『百鬼夜行』【捌】




【目目連】


 煙霞跡ゑんかあとなくして、

 むかしたれかすみし家のすみずみに目を多くもちしは、

 碁打ちのすみし跡ならんか


(――鳥山石燕『今昔百鬼拾遺/雨』)



『今昔百鬼拾遺』にある〈目目連〉という妖怪。それは打ち棄てられたあばら家の中に浮かび上がる、無数の〝眼〟だ。

 既に家主亡く。かつてそこに住んでいた碁打ちの念が、死後、壁崩れ、畳荒れ、柱朽ち果てようともそのままに残り、目玉となって壁や障子に姿を現したものなのだという。

 ――――壁に耳あり、障子に目あり。


 異能者【目目連】は、この妖怪の名を、自分にぴったりなあざなだと思っていた。

 幼少の頃より今まで、特異な体質のせいで随分と虐げられてきた彼は、気が付けば常に人間を「観察」するクセが付いていた。

 苛められたくない、殴られたくない、仲間外れにされたくない――そういった思いで、他人の行動を一挙手一投足まで盗み視て、時には物陰から覗いたりもした。

 必死に他のみんなに合わせようとしての行動だった。けれど、その甲斐も虚しく彼に向けられたのは、さらなる嫌悪と排斥の視線であり、結果何をしても余計に気味悪がられるだけに終わることに、彼は常に絶望してきた。

 ――だが、こうやって異能を得た今。

 あれほど心中深くに巣食い、自分を苦しめ続けてきた疎外感も、綺麗さっぱりと姿を消してしまった。代わりに、晴れ晴れとした全能感で満たされていた。

 この素晴らしい力は、人類の得ることができた新しい形態であり、進化の末だ。もともと優れた自分が、あんな低能種どもに合わせてやる必要などなかったのだと、彼は理解した。


「――Activation… “Encirclement observer”」


 【目目連】は自らの能力、〝監視者の結界エンサークルメント・オブザーバー〟を発動させる。

〈◉〉――――ヴィジョン。

 彼の異能は、赤い光を放つ目玉模様として、到るところに顕現する。

 自分の手で触れた場所に〈設置〉できるその目玉模様は、いわばデータ送信器のようなものだ。それら全てが【目目連】の視覚野と直結しており、目玉模様が視る光景を、彼は離れた場所からマルチチャンネルやデュアルディスプレイのように、自由に選んで受信することができた。

 つまり、【目目連】の異能を簡潔に説明するなら、「触れた場所に監視カメラを設置する能力」とでも言えばいいのだろうか。

 事前に入念な下仕込みをしておいたおかげで、今やこの山中は彼の〝結界〟となっている。木々や岩々、社、鳥居、祠、石燈籠――めぼしい物には全てマーキングしておいた。

 二週間近くもかけて少しずつ、山の中をぺたぺたと触れて回るのは地道で大変な作業だったが、そのおかげで、辺りは目玉だらけ。こうなれば、もはや相手は監視者の目によって包囲されたも同然だった。

 【目目連】は、脳に流れ込んでくる膨大な視覚映像データの中から検索をかけた。持ち前の集中力と情報処理能力で、一瞬にして標的を見つけ出す。


 ┏━━ 林間の参道を走り抜ける、三人組の刑事。

〈◉〉

 ┗━━ 大鳥居の近くで倒れている老刑事と、それを介抱する救護班。


 二つの映像が、鮮明に脳内に映し出される。


「カイン……ワン……スガワラ……そして、アケミツ――」


 【目目連】は囁くように小さな声で「――見つけた」と呟いた。




 ――刑事が三人並んで、林に囲まれた参道を駆け抜けている。

 砂利も敷かれていない、山肌そのままの広い道幅。その両端には古ぼけた石燈籠が延々と並んでおり、今や忘れ去られたそれらに灯が点ることもなく、不気味さと神秘的な雰囲気が混在して漂っている。

「完璧に見られてるな――」と王。

「ええ。そこらじゅうから視線を感じます――」とカイン。

「不気味っすよね――」と菅原。

 木の幹や、石燈籠、地面に埋め込まれた踏み石などに怪しく光る――目玉模様。まとわりつくような無数の視線は、明らかにそれらが放っているものだった。

 全速力で走りながら、ようやく大鳥居と、明満の姿が見えてくる。老刑事は全身血だらけといった有様で、木の根元に寄り掛かるようにして気を失っている。救護班らしき人員も、全員その傍に倒れていた。

「くそ、遅かったか……!」

 三人は、さらに足を速めて明満たちに近付こうとする。

 しかし、その進行を妨害するために、林の中から黒ずくめの異能者たちが飛び出してきた。

 ナマズ顔の男が、ぬるりと前に出る。

 【大鯰】――半径十数メートルほどの、超局所的な〈地震・地割れ〉を起こす能力。

 彼が両手で地面を殴り付けると、カインと王の足下が大きく揺れた。さらに、こぶしを叩きつけた箇所から〈地割れ〉が走って、二人を襲う。

 カインと王は飛び退いて避けるが、菅原は突然せり上がった地面に足をとられ、後ろに転倒してしまう。

 地表は所どころ隆起と陥没を繰り返す。その不安定で落差の激しい足場を飛び移るよう接近し、王は【大鯰】に唐竹の一太刀を浴びせる。敵は額から顎まで、ぱっくりと裂けて血が噴き出し、絶命した。

 カインも同じように移動しながら、銃撃で異能者を次々と撃ち抜いていく。一刻も早く、明満や救護班の者たちが無事なのか、確認したい。

 転んでいた菅原も跳ね起き、前を走る二人に続いて進もうとするが、タイミング悪く複数の異能者に囲まれ、足止めを喰らってしまう。そのうちの一人が、殴る蹴るの猛攻撃を仕掛けてくる。

 異能者の、殴りつけるこぶし、蹴りつける足――そういった身体の部位が、まるでストロボカメラのフラッシュのように、〈強烈な光〉を放つ。どうやらホタルのように躰の一部を発光させるのが、この男の能力らしい。

 暴力と同時に放たれる、その地味ながらも厭らしい目眩ましに、菅原は苦戦していた。

「フハハ! どうだ、これが俺の能力【鬼火】だ!! 仲間の邪魔にもなっちまうから今は光量を抑えているが、本気になれば全身をまばゆいばかりの光で覆い、失明級の光を出すことだって――……」

「うるさいっすよ」

 呆れた顔で、菅原が【鬼火】のおしゃべりを中断する。武道家相手に接近戦に持ち込んだことが、相手の運の尽きだった。

 菅原は相手の黒服の袖を掴み取り、目をつぶった。

 組み技――。こうなってしまえばもう、見えていようがいまいが関係ない。一本背負いで思いきり投げ捨てたあと、仰向けになった【鬼火】のみぞおちを踏み抜いて気絶させた。

 菅原は残った三人の異能者も、拳打と蹴り、投げ技であっという間に沈め、先行していたカインと王に追い付く。二人はもう、他の敵を片付け、明満のもとに辿り着いていた。

「――アケさん!! 大丈夫ですか!?」

 菅原は明満に特別懐いていたようだから、かなり心配していたらしい。

「大丈夫だ、ミチハルさんは何とか生きてる。しかし怪我はまだ確認してねえが、この出血量……危険な状態であることには変わりねえ」

 王は険しい顔をしながら、明満の躰の止血点を探し出し、その点穴ツボを突いて血止めを行う。

「残念ながら、救護班の皆さんは、もう……」全員の死亡確認を終えたカインが、首を横に振った。

 死んだ隊員たちは皆、膝の関節を砕かれ、喉元が、硬い物体をめり込ませた跡のようにくぼんでいる。それは先日櫓坂が異能者に襲われて負った怪我と酷似していた。

「そんな……」

 菅原が泣きそうな顔をしている。彼は明満の躰を担ぎ上げた。

「とにかく、早く山を下りるっすよ! すぐに支部の緊急医療室に運べば、アケさんはまだ間に合うかもしれない!」

「ああ」

「そうですね――」


 三人が動き出そうとしたその時、

「……みんな、大丈夫――か?」

 背後から、何者かが声をかけた。

 振り返ると、そこにはユリィ・スティフナズが立っている。

「ユリィ、お前無事だったのか! エミリア嬢ちゃんはどこなんだ!?」

 王が近寄って、ユリィの肩に手を置く。

「エミリアとは……はぐれた……突然、異能者が沢山……襲われて……」

 ユリィは目をあちこちに泳がせながら、弱々しく答える。

「とにかく、ユリィさんも一緒に――――」

 そう言って、ユリィのほうに一歩踏み出そうとしていたカインだったが、突然、何か直感めいたものが彼の全身を駆け巡った。

 違和感。

「先輩、ダメです!! 今すぐそいつから……」

 カインが叫ぼうとしたが、既に遅かった。殺人的な蹴りソバットが、王の左脇腹にめり込んでいる。

「づぉっ!!」

 それに続く、逆回りの上段後ろ廻し蹴り。

 王は、頭の右側――首と側頭部をかばうように、両腕を上げて防御した。それでも威力は殺しきれず、横倒しに蹴り倒される。

 そこからユリィは離れていたカインとの距離をあっという間に詰め、自分の脇の下に頭を潜り込ませるように体軸を回転させ、後ろ廻し蹴りのようなかかと落としを繰り出す。

 間一髪、腕を頭上で交叉し受け止めたカインだったが、ユリィの繰り出した大技は、さながら振り下ろされたまさかりのごとし。その威力凄まじく、ガクンと片膝を突いてしまう。

