『咎負い人の十字架』【4】




「姐さん!」

「アキラさん!」

 王とカインが驚きの声を上げたのは、ほとんど同時だった。

「遅くなって悪かったな。アタシの護衛してたとこが一番近かったから、隊長に頼まれて急いで来たってわけ。他の奴らも遅れてやって来るはずだよ」

 これは頼もしい味方が来たな、と二人は思った。

 それに対し、相手側のコンビは、まずいことになったと、焦燥を隠しきれないでいる。

「ちぃッ! 女ごときが槍担いで戦士のまねごとか? 片腹痛いわ、反吐が出る」

 苛立つ屋古部に対し、叉井は素早く起き上りながらバックステップで間合いを取った。

「屋古部、女性蔑視は我らが宗教の恥ずべき因習ですよ。使徒の眼前に立ちふさがる限りは、老若男女分け隔てなく神敵であることに変わりはないのです。ただ全力で滅殺するのみ」

 二人の聖職者の会話を軽く聞き流しながら、アキラはカインに向かって「で、赤ちゃんは?」と状況の説明を求めた。

「そこの階段の下の地下聖堂に、もう一人、年輩の神父が――」

「ふうん、そっか――」最後まで聞く前にアキラは踏み込んで、柄の端まで全て金属で出来た長槍の取っ手部分を握り込み、渾身の力で屋古部に向かって打ち込んだ。彼女の使う鉄槍には、柄の途中に細長い六角形の輪のような部位があり、そこを握って取り回すことが可能なのだ。あまりの速さに、屋古部は柄でその超重量の打撃を受け止めるのが精一杯だった。コォオオオンと金属音が高らかに響き渡る。

「グゥッ……!」女と思って油断していたのだろう、神父はアキラの打ち込みの膂力に、思わず片膝をついた。

「お前ら、いいから早く下に行って赤ちゃん助けてやれよ。コイツらはアタシが引き受ける!」

 さすがのアキラでも、この二人を同時に相手して立ち回るのは厳しいのではないか――と、カインは心配になったが、女傑の有無を言わさぬ睨みつけによって、口から出かかっていたその言葉を飲み込んだ。

「分かりました。敵は自由に操作できる円月輪のような武器と、治癒不能で進行形の破壊をもたらす槍を使用します! それに、彼らは武器の異能だけで、まだ自らの能力を使ってはいません……充分に気を付けて下さいよ!!」

 カインと王は、素早く前に走り出した。

「引き受ける……だと? お前ごときが? 俺ら使徒をなめるんじゃねえっ!!」

 激昂した屋古部が、凄まじい腕力でアキラを押し返すが、彼女は上手く入り身と転身を駆使して、するりとその力を受け流した。お互いの位置が入れ替わり、アキラは地下聖堂への階段に背を向ける形となる。カインと王はほとんど黒影にしか見えぬほどのスピードでその脇を通り抜け、階段を駆け下りていった。

「くそがあっ!!」

 神父が神槍を脇に挟み、そのまま身体ごと捻る勢いで横薙ぎを繰り出すのを、アキラは縦に構えた鉄槍の柄で受け止める。彼女の持つ槍は、見た目から想像するよりもはるかに重い質量と、しなやかな頑強さを併せ持つ。

「アンタらの妙ちくりんな武器と一緒でね、アタシの槍にもちょっとしたいわくってやつがあってさ。悪いけど、生半可な攻撃じゃ刃毀れひとつ付かないよ」

 どうやら硬度で敵の『ロンギヌス』に勝っているアキラの鉄槍は、相手の刃を受けても「傷が付く」ことはなかった。つまり、生身にさえ攻撃を喰らわなければ、神槍の持つ能力に侵されることもない――ということだ。

屋古部は防がれた己の槍を腰まわりで反転させ背中に回し、そこから意表をついた刺突に繋げた。

 それと同じタイミングで叉井が屋古部の肩に跳び乗って、足掛けさらなる跳躍。二人の上空を飛び越え、隠し階段へと舞い降りようとする。

 アキラは槍の穂先を床に突き刺し、そこから棒高跳びの要領で飛び上がって屋古部の刺突を躱しつつ、同時に空中での蹴りで叉井を叩き落とした。

 撃墜された牧師は床に激しく躰を打ちつける。それに続き、身をよじりながら奇麗に着地したアキラは、そのまま遠心力に任せた回転で長槍を薙ぎ払った。柄の端の方を持って振るったため、かなり攻撃範囲が広い。叉井はネックスプリングで跳ね起きて難を逃れる。槍は止まることなく屋古部に迫ったが、彼は慌てずに刃を下段に構えた己が十字槍で、アキラの槍を押し止めた。そこから十字の交差部で相手の槍を捕まえたまま大きく神槍を持ち上げ半円を描き、床に叩き付けた。アキラの槍の穂先が十字の刃によって床にはりつけにされ、一時的に使用不能となる。間髪入れずに屋古部が右ハイで蹴り付けてきたので、アキラは空いていた左腕でガードした。

 彼女は拘束された自分の槍を、後ろに引き抜いて自由にした。そこへ叉井が接近し、両の手に持った荊冠輪を連続で切りつけてくる。フックで殴り付けるような左右交互の横薙ぎ、回転しながらの袈裟掛け、足元を狙った斬り付け――叉井の使う二本の大きな円月輪による近接格闘は、中華の武器術にある「エツ」や「ケン」、「月牙子げつがし」などと呼ばれる短双器械の用法とも似ている。扱いやすさでは刀剣などには及ばないではあろうが、接近戦でも十分に危険な代物だった。

 しかし、本職の槍使いであり、あらゆる国の武器術にも通ずるアキラに対して、この程度の技は通用しない。全ての攻め手をいなされ、近接戦闘では埒が開かないと判断したのか、叉井は高速のサイドステップでアキラを惑わしながら横へと回り、荊冠輪を彼女の首に目がけて飛ばしてくる。

 一対の荊冠輪は頸動脈を切り裂くべく続けざまに飛来したが、アキラは振り子のように上体を揺らしてそれらを回避した。そこに槍を持った屋古部が回り込む。彼が荊冠輪の軌道上に立ちふさがると、空を切った二つの輪はスピードを落とさずそちらへと向かっていった。黒眼鏡の神父はにぃと笑い、槍の穂先と石突きを輪っかの中心に通して二本の戦輪をキャッチ。それらを、オールを漕ぐような動きで槍から解き放ち、再びアキラに投げ返す。

