『蟹地獄』【畜】






「だはははははは!!」

「ブハハハハハっ!!」


 ――対面でソファーに腰掛けながら、ローテーブルをはさんで爆笑している二人。王先輩と、アフターダーク・セキュリティ社長、ハリヴァ=ロトワール氏。

 ハリヴァさんは、薄鈍うすにびの銀髪にぱっちりとしたアーモンドアイと、奇麗な翡翠色の虹彩が目を引く好青年だった。


「いやぁー、もうね! ビックリしたのってなんのって! いきなりポントー振り回してくるようなヤツ、師匠くらいしか見たことないよ、っていうね!」

「それを言うなら、オレもだぜ? まさかあんちゃんみたいな強えヤツが、こんなところで何でも屋やってるなんて、思いもしなかったよ」

 ハリヴァさんは今は裸ではなく、ちゃんと仕事用の黒スーツに身を包んでいる。先輩に折られかけた首は、ギプスを巻いて固定していた。全治3週間の怪我だそうだ。

 で、先輩のほうはといえば、胴体にコルセットを巻かれ、松葉杖をつき、こちらも同じく全治3週間。とてもじゃないけど、前線復帰は不可能だ。

 二人とも、この状態でよく笑ってられるものだと思う。っていうか怪我人どうし、なに仲良くなってるんだオイ。

 助手のイオ君はそんな二人を見て、「ハァ……」と深い溜め息を吐いていた。その佇まいからだけでも、苦労人のオーラがひしひしと伝わってくる。

 あの大立ち回りのあと、僕とイオ君は、先輩とハリヴァさんを病院に連れていき、それから二人だけで先に事務所に帰り、戦乱跡のようになった応接室の片付けに取り掛かったのだった。

 その際、イオ君からこの会社(と言っても、きちんと役所に起業申請しているのかも謎だけど)のことを、ある程度聞かせてもらった。

 どうやら、従業員は社長と助手含め、全員で二名(少なっ)。昼間は副業の『何でも屋』、夜は本業の『ボディーガード』として営業しているらしい。

 社名の《暮後警備くれあとけいび》というのは、ハリヴァさんの師匠の名字から取ったそうで、本業の依頼は夜からしか受け付けないのも、その師匠が「〝暮後〟警備だから、働くのは夜だけ!」などと言った、いい加減な理由で経営方針を決めた為らしい。「師匠は夜型人間だったし、どうせ昼間はサボりたいだけの口実だったろうけどね」なんて、ハリヴァさんは言っていた。

 もっとも、フリーランスのボディーガードなどと言えば聞こえはいいが、実際、雀の涙ほども儲からないらしく、本職のSPや大手のPMCプライベート・ミリタリー・カンパニー、もしくは正規の警備会社などに顧客を取られてしまっているのが現状とのことだ。そのため、仕方なく昼間の間は『何でも屋』などをやりながら、どうにか食いつないでいるらしい。

 あれだけ腕が立つのに護衛の仕事が入ってこないというのは、よほどPRが下手なのだろうか……まぁ、玄関の前に貼っていた貼り紙を見れば、大方予想もつくけれど。

 そんなこんなで、現在、時刻はもう夕方、病院から帰ってきた先輩たちを迎えて、全員が事務所に揃い、イオ君の淹れてくれたコーヒー(それもかなり美味しい)を飲みながら、みんなで談笑をしているところだった。

「しかし、勘違いして悪かったな。事務所の修理は調査のための経費で何とかなるからよ、迷惑料含めてきっちり払うし、心配しないでくれ」と先輩。

「あとから特警総本庁の経理部より正式な書類が届くので、そちらに付属された請求書に、必要事項と請求金額を記入して返送してくださったら大丈夫です」

 僕がそう付け足すと、ハリヴァさんは、目を丸くして驚いた。

「え? いいの!? なんか悪いなぁ……こんなの日常茶飯事だからさ、別に気にしなくていいのに」

 ……いや、あの大騒ぎが日常茶飯事って、どういうことですか。

 そう思って応接室の壁を見回してみると、確かに彼の言う通り、僕の撃ったものではない弾痕も、数多く穿ち込まれているようだった。

「逆恨みしたギャングとか、ワケの分からない変人連中とかがさ、週一くらいのペースでカチコミに来てさ、ほんといい迷惑なんだよ」

類友るいともってやつですね、きっと」とイオ君。

「アハハ……え? まぁ、あんたらも一瞬その類かと思ったけど、ギャングの鉄砲玉にしちゃ、やたらと強かったし……えっと、なんか特別な警察関係なんだって? それ聞いて納得したよ」