「なっ!? いきなり何を――」菅原は明満のぐったりとした躰を肩で支えたまま、動くことができず、狼狽している。

 カインがぐっと相手の足を押し返し、叫ぶ。

「菅原さん! あなたは先に山を下りて下さい!! こいつは俺と先輩でなんとかしますから……!!」

「なんとかって、一体――」

「敵ですよ!! 救護班の人たちも明満さんも、櫓坂隊長も、みんなこいつにやられたんです……!!」

 ユリィは「どうして、気が付いた?」と不思議そうに言った。

 カインは相手の足下を、そして視線を上げて全身を見ながら、答える。

「――お前はさっき大勢の敵に襲われたと言ったのに、全く怪我をしていない。それどころか、着ているコートも、汚れや破けている箇所さえない。けど、ブーツだけは返り血でべっとりと汚れている。無抵抗の相手を一方的に蹴り殺しでもしない限り、こんな極端な汚れ方はしない――例えば、お前のことを仲間だと思って安心しきっていた、救護班の人たちとか、ですよ」

「その通り、だ。なかなか……頭が回る」

 彼が両手をゆっくりと広げると、それと呼応するかのように、周りの目玉模様が、より一層、紅い光を強めていく。

「【モクモクレン】……シラサワから貰った名だ」

「辺り一面のこの赤い眼は、お前の能力か――」とカイン。

「う、嘘だ、まさか――」菅原はまだ理解しきれていない様子だ。

 そんな彼に、王が発破をかけた。

「菅ちゃん、今はとにかく早く山を下りろ! このメンツの中で最もケガも少なくて、それに、体力も残ってる! 土地勘もあるし、一番早く山を降りられるのは、どう考えたってお前だろ! このままだと、ミチハルさんが間に合わなくなる!!」

 菅原はまだ迷っていたようだが、カインと王の真剣な目を見て、こくりと頷いた。

「……分かったっす! 二人とも、死なないで下さいよ!!」

 背を向けて、明満をおぶさりながら参道の出口、大鳥居へと走っていく菅原。自衛軍の行軍訓練で鍛えられただけあって、重い荷物を背負いながらの山中移動には慣れているようだった。

 ユリィは逃げていく菅原の姿を見送ってから、ゆっくりとカインたちに向き直る。

「追いかけないんですか……随分あっさりと逃がすんですね」

 カインはリボルバーの弾丸を込め直しながら、後ずさって距離をとる。

 王も、蹴られた脇腹を押さえ、咳き込みながら立ち上がった。ちょうど、二人でユリィを挟んでいる格好になる。

「老人一人背負って……あの階段と山道を下りるのは……時間が……掛かる」

 裏切り者――ユリィ・スティフナズは、澄ました無表情で、静かに構えを作った。

 両腕のガードを高く掲げながらも、その手先は、風に撫でられる柳のようにゆったりと。捌きを重視した、中華国術独特の脱力。しかし、前方に出した足を小刻みに上げ下げしているその動きは、ムエタイ特有の力強いファイティングポーズにも似ている。


「追うのは……お前たちを殺してからでも……充分間に合う」


 物騒な言葉を吐いている最中でさえ、彼はどこまでも無表情だった。






 ――エリゼ・イルマルシェが駆ける。駆けながら、二挺のSMGサブマシンガンを連射する。

 二つの銃口からばら撒かれる弾丸は、木々の隙間や暗闇の中から際限なく奇襲を仕掛けてくる異能者どもを、迅速に排除していく。

 彼女が扱うのはUZIウージー。中東で造られた短機関銃の傑作で、L型ボルト機構を採用しているSMGによく見られる、独特なT字型のシルエットを持っている。頑強さと動作不良を起こしにくい構造、射撃の安定性など、総合的な評価は高いが、その代わりに重さが四キログラム近くもあるのがネックだ。

 それを片手に一挺ずつ持って俊足で駆け回ることのできるエリゼは、まさに『黒い雌豹』と呼ばれるに相応しい動きを見せていた。

 だが、そのようなエリゼの強さを目の当たりにしながらも、百鬼に連なる異形たちは臆すことなく挑み掛かってくる。

 【さがり】――馬面うまづらの男が、前方の樹上から逆さまにぶら下がって二挺拳銃を構えていた。靴は履いておらず、足が完全に樹木の枝と〈同化〉している。いきなりしぼむように消えてUZIの連射をやり過ごしたかと思うと、今度は違う枝からにょきにょきと奇妙な果実のように姿を現す。

 逆さ吊りの体勢にしては、意外と正確な狙いの射撃をしてくる。それを躱しながらエリゼは、敵の予測困難な動きに対しても冷静な観察と先読み――別の枝から姿を現す瞬間のタイムラグに照準を合わせ、しっかり撃ち落とす。

 すると今度は、横から、大きな丸い影が飛び出してくる。

 【土転び】――超肥満体の大男が躰を丸めて、直径二メートルはあろうかという肉玉と化していた。それが高速で転がって体当たりしてくる。

 エリゼは軽やかに飛び越して避け、滞空中に空中射撃を叩き込んだ。

 連射された9mm弾の幾つかが、着弾。

 肉玉は弾痕から血を噴き出し転がっていき、ボーリングのピンのように林の木々を倒しながら突き進む。最後は大岩に衝突して、そのままピクリとも動かなくなった。


 ――走り続け、そして戦い続けなくてはならないこの状況。

 周囲の敵をあらかた倒してしまったエリゼは、蓄積した疲労と一緒に、息を大きく吐き出した。

「参ったわね……他のみんなは大丈夫かしら。急がないと――」

 しかし、しばらく走ったところで彼女はふと立ち止まり、奇妙な感覚に見舞われる。何かがおかしいことに気が付いた。

「おかしい……さっきからだいぶ走っているはずなのに、林の中から抜け出せない……」

 いくら走ろうとも、もりの出口が見えてこないのだ。

 狐や狸に化かされた者が、森の中の同じ場所をぐるぐる回っていた、などという怪談話は聞いたことがあるが、まさかその類なのだろうか――。

「それに通信機能も効かなくなってるし、一体どうなってるのかしら……」

 彼女がそのようなことを考えていると、背後から土を踏む足音が聞こえた。

 黒い雌豹は俊敏に反応し、振り向きざまに銃口を向ける。トリガーを絞り発射された弾丸は、彼女の後ろに生えていたケヤキの太い幹に突き刺さった。

「ぐえっ!」と短く呻き声が聞こえた。

 木の幹には、なぜか今撃ったはずの弾痕が生じていない。かわりに、その樹幹をすり抜けるように、黒服の異能者が血を吐きながら倒れ込んできた。スポーツ用のカラフルな偏光レンズのサングラスと、短めの傷んだ金髪が、どことなくサーファーのような印象を受ける男。

 彼がどさりと倒れると、周囲に林立していた苔むした木々の何本かが、景色に薄く透けていき、やがて、ふっ、と姿をかき消した。それはまるで、映し出されていた立体ホログラムのスイッチが切れたかのような光景だった。

 【蜃楼かいやぐら】――周りの景色や物体をコピーし、それを蜃気楼のように映し出すことが出来る幻術系能力者。

 この異能を使いながら、エリゼの進む先を行き止まりなどに見せかけて、道に迷わせていたのだ。

「なるほど……幻術、ね。どこを見ても同じような木しか生えてないから気付けなかったわ」

 わざわざあとをつけて来ていたことを考えると、能力を使える範囲はそれほど広くないものと考えられる。〈偽の立体映像〉を作り映し出せる距離は、せいぜい能力者自身の目視している範囲までといったところか。戦闘中は他の仲間に紛れて存在感を消していたようだが、エリゼが異能者たちを全滅させてしまったせいで、尾行を気取られてしまったのが敗因だろう。

「術者を倒せたのはいいけど、戦いながら進んでいたせいで方角も分からなくなってしまったわね」

 困ったわ――と呟きながら、エリゼは短機関銃のマガジンリリースボタンを押し、空になった弾倉を両方、地面に落とす。コート下のタクティカルベストから50発入りの予備弾倉を二本取り出した。

 彼女が手早くリロードを行っていると、今度は前方から、ざっ、ざっ――と歩く音が聞こえてきた。足音からして忍ぶ気は全くないようだ。

 暗くて、相手の姿がよく見えない――エリゼは警戒しつつ、近付いてくる何者かに向かって、二挺機関銃を構える。

 蔭から歩み出てきたその人物は、己に向けられた銃口を見て、びくっと躰を硬直させた。慌てて両手を上げて、敵意のないことを示す。

「――ちょっと待ってエリゼ! よく見なさいってば! 私よ、わたし!! あなたまさか友人を撃つ気?」

 いつも通りの早口でそう言いながら警察手帳を開示するのは、エリゼと同じ捜査チームの一員であり友人でもある女性隊員――エミリア・スティフナズだった。

「ああエミリア――良かった。あなた、無事だったのね」

 エリゼはほっとした様子で銃口を下ろした。

「ええ。さっきはいきなり異能者に襲われて驚いちゃったけど、何とか切り抜けられたわ。でも、そのあとすぐに無線通信が利かなくなっちゃって……」

 エミリアはきょろきょろともりの中を見回す。

「で、仲間と合流して移動してたら、こっちからサブマシンガンの銃声が聞こえたのよ。ひょっとしたらエリゼがいるんじゃないかと思ってね。一目散に駆け付けて来てみたら銃口突き付けられたってワケ」