 ――こいつら、相当コンビネーションプレイに慣れてるわね。

 アキラは息の合った二人の攻撃を躱しながら、背後に居る叉井を振り返り、心臓めがけて絞り出すように槍を突いた。叉井は間一髪で躰を横に逃がすが、アキラの槍は思った以上に速く、傷こそ受けなかったものの、彼の着るキャソックが穂先に貫かれた。

 もちろんこの機会を逃すアキラではない。彼女は手首の動きで、槍の先端が円を描くよう器用に回し、貫いた衣服を逃さぬようにがっちりと巻き取った。そこからくるりと敵に背向け、鉄槍の柄を肩に担ぎ、一本背負いの要領で牧師の身体をド派手に投げ飛ばした。

 ――なんとも豪快な投げ技だった。叉井の身体は床に強烈に叩き付けられたのち、幾度も跳ねて転がった。

「畜生、どうなってやがるあのクソアマ……!」

 屋古部が悪態をつき、派手に転がって行った相棒の牧師を振り返る。しかし、叉井も素人ではない。しっかりと受け身を取り、既に追撃を許さぬ態勢に移行している。素晴らしい身のこなしだ。

「屋古部、認めなさい――彼女は強いですよ、驚くほどに。ですが、これは喜ぶべきことです。敵が強ければ強い程、試練が厳しければ厳しい程、私達の信仰が試されているということなのですから」

 真面目な牧師が服の埃を払い、サングラスのずれを直しながら説教を垂れるのを、ガラの悪い神父はいつものように聞き流した。

「こんな女相手に〝秘跡〟を行うなんて屈辱極まりないが、だが背に腹は代えられん――か」

「そのようですね……例え彼女を出し抜いて地下堂に降りる事が出来ても、中に居るあの二人の刑事と挟み撃ちになっては分が悪い。ここで確実に排除しておく必要があります」

 仁王立ちの女傑は首をコキコキと鳴らし、槍を構えなおした。

「ほら、いつまでも喋ってんなよ、三下ども! さっさとかかって来ないなら、私からいくぞ!!」

 アキラが踏み出そうとした、その時だった。

「悔やむがいい、女ァ! 我らが神の庭で使徒に戦いを挑んだことを!! 其処に主が御座すのなら、我が槍は何処にでも届くと知れ――!!」

 屋古部は穂先を下に向けた槍を祈るように掲げ、それを勢いよく教会の床に突き刺した。

 とても意味のある行動には見えない。だが、初速からトップスピードに達しかけていたアキラの足は、何か恐ろしい直観に囚われて、急ブレーキで動きを止めた。

 その第六感は、信ずるに足るものであった。

 槍が―――。

 敵の聖槍が、足元の床からいきなり突き出してきたのだ。

「えっ!?」

 神父との距離は十メートル近く離れている。刺突の届くはずのない距離である。不意を衝かれたアキラは太腿に切り傷を負ってしまった。

 神父は床に刺さった聖槍を引き抜き、さらにそれを大振りに床に叩き付けた。彼の腕力であれば、古ぼけた教会の板張りの床など簡単に粉砕してしまうだろう。しかし、まるで吸い込まれるように、もしくは映し出されたホログラムをすり抜けるかのように、抵抗なく槍は床に沈んでいった。そして今度はアキラの背後の床から、まるで仕掛けてあったトラップが起動したかのように十字槍が跳ね上がってくる。

「くっ!」アキラは自分の槍を背負うように背後に回し、襲いかかる十字の刃から身を守った。

 ――これこそが神父屋古部の用いる〝秘蹟〟であった。

彼の能力は、武具で目に見えぬ「空間の歪み」を貫くことだ。そうすることによって座標を変えて、「武具による攻撃」だけを瞬間移動させることが出来るのである。

 床から、長椅子から、あらゆる方向から飛び出してくる神槍の攻撃に、アキラは防戦一方にならざるを得なかった。

 叉井はその様子を見ながら、手から離した二つの荊冠輪をその場に留まらせ、レコード盤のようにくるくると回転させていた。力を溜め込んでいるかのように空中で待機させられていた荊の冠は、アキラの前方の防御が空いた瞬間に解き放たれ、縦に回転しながら車輪のように床を疾走する。

 バックスピンの掛かったまま直進する荊冠輪は、激しく木片と埃を撒き散らす。目眩ましだ。視界不良好の中、対になって走る車輪がいよいよ接近し、アキラの三メートルほど手前で唐突に飛び上がった。茨の冠は相手に防御する暇を与えず、通り過ぎざまに両肩の肉をえぐり取っていく。

「つうっ……!」

 荊冠輪を陽動に使い、叉井はアキラの意識を自分から逸らさせ、素早く相手の背後へと回っていた。移動しながらも通常のチャクラムを投擲し、攻撃の手を休めない。それでもアキラは、屋古部のテレポートする十字槍の連撃と、叉井の投げた複数のチャクラムを見事な立ち回りで防ぎきった。

 アキラの背後を取った叉井は、己の元に呼び戻した一対の荊冠輪を、慣れた手つきでキャッチする。

「(まずいわね……太腿の傷が大分開いてきた……)」

 彼女が左大腿部に負った傷口は、神槍『ロンギヌス』の能力によってじわじわと身体を蝕んでいく。とにかく長期戦に持ち込むのは得策ではない――アキラはそう判断した。

 動けるうちに一刻も早く敵の人数を減らすべく、彼女はまず、どちらかというと接近戦の不得手そうな叉井から始末することにした。相手の虚を衝き、踏みしめる両足に力を溜め、全身のバネを一斉に使って床を蹴る。牧師と女刑事の離れた距離は一瞬で縮められた。相手にとってはアキラが瞬間移動でもしたかのような錯覚を覚えたはずだ。仙術の流れを汲むアキラの流派に伝わるそれは、伝説の仙人などが使うとされる〝縮地法〟と何ら遜色のない移動法である。

 跳び掛かり、前方宙返りをしながら回転の力を込めて縦一文字の打ち下ろし。

 ――無理だ、避けられぬ――

 叉井は瞬時に死を覚悟したが、その打ち下ろしは突如目の前に出現した十字架によって防がれた。刹那の間の出来事だった。牧師にとって救いの十字架に見えたそれは、屋古部の能力によって瞬間座標変換させられた十字槍『ロンギヌス』であった。

