴモラを滅ぼした礫弾嵐の如く! やつらを連なり貫くのは、貴様等のソレに込められた被覆鋼弾だ! その天罰の如き苛烈さに、ヤツらはこの世に産まれてきたことさえ、後悔する――!!

 そして堕ちる先は、いいかッ!! 一人と残らず叩き堕としてやれッッ―――死んだことさえも後悔するような、ウジ虫まみれのクソ地獄にッッ!!!!!!」


「サーッ!!! イェッサーッ!!!!」

 全隊一致の敬礼。軍靴の固い踵をぶつけ合う音が、揃って響く。今、地下奥深く――聖戦を前にした鬨の声が上がった。


「(……うむ)」

 将は満足そうに頷く。

 この部隊は、兵士たちは、ドラコフにとって、間違いなく生涯最高の傑作だった。彼は、指揮官としての揺るぎない自信と矜持を以て、殺戮の開幕を告げる。


「総員、突入準備。これより、本作戦『オペレーション〝ディエス・イレ〟』の最終フェイズに移行する――」



 †


 『レクイエム』――“Dies iraeディエス・イレ”。怒りの日、奇しきラッパの響き。

 黙示録の災厄、苦しみの炎に焼かれ、群蝗いなごの毒に侵されながら、民々は最後の審判を待つ。


 ――異端審問部隊に追い詰められた教団残党は、『ゲヘナ』の最も奥深く、地下墓堂までの後退を余儀なくされていた。

 そこは地下に建設された広大なドーム状の空間であり、天井も異様に高い。主に、殉教者たちの躯の安置や土葬を行っているエリア。まさに、教団内で「最も地獄に近い場所」と言えた。

 敵部隊によって主電源を落とされているため、たくさんのかがり火が焚かれ、松明たいまつの明かりが晦冥を退けている。原始的な炎によって、死体や墓、大勢の信徒達が赤く照らされ、土壁に黒の影が大きく揺らめき踊るその光景には、何か、ヒトの根源的恐怖に訴えかけてくるようなおどろおどろしさがあった。

 特殊部隊の猛攻から逃れ、この大墓堂まで辿り着けたのは、信徒、司祭、幹部連中を含め、おおよそ三百人。特に、力の弱い女子供や老人、非戦闘員から、真っ先に撃ち殺されていった。三千人からいた常在構成員は今や、約十分の一まで減らされてしまった計算になる。

 最後の砦であった、墓堂を守る頑強な鉄門扉――それすらも指向性爆薬によって破られ、いよいよ敵部隊の突入を許してしまっている。掃討作戦の段取りも、ここにきて大詰めだ。

 弾丸が飛び交い、双方の戦闘員が塵芥のように命を散らし、斃れていく。だが、どちら側が押されているのか、損害比率キルレシオは一目瞭然――完璧なチームワークと高性能な銃火器を併せ持った異端審問部隊を前に、装備もまばらで分隊規模の指揮者すら存在しない信徒・司祭たちが敵うはずもなく。現在の戦況からして、あと数時間も経たずに、半ば狂乱状態のうち結社アジトが陥落するであろうことは、誰がどう見ても明らかだった。

 信徒達も皆、そのことが分かっているのだろう――覚悟を決めた顔をして、幹部を守るように陣形を組んでいる。

 両陣入り乱れる混戦の最中さなか、自ら先陣を切る異端審問隊長ドラコフ――彼は敵勢吶喊の波間を縫うよう進みながら、手に持った銃剣付きのアサルトライフルで、一人、また一人と、粛々と流れ作業じみて信徒達を刺突き殺していく。銃弾や剣戟に対して晒す身体面積を最小に考慮しながら、きびきびと回避行動を取りつつ進む、身のこなし。避けていると言うよりはまるで、当たらない角度や場所が最初から分かっているかのような、迷いのない歩み。その体捌きと足取りは、彼が長年の経験と統計を重ねたうえでの、戦闘におけるリスク・コントロールの達人であることを、如実に物語っていた。

 すれ違いざま、信徒どもの首筋や心臓に銃剣バヨネットがさくさくと突き立てられ、彼らは驚く暇もなく、半ば呆気に取られた表情で、次々と血を噴き散らしながら、死んでいく。