「ええ。本来は機密事項なんですけどね……」

 よく思うと、僕と先輩だって、『異能』やそれを取り巻く機関の存在を知らない一般人からしてみれば、充分に「ワケの分からない変人連中」と言えるかもしれない。しかし、こうやって改めて事務所の中を観察してみると、ハリヴァさんもかなり変人っぽいというか……インテリアを見ても、なにかと珍妙なものが多い。

 電話はいまどき黒電話だし、天井からぶら下がっているのはファンシーなお顔の描かれたサンドバッグの「ボニー君」だし(だって名前が、そう書いてある)。「我が家の一員だ」とハリヴァさんが自信満々に紹介してきたのだが、傷み具合を見るにボニー君、相当入念にどつき回され……もとい使い込まれているようだった。

 壁にはムサシ・ミヤモトによる水墨画の掛け軸や古い映画のポスター、ヌンチャクなどの武器類などが掛けられている。それに対して、シックなガラス棚には、レトロなブリキのおもちゃ、良くできたミニチュアの家具や楽器、そしてどこの土産モノとも知れない民芸品なんかが飾られていたりもした。

 玄関先に置いてあった、変わった形のコート掛けみたいな木製家具も、それは「木人樁もくじんとう」と言って、主に詠春拳の捌き打ちなどのトレーニングに使われる器具なのだと、先輩が教えてくれた。頑丈な石の土台に突き立てられた太い木柱から、低い位置高い位置とバラバラに突き出した棒が、人間の蹴りや突きを繰り出してくる様を模しているのだそうだ……なるほど。

 先輩は「珍しいなぁ。しかもよく手入れされてる」と、木幹を叩きながら感心していた。

 僕がそんな感じで物珍しそうに部屋の中を眺め回していると、イオ君が「変な部屋でしょう?」と苦笑いした。そしてその変な部屋の主であるハリヴァさんはといえば、僕がさきほどコンビニで買ってきた、少し高級志向なプリンを嬉しそうにスプーンで掬っては、美味しそうにパクついている最中だった。

「……いやぁ、それにしてもなんか、プリンまで買ってきてもらっちゃってさ、ワルイね。ちょうどあれが最後の一個だったもんだからさ、こちらこそあんなに怒っちゃって、悪かったよ」

 と、反省している仔犬のような上目遣いで言ったあとに、ちろっといたずらっぽく舌を出した。

 ……今でこそこんなふうにフレンドリーでフランクな雰囲気のハリヴァさんだが、気絶状態から目醒めた時の第一声が、


『よくもオレのプリンを撃ちやがったな――!!』


という鬼気迫る怒声だったのは、正直言ってビビった。

 どうやら、彼が戦闘中、僕に対して突如ブチギレたのも、無礼な殴り込みや、いきなり発砲されたことに対してではなく、彼が風呂上がりの楽しみに取っておいたプリンを、僕がリボルバーの大口径弾で粉々に破壊してしまったことに端を発しているらしかった。

 僕はその場に正座させられ、彼が三度の飯よりもプリンが好きなことと、そしていかにプリンを愛しているかを、延々と聞かされた。

「この人ヤバイ」と思った僕は慌てて、最寄りのコンビニで、高級スイーツっぽいプリンを買って来て、お詫びとして献上したわけだ。すると、バーサーカー状態だったハリヴァさんの機嫌は、嘘のように治まってしまったのである。

 あ、ちなみに裸でイオ君に襲い掛かっていたように見えたアレは、ただ風呂上がりのハリヴァさんが滑って転んで覆いかぶさっていただけの、ドッキリ☆ハプニングだったらしい。そこに運悪く飛び込んできたのが、僕たち間抜け刑事コンビだというわけだ。