「ぼおっとしてんなよ、間抜け牧師が!!」

 危機を救われた牧師は、急いで再び距離を空けた。

「まさか怪我をした足であれほどの移動が出来るとは――正直言って見くびっていましたね。すみませんが屋古部、私は『上』で戦うことにします」

「だから初めからそうしろっての……」

 神父と牧師のその会話は、女刑事にとっては理解不能の内容だった。

「上で……戦う? 何のことだ?」

 だが、彼女の疑問はすぐに解消することとなる。壁際まで後退し追い詰められていた叉井は、なんと教会の壁に足を掛け、そのまま、重力に逆らって壁面を歩行しだしたのだ。脚力で駆け上がったわけではない。すたすたと、早足で歩いている。無重力散歩とでも言うべきその歩行は、天井にまで行動範囲を及ぼした。

 彼は蝙蝠のような逆さまの格好で天蓋に立ち、眼下に小さく見えるアキラを文字通り「見下し」た。

「〝天地創造ザ・クリエイティヴ・フィールド〟――これが私の行う〝秘蹟〟です。私の足を付けた所は地となり、頭の向けられた方向は天となる。この能力を用いている間、私は星の重力に干渉されないのです――」

 荘厳な宗教画の施された石造りの天井を踏みしめ、叉井は誇らしそうに両手を広げた。

 アキラは「少し困ったな」というような顔をした。天井を歩くような敵とは、今まで戦ったことがない。そして何より――教会の天井は高く、二人の距離は全力で飛び上がっても武器が届かぬほど遠かったのだ。

「流石の貴方でも、重力の干渉のもとでこの高さをひと飛び……というわけにはいかないでしょう。あの拳銃使いの刑事がいれば、話は別でしたがね。もちろん、こちらは安全圏から好きなだけ攻撃させて頂きますよ」

 はるか高みで勝ち誇る叉井を見上げながら、アキラは大きく舌打ちをした。

「さて、と……。では、我ら使徒屋古部と叉井の波状二重奏――本当の『全方位攻撃』というヤツを、とくとご覧頂こうかぁぁああっ!!」

 屋古部が狂喜の雄叫びをあげ、頭上でごうごうと槍を旋回させた。

 大見得を切った彼がその後一体何をしたのかというと、神槍を極力長いリーチで使うため、柄の先端――それもほとんど石突き付近の最先端だ――を掴み、それを鞭のように目にも止まらぬスピードで振り回し始めたのだ。それは、さながら吹き荒れる旋風つむじかぜのようだった。

 屋古部はその鎌鼬の鞭を、やたらめったら床に叩き付けた。狂ったような打撃斬撃の嵐は、衝突した床を媒介にし、彼の能力によってアキラの足下の床へと転移される。

その猛攻に合わせるように、叉井の投げ放った荊冠輪も天空より遣わされた。指揮者のように牧師が両手を振るうと、一対の茨の冠は、まるで意思を持った生き物のように複雑な軌道で襲い掛かってくる。鳥のように旋回し、時には毬のように床を跳ね、あらゆる方向から標的を切り刻もうとする。

 ――そこからのアキラへの波状攻撃は熾烈を極めた。防御も全く追いつかず、アキラはあっという間に傷だらけになった。黒のロングコートはズタズタに裂けて、至るところが鮮血の流れる肌の剥き出しとなっている。もはやどの傷がどっちの武器で付けられたものなのかも判別が付かない。

 だが、女傑――炎上寺アキラは容赦ない攻撃と失血で朦朧としかけた意識の中、かろうじて持ち前の根性と闘争本能だけで立っている事が出来た。二本の足で立ち上がっていられるうちは、絶対に諦めるわけにはいかない――それが若干古臭い、彼女の戦闘スタイルだった。誰がどう見てもジリ貧で敗北決定であるこの状況の中、アキラはただただしぶとく反撃の機を窺っていた。

「ハハハハァアッ! こんなものかよ、女ァア!! 俺らの肋骨から生まれた分際でいっちょまえに槍振り回してみたところで、男に勝てるとでも思っていたのか!? 我らが聖典にも記されている、お前らは俺ら男の慰みものとして造られた劣化コピー品だってなぁ!!!」

 興奮のせいか怒りのせいか、屋古部の攻撃はますます速く、強く、獰猛になる。しかし、猛れば猛るだけ、荒れれば荒れるだけ、技が粗くなるのもまた事実だ。そして屋古部の勢いにつられてか、段々と相棒である叉井の投げる荊冠輪やチャクラムの攻撃でさえも、若干の精度が落ちてきたように感じられた。

 アキラはひたすらに耐え忍んでいた。それに対し、休むことなく猛攻を仕掛ける神父と牧師はもはや勝利さえ確信し、恍惚の笑みを隠しきれずにいた。――しかし、婦女子をいたぶる二人の聖職者は、一つの重大な誤算をしていたのだ。


 ――彼らは知らない。

 そう、炎上寺アキラは追い詰められてからが、一番強いということを―――。





 ――さかのぼること、数分。

 交戦中のアキラと二人の使徒を地上の教会に残し、カインと王は老司祭の下って行った階段を駆け降りた。

 その先に続く通路は真っ暗なため、彼らはベルトのホルダーから懐中電灯を取り出す。ロッド部分が長く頑丈に造られた、護身用の警棒としても使える軍用品だ。

 灯かりで照らされた長く続く地下通路を疾走しながら、カインが周辺を観察する。土や岩盤を掘り進んだと思われる、狭い通路。使徒叉井はこの通路の奥に地下聖堂があると言っていたが、想像していたよりもずっと奥までトンネルは伸びていた。地面、壁面、天井はただ地中を掘り抜いて所々を木の柱で補強しているだけの代物で、まるで炭鉱のようでもあった。湿った土に囲まれているためか、空気はひんやりと冷たい。

「先輩、アキラさんは大丈夫ですかね……」

 カインは立ち止まることはせず、意識だけで心配そうに後ろを振り返る。

「あの女傑相手にお前さんが心配なんざ、はっきり言って余計なお世話だと思うぜ? そんな口きくのはせめて姐さんに組手で勝てるようになってからにしとけ」

「まあ、それはそうですけど――奴らだって只者ではありませんし……」

 カインは少し拗ねるように呟いた。だが事実彼は、実戦的な組み手の訓練で炎上寺アキラに勝てたことは一度もなかった。武器の制限や反則のない殺し合いならともかく、道場でのルールありきの勝負なら、王やアキラはカインより一枚も二枚も上手だった。

