『顔を忘れた男』【後】
※
抜き身
敵はある程度走ってから、さっと横に逸れて路地裏へと入って行った。ビルとビルの隙間道だ。結構な狭さで、道幅は二メートル未満と言ったところか。ツーマンセルのオレ達にとっては不利な空間だが、敵の獣じみた機動力も削げることを思えば一長一短か……。
オレとカインは横道に入る前に、死角を警戒し素早く散開。オレが曲がり角に背を預けて控え、カインが入り口に対し距離を取りながら銃を構えて進行方向のクリアリングを――
――次の瞬間、オレの視界を横切ったものは、まるでバスケットボールほどはあろうかという巨大な握りこぶしだった。
「うおっ――!!」
「ちょわゎっ!」
驚異的なリーチと腕力で唸りをあげながら伸びる正拳が、カインにぶち当たった。カインも咄嗟に十字受けでガードしたようだが、そのまま後方に吹っ飛んで行った。
「っつたぁ……!」カインの躰が凄まじい勢いでガードレールに叩き付けられた。
「ちぃっ! またかよ――!!」そう、恐らくは〝変身〟か――。目の前には身の丈二メートル数十センチはあろうかという大男が、行く手を遮るかのようにそびえ立っていた。
女、小男、獣みてえな野郎ときて、お次は大男――随分とバラエティに富んでやがる。
大男は両方のこぶしを高く振り上げ、そのまま両腕を大きく開く勢いで、左右の壁面に振り下ろした。ごつごつとしたその
何っちゅう膂力だ――。
――しかし、驚くべきはそこじゃあなかった。ガラガラと崩れ落ちた瓦礫は、男が再び振り上げた手の動きに合わせて、宙に浮かび上がる。
「――
そう叫ぶや否や、浮遊する瓦礫の大群はオレ達めがけて一直線に飛んできた。
物凄いスピードだが、飛来する物体がこれだけ大きければ、ガードをすり抜けたり、変な方向に逸れたりする可能性も少ない。弾丸などに比べれば、刀で防ぐこともよほど容易い。オレは愛刀で、飛んでくるコンクリの
無論、敵も馬鹿ではない。激しい動きのインターバルを狙って、時間差でさらに第二波が突っ込んでくる。
これを防ぎきるのは、正直、難しい。――もっとも、この場に居るのがオレ一人であればの話だが。
オレの背後から肩越しにぬっと手が伸びた。その手に握られたリボルバー拳銃。銃口から発射された弾丸が、飛来するコンクリ塊を撃ち砕いた。次々に発射される弾丸は、ことごとく的を撃ち落としていく――大した腕だ。
「これで貸し六つですね、先輩――」
カインが得意げに言った。弾薬も市街戦を考慮したフランジブル弾から、威力の高い強装弾に変えたらしい。
――だが、安心するのも束の間、大男は次の一手を打っていた。今度は巨大な鉄骨が車輪のように縦に回転しながら、こちらへ向かってくる! 今からだと上に跳んでも間に合わない。横に
「あ、あれは弾じゃどうにもなりませんね……」
「だったらそのままオレの後ろに隠れてな!!」
情けない声を上げるカインをかばいつつ、刀を「八相の構え」に。オレは気合と共に刀身を振り下ろし、飛んでくる鉄骨を一刀のもとに両断した。真っ二つになった鉄骨が、両側の壁に激しく衝突する。
「――今ので貸しはチャラだ」
しかしあの野郎、こんなもので仕留められる算段だったのなら、オレをなめてやがるのか――? オレが鉄も斬れないような腕前で、この御時世に剣士やってるとでも思ってたいたのだろうか。無論、斬鉄には相当な集中力とタメが必要なので、戦闘中に乱発できるような技ではないが――。
「いや、カッコ付けてるとこ悪いですけど先輩……相手もう逃げてますよ」
「……何っ!?」
確かに。この先の角を素早く折れ曲がって消える敵の後姿だけが、かろうじて確認できた。
あの野郎……鉄骨は時間稼ぎかっ! さっきから逃げたり戦ったり、一体何がしたいんだ――。
慌てて追いかけるオレ達だが、相手は巨体の癖に思った以上にすばしっこい。曲がり角に差し掛かるたびに何度も姿を見失いかけた。
「くそ、こんな迷路みたいな場所で、よくもあれだけ……」
ありゃあ、どう考えてもこの近辺をばっちり下調べしてきた逃げ方だ。
……それに何だ、この路地裏一帯は――?