 ――嗚呼、勘違い。

 普段の僕たち特警コンビなら絶対しないようなミスの連続に、正直言って、自分でも呆れ返っていた。

 でも、ひとつ気になるのが――。

「先輩……。例の住所、確かに番地はここで合ってましたよね。まさか、あの牧俊君の調べてくれた情報に、間違いがあったなんて……」

「ん? ああ、そう言えばそうなんだよなぁ……」

 先輩も、首をかしげた。

 すると、ハリヴァさんがソファから身を乗り出してきた。

「ちょっとその住所ってやつ、見せてくんない?」

 メモ貸して? というように、手を差し出してくる。

 本来なら、異能犯罪に関する捜査情報は一般人に対して極秘事項であり、公開することは出来ない決まりなのだけれど……さんざん迷惑をかけてしまった手前、断りづらい。それに、もしかしたら、この人に見せることによって、何か分かることがあるかもしれない。

 僕と先輩は、無言の意思疎通で頷き合い、その住所の書かれたメモを、ハリヴァさんに渡した。

「ああー、なるほど、やっぱりね。そんなこったろうと思ったよ」

 どうやらハリヴァさんは、一目で納得したようだった。

「紛らわしいからね、仕方ないよ。実際、郵便屋さんでさえ結構、間違えて届けちゃうことも多いからさ」

 そう言って、彼はメモを接客用のテーブルに置き、住所の書かれている箇所を指差した。

「ほら、ココ、ココ。『F町』の『F』のところ……右上に、黒いゴミみたいなのが付いてるだろ? 多分、インクがかすれちゃって分かりにくかったんだろうな」

 ん? どういうことだろう? 確かによく見てみれば、『F』という字のすぐ右上あたりに、ゴミか、インクの汚れのようなものが付着している。

「――いや、だからさ。この住所、すぐ隣町のことだよ」

「えっ?」

「似てるから、ホントややこしいんだ――『F町』と『F’町』」

「えっ?」


 エフ町と、エフダッシュ町ォ……?

 先輩も、「ハァ?」という顔をしていた。

 え? 「F町」って、そういう……え、何? なんか小説とかでよくある実在の地名を伏せるためのイニシャル的な演出とかじゃなかったの?

「おいカイン、メタ的発言は控えろよ」

「いや、先輩こそ地の文にツッコミ入れないでくださいよ」


 ――兎にも角にも。

 勘違いに次ぐ勘違い。

 もはや、100パーセント言い逃れも出来ず、申し訳も立たない。こちらサイドの、完全なポカだ。でも、こんなの絶対におかしいよ……何者かの作為さえ感じる。

 ひょっとして異能者の仕業か? マヌケ補正を付加する能力者からの攻撃でも受けているのだろうか?

 けれどもハリヴァさん、こちらのミスで大迷惑に巻き込まれてしまったにも関わらず、全く気にしていない様子だった。もっと怒ってもいいと思うんだけど……。

 それどころか、「どうせ場所も近いからさ。何なら明日くらいにオレが案内してやろうか?」などと言いだす始末だ。

 先輩も吞気なことに「おうおう、そりゃあいい! ちょうどオレは戦闘不能だからよ、このあんちゃんなら腕も立つし、是非一緒に付いてってもらえよ!」などと言っている。

 大丈夫かこの先輩? ブレーンバスターのとき、強烈に頭でも打ったんじゃないのか?


 まあ実際、東都に帰らない限り、沙帆ちゃんの治療も期待できないワケだから、すぐに戦線復帰できない有様の王先輩は、今回の調査ではもう完全に戦力外決定なワケなのだけど――――。


「……なんだか、お互い苦労してるみたいですね」

 イオ君が、同類相憐れむの視線で、コーヒーのお代わりを注いでくれた。

 そのコーヒーの温かさが、なぜだかすごく、心に沁みた――。







【蟹の手も借りたいほど危機】


 ――私が『蟹断ち』を始めてから、もう二年が経っただろうかという頃。

 甲殻類アレルギーを発症して以来、蟹を食すことも出来ず、彼らと触れ合う時でさえもビニール手袋を着用していなければいけないような生活を送ってきた。それは私にとって、苦行の如く、辛く厳しい道のりだった。