 特にアキラなどに至ってはその実力から、新人や他の隊員を複数率いており、特警の中でも「徒党を組んだ多数の異能者」の鎮圧にあたる荒事専門――謂わば普警における機動隊のような班で、班長職を任されている程だ。これは、特警の戦闘部隊全域においても分隊長のようなポジションを与えられているにも等しい。それに対し、王の率いる班は少数精鋭、基本的に二人組程度で動き、「極めて殺生力や戦闘能力の高い単独犯」の追跡等を担当することが多い。他にもスナイパーを集めた狙撃班や、裏社会や暴力団関係に繋がりの強い人材を集めたいかがわしい班など、特警戦闘部隊の人事では適材適所の采配がなされている。

 任務や訓練で二人の先輩刑事の実力を厭と言うほど認めているカインは、素直に王の言葉に従った。

「それよりお前の方が問題だろ、その傷……」

 ちらりとカインの脇腹とふくらはぎに付けられた傷口に目をやる王。それらは敵の武器に込められた異能により、現在進行形でカインの身体を破壊し続けている。

「確かにまずいですね……傷口が大きくなるのももちろんですが、とにかく血が止まらない」

 屋古部の神槍によって付けられた刺創・切創は、現代医療や自然治癒によっては決して癒されることのない特殊な傷痕だ。能力の進行具合から見て、あと小一時間も経てばカインの足は腐り落ち、脇腹の刺傷も骨や内臓まで達するものになるだろう――もちろん、縛っても止血剤を使っても何ら効果はない。

 仕方ないな、と王が溜め息をつき、突然カインの膝裏と脇の近くを一本貫手(人差し指一本で穿つ貫手だ)で強く突き刺した。

「ぐぉ……うぅおおお!?」

 あまりの激痛に一瞬カインの呼吸が止まり、走るのもやめて激しく身悶えた。

「……な、何するんですか先輩! 今ので本当に死ぬかと思いましたよ!!」

 怒るカインに対し、王は肩を透かして、

「だからこれは使いたくなかったんだよな……。でも、血は止まっただろ?」

 と悪びれもせずに言った。

 カインが驚き、自分の脇腹に手を当てる。

「あ、本当だ……」

 見るとふくらはぎの出血も収まっている。どうして、と不思議そうな顔をするカインに、王は「点穴だよ」と簡単に説明した。

「てんけつ……?」

「まあ、言っちゃツボみたいなもんだな。大陸に伝わる、経脈遮断の技術さ。ツボを突いて毒の回りを遅くしたり、敵に使えば呼吸や動きを止めたりも出来る。もっとも、正確に突かなきゃ効果がないから、戦闘中に使うのは至難の業だがな。嘘臭いのになると、昔の達人が使った、五歩歩いたら死ぬ『五点掌爆心拳』とか、時間を空けて相手を死に至らしめる『三年殺し』なんて技もあるが……これらは伝承の域を出ないな」

「は、はぁ……」

 王がこの国の剣術だけでなく、大陸の武術にも通じていることは知っていたが、今回ばかりはさすがのカインも呆気にとられていた。

「というか、オレは剣術の鍛錬ばかりでまだツボ押しのほうは半人前だからな。危険も伴うし、本来、修行不足のやからがみだりに使っていい術じゃねえんだ」

 それでも充分に凄い、とカインは思う。

 いつも携帯している、救護班から支給された特警御用達の止血薬も大した効能ではあるが、王の用いる点穴の技術はそれをも上回っている。しかし、あの激痛もセットとなると、使うのを躊躇するのも仕方のない事だろうか――。

「血は止まってるが、能力を封じたわけじゃねえ。あくまでも気休めに過ぎないから、とにかく急いだ方がいいぞ」

 王が顎で通路の先を促した。その言葉を合図に、二人は再び走り出す。

「しかし、この教会、一体どういう造りをしているんでしょうね?」

 カインが不可解な表情を浮かべ、土の天井を見上げた。通路は二人が思っていたよりも、ずっとずっと長かった。既に地上の教会の面積は優に超える距離を走らされている。

「これだけの距離だ――とっくに教会の敷地内は出てるだろう。柱を見てもかなり古いものだし、戦時中か終戦後に掘られたものかもしれんな」

「風は今のところ感じられませんし、おそらく外に繋がってる訳ではなさそうですけど――」

 とにかく、一本道である以上、さらなる隠し通路でも存在しない限りは、老神父は必ずこの通路の先に居るはずなのだ。

 ――それから二分ほど走ったところで、ようやく暗闇の前方に鉄の扉が現れた。

「なるほど、ガッチリと閉門されちゃってますね――」

 カインは走行速度を緩めずに、横を走る先輩刑事に語りかけた。

「上等だ……!!」

 王が威勢よく飛び出した。精神を統一し、呼吸を整える。極限まで高められた集中力とともに、居合抜きを繰り出した。

 斬鉄――。

 瞬間、「ピシッ」と乾いた音だけが響き、鋼鉄の門扉に二つの切れ目が入った。カインが助走の勢いのままそれを蹴り破ると、扉は四つの鉄塊になって吹っ飛ばされる。

 特殊刑事たちは、扉の奥、地下聖堂の中へと転がり込んだ―――。





 ――炎上寺アキラは苦戦していた。

 調子づいた神父が、ご機嫌で槍を振り回す。

「だいたいなぁ、蛇にそそのかされて先に魔道に堕ちたのも、お前ら女の祖先だったんだ! そのあと果実を勧められた男はとんだとばっちりじゃねえか! 何度読んでも気に食わねえ、お前らみたいな浅はかで頭の悪い生物のせいで―――」

 黙って聞いていたアキラも、さすがにうんざりしてきた――いや、むしろ堪忍袋の緒が切れた、と言うべきか。

「ああーっ! もうっ、うるっさいなぁ!!」

 彼女は投げやりに走り出し、神槍と荊冠の結界から抜け出して、講釈を垂れる屋古部の胸板を喧嘩キックで思い切り突き飛ばした。神父は吹っ飛びながら不様に尻餅をつき、長椅子に背中を打ち付けた。