かなり複雑に入り組んでいる上、高いビルに囲まれ、様々な方角の壁に音が乱反射して相手の位置が掴みにくい。さらには何回も曲がったせいで、方向感覚もシャッフルされ、どこをどう走ったのか、自分の位置関係の把握も疎かになり始める。
まるで、怪物の潜む迷宮にでも
「マズイかもしれませんね……」カインが言う。「ここ、携帯も圏外ですし、無線もGPSも利かないですよ」
「ああ――罠に嵌ったかもしれん」まさか、追い詰められてるのはオレ達の方か……?
さんざん走り回された挙げ句、ようやく開けた場所に出た。四角く囲む灰色の壁と、ぽっかり切り取られた寒空だけが見える、
そこに、大男も静かに佇んでいた。カインは銃を、オレは刀を、それぞれ構えた。
「逃げ場は――」
逃げ場は無いぞ――――そう言おうとした時だった。背後で轟音がした。敵から目は逸らせない。だが、見なくとも解る。恐らくは瓦礫が崩れた音か。
――そう、たった一つの出口を相手の能力で塞がれたのだ。
マズったか――!?
だが、敵の仲間が待ち伏せしているわけでも、トラップがあるわけでもない。大男は、ただ緊張しているオレ達を見て、にやりと笑った。大きな手を、そっと自らの顔面の前へ。宴会芸で「大魔神」の物真似をする、あの感じだ。
「くく、逃げ場は無い――? それは君達のほうだろうに」
あっという間の〈変身〉だった。いつの間にか大男は消え、眼鏡を掛けたガタイの良い中年男性に変わっていた。
「――!?」
カインも無言ではあったが、驚きの表情を見せる。
身長が縮む瞬間も、服装が変わる瞬間も見ていない。目の前の男は、まるでさも当然と言わんばかりに、先程からそこに居たかのように振舞っていた。
そして何より――その老いた男は、さっきまでオレ達が戦っていた「顔」とは全く次元の異なる、段違いのプレッシャーを放っていたのだ。スーツの上からでもそれと分かる完璧に鍛え上げられた肉体、心臓まで透かして見られているかの如く射抜くような視線、そして恐ろしく隙のない佇まい――。
「お、お前が――」
「左様だ。私がスヴァリィ・キーパーで間違いない」
オレが最後まで言う前に、スヴァリィは自分から名乗った。
最強の殺し屋――〝顔剥ぎ〟のスヴァリィ。その男がまさに目の前に立っている。
「な、何が目的――」
「一目惚れだよ。あの時、一瞬の邂逅だったが――私は君達の『顔』に惹かれたのだ」
カインも質問を最後まで言わせてもらう事が出来なかった。どうやらこの男、人の言葉を途中で遮るのが好きらしい。
一瞬の邂逅――恐らく、セキュリティビルでウィルコを殺害した時の、あの一瞬のすれ違いの事だろう。
「悪いな、野郎に告白されて喜ぶ趣味はねえ……」
「フッ、つれない事を言う――」スヴァリィが一歩踏み出した。
整えられた白髪交じりの金髪、そして顔には歳相応であろう皺が刻まれている。四角い眼鏡の奥に控える灰色の瞳は生気なく濁っているが、それでも蛇のような、見る者を委縮させる眼力を放っている。
「そう緊張しなくてもいい。表情筋が強張ったままだと、剥ぐときに上手く刃を入れづらいんだ」
スヴァリィはずんずんと距離を詰めてくる。
老いた顔に似合わず、ガタイも相当なものだ。茶色のビジネススーツで包まれたその肩幅は広く、身長は百九十センチ強といったところか。その割に、歩く時は猫のようにしなやかで静か、そして隙が無い――。
「俺達二人で、アレに――勝てますか?」
カインが相手の歩調に合わせて、じりじりと後ずさった。コイツがこんなに弱気なところは、未だかつて見たことが無い。それ程までに、スヴァリィの殺気は凄まじかった。
間違いなく、強い――それだけは本能で理解できる。
「顔さえ手に入ればいいのだ――君達は両方共、極上の逸品だ。あるいは二人のうちどちらかは、私の長年求めていたモノかもしれん」