 それでも何とかギリギリのラインで正常な精神状態を保つことが出来たのは、やはり蟹を愛でることによって、少しでも辛い現実を忘れることが出来たからだろうと思う。

 そんな日々が続き、私も多少は、アレルギー症状と向き合いつつ蟹と共存する生活に慣れてきたところだった。それゆえに、油断してしまったのかもしれない。

 ――あれは、私がもう一人前の刑事としてやっていけるようになった頃、職場の忘年会として開かれた、飲み会でのことだった。

 高級料亭を貸し切った宴会会場で、浴衣にビール三昧の無礼講、飲めや歌えやの同僚たちが、冬場のカニ料理をさも美味そうに頬張っているのを、私は横目で妬ましく見つめていた。

 同僚たちは警察官という職業柄もあってか体育会系の人間が非常に多く、酔った彼らから勧められ、私も半ば無理やりに酒を飲まされていた。決して楽しいとは言えない付き合いではあったが、アルコールも回ってきたためか、私自身、いつもに比べて、それなりに浮かれていたのも事実といえば事実だった。

 しかし、酔ってはいても、アレルギーへの注意は怠れない。同僚たちも私の甲殻類アレルギーを知っているため、カニやエビなどの使われた料理を回してこなかったし、私自身、運ばれてくる皿に対しては、慎重に徹していた。――そのはずだったのだが。

「コレ、美味いっすよ!」

 そんなことを言う後輩に勧められ、私はつまみを一口食べたのだ。何か、ぶつ切りの赤身魚の刺身に和え物をした一品だったと思う。

 確かに、一口食べた時は、やたらと美味いつまみだと思った。というか、美味すぎる。私はそのつまみを肴に、勧められるがまま、酒を飲んだ。

 ――そして飲み過ぎると、まぁ、当然の生理現象だろう。もよおしてきた。私は小用を足すため、一人席を立ち、手洗いへと向かった。

 そのとき、廊下で、厨房から出てきた板前二人とすれ違った。彼らは何やら血相を変えながら、「厨房から活けガニが逃げ出した」「大変だ」「探さなくっちゃ」――などといった内容のことを口走っていた。

「ただでさえ間抜けな話なのに、客に聞かれてしまうなど、お粗末この上ない」と、私はその時点では、そう思っただけだった。

 ――しかし、最も間抜けでお粗末だったのは、どうやら私のようだったと、のちに思い知る。個別に洗面台の用意された広い個室トイレで小用を済ませたあと、私はようやく、躰の異変に気が付いたのだ――。

 洗面台の鏡に映った、自分の顔。

 ぶつぶつの発疹だらけ。まるで、ズワイガニの甲羅にカニビルの卵が付着しているかのように。

 そして、赤い。まるで、カニが茹でられると甲羅に含まれるアスタキサンチンが熱によってタンパク質と分離され、赤く変色していくかのように、顔が、顔が――――。

 気が付いたときには、もう遅い。そのあと私は、「痒い」と思う暇もなく、強烈な呼吸困難に見舞われた。

 今までに味わったこともないような、最大の苦しみだった。間違いない。アレルギーによる、アナフィラキシーショック。

 酔いのせいで、気づくのが遅れた。どうやら先ほど食べたつまみの一品……和え物の中に、隠し味としてカニミソが混ぜられていたらしい。――どうりで、美味かったはずだ。

 あまりにも強烈な発作で、たちまちトイレの床に昏倒した。その拍子に、浴衣の懐に忍ばせていた注射器と薬が、飛びだして床の上を転がっていく。

「しまった、まずい――……」

 あの薬が無いと――このまま、苦しみの末に、死ぬことになる。このような死は、水底で蟹に啄ばまれながら転生に思いを馳せる私の理想とは程遠い。

 しかし、無情にも、薬品や注射器は、掃除用具入れの隙間に転がっていき、中に入り込んでしまった。

「ヒュー、ヒュー」と荒い呼吸を吐きながら、私は用具入れを開けようとしたが、案の定、鍵が掛かっている。

 下の隙間から、手を差し込んで取ろうとしても、あと少しのところで、届かない――。

 ――なんと、間抜けな。

 頼む、誰でもいい、あそこにある薬を、注射器を、取ってくれ――。

 いくらそう願っても、同僚や、料亭の従業員が、このタイミングで都合よくトイレにやって来てくれるような幸運は、そうそう訪れるわけがない。


 嗚呼、もう駄目だ――――。


 いよいよ死を覚悟した、その時。

 私は、夢現ゆめうつつの判別も付かぬ心地の中、その『生き物』を幻視したのだった――――。



※3【カニビル】…海に住むヒルの一種で、魚類の体液を吸う。ズワイガニの甲羅に卵を産み付ける生態があるため、こう呼ばれる。蟹自体には危害を加えず、寄生もしないが、ズワイガニの甲羅が卵でイボイボだらけになっている光景は、どうにも見るに忍びない。