「べつになぁ、苦労話聞かせる気も説教垂れる気もないけど……ね。こっちは腕っぷしの男社会で長い間やってきたんだ、あんたみたいなしょうもない男の言い分なんて、とっくに聞き飽きてんのよ!」

 アキラはそう言って屋古部を見下ろし、さらっと長髪を掻き上げた。

「んだとコラぁ?」屋古部が吐血しながらよろよろと起き上るのを無視し、彼女は続いて天井の叉井のほうを見上げた。

「それからなぁ、あんたもだ、あんた! さっきから安全な所からピュンピュン投げ輪飛ばしやがって、鬱陶しいんだよ! いいからさっさと降りて正々堂々勝負しやがれ、クソ神父!!」

 クソ神父――である。

「なんですって……――?」牧師叉井は過敏に反応した。

 その瞬間、常に冷静沈着であった叉井の表情に、不穏な翳りが落ちる。

 アキラは自分が禁句を口走ったことなど、全く気付いてなかった。彼女に蹴り落とされても、槍で担ぎ投げられても、怒ることもなく平静を保っていたその牧師は、ただ一言、「神父」と呼ばれたこと――それだけで烈火の如く怒り狂った。

「だぁまぁれぇぇえ!! このッ……、ベイベロン売女がぁあっっ!!!」

 豹変した牧師は手元に戻した荊冠輪を両腕に通し、更に両手の全ての指の間に計八本のチャクラムを挟み、その腕を十字に交差して構える。

「このぅうわたしを神父と呼ぶなぁぁあああああああああああああああ!!!!」

 ――完全に怒り狂っている。叉井は甲高い声で叫びながら、二本の荊冠輪と全てのチャクラムとを、荒れ狂う感情に任せて投擲した。

 しかし、いくら怒ろうが猛ろうが、もう彼の攻撃はアキラには通用しなかった。先ほどまで散々受けてきた攻撃だ。軌道もタイミングも攻撃パターンも、既に読み切っている。アキラはそれら飛来する輪の群れを正確に見切り、一本残らず槍で叩き落とした。目が彼らの攻撃に慣れていたこともあるだろうが、やはり追い詰められたことで集中力が段違いに上がっている。

「なんで怒ってんのかよく分かんないけど、あくまでも降りてくる気はないってことね。――じゃあ別にいいよ、そのままそこに居ろ」

 冷ややかに言い放ったのち、彼女は着込んでいたレザーの黒コートの前を開けた。腰の横あたりから、先端に手錠型のギミックが取り付けられた太い紐のようなものをしゅるしゅると引っ張り出した。

「死んでも槍は離すな――っていうじッちゃんの教えには反してるんだけど、ま、仕方ないわね」

 アキラはその手錠をカチリと槍の柄の取っ手部分に掛けると、紐の部分――といっても細めの縄くらいの太さはある――をさらに引き伸ばし、それを持って投げ縄のように頭上でぶんぶんと振り回し始めた。

 やはり、豪快の一言に尽きる。

「おいおい……」屋古部は唖然としていた。

 アキラが振り回しているのは、丈夫な鋼線を編んで作られた、特殊なロープだった。鴨志田老人の開発したもので、かなりの強度と柔軟さを併せ持つ逸品である。その逸品が数十メートルの長さに渡って彼女のコートの下の装置に収められているのだ。そしてその装置というのは、内蔵された仕掛けによって、ロープを引き延ばすのも巻き取るのも自由だという優れものだった。無論、これは本来ビルや高所からの降下作戦に使用するための道具であったのだが……そんな事は今の彼女にとってお構いなしのようだった。

「うぉぉおおおおおおりゃぁあああああああああ!!!!!」

 凛とした見た目からは想像もできないような大声を張り上げながら、アキラはその鋼線で繋がれた鉄槍を思い切り振りかぶって、教会の天井に叩き付けた。

 超重量の鉄槍に凄まじい勢いと遠心力が加わり、天井はまるで地割れでも起こったかのように切り裂かれた。轟音。瓦礫。飛び散る破片と粉塵――。

 天井に描かれた、古ぼけて色褪せた巨大な宗教画は、鉄槍によって引かれた線――その破壊の痕によって真っ二つに断裂させられた。

 あまりの突飛な攻撃方法に面喰っていた叉井ではあったが、ギリギリのタイミングでその大いなる斬撃を躱すことだけは出来た。天井に足を付けた状態でも自由自在に動き回れる彼は、横に跳んで何とかその災厄をやり過ごしたのだ。

「しかし、冗談ではないですね――」

 こんなものを何回も立て続けに喰らったら、〝天地創造〟による足場が無くなってしまう。相手が次の攻撃に繋げる前に、迅速に葬り去る必要がある。

「殺す……殺してやる! あの女、原型も留めないほど細切れに切り刻んでやる……!!」

 武器を強く握り込む叉井。荊冠輪のいばらのような構造は、持つ者自身の身をも傷つけ、彼の手から血が滲み出る。

 粉塵で覆われていた視界が晴れると、叉井は怒りの矛先をぶつけるべく、眼下に女刑事の姿を探した。

 しかし――。

「――い、いない!?」

 牧師は大いに周章する。

 見下ろした先、視界の隅々まで敵の姿を探したが、炎上寺アキラはどこにもいなかったのだ。

 その時―――。


「どこ見てんだよ、こっちだクソ神父」

 ――後ろから、声がした。


「だから私を神父とよぶなと――!!」

 激怒し振り返る牧師は、あることに気が付いていなかった。――そう、声は「後ろからした」のだ。

 ――バカな。ここは私の〝秘跡〟によって定めた「地」だ。凡人がそこに足を付けることなど不可能なのだ――。

 彼がその事に気が付いた時には、もうすでに遅かった。

 振り返った先――すぐ後ろに、彼女はいた。それは叉井の視点から見ると、なんとも奇妙な光景であった。彼から見たところの地面(天井)に深く突き刺された鉄槍――そこに逆さまの格好でしがみ付いている炎上寺アキラ――。そのおかしな光景に、彼は一瞬だけ、まなこを奪われてしまった。