 憮然として、つんと横を向くエミリア。エリゼは二挺の短機関銃をホルダーに突っ込み、「ごめんごめん」と手を合わせて謝った。エミリアはそれを見てくすりと笑った。

「あら冗談よ。別に怒ってないわ。私だってこの状況で暗がりから近付かれたら、同じような反応しちゃうもの」

 彼女はそう言い、エリゼの手を取って引っ張った。

「あなたも林から出られなくて困ってたんでしょ? とにかくこっちに私の仲間がいるから、合流して打開策を考えましょ」

「う、うん……」

 エミリアに手を引かれながら、林の中を走る。そのあまりに迷いのない足取りに、エリゼは困惑する。まるで、何度も来たことがあるかのような、慣れた足取りだった。

 彼女たちは、少し開けた場所に出た。木々も疎らで、小さな祠が祭られている。

「さあ、ここよ――」エミリアが立ち止まる。だが、エリゼのほうを振り返ろうとはしない。

 不審に思ったエリゼが、林の中にぽっかりとあいたその空間を見回してみるが、どこにも特警の仲間たちなど見当たらなかった。

「誰も、いないじゃない――」彼女はエミリアの正面に回り、顔を覗き込もうとする。

 エミリアは小首を傾げて妖艶な笑みを見せ、

「……いいえ、ちゃんといるわよ。私の〝仲間たち〟がね――」

 と言った。

「エミリア、あなた一体……」

 エリゼが相手の手を振りほどき、数歩、後ろに下がる。

 ――すると彼女の足下の地面が急に柔らかくなる。

 泥。

 泥に足をとられたと思った次の瞬間、地中から出現した異能者がエリゼの背後うしろを取った。

 【泥田坊どろたぼう】――泥や土の中に潜行して、自由に移動できる能力(しかし地中では当然息ができないので、長く潜っていることはできない)。

 エリゼは背後に現れた【泥田坊】に素早く反応する。泥濘ぬかるみから足を引き抜いて、振り返りながらの掛け蹴りで、敵の首を引っ掛けるように刈り倒した。倒れた【泥田坊】の首を踏みつけながら、胸部に短機関銃の連射をお見舞いして息の根を止める。

 そこに、ジャケットから拳銃を取り出したエミリアが、一発、二発、三発と発砲してくる。銃把を両手で包み込み、きちんとサイトを覗き込みながら撃つ、教科書通りの堅実な射撃。敵異能者ではなく、明らかにエリゼを狙ってきていた。

 エリゼは地面に片手をついて側転しながらその銃弾を避け、もう一方の手に持った銃口でエミリアに狙いを定める。しかし――

「くう……っ」

 ――理由も分からず攻撃してくる友人を前にして、彼女はまだ引き金を絞る決心ができなかった。

 そんなエリゼに追い討ちをかけるかのように、躱したはずの弾丸が、今度は樹木に跳ね返って飛んできた。首の横と脇腹をすれすれに掠っていく。ありえない場所、そしてありえない角度の〈跳弾〉――。

「(うそ――拳銃弾が木に、しかもほとんど撃ってきた方向に向かって跳ね返るなんて……)」

 驚愕するエリゼを、林の蔭に潜んでいた新手の敵が狙う。その痩せた男が、数メートルも離れたところから、ローキックを放つ。本来なら蹴りなど届かない距離だが、男の足が、エリゼの足元を蹴り払った。

 横転するように受け身をとり、立ち上がろうとしたエリゼだが、その瞬間、彼女が両手に持っている二挺のサブマシンガンが、がっしりと捕まえられてしまう。見ると、相手の男が、銃身を掴み取っていた。

 【足長手長】――手足を五~六メートルほど伸ばすことのできる、肉体強化系の能力。

 エリゼは状況を瞬時に判断し、次の行動を即決する。彼女は一切の迷いもなく二挺の愛銃UZIから手を離し、敵の長い両腕の間を、一直線に駆け込んだ。

 いくら長い腕や足を持っていても、間合いの内側に入られてしまえば手出しもできず、小回りも利かない――――不便なだけの「無用の長物」に成り下がる。

 驚いた【足長手長】が、伸ばしていた手足を急速に引っ込めようとするが、獲物を仕留めようとする雌豹の動きが、速さでそれを上回った。

 エリゼは跳び上がって、顎への飛び膝蹴りを喰らわせたあと、両腕でしっかりと相手の頭をホールドする。そのまま躰全体を捻りながら、体操選手のように華麗に、相手の背後に着地した。

 頚椎をねじ折られ、【足長手長】は即死。ぐらりと倒れる。

 エリゼはすぐにSMGを拾いに行こうとするが、エミリアが銃撃で邪魔をしてきた。

 それらの弾は、てんで見当はずれな方向――地面や、倒れる途中の【足長手長】の死体、そして木の幹など向かって飛んでいく。しかし、この的外れな射撃もすべてエミリアの計算通りだった。先ほどと同様、拳銃弾は、着弾するや否や、物理法則を無視した動きで。不思議な金属音を立てて、木々に囲まれた狭い空間の中を乱反射する。

「(また跳弾――!?)」

 一発だけならともかく、複数の弾に、それも二回、三回と跳ね回られては、とても軌道を読みきれない。

 エリゼは咄嗟に急所への被弾をさけたもの、右腕と左脇腹に鉛玉をもらってしまう。防弾プレート入りのタクティカルベストを着込んでいたおかげで、脇腹のほうはなんとか打撲傷で済んだようだ。

「……この跳弾、エミリアまさかあなた、異能者――なの?」

 苦しそうに傷口を押さえるエリゼを見て、裏切り者のエミリアが「うふっ」と笑う。

「そうよ。どお? 私の異能、素敵でしょ――?」

 エミリアは恍惚とした表情で、黒光りする拳銃をこすり上げた。

「これね、【テングツブテ】っていうの。この力を使えば、射出された物体の威力や速度を落とすことなく、意のままに〈跳弾〉させることができるわ。私は “Dancing bullet”――って呼んでるんだけど」

 【天狗礫】――こと〝踊る弾丸ダンシングバレット〟。それは着弾した部位の固さや銃弾の入射角などに関係なく、自在に〈跳弾〉を操る能力だ。弾道計算、スピードやタイミングなど、常人ではとても扱いきれないこの能力を、彼女は物理と数学に特化した頭脳で巧みにコントロールしていた。

 エリゼは悲しそうに、そして諦めたように、問いかける。

「いつから――いつから私を騙していたの?」

 エミリアは「ごめんね」と肩を透かした。

「私たちのボス――シラサワさんに会ったのは、つい最近のことよ。『百鬼夜行事件』で京に派遣されたあとね。それまではちゃんとエリゼ、あなたに友情だって感じていたわ。でもね、もう戻れない――シラサワさんは私たち兄妹に気付かせてくれたわ。私の本当の姿を教えてくれた」

「シラ……サワ?」

 エリゼは聞いたこともないその名を訝しがるが、エミリアにとってはエリゼの反応などどうでもよいらしく、語ることをやめようとしない。もう、昔の友人の言葉など、彼女――いや、異能者【天狗礫】には届いていなかった。

「私と兄さんはね、いつだっていつだって、他の人間と関わる度に、疎外感を味わってきたわ! 父さんや母さんは、私たちが優秀だからって喜んでたみたいだけど、兄さんも私も、どうして自分たちがこんなにも他人と違うのか、分からなかった。特に兄さんは……ユリィは、私よりも殊更特別だったから、酷かったわ。ねえエリゼ、あなたユリィが学校や社会でどんな目に遭ってきたか知ってる!? 言ったって、きっとあなたにも分からないんでしょうね。だってエリゼも他のヤツらと一緒。あっち側の〝人間〟なんだから……!!」

 こんなに語気を荒げるエミリアを、エリゼは今まで見たことが無かった。今は何を言ったとしても、話が通じるようには思えない。

「(とにかく、シラサワとかいう人物が関わって、エミリアに何か吹き込んだか、影響を与えたことには間違いないわ……どうにかして彼女を止めないと……)」

 エリゼが走り込んで、UZI機関銃を拾おうとする。それを見て、ますますエミリアが激昂した。

「ほら、やっぱりあなたもじゃない! させないわ! 」

 そして、暗がりに潜んでいる仲間たちに号令をかける。

「――『百鬼分隊/雲』!!」

 彼女――【天狗礫】の号令で、異能者連中が素早く展開し、獲物を取り囲む。

 これに対し、エリゼは両手に拾った短機関銃をそれぞれ別方向の敵に向け、その銃口を巧みに動かしながらの銃撃で対抗する。

 前後左右、四方八方――小刻みの短連射で弾数の消費を抑え、合理的かつ速やかに異能者たちを撃ち倒していく。

 もちろんその間にも、エミリアが容赦なく〝天狗礫〟を撃ち込んでくる。「跳弾」の能力を持つ彼女は、仲間に弾が当たることをまったく意に介さない。それどころか仲間の躰でさえも、弾の反射のための道具として使ってくる。