 ――僕たち特殊刑事の間抜けな殴り込みから、翌日。

 結局、僕とハリヴァさんは《アフターダーク・セキュリティ》の事務所に王先輩とイオ君を残し、一緒に『F’町』まで調査に赴くこととなった。

 ちなみに昨日の晩は、なんやかんやと話しているうちに、うやむやのままハリヴァさんの事務所に泊まることになり、晩御飯まで御馳走になってしまったという……。

 男所帯なだけに、ハリヴァさんもイオ君も、料理がとても上手かった(「何でも屋」だから何でも出来て当然だ、とか言っていたけど)。

 王先輩も手伝って、コルセットに松葉杖という重体スタイルながら厨房に立ち、見事な火鍋捌きでカニチャーハンを作っていた。そしてその味がまた絶品で、ハリヴァさんにもイオ君にも非常に好評だった。

 え? 僕? 僕はというと……何も手伝えないうえ、ただ待っているのが申し訳なかったので、せっせと部屋の掃除をしたり食材の買い出しに行ったりしてましたよ、ハイ。

 そんなこともあってか、一夜明けてすっかり打ち解けていた先輩とハリヴァさんは、あれだろうか、例の「殴り合った者どうしに芽生えるという友情」とかいうやつなのか、お互い「ワンの旦那」「ハリ坊」などと呼び合うような間柄になっていた。さらに先輩、イオ君とも仲良くなったようで、今も『留守番組』として事務所に残りながら、将棋やらオセロやらで遊んでいる(一体この町に何しに来たんだろうか、あの先輩は?)。

 ――で、僕たち『調査組』のほうはというと、現在ハリヴァさんの道案内で『F’町』に向かいつつ、商店街を突っ切っているところだった。

 ハリヴァさんはどうやら、街の住民からもそれなりに慕われているようで、道を歩いていると、よく、おじさんおばさん、子供たちからも声を掛けられる。

 もっとも、年配の方からは「ちゃんと働けよ」「平日からブラブラしやがって」などの小言が多かったし(あと、僕のことを「新しい助手でも雇ったのか?」と訊いてきた人もいた。非常に遺憾である)、子供たちに至っては、群がって腹パンやローキックを喰らわせてくるという、まるでテーマパークの着ぐるみ的扱いだった(そのリンチには、なぜか僕も巻き込まれた。非常に遺憾である)。

 いや、首のギプスを心配してくれる声も、あったにはあったのだけど、どうやらハリヴァさんはいつもどこかしら怪我をしているのが常らしく、「またやったのかよ」みたいな反応がほとんどだった。

「なんかもう、その首……うちの先輩がホント、すみませんでした」

 僕はとりあえず、謝っておく。

「痛ってて……ホントだよなぁ」と、彼はギプスの上から、首をさすった。

「オレなんかはさ、ほら。毎日首ブリッジとかで鍛えてるからいいけどさ。普通あんなにがっちり首極められたら、折れちゃうって。ねぇ?

 ……まあ、机の角に脳天からプロレス技バスター叩き落としといてオレが言うのも何だけどさ」

 ええ、確かに。それはそれは見事なブレーンバスターでした(いいモノ見せて頂きました……などと思っているのは内緒にしておこう)。

「だからさ、おあいこおあいこ!」

 と、歯茎を出して笑うハリヴァさんは、まるで小学五年生の男子のようだった。

「そんなことよりさ、アンタらの追ってる脱獄犯。確か――異能者って言うんだったっけ? そんな不思議な能力を持ったヤツらと、それ専門の警察機関があるなんて、初めて知ったよ」

 僕と先輩は相談して、ハリヴァさんにも包み隠さず、特警や異能者のことを話すことにしたのだ。

 昨日の戦闘を見ての通り、ハリヴァさんの腕は申し分ない。けれどもし、突然、異能者との戦闘が勃発した場合、彼らの持つ〝特殊な能力〟の存在を知らなければ、最悪の事態を招く可能性だってある。