 しかし、仲間の死を、敵の圧倒的戦力を、間近で見せつけられて尚、狂信者たちの戦意は微塵も揺らぐことはなく。

「おのれ……!!」

「悪魔めっ!!」

「うおおッ!!」

 雄叫びを上げながら、襲い掛かってくる。

 ――ドラコフはそんな信者たちの蛮勇に対し、両腕を広げ、狂喜した。

「……フハ、フハハハ! それでこそ異端者ッ! これこそが戦争よッ!!」

 先頭切って駆けてきた二人に挟まれ、双方より横薙ぎと袈裟懸けの剣撃が襲い来る。ドラコフは横一閃の薙ぎを、屈みの低姿勢で転身しつつ躱し、もう一方から袈裟懸けが振り下ろされてきたのを、振り向きざまライフルの銃床ストックで打ち上げ、銃身を絡ませるように巻き上げる。剣が手から離れ宙を舞ったかと思うと、バトンの如く器用に回転させられたドラコフのライフルから喉元に銃剣を突き込まれ、信徒は絶命。そのまま転身をやめることなく刃を引き抜き、もう一人が横薙ぎの剣から切って返しの斬撃を繰り出そうとするところへ向き直って、銃床で足首を引き掛け倒す。転倒した相手に、心臓と頸動脈に一回ずつ、素早く念入りに、銃剣で突き殺す。二名撃破。迎撃開始からこの間、約一秒にも満たない。あとに続いてきた三名の信徒も、射程約四メートル以内のうちにライフルの短連射でそれぞれ殺害。五名撃破。弾切れのため、マグチェンジを実行するが、さらに後続の敵一名、迫ってくる。ドラコフはリロードが間に合わないと判断。信徒めがけて、弾倉マガジンを取り外したライフルごと、槍投げのごとく銃剣を投げ付ける。投擲された刃は顎部から脳幹を通すように命中。即死。休む間もなく背後から更なる敵が斬り掛かってくるが、ドラコフは銃身から抜き取っておいた空のマガジンを左手から右手へ持ち替え、逆手持ちに。バナナマガジンの湾曲した形状を利用し、斬撃を受け流す。マガジンはそのまま刀身を辿って持ち手の手元まで登り、諸手持ちだった柄と手首どうしの間に差し込まれ、てこの原理で、剣をねじり落とす。ドラコフは用済みになったマガジンを敵の口へと突っ込み、さらに掌底を加えて、奥まで押し込み、相手の気道と頸椎を潰す。そのうえで、敵の落とした剣を拾って確実なとどめを刺した。七名撃破。加えて起き上がりざま、二人の信徒を軍用サーベルの技法で斬殺。九名撃破。斬撃と同時にタクティカルベストから新たなライフル用弾倉を取り出す。ドラコフは先ほど信者に向かってライフルを投げつけた方向に――離れた位置から銃を持って展開している敵勢を一瞥。くん、と逆手に回した長剣を上から垂らすように正中線の前に置いて構え、剣の腹を相手側に向けながら、突進する。

 諸刃の西洋剣独特のフラーと峰からブレードまで両側にかかる傾斜を利用し、弾丸を受け流す。複数の射線に身を晒しながらも、ドラコフはほとんど無傷のうち接近に成功。まずは拳銃を持っていた信徒の手首より先を「ズバ」と斬り落とし、続けての剣閃が信徒に死を悟らせる暇も与えず、その喉笛を裂く。十名撃破。隣では厳かな礼装のマスケット銃を持ったもう一人がこちらに狙いを定めようとしていたが、接近戦に不利な長い銃身は剣撃で退け払われ、銃口より遥か内側までドラコフを招き入れてしまう。胴体を貫通するほど深く刺し込まれる長剣。背骨を断ち、臓物が掻き回され、致命傷が与えられた。十一名撃破。刺さった剣を抜くか否か――ドラコフは逡巡することすらなく柄を手放し、別の信徒が古い中折れ式リボルバーで自分を狙っている目の前まで、残像の霞むような一足飛びに転がり込んだ。ドラコフが片手に持っている三十発装弾のライフルマガジンは、長さ十六センチ以上。その長さを利用して相手の手首を引っ掛け、腕を掴んだかと思うと、合気道の「一教」じみた動きで敵の躰を倒し、引き回し、地にねじ伏せる。これはヒノモトの十手ジッテ持ちなどが使う、短棒における捕り物の技術スキルにも近い。その固め技と同時に、極め上げられた手首に握られる敵のリボルバー拳銃の上から、かぶせるように自分の指を引き金に掛け、技を掛けたままの体勢で、三発――横撃ちのダブルタップで一人、もう一人は一撃で脳天に、今まさにドラコフに襲い掛からんとしていた信徒が二人、銃弾に倒れた。ドラコフは完全にリボルバーを奪い上げると、残った全弾、自分の下に組み伏せていたの後頭部に叩き込んで、捨てるリリース。これで、計十四名、撃破。足元には、さらに別の死体――先ほど投擲した自分の銃剣付きライフルが、死人かれの頭部に突き刺さったままの状態でドラコフに拾われるのを待っている。素早く拾い上げ、先ほどから手に持っていたマガジンを、手際よく装填し直リロードした。