 エリゼは素早い回転と反転を交互に駆使し、まるでダンスのように敵弾回避。彼女の転舞ステップに合わせ、円を画く短機関銃から弾丸が吐き出される。横に広くばら撒かれたUZIの弾が、異能者の包囲を一掃する。

 その様子を見て、少しばかり分が悪いと悟ったのか――【天狗礫エミリア】は軽く化け物じみた跳躍力で、後方に飛び退く。地上五メートルほどの高さにある枝の上に飛び乗る、天狗のように軽やかな身のこなしだった。

「やっぱりさすがね、エリゼ。私がシラサワさんから預かった異能者部隊のうち、半数近くを一人で殲滅しちゃうなんて。あなたは訓練校時代でも、私たち兄妹を除けばとびきり優秀だったし、今だって、そう――仮にも副首都である京の戦闘部隊で副隊長を務めているだけはあるわ」

 そう言って、彼女は弾切れになった拳銃を放り捨てる。

「……エミリア、何であなたがこんなことをするのかは分からないけど、とにかく今は大人しく降伏して。あなたを撃ちたくないの」

 どうにか説得を試みるエリゼだが、かつての友は聞く耳を持たなかった。

「降伏……? 笑わせるわ。言っておくけど、今までのはウォーミングアップ、単なるお遊びよ? そしてお遊戯はおしまい。あなたはこれから、森の中を逃げ回る可哀想なウサギさんみたいに、私に狩り殺されるの――」

 エミリアが得意そうにもりの中を見回す。

「ほら、周りを見てみなさいよ。ようやく準備は整ったわ――」

 いつの間にか辺り一面には、不審な光を放つ〈紋様〉が浮かび上がっていた。紅く鈍く光る、――〈◉〉。

「これは、何……?」もりを埋め尽くしている〝監視者の結界〟の存在に気付き、エリゼは微かに困惑する。

「兄さんの能力――【モクモクレン】の結界が発動したのよ。言っておくけど、私とユリィの能力は相性抜群なんだから。エリゼ、あなたに勝ち目はないわ」

 そう言って誇らしげな嘲笑を浮かべるエミリアの額にも、同じように紅い眼の〈刻印〉が浮かび上がっていた。

 彼女は樹上からエリゼを見下ろしつつ、こう続ける。

「ねっ、シラサワさんから聞いたんだけど――【テングツブテ】っていうのはね、誰も居ないはずの深い深ーい山の奥で、石つぶてがまるで雨のように空から降ってきたり、どこからともなく飛んできたりする怪現象のことを指すそうよ。

 これに遭うと、病気になったりハンティングが上手くいかなかったりする、なんて言い伝えもあってきこりや猟師には畏れられてたんだけど、原因がさっぱり分からないものだから、昔の人は『テングが石を投げてるんだ』って考えたんだって――――」

 それを聞いたエリゼが、「だから何?」といった顔で、おしゃべりな天狗を睨み返す。

「何が……言いたいの? 悪いけど私、くだらないお化け講座に付き合ってる暇なんて無いんだけど」

「ふふ、そう怖い顔しないでよ。何で私がそんな妖怪の名を冠しているのか――エリゼ、今からあなたにも嫌というほど教えてあげる――」

 エミリアは樹上から後ろに跳んで、姿をくらました。

 月読分社を広く囲むもりは、古い原生林――樹齢を重ねた、背の高い大木が多い。その上を、枝から枝へ飛び移りながら、彼女はどんどんエリゼから離れていく。


「私の【テングツブテ】、はたしてあなたに躱すことが出来るかしら―――?」


 声だけが響き渡り、エミリア・スティフナズは森繁る暗闇へと消えていった。







 林の中で複数の異能者を引き連れ、特警隊員たちを追い立てる秘書二人組――【畢方】【雷獣】。

 彼らは「デカどもを決してこの山から逃がすな」という社長命令に従って、追跡と追撃の手を休めない。

 撤退する隊員たちは、本部から駆け付けた応援部隊に後ろを守られながら、山を下っていく。その殿しんがりを務めるのは、警察庁特殊警察部門公安課からの特派員――尾根崎オネザキ 智徳とものり

 【畢方】の火炎放射と、【雷獣】の電撃――両者の異能は、まるで生きているように木々の間を縫って部隊をホーミングし、容赦なく尾根崎たちを襲う。

 先日櫓坂との組手で見せた通り、ある程度は武道の心得を持っている尾根崎ではあるが、この状況で敵の異能を掻い潜って接近するのは難しいと判断する。

「応戦しようにも、後続の異能者に追いつかれてさらに合流されると不味いか……」

 どうしたものか――と尾根崎が思案を巡らせている間にも、渦巻く雷炎のコンビネーションが、執拗に特警部隊を責め立てる。

「くそう! あいつら、こっちが撤退戦だからって調子乗りやがって……!!」

「しかし、下山が遅れれば遅れるほど、本部や街の危険度がなぁ……」

 同じく公安課の同僚、八馬埼ヤマザキ阜﨑サカザキが尾根崎に並走しながら最後尾を守る。三人とも装備しているのは防電防火の野戦服に防弾タクティカルベスト、そして秦98式のアサルトライフル――。

 しかし、装備の質で優っていようとも、権田と若槻の広範囲対応な攻撃能力も充分に遠距離戦対応可能なうえ、少しでも動きを止めれば顔面や防具の露出部を案外正確に狙ってくる。

 さらには【畢方】と【雷獣】――この二人組だけでも厄介な異能だが、合流した百鬼夜行までもが加勢する。

 【クサビラ】――森中の茸や菌類を活性化させ、毒素のある胞子を発生させる。毒といっても嫌がらせ程度に肺や鼻孔を刺激する程度だが、全力疾走中の呼吸に対してはそれなりに効果的で、鬱陶しい。視界もカビ臭く茶色いもやがかかったように邪魔されている。

 そしてもう一人の異能者、【風狸ふうり】――彼が腹いっぱいに吸い込んで吐き出した吐息で、強烈な突風が起こる。そこらじゅうから湧き出ていた胞子が、その息吹によって刑事たちに吹き付けられた。また発火能力者パイロキネシストである【畢方】の炎も、その風にごうごうと煽られる。

 【クサビラ】によって発生させられ、大量に宙を舞っている微細な胞子。可燃性のそれらが風によって酸素を送り込まれ、炎と反応することによって起こる、広範囲の爆発的発火現象――ご存知、『粉塵爆発』。

 あちこちで爆破音が轟き、木々や特警隊員たちが炎と煙に飲み込まれる。

「これじゃあまるで戦場じゃないか! なあどうするよ、オネ!?」とヤマザキ。

「山中、あちこち火が回ってるからな……このままじゃ逃げ道が限られてくる! 消防だって、街のほうが大混乱のせいで出動がずいぶん遅れてるって話だ!!」サカザキは叫びながら、樹の陰からアサルトライフルの短連射で敵を牽制。

 その火力支援に便乗し、尾根崎と八馬埼がライフルを掃射。それぞれが速やかに【クサビラ】と【風狸】を射殺する。

 他の異能者も巻き込まれてライフル弾に倒れていくなか、権田と若槻だけは直感的に樹の幹に隠れてやり過ごしていた。

「(あの二人――なかなかに勘が良いな。そのうえ攻撃特化の異能持ち……奴等さえ倒すことが出来れば、撤退もかなり楽になるのだが……)」

 尾根崎は考えた末、二人の同僚に提案する。

「ヤマ、サカ――お前たちはこのまま支援部隊と一緒に部隊のケツを守りながら下山を続行してくれ」

「じゃあ、お前は……」

「ここであの二人を喰い止める」

 それを聞いて、八馬埼と阜﨑の二人は「しかし、それだと――――」と心配そうに顔を見合わせる。

「大丈夫、勝算はあるさ」

 この山の地形が、菅原隊員の情報通りなら、な――――とまでは口に出さず、尾根崎は覚悟を決める。

「あとで必ず追いつく。いいから、行け」

 ――その決意の表情を見て、同僚二人も固く頷いた。

「わかった。オネ、死ぬんじゃないぞ……」

「お前が上手いこと出世コースに乗って俺達を使ってくれなきゃ、こっちの人生設計だって狂っちまうんだからな……!」

「やれやれ、良い同僚を持ったよ、私は――」

 三人は軽くこぶしを突き合わせ、即座に散開した――。



「ん……? ひとり、バラけたみたいだな」と権田。

「二手に分かれて逃げようとしてる可能性もあるかもな――」と若槻。

 尾根崎の突然の別行動に対して、権田と若槻の二人も一瞬、どう判断すべきか逡巡する。

「どうする? こちらもメンバーを分けて追うか――?」

「いや――サツどもは撤退しながら戦っていたからこそ、俺達と互角だった。俺達がここで人員を二つに割いてしまったら、反撃に転じられ、攻勢を奪われる可能性もある。どのみち一人だけではこの山から生きて出られるかも怪しい。俺達はこのまま纏まりながら部隊のほうを追って、確実に数を減らして、とどめを刺そう。はぐれた一匹は、おそらく【目々連】か【天狗礫】がどうにかしてくれる」

 若槻は自分たちと暇田にとっての確実な安全牌を選んで、そう答えた。この慎重さが、彼を裏社会で今まで生き延びさせてきたといっても過言ではない。

「フン。まあ、何でもいい。何人相手だろうが最後は消し炭にしてやる――」

 それに比べ、権田のほうはいくらか血の気が盛んで、粗暴な物腰だ。

 三下さんした時代からの付き合いであるこの二人、喧嘩をしてもほぼ互角だが、どちらかというと頭脳労働の若槻、そして肉体労働派の権田――といった具合に、コンビとしても上手く機能している。