「顔を――」オレが言いかけ、そしてスヴァリィが遮る。
「そうだ、『顔』を奪う。〝顔剥ぎ〟は、私が『顔』のレパートリーを増やすために絶対に必要なプロセスなのだ」
スヴァリィはそこで歩を止めた。オレ達との間は、約五メートルと言ったところか。スーツの内側から取り出した透明のチューブイヤホン――アコースティックチューブを耳に取り付けながら、ヤツは言う。
「この辺りは複雑に入り組んだ配管と壁面、その中を通る電線に邪魔され、電波が極端に届きにくい。私の『顔』のひとつには電波や電気信号を探ったり、それに思念を乗せて発信できる異能があってね。それを使って、この街で最も通信を寄せ付けない『空白』なスポットを探し出したんだ。ここは、とても静かでいい場所だぞ……今の時代、都会はどこも情報が混み入って雑音に溢れているからな」
スヴァリィはご満悦そうに、自分で見つけたというその〝お気に入りの場所〟を見回した。わざわざ手の内を晒すようなことを口に出すのは、よほど殺し屋としての腕前に自信があるのか、もしくは口三味線でこちらの油断を誘っているのか――。
「それだけじゃないぞ。念のため、この空地には四隅にジャミング装置も仕掛けてある。連絡はおろか、逆探知、発信機等で居場所を伝えることも出来ん。まあ、この国で言うところの〝
「何の為に――」そんな回りくどいお膳立てを――もちろん最後までは言わせてもらえなかった。
「〝顔剥ぎ〟とは私にとってルーツとも呼べる、神聖で――尚且つ忌むべき儀式。それは東洋の呪術と同様、本来決して他人に見られてはいけないものなのだ」
なるほど、条件か――。複雑な能力を持つ異能者の中には、複雑な発動条件・使用条件を持つ者も少なくは無い。スヴァリィの〈変身能力〉は、皆〝顔剥ぎ〟によって殺した相手から奪ったものだったのだ。先ほどの戦闘から考えると、殺した相手が『異能者』の場合、その能力までも自分のモノに出来るらしい。しかも、『顔』を変えてしまえば、それまでに負った怪我も全てリセットされてしまう(再びその顔に戻した時どうなっているのかは、まだ不明だが)。この破格の能力に比べれば、「顔を剥ぐ瞬間を人に見られてはいけない」などという条件は、至極些末なものだろう――。
「べらべら喋りやがって……余裕のつもりか」
「いや、いやいやいや――この商売をやっていると、どうしてなかなか、人とまともに歓談できる機会など持てなくてね。楽しいんだよ。特に、気に入った『顔』の人物とは、何時間だって話していたくなる」
しかし――と、スヴァリィの笑みが消える。スーツの袖をたくし上げ、高級そうな腕時計に視線を落とした。少し残念そうな顔になる。「哀しいことに、時間は有限だ」
「さて! さてさてさて――名残惜しいがそろそろ始めても構わんかな? こうやって苦労して君達をここまで誘い込んだのも、全ては人目に付かぬようするため。手早く済ませてこの国を出たい。早々に次の仕事に取り掛からねばならんので――なッ!!!」
二人とも、戦闘を前に心の準備は出来ていた。はずだった。それにもかかわらず――
スヴァリィが懐から銃を抜きだして撃つまでの動作は、既にリボルバーを構え敵に銃口を向けていたカインよりも速かった。カインはトリガーに指を掛けていたのにもかかわらず、それを引く暇さえ与えられなかったのだ。
いくらなんでも、速すぎやしないか――何か秘密があるはずだ。
カインが身を屈めて弾を避ける。その背後のビル壁面に弾丸が当たって、コンクリートの壁がいとも簡単に砕け、着弾した痕に小規模なクレーターが出来上がった。この威力――あの時強化防弾ガラスを破った銃に違いない。
シルバーのゴツいオートマチックの銃。