 なるべく一般には情報を秘匿するよう努めている『異能者』や『特殊警察』の存在を教えてしまう事には少なからずのリスクがあったけど、協力を仰ぐ以上、仕方のないことだった。

 ただ――――

「まさかそんなにすんなりと信じてもらえるとは、思ってませんでしたけどね。……こんな怪しい二人組がいきなり事務所に突入してきた挙げ句、超能力者の犯罪だとかそれに対抗する秘密警察だとか突拍子もないこと言い出して、頭のネジ外れてるとか、アブない人だとかは思わなかったんです?」

 ……言ってて自分で悲しくなってくる。

「うーん……」と唸るハリヴァさん。

「いや、だってオレも知り合いに忍者とかいるし……。あと、仕事で集団ゾンビに襲われたり? それから何か悪の秘密軍事結社と戦ったり? 独裁国家大統領のガン=カタ使いと近所のスーパーでタイマン張ったり? したこともあるからさ……別に今さら秘密警察くらい、いてもいいかなと思って」

 えっと……何かそれは、一介の「何でも屋さん」が介入していいレベルの事件なのだろうか。僕が呆気にとられていると、ハリヴァさんはさらに続ける。

「それに、異能者?――かどうかは分からないんだけど、そう言う変なヤツら、俺も何度か、会ったことあるんだよ。研究に没頭するあまり歳をとるのを忘れちゃったマッドサイエンストとか、正体不明の黒フード不死身男とか。あと、幽霊っぽいヤツを肉弾戦でお祓い? したこともあったけなぁ」

「た、確かに前者二名は異能で説明のつくかもしれない現象ではありますけど……幽霊というのは、ちょっとさすがに……」

 何だか、こちらの言うことを信じてもらう以前に、この人の言ってることのほうが、にわかに信じがたくなってきたぞ?

 でも、僕より幾つか若いと思われる、何でも屋兼ボディーガードの青年は、相変わらず飄々とした様子で、こう言った。

「どうだろう? たとえばさ、アンタらの相手してる異能者たちの中でも、〝よくあるタイプ〟っていうのはいるんだろ? 『念動力』とか『テレパシー』とか、そういった、既に一般的にも存在が知られて、きっちりカテゴライズされた、世界中にも報告例があるような能力」

「ええ、まあ……」

「だったらオレたちがよく聞く〝幽霊〟ってやつもひょっとしたら、そういった〝よくあるタイプ〟の異能者の能力だったりする……なんてことは考えられないか? たとえば自分が死んだあとでも、思念のようなものを残すことが出来る能力、とか」

「あ、なるほど……」それは確かに、納得のいく考え方かもしれない。

 さらにハリヴァさんは、こうも続ける。

「仮説を立てるとしたら、それだけじゃない。ほら、心霊現象って執拗に〝ある一定の人物〟――言ってみたら、ホラー映画の被害者ポジションだな――の身の回りで起きることが多いじゃん? それってさ、実は被害者だと思われていた人物が異能者で、死者の残した強い思考や記憶を読み取ったり実体化させることができる能力を持っていたとしたら? その力を知らずに無自覚に発動させてしまった結果、制御できずに暴走した能力の犠牲になったり、周囲の人間まで巻き込んでしまった……なんて可能性だって考えられるワケで」

「ははぁ……。よくそんなにいろいろ考え付きますね……」

 僕は思わず感心してしまった。ハリヴァさんは少々照れくさそうに、

「あらゆる危険の可能性を考え尽くしてクライアントを守るのが、『身辺護衛』の仕事だからね」

 と言った。

「頭柔らかくして、いろんな観点からモノを見ないと。先入観は予断を生むし、それは予期せぬ展開が起こったとき、とっさの反応を鈍らせてしまうことにもつながる。特にカインさんたちみたいに、摩訶不思議な連中を相手にしてるとなると、尚更だと思うんだけどな」