 そんな彼らの、暇田に拾われてからの仕事も汚れ専門――表向きは秘書として仕えているが、実際の担当分野はとても事業内容に含められるようなものではない。

 【畢方】――権田は非行少年時代から放火の常習犯で、初めて人を殺してしまったのも中学生時代の興味本位の火付けだった。少年院に収監され、出てきたところで、まともな職にもあり付けない。ヤクザ者に身を落とすことが約束されたような人生。暴力団員になってからは専ら、裏切り者や敵対者の殺害と、事後処理を担当させられた。人間を生きたままドラム缶に放り込んでは山奥まで運び、そのままガソリンを注ぎ込んで焼き殺すのが、彼の仕事だった。そして、異能に目覚めてからはガソリンもマッチも必要無くなった。

 【雷獣】――若槻は、もともと電気工学系の出身。だが三流大学だったうえ、人間関係のトラブルで中退。落ちぶれた末にこの世界へと足を踏み入れた。相棒の権田とは違い、若槻はどちらかというと拷問担当。中でも彼が特別に長けていたのが、電流を用いた拷問だ。スタンガンの類はいつでも持ち歩いていたし、学生時代に学んだ知識や技術を使えば、車のバッテリーや、部屋に設置されたコンセント、そういった物でさえ彼にとっては立派な拷問道具だった。しかし、それも昔。今や一番の拷問道具は、彼の躰そのものになっている。

 そうやって腕にモノを言わせてヤクザ社会でのし上がってきたこの二人が唯一恐れているのはやはり、喧嘩にしろ頭脳にしろ二人掛かりでもまったく敵わない、彼らの社長――暇田 麗司だけだ。

「しくったら、社長に殺される――」

「それだけは、ごめんだな」

 追跡を続行しようとした権田と若槻だったが、突然飛んできたライフル弾が彼らのすぐ手前を横切り、地面と樹木をえぐった。

「……!!」

「くそ、さっきのはぐれデカか!」

 逃げたんじゃなかったのか――と、二人のヤクザ者は舌打ちを漏らした。

 部隊を追おうとするたび、どこからともなく弾が飛んできては、異能者たちの行進を妨害する。しかも狙撃による射殺はせず、極力、負傷者を出すにとどめているようだった。

「あの野郎、ケガ人を増やしてこっちの足を引っ張ろうってハラか……」

 負傷者をかばうことに人員を割けば割くだけ、こちらの戦力は手薄になる――。

 隠れて移動しながら、執拗な牽制射撃を繰り返す尾根崎。

「鬱陶しい野郎だな、ムカつくぞ……」

 ブッ殺してやる――と息巻く権田を、若槻が諫める。

「落ち着け――と言いたいところだが、そうだな。このままサツの部隊を追うとなると、はぐれデカが俺達の後ろに回って、挟撃を許してしまう形になる。そうなるとウマくないか……」

「決まりだな」そう言って、権田は他の黒服たちに怒号を飛ばした。「お前らはこのままサツの部隊を追え! だが、深入りはするんじゃねえぞ! 俺と若槻はハグレのほうを探し出して仕留める!!」

「「「「うっす!!」」」」

 黒ずくめの異能者集団は、臨時的なリーダーの判断に従い、特警部隊の追跡へ、すぐさま行動を移した。負傷者は仕方なく、森の中に放置する。死んでしまうなら、そこまでだ――権田と若槻の二人は、そう判断した。

 がさがさと、音がした。ぼうぼうに伸びた山草の茂みから飛び出して、移動をはかる尾根崎の姿を、彼らの目は捉えた。

「逃がすか、チキン野郎――」獲物を見つけた猟犬のごとく、【畢方】と【雷獣】は走り出す。

「ククッ。社長に比べたら、あんなデカの一人や二人――」

 菅原の背中を追いながら、権田が馬鹿にしたように言った。

「まったく。同感だな」

 若槻も口の端を歪めて、相棒に同意した。


 特公捜査官――尾根崎 智徳は、暗く険しい山道を、必死に駆け抜ける。かなりの獣道だが、その昔に陸上自衛軍のレンジャー部隊を招いて外事課の連中と合同で行ったサバイバル訓練に比べれば、まだ遥かにマシな部類だなと彼は考える。まさか公安の捜査官が、ゲリラ兵の真似事をして野生のクモや蛇を食べさせられるなどとは思ってもいなかった。

 しかし、常人であれば到底追いつけないほどの尾根崎の林間での移動速度にとっても、異能の存在は厄介だった。

 雷撃、豪炎を避けながら、尾根崎は走り続ける。一歩でも足を止めたら、やられてしまう。

 は、もうすぐのはず――――。

 そこへ、怒涛のラッシュで放たれる【雷獣】の電撃。バリバリと空気を裂きながらほとばしる閃光の連続。そのうち一発が尾根崎の足元に落ちて、飛び散った火花が、まだ山中に残っていた【クサビラ】の胞子に引火した。爆発――。

 爆風を背に受けた尾根崎は、ふっ飛んで斜面を転がり落ちる。

 彼はそのまま、緑色のドロドロした藻が繁殖する沼地へと投げ出され、躰ごと水中に叩き込まれた。

「しめた!!」――【雷獣】、若槻が叫ぶ。

 最大威力の電流を水中の尾根崎にお見舞いするため、沼の淵へと駆け寄る。しかし、ずぶずぶと沈む泥と、蔽い茂った水辺の草に足をとられて、なかなか思うように進まない。

「くらえっ……!!」

 ようやくほとりまで辿り着いた若槻が両手を水中に突っ込み、電気ウナギのように放電する。その電流が池沼全体を駆け巡るのと、尾根崎がどうにか水面から突き出した大きな岩に登って感電死を逃れたのは、ほぼ同時だった。

 息を荒げる尾根崎――それをニヤニヤと眺める権田。そして、ぞろぞろと集まってくるのは【川赤子】【磯女】【みずち】【水虎】【人膝じんしつ】【垢舐め】――辺りに潜んでいた、水中戦・高湿度環境特化の異能者ども。皆、若槻の電撃を警戒して、沼には入らずに、逃げ場を封じることに徹する。とどめを刺すのは【畢方】の発火能力だ。相手は現在、狭い岩場の上から動けない。逃げようにも、沼のど真ん中で、飛び込めば即、電流の餌食となる。

「かわいそうに、ずぶ濡れじゃないか。今すぐ乾かしてやるよ――――!!」

 権田がそう叫んで、両手から火焔を呼び出そうとした、そのとき――若槻はあることに気付いた。

 シューシューと、何かの揮発音のような、そして、沼地の水面から立ち昇る、かすかな蒸気。

「まずい――権田、『爆鳴気』だ!! やめろッ!!!!」

 相棒への忠告も、時すでに遅かった。

 【畢方】の散らした火に反応して、凄まじい爆裂音と熱風が発生――その場にいた異能者全員が吹き飛ばされた。

 沼地全域の、動物の死骸などから漏れ出た電解質を多分に含んだ水。これが、理科の実験のように【雷獣】の流した電流によって電気分解される。すると水面から発生する気体は、主に「水」を構成する分子――水素と酸素ということになる。それらの気体が空気中で混じり合ったときに発火すれば、起こるのは「水素爆鳴気」と呼ばれるガス爆発である。特に、谷底の窪地であり、樹高の高い木々にも囲まれたこの沼場では、発生した気体も逃げにくく、効果は抜群だった。直接爆風を逃れたとしても、水素燃焼の際の爆裂音はかなり派手で大きい。特にこれだけの規模で起きたとなれば、その音量も凄まじく、ヒトの鼓膜など簡単に破り、意識を根こそぎ持っていく。

「ぷっはぁ……!!」

 爆発の寸前で水中に飛び込んでいた尾根崎は、顔を出して一息ついた。

「……ふぅ。爆発や炎は、上と広いほうに向かって逃げていくというからな」

 水面には、複数名の異能者と、【畢方】こと権田も、完全に気絶して浮かんでいた。耳も塞いでおいて、正解だった――。

「さて、これでは片付いた……か」と尾根崎。


「もう一人、電流使いの男が見当たらないが――仕方ない、今は別働隊との合流を優先すべきだな……」


 ――そう呟いて、彼は仲間のもとへ走り出した。







 ――その頃、境内中央付近にて。

 暇田率いる『百鬼分隊/霧』と交戦中である芒山の部隊は、主戦力のアサルトライフルが謎の暴発と故障に見舞われ、なかなか戦果を出せずにいた。

 彼らの使う「秦98式自動小銃」は、国内企業《秦コーポレーション》の軍需産業部門――『㈱ 河勝重工』が開発、幾度も改良を加えた高性能突撃銃であり、動作における信頼性は非常に高い。だからこそ、特警や自衛軍でも制式装備として採用されている。それがこのように頻繁にエラーを起こすなどというのは、想定外の出来事に他ならなかった。

 しかも、そればかりではない。先ほどから、歴戦のつわものであるはずの隊員たちが、血溜りで足を滑らせる、木の根に足を取られる、互いの射線上に踏み込んで同志討ちしてしまう――といったような、普段では考えられないような凡ミスを繰り返し、実力の五割も発揮できていない状況だったのだ。