 ――次の瞬間。肋骨を砕き内臓を拉ぐ重い一撃が、叉井のあばらにめり込んだ。

蹴りだ。渾身の蹴りである。そして牧師はようやく理解した。炎上寺アキラは粉塵の煙幕が叉井を覆っている間に槍を投げて天井に突き刺し、ワイヤーの装置を巻き取って天井――否、天上まで登ってきたのだ。

 彼女の蹴りの威力は凄まじく、はたして抜くことが出来るのかどうかも疑わしい程に深々と天井に突き刺さっていた彼女の槍でさえも、その衝撃でボゴリと石塊ごと引っこ抜けてしまった程だ。

 アキラは叉井と一緒になって落下した。彼女は空中で相手の胸ぐらを捕まえて、その上に圧し掛かるように落ちて行く。

物凄い衝撃音とともに、叉井の身体が床に激突した。

叉井は目を見開き、自分の上に乗っている女を睨みつけると、咳き込むのを我慢するように不自然に噎せ、「かはっ」と大量の血を吐き出した。そのどす黒く赤い液体がアキラの顔にかかった。

「叉井――ッ!!」

 相棒の敗北の瞬間を目の当たりにした屋古部が、みっともなく狼狽える。動揺する神父を、アキラは鬼の形相でキッと睨みつけた。どす黒い血で濡れたその顔は――まさに赤鬼だ。

「しゃらくせえぞ、女ァアァあ!!」

 動物的本能と、己がプライドの狭間で逡巡していた屋古部ではあったが、結局は彼の「狂信」が、警告を発する脳を無視してその身体を突き動かした。

 屋古部は黒衣の裾をはためかせながら、アキラの目の前に飛び込んだ。

「アホだな。さっきみたく遠距離で攻撃してたら勝てたかもしれないのに……」

「うるせぇ! お前は直々にぶっ殺す!!」

 突進する屋古部に向けて、槍を構えなおすアキラ。

「気が合うわね――アタシもちょうどアンタをぶっ殺したいと思ってたところだよ!!」

 二人の槍使いは、お互いを刺し殺せる間合いにまで接近した。

 頭上で旋回する神槍。遠心力を乗せての中段薙ぎ払い。アキラはそれを鉄槍の柄で受け、続いて石突きの付近をアウトサイドキックで下段から蹴り上げた。すると自らの槍と共に相手の神槍が撥ね上がる。そこから棒術の要領で、敵の左右の肩口に連続して槍を叩き込もうとする。屋古部はメトロノームのように素早く神槍を振り、両サイドから来たる槍頭と石突きを打ち払った。そして防御から、流れるように刺突へと繋げる。

 首を曲げてすれすれに避けるアキラだが、十字槍の刀身に取り付けられた、枝分かれした刃がアキラの頬を冷たく掠った。

 ――これが厄介なのよね、十文字槍は。

 アキラは通り過ぎていくその武器の形状に目をやった。

 十文字槍での攻撃は、真っ直ぐな点での「刺突」が「斬撃」も兼ね備えている。しかも、躱された場合は引き戻さなくては次の攻撃に繋げられない通常の槍とは違い、避けられた後の引き戻しでも、切り付けたり引っ掛けたりすることが可能なのだ。この機能は中華圏の長柄武器「ゲキ」にも近く、謂わば、古代大陸で使われていたところの「ソウ」と「」を合わせたような働きか――。

 さらに屋古部はその十字槍の形状を利用し、連続した刺突の中に巻き技を織り交ぜ、アキラの鉄槍を絡め取ろうとする。しかし、単純に槍術の腕前だけなら、どうやらアキラの方が屋古部よりも一枚上手のようだった。彼女は蛇のように巻きついてくる神槍を巧みに外しながら、ただ一点を見つめて鋭い刺突を繰り出した。突き出された鋼の刃は、まるで針の穴を通すように屋古部の多段攻撃の隙間を進み、そのまま左鎖骨へと吸い込まれていった。

「っ……!! ぐあぁっ!!」

 神父は呻き声を上げた。自らの肩から鉄槍を引き抜き、数歩後ろに下がった。今度こそ、彼の狂信者としての矜持が、それを上回る恐怖の前に敗れ去ったのだ。

 ――駄目だ。この状況では、そして自分の力量ではこの女には勝てない。

 瞬時にそう判断した屋古部は、踵を返して地下堂への階段へと逃げ出した。

「この期に及んで仲間に助けでも求めるつもり……? 下にはカインと王だっているのに」

 アキラは、痙攣を繰り返す瀕死の叉井にちらりと視線を送ってから、自らも暗い穴の中に飛び込んで行った。

「逃がさないわよ……!!」

 階段をほとんどすっ飛ばして飛び降りたアキラに向けて、屋古部の乱暴な声が響いた。

「来やがったな――!!」

 その怒号に合わせて、横の壁面から十字型の刃が飛び出してきた。

 これは躱しきれない――アキラは左上腕に神槍による切り傷を負う。屋古部は厭らしい笑みを浮かべながら、地面から槍を引き抜いた。

「馬鹿め――馬鹿だな、馬鹿な女だ。縦横二メートル程のこの通路では、さっきまでのだだっ広い空間と違って、俺の能力により全方位からの攻撃が可能だ」

 屋古部はさらに横の壁面に神槍を叩き付けた。今度はアキラの頭上から、振り子のように刃が襲い掛かってくる。アキラは鉄槍を斜めに担ぐように頭の後ろに回し、その刃の進行を押し止めた。

「くはは……! 加えてこの狭さでは、自由に身動きすることも出来んだろうが!! たとえ俺に近づけたとしても、その長物を振り回すことも不可能だしなァ!!」

 成程。女傑は虎穴に飛び込み、そして完全に罠に嵌ったわけだ。今から引き返したとしても、階段を駆け上がって通路から飛び出すより、屋古部の槍の一振り、一突きのほうが断然速いに決まっている。かと言って、間合いを詰めようとしても、両者間は十メートル程も離れている。壁や地面を介して自在に移動できる屋古部の槍を回避しながら近接戦闘に持ち込むのは至難の技だろう。

 しかし。

 絶望的な状況にもかかわらず、その凛とした女傑はいつも通りのさばさばした態度を崩さなかった。

「だったら、まぁ――しかなさそうね」

 そう言って、炎上寺アキラはすうと半眼になって、敵を――いや、敵と自分との間に横たわる虚空を見つめた。静かに鉄槍を前方に掲げ、刃を下に向け、不可解な構えをとる――。言動こそ理解不能ではあったが、彼女の精神は一切の波を打つ事もなく静まり返っていた。