弾雨を掻い潜り、オレとカインはほぼ同時に走り出した。接近しながらカインが一二、三四、とタップ射撃を
「ハハハッ! 殺しの年季が違う! 君らはアマチュアだな!!」
ヤツが反撃で撃ってきた弾を、オレ達が左右に別れて躱す。カインは右から、オレは左から。別々に接近する。
まずはカインが勢いをつけて飛び後ろ廻し蹴りを仕掛けた。だが、あっさりと避けられてしまったばかりか、着地した瞬間にハイキックで蹴り倒される。敵の丸太のような足蹴りが側頭部にヒットし、そのままカインの身体が横倒しに地面に叩き付けられた。
地面にぶっ倒れた相棒へ追撃させぬよう、オレの攻撃が割って入る。諸手持ちの刀を左薙ぎに斬り付けたが、敵はそれを銃のバレルで容易く受け止めた。「ガキン!」という音と共に火花が散る。
スヴァリィはもう一方の空いた右腕――その袖から素早くコマンドナイフを滑り出させる。そのまま手に持ち、薙ぐようにオレの腹を切り付けてくる。後ろに跳んで、その刃から逃れた。
オレが
「うわゎ……!」カインは横に転がりながら弾道の直線上から逃れようとした。それを追いかけるように次々と弾丸がアスファルトに撃ち込まれていく。オレは銃撃を阻止すべく、再びスヴァリィに向かって斬り込んだ。
袈裟、逆袈裟、唐竹落としと連続で斬り付けるが、相手もそれに対応して銃身で斬撃を払いのける。ほんの一瞬の攻撃の息継ぎの間に、スヴァリィがナイフをまっすぐに突き出してきた。右に躰を反らして避けると、ナイフはそれを追いかけるように横一文字の斬撃に変化する。オレは切っ先を下に向けた構えでその攻撃を受け流した。そのまま刀を振って袈裟斬りに繋げる。相手は上段に構えたハンドガンでオレの刀を掛け受け、左のミドルキックをオレの脇腹に――。太い足が、まるでのめり込むように叩き込まれた。一瞬、躰が浮く。なんて重い蹴りだ――。
どうにかその場に踏みとどまったオレだが、至近距離からの容赦ない銃撃が後に続く。正中線に定められる銃口。オレは刀をスヴァリィの持つ銃に叩き付けて、弾の軌道を横に逸らした。銃弾は二の腕をかすめる。弾き反らされた銃を引き戻し、スヴァリィが再びの発砲。オレが今度は斜め上に刀を振って銃口を逸らすと、弾は頬のすぐ横を通り過ぎて行く。
スヴァリィの猛攻撃は全く止む気配を見せない。至近距離からの銃撃だけではなく、そこへ体術やナイフでの攻撃も織り交ぜてくる。そのあまりの速さに、オレは刀で相手のハンドガンを押しのけて弾道を逸らすのが精一杯だった。目下、銃撃とナイフの対応に追われて、拳打や蹴りにまでは到底意識が回らない。フックや肘、膝蹴りのいいやつを、面白いくらいに貰ってしまう。
――こんな戦闘法を敵がとってくるなど、今まで想定したことも無かった。あっという間に追い詰められたオレは、とうとう水月に前蹴りを喰らって、後ろに吹っ飛ばされてしまった。そして相手の銃口が、まさに吹っ飛び最中のオレに狙いを定める。――死ぬ。
「させるかっ!!」
死を覚悟した矢先、カインが敵の後ろからがっしりと組み付いた。飛び付くように相手の首をホールドし、チョークを掛ける。思わぬ奇襲に、スヴァリィの放った弾丸は軌道が逸れ、あらぬ方向へと飛んで行った。助かった……。
カインはなおも敵の太い首を絞め続ける。軍隊格闘の教官顔負けの技術を持つあいつなら、正確に頸動脈を圧迫することで、三秒から五秒の間に大の大人を落すことが可能だ。
――――が。
スヴァリィは慌てる様子も見せず、手に持ったナイフで即座に、自分の頭の後ろにいるカインの顔面を突き刺そうとした。このままだと、刃は目玉に深々と突き刺さる――!
「ガチッ!!」
……オレは驚いた。
カインはなんと、凄まじい勢いで迫り来るナイフを、歯で噛んで受け止めやがった!!