「フゥハッ! 『特警』ってのは随分とマヌケの多い、愉快な職場みてえだなぁオイ!」

 暇田が刑事たちを馬鹿にするかのように、腕を大きく広げた。

「――迂闊に動くバカは、俺の能力〝エラー・プロダクト〟の餌食なんだよ!!」

 そう、特警側の度重なるミスは、全て、彼の持つ『異能』が引き起こした異常事態だった。

 【火間虫入道】――暇田 麗司の異能は、〝エラー・プロダクト〟。相手の行動の最中や、機械類の動作の中に〈不具合〉を発生させてしまう能力である。これによって、ヒューマンエラーを誘発したり、機器の動作不良を引き起こしたりすることができる。

 平たく言ってしまえば〈徹底的に相手の邪魔をする能力〉であり、まさしく「どんなことをしても他人の足を引っ張りたい」という暇田の心が強く発現したがゆえの産物であった。

 そして何より、特警の装備が充実していることも、今回ばかりは裏目に出た。内部機構や部品の多いマシンガンや、精密な電子機器――そういった複雑な構造を持つ機械ほど故障させやすく、【火間虫入道】の能力で付け入る隙も多い。

「暇田麗司……だったか。小賢しい能力を使う」

 芒山が、ぎしりと歯を鳴らした。敵の異能の正体には薄々感付いてはいたが、このような能力が相手だと、いくら自分が気を付けていても、どうにかなるものではない。

 一方の暇田は、己の異能に絶対の自信を持っている。一見くだらない能力に見えるかもしれないが、たとえ相手にばれても、全くマイナスにならない。それどころか、相手が「ミスをしまい」「動くまい」と気を付けていればいるほど、その緊張感に付け込むことのできる、応用力抜群の能力だった。

 暇田麗司は己の有利を疑ってはいなかった。だがそれでも決して油断せず、戦況の観察と判断を怠らなかった。彼は、特警隊員たちを纏め上げている芒山の統率力と戦闘力をいち早く見抜き、目を付けた。

 配下の百鬼夜行どもに、大声で命令する。

「――おい、てめえら!! あの仁王像みてえな筋肉オヤジが相手方の大将だ! ヤツさえやっちまえばあとはもうザコみてえなもんよ、一斉にかかってタマァとれッ!!」

 暇田のけしかけてきた異能者どもが、芒山の周りに躍り出た。

 【毛羽毛現】の黒髪が伸びてきて、芒山の足首に巻き付く。さきほどカインを投げ飛ばしたように、芒山の躰も引っこ抜いて振り回そうとする。

 ――が。

 芒山の巨体は、まるで大地に根を張ったかのようにビクともしなかった。

 それどころか、彼が足を振り上げると、逆に【毛羽毛現】のほうが軽々と宙を舞ってしまう。

 芒山がそのまま横方向に蹴りを振り抜くと、【毛羽毛現】の躰は複数の敵を巻き込んでぶち当たった。ベキボキと骨の折れる音がして、一瞬で三人の異能者が戦闘不能になる。

 しかし、その攻撃範囲内にいた者の中で、一人だけ、上に跳び上がって回避することができた異能者がいた。

 雷躯はしるかと思わんばかりのスピードで、突如として林の中より飛び出してきたその男、【雷獣】――若槻だ。

 尾根崎の仕掛けた爆鳴気から命辛々逃げだしてきた彼が、満身創痍の躰でふらつきながらやっとのことで林の中から抜け出した時――目に入ってきたのは巨漢の芒山と特警隊員が百鬼に入り乱れる戦場だった。さすがに「帰りたい」と思ったが、暇田はこの状況での退勤を許してくれるような優しい上司ではない。

 半ばやけくそになった【雷獣】は、跳び上がったまま上空から放電し、雷撃を放ってくる。

 芒山は巨体に似合わぬスピードで後方に跳びすさって、樹木の後ろに避難した。紫電が太い木の幹を直撃するが、後ろの芒山にまではダメージが渡らない。

 その電流が散った瞬間に、芒山の躰は爆発的に動いた。凄まじい威力の手刀を横から振り抜き、遮蔽物として利用していた樹幹を、叩き折る。

「――えっ?」

 若槻が呆気にとられた次の瞬間。芒山が脇に抱えるようにして薙ぎ払った倒木が、今まさに自分に向かって迫って来ていた。

 【雷獣】は咄嗟に電流を流そうとしたが、樹木は当然絶縁体であり、電気を通さない。

 抵抗も虚しく、電信柱ほどもある太く重い幹が、若槻の胴体を真芯でとらえ、吹っ飛ばした。会心のホームランだった。

 十メートル以上も飛ばされて、どさりと落下した若槻は、完全に意識を失っていた。おそらく、肋骨の五、六本と内臓破裂くらいでは済まない怪我を負っているだろう。

 芒山の快進撃はなおも続く。抱えていた倒木を、遠くにいる敵に向かって、勢いよく回転させながら投げつける。肉体強化系の能力者でもまるで歯が立たないほどの、圧倒的剛腕――――。

 鬼神のごとき特警隊長の闘いぶりを見て、暇田が冷や汗を流す。腹心の部下、【畢方】と【雷獣】もやられてしまった。【火間虫入道】は焦っていた。

 そこへ背後から、若い特警隊員がアサルトライフルを鈍器代わりに振りかぶってくる。撃とうとしなかったのはおそらく、〝エラー・プロダクト〟による弾詰まりや暴発を警戒しての判断だろう。

「おっ……と!」

 しかし暇田は、まるで後ろが見えているかのように余裕のタイミングで躱しながら、振り向きもせずにカウンターの肘打ちを打ち込んだ。相手が倒れたところに「うらァ!」と顔面を踏み潰して、とどめを刺す。

 隙を衝いてもう一人の特警隊員が拳銃を構えてくるが、暇田は「パチン」とフィンガースナップを鳴らし、〝エラー・プロダクト〟を発動。

 暇田の異能は、本来『常在型能力コンスタント・アビリティ』――常時垂れ流しで周囲に〈不具合の発生要因〉をばらまいている能力である。この使いづらい異能を、彼は訓練と努力の末、念じたタイミングや強く意識した相手に向けて『起動型能力アクティヴ・スキル』のように使う事も可能にした。「指弾きフィンガー・スナップ」はその際、精神的な異能発動のスイッチとして好んで使うというだけで、絶対に必要なわけではない。だが、鳴らさないとどうも据わりが悪いし、成功率も若干下がる。

 派手に鳴らされたスナップ音を引き金トリガーにして、周囲の環境に潜む〈失敗因子エラー・ファクター〉が急速に増幅――。

 すると、顔面を踏みつぶされた若い刑事が、死に際にビクンと大きく痙攣し、引き金に掛けられていた指を引いてしまった。発射されたアサルトライフルの弾丸は、今まさに拳銃を発砲しようとしていたもう一人の特警隊員に当たる。

「はがっ!!」

 隊員の躰に、血飛沫を散らしながら弾痕が走る。

 致命傷ではない。運良く急所を外すことはできた――そう思った矢先、暇田が猛然と突っ込んでくる。躰ごと相手にぶつかりにいくような、刺突特攻。腰だめに構えられた長ドスが、隊員の腹から背中に、ずぶりと貫き通された。しめには刃の向きを縦から平らに寝かせ、内臓を掻き回して確実な致命傷を与えておく。

 実に場数を踏んだヤクザらしい、荒々しく非情な戦い方だった――。

「さて、筋肉オヤジのほうはどうなってるか――」

 邪魔者を片付けた暇田は、再び芒山のほうに目を向ける。

 流石に正面から挑むのは得策ではないと分かっているのか、決して自分からは近付こうとせず、適当に他の特警隊員たちを相手にしながら、様子見を決め込むつもりのようだ。

 そんな怠惰なリーダーとは違って、部下の異能者たちは、果敢にも鬼の特警隊長に向かっていく。

 芒山のミドルキック一撃で、まとめて二人の敵がくの字に折れ、吹っ飛ばされる。その豪快な大振りの隙を衝いて、彼の真正面に一人の異能者が陣取った。

 敵は髑髏しゃれこうべのように痩せこけたスキンヘッドの男で、サングラスを取り外すと、ぎょろりと飛び出した大きな目で睨み付けてきた。

 ――その男と目が合った瞬間、芒山の躰は金縛りにあったように動かなくなる。

「くっ、邪視か……!」

 【目競めくらべ】――それが、この骸骨のような男に付されたあざなだった。向かい合って目を合わせている間のみ、相手を金縛り状態にし、動けなくするという邪視能力を持つ。

 その眼力に見事捕らわれてしまった芒山は、蛇に睨まれた蛙のように、身動きひとつとることができない。そこに、各々の凶器を構えた異能者たちがじりじりと詰め寄ってくる。

 だが、危機的状況の中でも、芒山は決して慌てていなかった。

「(そういえば『平家物語』の中には、平氏の大将が髑髏どくろの怪異に遭遇して、目比べで打ち負かすというくだりがあったな――)」

 古い戦記ものを好む芒山は、過去に読んだその内容を思い出す。

『平家物語』の中に、『物怪之沙汰』と呼ばれる章がある。平清盛が自邸の中庭で、無数の頭蓋骨が集まった巨大な髑髏の妖怪と睨み合いになり、これを目力による勝負で一つ残らずかき消してしまう――という内容だ。