「何だぁ……? 死を目前にして『サトリ』とやらでも開いたか!? 全く、東洋人のすることはことごとく理解が出来んなぁ!!」

 神父は嘲笑いながら槍を滅茶苦茶に振り回した。あらゆる方向から突き出し、そして斬り掛かる十字の刃が、アキラの身体を傷付ける。彼女は必要最小限の動きで神槍の狙いを外し、致命傷を負う事だけは何とか免れている。下に向けて構えられた鉄槍は、執拗に肢体を嬲り続ける攻撃を一切無視して、ただ「その時」だけを待ち構えていた。

 ――それでも、ただでさえ失血も激しく満身創痍の身体である。連続した回避行動のせいで彼女のバランスは崩れ、前につんのめってしまった。いよいよ屋古部が勝利の雄叫びを上げる。

「これは躱せねえだろ――終いだ!!」

 屋古部が深々と地面に突き刺した槍は、座標を変え、アキラの倒れ込む真下からその姿を現した――。

 絶体絶命。せり出した十字架は彼女の身体を貫き、逃れられない死を与えるだろう。それはもう、ほとんど決定事項のように見えた――。

 けれども――

「あんたの言う通り、これで『終い』だよ――!!」

 炎上寺アキラは、閉じかかっていた目を、かっと見開いた。そう、彼女は――まさにこの瞬間を待ち侘びていたのだ――。

 アキラは極限の集中力とともに、自らの手に持つ鉄槍を突き刺すように振り下ろした。


 狙うは極小の一点―――神槍の先端、鋭利に尖っただ。


 二本の槍――十字の神槍と武骨な鉄槍の先端同士、穂先と穂先がぶつかり合った。

 ――気迫か、覚悟か。一体何が明暗を分けたのかは分からない。だが、事実アキラの槍は彼女の想いに応えるかのように、神槍の刃を砕き、完全に破壊した。鉄槍はそれでも尚、勢いを失うことなく黒檀の柄にまで達し、そのまま中に通された芯鉄ごと柄を真っ二つに裂きながら突き進んだ。

「このままあんたが貫いた『道』を辿って行けば、アタシの槍だってんでしょ――!?」

 その言葉の通り、アキラの鉄槍は屋古部の神槍を砕きながら進行し、何の抵抗もなく地面に潜っていった。

 屋古部は驚きのあまり、声を出すことさえも出来なかった。今まで何度も奇跡を起こしてきた神槍――神の加護が宿ると信じて疑わなかったその槍が、彼の信仰心と共に粉々に打ち砕かれたのだ。茫然自失――当然、次に襲い掛かってくる攻撃に対処することなど、無理な話だった。

 漆黒の柄を破壊しながら、鉄の槍は地中より現れた。屋古部には何が起こっているのか、理解が追い付かなかった。入口と出口は繋がっている――彼の突いた時空の歪みを辿って、アキラの槍は離れた屋古部の元までやって来たのだ。

「ひぃ……っ!」

 咄嗟に右腕を引っ込めた屋古部であったが、鉄槍の一撃は手の平を貫通し、そのまま脇腹を深々と突き刺した。「ざくっ」と嫌な音――。

「嘘だ、嘘だ嘘だ……認めない。こんな事は認めねぇ、誉れ高き使徒であるこの俺が……」

 炎上寺が槍を地面から引き抜くと、屋古部は全身の力が抜けたように跪いた。それでも使徒屋古部は諦めず、申し訳程度に残った槍の柄を杖代わりにして、何とか立ち上がろうと試みる。

「おい、いいから死にたくなかったら動くなよ。うちの救護班は優秀なんだ。じっとしてりゃ、何とか間に合うだろ。もうすぐ応援も駆けつけるはずだしな……」

「黙れ! ふ、ふざけるな! なめやがって……ぶっ殺してやる……」

 神敵から施される情けなど無用――ふらふらと立ち上がった神父は、もはや、まともな思考は持ち合わせてはいないようだった。

 屋古部はほとんど前に倒れ込むように走り出し、その半分を砕かれ無残な姿になった槍の柄を、逆手持ちに振り上げた。石突きを突き刺すつもりなのだろう。

 敵の前進を阻もうと槍の切っ先を前に押し出したアキラだったが、その動きにも全くと言っていい程、キレがない。彼女もまた、生死の境目、ギリギリの淵に立たされているのだ。その精一杯の抵抗は、屋古部の左手によって無慈悲に払われた。槍の攻撃範囲の内側に潜り込まれる。

「立場、逆になっちまったが……懐に入っちまえば……こっちのもんだ……死……ね!」

 息も絶え絶えに、神槍の残骸を振り下ろす屋古部。彼は狂気に身を任せて、何度も何度もそれを振り下ろし、アキラをめった刺しにしようとする。

「死ね……! 死ねしねしねしね死ねしね死ねェぇエエっ!!」

 槍の穂先ほどの鋭さはないとは言え、先端の尖った円錐状の鉄の石突きは、人体を傷付けるには充分な代物である。それを、ただ怒りと恨みに任せて、屋古部は二十数回も振り下ろし続けた。

 もはや鉄槍すらも手放し、両腕で必死に急所をかばうことしかできないアキラ。

 このままだと、殺される――。彼女は防衛本能に従って、地面に落ちている何かを掴み、それを屋古部に突き刺した――。

 我を失っていた屋古部は当然、防御のことなど頭になく――その物体は驚くほど自然に、何の違和感もなく神父の左胸を貫いた。

 屋古部の動きが止まる。その視線が、憎き女刑事の顔から彼女の腕を辿って、そして自分の胸板へと至る。

「おいおい、こりゃあ……まさか」

 彼は涙目になった。自分の胸に、刃渡り十五センチほどの刃が突き刺さっている。

 ――それは、アキラが砕いた神槍の破片であった。

「あんたが散々自慢してた、有り難い槍の欠片かけらだよ。これで付けられた傷は絶対治らない――だろ?」

 屋古部は完全に失念していたのだ。彼女の足下には、さきほど砕かれた神槍『ロンギヌス』の破片が散らばっていたのだという事を――。

 彼は緩慢な動きで後ろに数歩、下がった。その手から、槍の柄――神槍のなれの果てが、コトンと音を立てて地面に落ちる。


「嫌だ……死にたくない、死にたくない、師父、助けて下さい……!」


 信仰のためなら命を捨てても構わない――普段からそう覚悟を決めていた屋古部だったが、実際に逃れられぬ死を目の前に突き付けられた今となっては、そのような覚悟は雲散霧消していた。今や唯一残された感情は、神に対する忠誠心でも、聖務の遂行に対する執着心でもなく、ましてや眼前の憎き敵に対する殺意でもない。ただただ純粋な――生への渇望である。