やるじゃねえか、もやしっ子! オレは正直言って見直した。
「カイン大丈夫か!? 持ちこたえろよ!」
「ひぇんふぁい! ほいははふひぃひ!!」(ガチガチッ、ガチッ)
……駄目だ、何言ってるか分からん。ナイフ齧りながらじゃあ仕方ねえか。
だがせっかくなので、オレはカインが有難く時間を稼いでくれてるうちに、体勢を立て直そうとする。
――立て直そうとはしたものの、それをすんなりやらせてくれるスヴァリィではなかったようだ。ナイフを手離したスヴァリィは、カインの髪の毛を鷲掴みにし、そのまま身体を前傾姿勢に傾ける勢いで、カインの身体をぶん投げた……!
飛んできたカインは、ものの見事にオレの躰にぶち当たった。二人揃ってぶっ倒れ、まるで漫画のように積み重なる。
「おいこら、どけっ……!」
「先輩こそ、下で暴れないで下さいよっ!!」
オレ達がガサゴソもがいてるうちに、敵は鼻歌交じりに銃のマガジンの交換を済ませた。ヤバいっ――!
ようやっとの事で跳ね起きたオレ達。カインが素早くズボンの裾をめくり上げようとした。しかし、その手は無情にも敵の弾丸に撃ち抜かれる。
「熱っ……!!」右手――ほとんど半壊と言ってもいい程に吹き飛ばされた。
「させんよ。ズボンの下、足首に巻き付けたベルトに小型のリボルバー拳銃を隠し持っているだろう? さっき蹴りを受けた感触で分かった。私との戦闘中に抜けるとでも思ったか?」
不敵に笑うスヴァリィ。強者の余裕か。だが、敵が最後まで言う前にカインが左手の親指で何かを弾いて投げ付けた。あれは――
炸裂弾かっ!!
スヴァリィが空中でそれを掴み取る。奴の手の中で、耳の裂けるような破裂音が鳴り響いた。
兵器開発部主任にして特警一の変人、鴨志田のジジイ謹製の炸裂弾だ。それはカプセル錠剤を一回り大きくしたような形状で、安全装置を外して三つあるうちのボタンのいずれかを押せば、爆発までのタイミングを三秒、十五秒、一分間と調整できる代物だ。おそらく、重なり合ってジタバタやってる最中にタイマーをセットしていたんだろう。
爆発は小規模だが、手などの末端部位や、局部の近くで爆発すれば、粉々に吹き飛ばすくらいの威力はある。
しかし、スヴァリィが手を開くと、そこには健在の右手があり、そして微かな煙と、パラパラと少量の炸裂弾の破片が落ちただけだった。
そんなバカな――……。
「無駄だ。無駄無駄無駄。一見ただの皮手袋だが、世界にこれ一着、特注品の特殊防弾・防刃仕様だ。何なら弾丸でも掴み取って見せようか――?」
いくらその手袋が凄いと言っても、あの爆破の衝撃を片手で押さえ込むなど不可能に決まってる。骨が粉々に砕けてしまってもおかしくない。その人間離れした握力も、まさに規格外のバケモノと言える。
「悪足掻きは済んだかね? 君達もそろそろ、歴然たる腕の違いを思い知っているはずだと思うが……――って、んなっ、何だこれは!?」
スヴァリイの勝ち誇った顔が、次の瞬間、自分の肩口に突き刺さったナイフを見て、驚きの表情に変わった。それは先ほどまでヤツが使っていて、そしてカインが歯で受け止めた、あのナイフだ。
おそらくカインの野郎、炸裂弾を親指で弾いた左手――そこに死角になるように逆手持ちでナイフを隠し持っていたのだろう。そして炸裂弾が破裂したまさにその瞬間、敵の意識の隙を衝き、腕を振り上げる動きと共に、手首のスナップでナイフを投げ付けた――か。
「右手が撃たれてしまったのは計算外でしたが、銃を抜こうとしたのも、さっきの炸裂弾も陽動です。あ、先輩、手頃な物が無かったので、髪止め借りましたよ」
「は――?」
髪止め――?
オレが頭の後ろに手をやると、なるほど、確かに結ってあるはずの長髪が解けていた。しかし、髪止めなんかを、一体どこに……?