 この怪異は、江戸時代の妖怪絵師、鳥山石燕によって【目競めくらべ】と名付けられており、それが由来となってにらめっこのことを「目比べ」と呼ぶようになったという説もあるほどだ。

 芒山は、古の豪傑が胆力で妖怪を退けたことにあやかってみることにした。

 ガイコツ男を強く睨み返しながら、すぅぅと息を深く吸い込んで、気合を入れ直した。その気迫を、声に出して相手にぶつける。

「――――喝ッ!!!!!!」

 大声で喝を入れると、【目競】が気圧されて、金縛りが解けた。芒山の予想通り、精神力で術者を上回れば、その呪縛から脱出できるようだ。

 そして、その大喝に怯んだのは【目競】だけではなかった。今に攻めかかろうとしていた他の異能者たちも、あまりの気迫に、一瞬だけ、たじろいでしまったほどだ。

 芒山はそのチャンスを逃さず、素早く前に出た。

 同時に、異能者【ぬりかべ】が仲間を守ろうと立ち塞がる。

 【ぬりかべ】――彼の能力は、見えない「壁」を前方に作り出して、身を守ること。その防御力は、トラックとの正面衝突にも耐えられるだけの堅牢さを誇る。

 しかし、異能者ご自慢の奇怪な障壁バリアも、桁外れの筋力を持つ鉄拳の前には通用しなかった。

 芒山の筋肉が、強い剛性と弾力を兼ね備え、ぎゅむ、と青筋を立てて盛り上がる。筋骨軋む音を立てながら真っ直ぐに打ち出された攻撃――そして、衝突音。巨大な鉄塊を高層ビルのてっぺんから突き落としたかのような轟音が響いた。

 膝蹴りと、正拳突き。たったの二発で結界は突き破られた。

「ば、バカな――!! 」

 次の防御壁を展開する暇もなく、【ぬりかべ】の側頭部は上段廻し蹴りで蹴り飛ばされた。

 勢いのついた芒山は、一人だけでは止まらない。

 蹴り足がそのまま地に着いて、足首を内側にひねりながらの踏み込みへと変わり、腹部への右中段下突きで、二人目を仕留める。

 さらに突きの勢いとともに躰を回し、回転しながらの左猿臂えんぴで、三人目の顎を砕き、

 そこからスムーズに左後ろ廻し蹴りに繋げて、飛びかかってくる四人目の異能者を地に叩き伏せる。

 あっという間に四人――しかも全員が一撃で倒されている。武道家、特に空手の理想である「一撃必殺」を体現した、見事な立ち回りだった。

 【目競】はとても敵わないと悟ったのか、慌てて逃げ出そうとするが、芒山は追いかけるように踏み込んで、諸手突もろてづきを打ち出した。両方の握りこぶしを上下に並べ、正拳と裏突きの形で、それぞれ同時に叩き付ける。水月と秘中、二箇所の急所に強烈な打撃を受け、【目競】は完全にノックアウトされた。


 ――使える異能者が軒並み倒されてしまったのを見て、暇田の顔面からも、いよいよ血の気が失せていく。

「聞いてねえぞ……こんなバケモンが敵にいるなんてよ……」

「……化け物呼ばわりとは悲しいが――だが戦意喪失したのであれば、大人しく投降してもらえると有り難い。こちらも手間が省けるゆえ」

 芒山は、足元に気を付けながら、ゆっくりと相手との距離を詰める。極力、【火間虫入道】による「邪魔」の機会を与えないように――。

 他の隊員たちも、余った異能者連中と戦闘中だ。小銃や拳銃は〝エラー・プロダクト〟の影響下では暴発等の危険性があるため、素手で立ち向かわざるを得ない。そのため、少しばかり苦戦しているようだった。

 暇田麗司は、自分に向かって歩いてくる芒山に気圧され、じりじりと後ろに下がった。

「(クソッ、自軍のアドバンテージはこのまま確保しておきてぇ。そのためにゃあ、なるべくターゲット連中から離れたくねえんだが……)」

 一歩一歩、気を抜かず確実に歩を重ねる芒山には、油断も緊張もなく、しかもこの開けた広い空間では、異能で付け入る隙も要因も少ない――――暇田はそう判断した結果、戦闘の舞台を、別の場所へと移すことにした。

 そう、もりだ。林の中なら死角と障害物も山ほどある。相手のミスを誘うチャンスがそこら中に転がっているかもしれないし、【目目連】の視界だって張り巡らされている――――。

 彼はきびすを返し、脱兎のごとく、木々の狭間に逃げ込んでいった。

 芒山が、すぐにあとを追う。

 林生い茂る中へと分け入った途端、周囲の紅い目玉模様から、不気味な視線を注がれるのを感じた。もりの中も、やしろの周辺同様【目目連】の能力――〝監視者の結界〟で包囲されている。

 暇田は、沢山の目に囲まれた中を、走って逃げる。地べたに斃れている仲間の死体を跨ぎ、飛び越し、必死に駆ける。

 そして、自身の手の甲にも同じく刻まれている、紅い目玉模様にちらと目を向ける。

……! 【目目連】のおかげで、あいつの行動があらゆる角度から筒抜けだ……! どうにか距離をとりながら逃げつつ、あの筋肉ダルマの隙を……っとお!?」

 投石。

 芒山の剛腕により投げられた石飛礫いしつぶてが、恐ろしい速度で飛んできた。〝視えて〟はいたが、避けるのが間に合わず、暇田は長ドスで急遽防御する。衝撃に耐えられず、刀身が真っ二つに折れた。

 刀を犠牲にして威力を落としたとはいえ、こぶし大の石が、水月にのめり込むように衝突し、暇田はもんどりうって倒れ込んだ。

「ぐえっ……ぐぁあ……」

 舌を出して喘ぎ苦しむ暇田に、芒山は慎重に歩み寄る。彼は、腐葉土の上に落ちていた、折れた長ドスの刀身に目をやる。それを拾い上げて指でつまむと、ポキリと二つに折った。

「昔から云われている。〝長脇差は斬って三人、突いても十人〟――やはりヤクザ刀だと、純粋な日本刀には強度で劣るな」

 そして刃の破片を捨てて、這いつくばる暇田を見下ろした。

「―――貴様のような付け焼刃のチンピラ刀が、鍛えられた本物の刃に勝てるなど、努々思わぬ事だ」

 暇田は腹を押さえながら下からめ付けるのが精一杯で、とても反論など出来ない。

「隊員たちの仇だ――と言いたいところだが、殺しはしない。貴様には喋ってもらわなければならんことが山とあるからな」

「ぜぇ……ひぃ……」

 暇田は息荒くうずくまりながら、手を突き出して「待ってくれ」の意思表示をした。もちろん、そんなものは鬼と恐れられる特警隊長には通用しない。

「悪いが信用できん。大人しく寝てもらう」

 芒山が、とどめの正拳を振り下ろそうとする。

 ――だが、その最中にあっても、〝火間虫入道〟の名を冠した男は未だ往生際悪く頭を働かせていた。

 彼とて、生半可な覚悟で「ゲス」をやってはいない。ゲスにもゲスとしてのプライドというものがある。いさぎよい降伏や、現状への満足と諦め、まして敗北の覚悟を決めるなど、もってのほか。もともと【火間虫入道】とは行燈あんどんの油を舐める妖怪――これは悪食の雑食性で紙から油まで喰い散らかす、所帯場の嫌われ者――つまり蜚蠊ごきぶりがモデルとなった由縁とも云われている。そして暇田本人に至っても、この妖怪になぞらえるに相応しい、まさにゴキブリそのものと言えるしぶとさを持っていた。

 そうやって歩んできたこれまでの人生が、幼少より二十数年間、他人を負かし、出し抜き、蹴落とすことだけを考えきた暇田麗司が、これしきの危機でそう簡単に生き方を曲げることなど、他でもない己自身が、全身全霊で許しはしなかった。いびつに発達し、狡猾にして卑劣な思考回路を持つに至ったこの男の脳細胞は、彼が今の今までそれを使って生き延びてきた証でもあり、また誇りでもあったのだ。当然、降参のジェスチャーを見せたのも、相手の油断を誘うブラフ以外の何物でもなかった。

 苦しんでいるふりをして、少しでも息を整え、ダメージを回復させる。【目目連】の能力を利用し、辺りを〝視て〟、役に立ちそうなものを探す。そして彼は、本来自分の目からは見えない角度に隠れていた「それ」を〝視つけ〟た。

 そこからの暇田麗司の行動は、非常に無駄なく、俊敏かつ効率的だった。

「シャおらぁっ!!」

 手に持っていた長ドスの残片を相手に投げつけ、同時に横に転がり、小さな岩の陰に落ちていた「それ」を掴む。

 芒山は、刃物が飛んでくるのに反応し、咄嗟に正拳を止めた。突き出していた正拳を撥ね上げて、手の甲で刃の側面を払い落とす。

 防御動作のあとの、ほんの一瞬の無防備――――この一瞬を見事モノにしたのは、暇田のほうだった。

「――もらったあッ!!」

 叫んだその手には、拳銃が握られていた。安物のトカレフ。死んだ仲間の異能者が使っていたものだろう。そう、先ほど彼が〝視つけ〟て拾ったものは、これだった。

 ドタマに鉄砲玉ブチ込めば、さすがにくたばるだろ――と、引き金に指をかける。

 しかし、ここで計算外だったのは、芒山の反応の速さが、暇田の予想を遙かに上回っていたことだった。

 暇田の指がトリガーを絞ったその瞬間、芒山の掌底によって銃底が打ち上げられ、弾道が大きく逸らされていた。真上に撥ね上げられた銃口が、夜空に向かって二発の火を吹いた。