「お助けを……師父……どうか……」

 何万回と唱えた祈りの言葉さえ出てこない。その手も祈りの為に組み合わされることはなく、ただ空中をむなしく掻き毟るだけだった。

「おいこら、動くなって言ってるでしょ! 沙帆ちゃんだったら、医療じゃ治せねえその傷だってどうにか出来るはずなんだから……って、アンタ、聞いてる!?」

 アキラの言葉は、もはや彼の耳には届いていなかった。神父屋古部は壁に手をつき、今にも倒れそうな足取りで通路の奥、闇の中へと消えて行った。

 あの状態では、たとえ奥に辿り着いても助からないだろう。カインや王の脅威になることもない――。そう判断したアキラは、階段を死に物狂いで這い上がって、暗く寒い隠し通路から抜け出した。今の自分が屋古部やもう一人の司祭を追って地下聖堂まで行ったとしても、それもまたカイン達の足手まといにしかならないのだ。

 階段から芋虫のように這い出したアキラは、祭壇に背をもたれて、ふうと深い息を吐き出した。

「屋古部も……敗れたのですね?」

 その様子を見ていた叉井が、首だけをアキラに向けて問いかけた。喋れるほどには回復しているのだろうが、どのみち起き上がることは無理そうである。

「ああ、そうだよ……。きっと、助からない」

 その言葉を聞き、叉井は精一杯の力で荊冠輪を持ち上げ、それを自分の喉元に押し当てた。

「おい、バカ! やめろ!! アンタは充分に助かるだろ。それにね、アタシの仲間にはね、どんな怪我でも治してくれる守護天使がいるんだよ」

「言うに事欠いて、天使ですか……」

 瀕死の牧師は天井の宗教画を、遠くを見つめるような眼で眺めている。そこには、翼を生やした天使の姿もあった。

「それに、アンタらの宗教じゃあ、確か自殺は一番重い罪なんじゃなかった――?」

 そうですよ、と牧師は冷笑を浮かべた。

「ですが、我々の教団では罪を恐れない。たとえ地獄に落ちようとも、それが神の御国の到来を早めるならば、我らは喜んで戒律を破りましょう……。そう、神に代わって罪を犯して差し上げているのですよ、我々は。それによって世界中の信徒から、いや、神やその御子にさえ嫌われようとも構わない――まあ、貴方などには到底理解のできぬ話でしょうが……」

「必要悪だって言いたいの……? 随分と独善的なんだな……まさか、そんなのが人殺しやテロの言い訳になると思ってる訳じゃないでしょうね?」

 使徒叉井は、女刑事を侮蔑するかのように溜め息をついた。やはり話しても無駄だなと思ったらしい。

「とにかく、貴方がた神敵の手に落ちて仲間を売るくらいなら――」

 荊冠輪を持つ手に力が込められる。

「や、やめ――」

「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん! だが、死なば多くの実を結ぶべし――!!」

 最後の力を振り絞り、牧師は悲痛な叫びを上げた。

「……私がここで朽ちようとも、必ずや私の同志が、兄弟達がその遺志を継ぐ。異国の戦士よ、せいぜい抗うがいい――」

 叉井はそう言い放ち、何の躊躇いもなく自らの喉を茨の冠で掻っ切った。

 おびただしい量の血が噴き出し、彼はそのまま息を引き取った。同じく瀕死だったアキラには、その行為を止めることなど出来ようはずもなかったのだが、それでも彼女は本当に悔しそうな顔をした。祭壇の向こうに飾られた十字架を恨みがましそうに睨みつける。


「なんだよ、後味悪りいなぁ……神様なんて本当にいんのかよ――」


 そう文句を言って、静かに目を閉じかけようとした時、教会の入り口の方から複数人の足音が聞こえた。

 ――どうやら特警の仲間達が応援に駆け付けたようだ。そして何人かのメンバーに守られるように囲まれた、須山沙帆の姿も見える。

 前線には滅多に駆り出されない沙帆が、こんな危険な場所にまでやって来るのは、相当に珍しいことだった。カインやアキラたち、そして攫われた赤子が怪我を負ったり取り返しのつかない事になっていたら大変だからと、沙帆が無理矢理に隊長を説き伏せ、特別に出動を許可させたのだ。彼女は見るからに重症を負ったアキラを発見し、周りを警戒する仲間達を振り切って、そこまで駆け寄った。

「アキラさん……! 大丈夫ですか!?」

 涙目で抱き付く沙帆。服が血で汚れることなど、全く気にも留めていない。沙帆は動転しながらも、アキラの躰に付いた傷の大きい順から手を当てていって、治癒の異能で次々と傷口を塞いでいった。

 何度見ても奇跡のようだ――。アキラはそれが本物の沙帆でなく、死に瀕した自分の脳が作り出した幻なのではないかと疑った程だ。

「間に合って……間に合ってよかった……」

 自分の胸に顔をうずめて泣きじゃくるその女の子に、アキラはそっと手を触れてみた。どうやら、幻覚ではないようだ。アキラはまるで、触れたら壊してしまうのではないかと恐れているかのように、ゆっくりと繊細な動きで沙帆の頭を撫でた。

 沙帆が顔を上げる――。その顔を見て、炎上寺アキラは、にかっと笑った。

 不思議そうに首を傾げる沙帆に、アキラは「ありがとう」と笑いかける。

「でも、何か血を流し過ぎちゃったみたいだね……アタシ、ちょっと寝るわ……」

 それだけ言って、アキラは沙帆に寄り掛かかるように気を失った。女戦士は天使の腕の中でしばしの休息をとることにしたのだった。


 ――薄れゆく意識の中で、彼女は思った。

「なんだ――神様はいなくても、天使はちゃんといるんだな」

と――。






(【5】へ続く――)

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