 その正確で計算し尽くされた敵将校の動きに、信徒達はここにきてようやく、遅すぎた恐怖と不気味さを覚える。

 接近、回避、射撃、肉弾、装填、換装、鹵獲。すべての技法が、他の有象無象とは一線も二線も画す、異次元の高度さ――。

「フハハ! どうした!? 温い! 温いな――!! 露助の親衛空挺師団スペツナズやクソ英米の攻撃機ヤーボはこんなものでは無かったぞ!!」

 ドラコフは片時も止まることなく、敵の攻撃を全て計画的に躱しながら、ライフルの銃床ストックで、相手の首や脇下、股下を巧みに掬い倒していく。敵を転がしてしまえば、あとは速やかに、踏み付け、銃殺、刺殺――どうとでも料理できた。

 続々襲い掛かってくる信者達も、何をされたのかも分からないうちに武器を奪われ、投げられ、あるいは手首や肘の関節を極められたかと思うと、次の瞬間には、奪われた自分の武器でとどめを刺され、返り討ちに遭っている。まるで流れるように、それでいて機械的な動作――。

 この元陸軍将校の使う、不気味なほど一切無駄の無い、不思議な動き――それはソ連に伝わる軍隊格闘「システマ」によるもの。「システマ」は連邦の伝統武術を元にし、戦場での使用を想定したうえで、近代戦闘における格闘概念により改良を重ねられた、軍隊格闘術のすいである。

 ドラコフの遣う「システマ」は幼少時代、彼と同じく陸軍将校だった祖父が大戦時代に捕らえてきた、ソ連出身の捕虜から教わり授かったものだ。幼いドラコフは八年間この捕虜から「システマ」を師事し、これを極めている。ドラコフの師匠でもあったその捕虜は、をドラコフに伝授し、やがて用済みとなったあと、己の教えたの実験台となり、戦闘者として――否、再起不能になった。そして最終的にはドラコフが祖父と父に教わりながら行うたどたどしい拷問術の練習台にされ、洗いざらいの情報を吐きだし、死んだ――。

 これが、ドラコフが齢にして十五になる頃の話だった。彼が指揮官ながらずば抜けた戦闘能力と冷酷さを有しているバックボーンは、これら幼少時の体験にこそあった。


「さぁ、――どこにも無いのだ! イカれテロリストどもの逃げ場は! 今こそ蹴散らし! 踏み潰し! くびり殺せ! 我ら帝國直属・異端審問部隊の勝利はもはや、完全に約束されているッッ!!」


 将の戦いぶりに、その苛烈さに、兵たちの士気はさらなる高揚を。

 ドラコフの号令に従って、隊員たちが更なる前進へと繰り出した、その時。

 突撃する部隊の前に打って出る、黒い影――――。瞬間、鉄の棒のような何かが数度翻り、一瞬のうちに数人の隊員が打ちたおされていた。


「――神意に背を向く愚か者、ども。ちり灰にすぎぬお前たちが。ちり灰にすぎぬ私たちが。我ら何を足掻こうとも、主の怒りとさだめは変わらぬことと、知れ」


 黒い闖入者――使徒アンドレが、ドラコフらの前に立ちはだかる。ここに辿り着くまで幾多の戦闘を繰り広げたのか、その姿は血に染まっており、特に、頭部と胸部からは多量の流血あとが見られた。

 武装した黒衣の使徒は、身の丈を超す二本の黒い鉄棍を、交差させるように背負っている。そして、手に持った手榴弾が一つ。

 その手榴弾は、最新式の物ではない古いデザイン――投擲用の柄の付いた「スティックグレネード」と呼ばれるタイプのもの。

 アンドレは、起爆ピンの抜かれた柄付手榴弾ポテトマッシャ―を、ジャグラーがバトンを弄ぶように「ぽん」と、上に軽く放り上げた。

 再び落ちてきたそれをキャッチすると、

 ぽんっ……。

 もう一度、同じように放り上げる。

 すると、「二つ」だった手榴弾は、空中で「四つ」になった。

 落ちてきた手榴弾を全て掴み取り、アンドレはそれらをジャグリングのように両手間で輪転まわしながら、次々と敵に投げつける。

 ――――奇術の如く、いくら投げても尽きることのない手榴弾。それはまるで、手の内から無限に湧いて出ているかのようだった。


 “主の思召しは尽きること無く”――プロパゲイト・サクラメントゥム。


 ――アンドレは、自らが用いる〝秘跡〟を、そう呼んでいた。




(【Ω】へ続く――)

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