 さすがの芒山も、突如突き付けられた銃口には、ほんのわずかながら焦りを感じたようだった。

「(これ以上、反撃の隙は与えん――!!)」

 獲物を仕留めることの出来なかったトカレフが、無慈悲にも上段廻しで蹴り払われる。芒山の豪蹴が、暇田の手首から手の甲あたりにかけてヒット。

 拳銃はいずこへと飛ばされ、手の平からは、折れた骨が肉を突き破って飛び出した。手首の関節部分も粉々に砕け、指の骨も三本逝った。これで暇田の左手は、完全に死んだ。

 だが、それでも暇田の顔に浮かんでいたのは、狡賢ずるがしこい捕食者の笑みだった。

 芒山の、ちょっとした動作の遅れと、わずかな焦り。それらがこじ開けた小さな〝破れ目〟は、妖怪【火間虫入道】の執念が、充分すぎる隙間だった。


 〝エラー・プロダクト〟――彼の異能が、本領を発揮する。


「ずぼっ」――と音がした。

 掌底の際に力強く踏み込んだ芒山の足が、地に沈んでいた。たまたま腐葉土の重なったもろい部分だったのか、もしくは小動物の掘った巣穴でもあったのか、膝のあたりまでしっかり埋まってしまっている。

「何っ……!」

 足を引き抜こうとした芒山だが、「泣き面に蜂」とでも言うべきか――太く大きな木の枝が、突然彼の頭上に落下してくる。どうやら、先ほど芒山のいなしによって上方に発射されたトカレフの弾丸が、ちょうど真上に生えていた枝をえぐって折ってしまったらしい。

 その枝が目くらましになっている隙に、暇田は相手の顔面めがけて、弓引くような動作から大振りのナックルを一発、そして皮靴のつま先で思い切り、顎を蹴り上げる。

 かなり効いたのか、芒山は「がふっ」とのけ反った。反撃にと、右の腕刀わんとう打ちを繰り出すが、その動きも先ほどに比べて幾分か鈍い。

 暇田は楽に見切りをつけ、馬鹿にするように、右手で指を弾き鳴らした。苦し紛れで繰り出したような攻撃には、彼の能力を差し込める隙も多い――。

 すると今度は、真上から落ちてきた弾丸が、芒山の右肩を射抜いた。思わず攻撃が止まる。

「――まさか、これは、さっきの……」

「ふっはは! 何を驚いているんだ? 上に向けて撃った弾がどこかに落ちてくるのは当然のことだろうが! 実際にそれで死亡した事例も世界中にあるくらいだ。ま、今回はその位置がたまたま、お前の上だったってのが、いかにも不幸極まりないけどなぁ!」

 芒山にとってはまさに「弱り目に祟り目」といったところだろう。これらの出来事は全て、暇田の異能による〝偶然〟だった。能力者本人とて、全てを計算して行っているわけではない。能力を使うことによって相手がどんなミスを起こすのか、もしくはどんな不具合が発生するのか、暇田自身にも分からない。だからこそ、【火間虫入道】暇田麗司は常に思考を怠らない。己が異能によって転がり込んできたチャンスを逃さず、臨機応変に対応するための反射神経と判断力を、これまでの実戦の中で必死に磨いてきた。

「見ろよ、この大逆転――――これが俺のやり方だ。悔しいだろうなぁ、俺より圧倒的に強いはずのあんたが、こうやって俺の前に跪いてるんだからよ」

 暇田は嬉しそうに、折れた長ドスを拾ってきた。さきほど芒山に投げつけて、弾き落とされたものだ。

「ええと……何だっけか? 確か付け焼刃のチンピラ刀がどうたらとか言ってたよな、え?」

 そのを使って、銃弾で抉られたほうとは別の、左肩を痛めつけておく。肘関節と肩の付け根を交互に数回ずつ、深々と刃を突き刺す。これで芒山は左腕も使えない。そうやって反撃を防いでおいてから、暇田はゆっくりと楽しむように、芒山の顔面を何度も何度も切り付けた。

「ぐっ…!」痛みにこらえながら、芒山が呻いた。暇田は自分の攻撃が、芒山の鋼の肉体にも通用しているのを見て、さらにテンションを上げた。

「よくもやってくれたよなぁ、あ? ミゾは痛えし、左腕はイカレっちまったし、部下も皆殺しにされちまった。お前はタダじゃ殺さない。これから楽しい拷問タイム、一体何をしてほしい? 言ってみろよ?」

 【火間虫入道】が前屈みになって、愉悦に歪んだ顔を近づけてきた。ご自慢の気味が悪いほど長い舌を出して、相手をおちょくるようにチロチロと動かすと、その先端に付けられたピアスが、カチャカチャと耳障りな音を立てる。

 芒山は「下衆が」と、一言だけ吐き捨てた。暇田は癇に障ったのか、芒山の顔面、ど真ん中に膝蹴りを叩き込む。

「――成る程な。リクエストなしってわけか……じゃあ、シェフのお任せコースでイカせてもらうぜ?」

 折れたドスの切っ先をちらつかせながら、「ど・こ・に・し・よ・う・か・な?」などと遊んでいる。

 暇田はもう、完全に勝った気でいた。滅多にない強敵、それも位階の高い警察官をいたぶることができる機会に、異常な興奮を覚えているようだった。

 しかし芒山はこれほどの窮地に追い込まれてもなお、諦めの境地には達していなかった。おそらくは右肩に垂直直下してきた二発の弾頭――それらは滞空中の運動エネルギーの消失、落下の際の空気抵抗が働き、思ったほどの威力が出なかったのだろう。右腕だけなら、左に比べればまだ損傷も浅く、気力を振り絞ればどうにか動かせる。だが、もし自分が先に動いてしまったら、異能を使わせる隙を与えてしまううえ、相手のほうが一手早く頸動脈を掻っ切ってくるだろうということも、彼は理解している。

「(チャンスを待つんだ。相討ちでもいい――とにかくチャンスが来たら、最大の一撃を叩き込んでやる)」

 そして芒山の命を弄ぶような刃の動きが、狙いを定め、ピタリと止まった。

「……そんじゃまず、目ん玉らへん、いってみようかぁ!?」

 暇田が兇刃を突き刺そうと振り上げた――その瞬間だった。


「――――――っあ゛!? まぶっ……!!」


 暇田は短い悲鳴を上げ、両眼をつぶって顔を背けた。

「……み、見えっ、何も見えねえ」

 ――彼から見える世界は、何もかもが真っ白に染まっていた。突如、完全に視界を失ってしまったことに、暇田は困惑する。

「てめえ、俺の目に……俺の目に何をしたあッッ!!」

 突然暴れ出したかと思うと、滅茶苦茶に、当たらないドスを振り回す。その奇態を見て、芒山も、一体何が起こったのか、理解できないでいた。

 ――だが、今この時が千載一遇のチャンスだということだけは、理解る。全力を込め、地中に埋まっていた足を引っこ抜いた。

 暇田は目が見えずともその気配を察し、過敏に反応する。

「や、やめろ……来るな! 寄るな! 近付くな!」

 わめき散らし、やたらめったらな軌道で刃を振り回すが、芒山の手刀が、その手首を強く打ち据えた。激痛でドスを取り落とす。

「あぐぅ……ッ!!」手首を押さえて呻く暇田。

 芒山は、銃弾にやられている右腕を無理矢理に引き起こした。暇田の胸ぐらを掴み、片腕だけで軽々と持ち上げる。【火間虫入道】は捕まった昆虫のように、往生際悪く足をばたつかせた。

「待て、待ってくれ……俺が悪かった。だから――」

「続きは署で聴こう」

 ――剛腕が、唸りを上げる。

 右腕一本だけで、相手の躰を、背負い投げのように――いやむしろ、殴り付けるかのように、地面に叩きつけた。

 大岩が落とされたかのような、衝撃。

 暇田の躰は、叩き潰された虫のように軋む音を立てて壊れ、血を吐き散らしながら気絶した。

 芒山は完全に敵を打ち倒したことを確認し、ようやく、深い吐息をつくことができた。

「それにしても――」と、彼は眉間にしわを寄せる。先ほど、相手の視覚が突然機能しなくなったと思われる、あの不可解な出来事を思い出す。

「――もしあのアクシデントがなかったら、やられていたのは私のほうだったな……」

 そして、周りの景色を侵食していた、紅い刻印――【目目連】の目が、いつの間にか消えて無くなっていることに気付く。これも、先ほどのアクシデントと関係あるのだろうか。おそらくは、誰か味方の仕業だろうと、芒山は思う。

 彼は、気を失っている暇田の躰を、手錠と衣服の切れ端で拘束してから、肩に担いだ。そして林の外へと向かって歩きだす。

「(戦況はもう殆んど、私達に傾きつつある。だが、こちらの被害も甚大になってしまった。みんな、どうか無事でいてくれ……)」

 ――――特警隊長芒山翁達は、祈るような気持ちで足を速めた。






(【玖】へ続く――)

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