「うん、その通りだと思う。固い頭だと、柔軟な対応は出来ない……。勉強になったよ、ハリヴァさん」

「そうかい? まぁ、みんなからもお前の頭は柔らかすぎてふにゃふにゃだって、よく言われるけどねッ、ヘヘッ///」

 ……いや、スラッシュまで付けて照れているところ申し訳ないが、多分それ、褒められてはいないんじゃないかな、と思う。

 なんて心の中でツッコんでいると、前を歩いていたハリヴァさんが足を止め、僕に向き直った。

「なんか、さん付けは照れ臭いからさ。ハリヴァでいいよ」

 少し恥ずかしそうに、手を差し出してくる。

 あ……そういえば、ちゃんとした挨拶も握手も、まだだったっけ。

「オーケー、ハリヴァ。俺はカイン。こっちも呼び捨てで構わない」僕はしっかり、その手を握り返した。

 僕は、知らない街で新しい友達が出来たようで、何だか、嬉しくなった。それから道中、二人で色んなを話した。


「さて、F’町、四番地の49……えっと、ここだな」

 ハリヴァは、住所のメモと、その建物を交互に見比べながら、足を止めた。

 ――表札も剝がされており、窓ガラスは割れ、庭は荒れ放題。表向きでは人の住んでいないことになっている、二階建ての古びた一軒家だった。

 僕たちはいよいよ、「本当の目的地」へと到着したのだ(本来なら、隣には王先輩がいるはずだったんだけど……)。

「敵の能力は〝鋏手男シザーハンズ〟といって、物や人体に触れるだけで、その部位を『切断』できる。こういったタイプの能力者との接近戦は非常に危険だ。もし戦闘を避けられなかった場合、銃を持ってる俺が率先して敵を仕留めるから、ハリヴァにはとにかく敵の逃走経路を塞ぐことと、そしてもし俺がやられてしまった時は、深追いせずに先輩に知らせて、最寄りの支部か東都本部から応援を呼んでもらうことを頼みたいと思ってる。……いいかな?」

「うぃ。任せてくれ」

 僕はリボルバー拳銃を、ハリヴァはスーツの袖に隠していた特殊警棒を取り出して、それぞれ武装した。

 足音を殺して、敷地内に足を踏み入れる。

 玄関のドアには、案の定、鍵は掛かっていなかった。開けてみると、ドアロックの金属部分は『切断』されてあった。断面がツルツルで、綺麗すぎる。金属用の糸鋸を使った形跡や、高熱バーナーで焼き切ったような焦げ目もない。ビンゴだ――――。

 僕とハリヴァは、こくり、と頷き合い、息を殺して屋内に侵入した。

 廊下を歩いてしばらくしたところで、何かの異臭が、強く鼻孔を衝いた。

「うっ――――!!」

 思わず、声が漏れ出る。

「何のニオイだ、これ……?」ハリヴァも鼻をつまんで顔をしかめている。

 明らかに生物の腐臭。そして、ほのかに混じるこの臭いは……磯の香り?

 一階の各部屋を隈なく探してみたが、特に異常は無い。生臭いその異臭は、どうやら廊下の突き当たり、階段のほうから漂って来ているらしかった。

「どうやら、異変は二階で起こっているようだけど……――」

 ――その時、


 カサカサッ。


 僕らの足元に、素早く動く影があった。

 ネズミか何かか――?

 そう思ってみてみると、それは――――


「え? カニ……?」


 ――――カニだった。

 近くに河川もないし、なんで、こんな所にカニが……?

「ああ。理由は分からないけど、最近、なぜか住宅地や高層マンションにまで、よくカニが出るようになったらしいんだ。水辺とか公園とかならともかく、不思議だよなぁ」とハリヴァ。

 その蟹は、僕たちと目が合うと、そそくさっとタンスの裏に潜り込み、姿を隠してしまった。

 ――はっきりとは言えないが、何かが不気味だ。嫌な予感を、感じる。


「――とにかく、只事じゃなさそうだ。ニオイのする方に……」

「……行ってみよう!」

「……やってみよう!」

 見事シンクロを果した僕とハリヴァは、暗黙の了解を交わしお互いの手をパッチンパッチンガチンガチンさせたあと、気をとりなおして階段に足をかけ、二階へと上がっていく。

 二階でも、ほとんどの部屋はドアが開けっぱなしになっていた。全ての部屋のそれぞれ、押入れの中、ベッドの下まで、隅々まで探していく。

 しかし、そのしらみつぶしも一向に功を成さず、いよいよ、残ったのは二階の一番奥の部屋だけとなった。

 階段から一番離れた間取りに位置するその部屋は、おそらく寝室だろう。

 昼間といえど、カーテンの閉め切られた屋内は薄暗く、少しばかり開いただけのドアの隙間からは、鮮明に部屋の中を覗うことはできない。それでも、家中に充満している腐臭と磯臭が、この部屋から漏れ出ていることだけは、ハッキリと分かった。


 カサカサ……。


 ドアの隙間から、蟹がまた一匹、這い出してきた――――。

 僕は覚悟を決め、ドアノブに手をかけた。ゆっくりと扉を全開にする。

 明らかに異質な、重くじっとりとした空気。噎せ返るような、腐敗臭。

 部屋の中央には――予想通りと言うべきか――人間の死体が、転がっていた。

 仰向けに横たわってピクリとも動かず、体表面のところどころがガスで膨れ上がり、腐り落ちている。……誰がどう見たって、死んでいる。

「うぷっ……」

 吐き気をこらえながら、死体に近付いていく。

 他殺死体を見るたびに吐きそうになる癖はいつまでたっても治らないけど、最近は大分我慢できるようにもなってきた。

 近付きながら、床の隅のほうにも何かが転がっているのを目端に捉えた。一瞬、ぎょっとした。その物体は、人間の手首だった。

 腐乱死体にはちゃんと両方の手が付いていることから、誰か、別人がここにいた可能性を示唆している。それにしても、違和感を覚えるほど、まっすぐ奇麗な切断面で斬り落とされていた。こんな芸当ができるのは、王先輩のような剣術の達人か、もしくは――。

 僕は、死体まで辿り着く。

 ――腐ってもなお個性を失わないその特徴的な骨格と顔つきには、見覚えがあった。そう、確かに写真で見た……。

「なぁ、オイ。あの死体って……」犯人に関する書類を事前に見せておいたためか、ハリヴァも当然、気付いたようだ。


「――うん。蟹澤だ……」

 と、僕は答える。


 ――〝鋏手男〟蟹澤 漁。

 彼は、死んで、腐って、放置されていた。


 注意深く、蟹澤の死体を観察する。

 腐敗の進行も酷く、どうやら死後、かなりの日数が経過しているらしい。

 そのせいか、どのような外傷があったのかも判別しづらくなっているが、よく観察してみたところ、どうも、腐敗以外の目立った損傷は見受けられない。


 ――ギチ…。


「あれ? 今、何か音が聴こえた……?」

 強烈な腐臭と、腐乱死体の壮絶な見た目に五感を刺激されていたせいか、聴覚がその小さな音を拾ってくれるまでに、時間がかかったようだ。


 ギチ…ギチ…。


 これは、床の軋む音だろうか。


 ギチギチ……ギチギチ……。


 いや、違う。

 その音は、蟹澤の、死体の中から、聴こえてくるようだ――。


「どうした……?」

 ハリヴァも、近くまでやってきて、横たわる蟹澤の死体を覗き込んだ。


「分からない。死体から、何か妙な音が聴こえる気がするんだ……」

 ――音がだんだん、強くなってくる。死んでいるはずの蟹澤の顔面が、もぞもぞと動く。


 ギチ…!! ギチギチ!! ギチギチ……!!


 次の瞬間――!!


 バッガァア。


 死体のあごが外れて、大口を開けた。

 その中から、這い出してきたのは――――――


 蟹。



 ぎちぎち……。

 ざわざわ……。

 ざりざり……。

 ずるずる……――。


 出てきた――。

 たくさんなんてもんじゃない。大量の、蟹の大群だ。グロ注意。

(あっ。そういえば、昨日の夜に食べたのって、カニチャーハn――――……)


「おボロッシャうゲロゲろゲロゲロォォォオおオオおお……!!!!!!!」


 ――大変景気よく、してしまつた。

 しかも、ちょうど僕の下で屈み込んで死体を観察していたハリヴァの頭の上から、滝のように。それはもう、ドボドボと。


「うわなにこれ…ゲロくさ……って、うっぎゃぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 うじゃうじゃ湧いてきた大漁のカニに驚いたのか、

 もしくは僕の吐き出した大量のカニチャーハンに驚いたのか。

 ハリヴァの発したホラー映画ばりの絶叫が、大音量で町内全体に響き渡った――。







(【人間道】へ輪廻まわる――)


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