「なっ!!」スヴァリィが更に叫んだ。
肩に刺さっているナイフの柄――そこには俺の髪止めで、例の炸裂弾が結び付けられていたのだ。タイムアップした爆薬は、ものの見事にスヴァリィの顔面付近で小爆発を起こした。
咄嗟にスヴァリィが防弾手袋で顔をかばうのが見えたが、奴は爆撃の衝撃でそのまま吹っ飛び、倒れた。
カインこいつ――警察辞めて手品師かスリ師にでもなった方がいいんじゃなかろうか……。オレは一瞬本気でそう思った。
「手癖が悪いな。実は裏で沙帆ちゃんとかにも手ぇ出してねえだろうな……?」
「いや、そっちの手癖は……って人聞きの悪いこと言わないでくださいよ!」
スヴァリィが起き上がる気配を見せないので、オレ達二人が慎重に立ち上がろうとした、まさにその時だった。
スヴァリィの左手だけがすっと持ち上がる。まるで電源の切れていたロボットが、急に復旧して稼働しだしたかのような動き――その手に持った銃口が、オレに狙いを定めた。
「あ、危ない!!」
銃声と同時にカインがタックルのようにオレを突き飛ばし、そして覆いかぶさった。くんずほぐれつ倒れ込む。カインはそのまま、うつ伏せでピクリとも動かない。
「おい! カイン――!!」
……まさか、オレの代わりに凶弾を受けてしまったのか?
スヴァリィが、すぅ、と機械的な動作で上体を起こした。
ヤツの顔はその半分近くが火傷と擦過傷、裂傷のような傷で損なわれていたが、その表情は愉悦の笑みで満たされていた。
「いい! いいぞいいぞいいぞ!! ますます――ますますだ! ますます君達の顔が欲しくなったッ……!!」
眼鏡は吹き飛ばされ跡形もなくなっていたが、スヴァリィは何事もなかったかのように懐からスペアの眼鏡を取り出して、それを顔に掛ける。目を細めて自分の撃った獲物を確認する。
「ふぅむ。ふむふむふむ――まずは一人。さて、次は君の番だ、東洋のカタナ使い」
スヴァリィはもはや興奮を隠せない様子だった。相手のダメージもゼロではない。だが、それでもこちらに分があるかと言われば、「NO」と言わざるを得ないだろう。オレの全身が敵への恐怖で「逃げろ」と叫んでいる。動物的本能が、スヴァリィとの戦闘を全力で忌避している。
――けれども、人間としての理性が、生きてるか死んでるか分からない相棒を置いて逃げるなどという選択を、許しちゃあくれなかった。
「ほざいてろ、変態ジジイ。すぐに刀の錆にしてやる」
完全な強がりだ。だが、敵は嬉しそうに笑った。つり上がった口の端から、たらりと血が流れた。
正直言って足はガタガタに震えて、使い物にならない。武者震いでないことは明らかだ。でもこのままじっとしていれば、もしカインが生きていた時、手遅れになってしまう。
オレは怯える身体に号令を掛け、無理矢理に走り出した。恐怖を闘争本能で塗り潰せ――。
跳び上がっての斬撃。着地、回転・反転しながらの三連撃。背剣――刀を背に回し持ちかえながら斬り付ける。まだまだ! そのまま足下を掬うように低空の横薙ぎ。躱されても構わん――とにかく手を休めるな。跳んで回る。空中で斜めに回転しながら逆手持ちに持ち替えた刀で何度も斬撃を叩き込む。
身体への負荷を無視した、がむしゃらで、なおかつ無茶苦茶な動きだ。それが功をなしたのか、さしもの敵も攻勢には転じられないようだった。この国の剣術に加え、オレは大陸の剣法も一通り修めている。その持てる全てを出しつくした。
そんな調子で二分間。オレは当然の如く――疲れで動きが鈍ってきた(阿呆か)。最後っ屁に繰り出した渾身の逆袈裟斬りを銃のバレルで受け止められ、鍔迫り合いの様になった。顔が近い。
「ああ……何だ、うん。凄いな君は」苦笑するスヴァリィ。
「ゼェ……ハァ……」息を荒げるオレ――今はとても受け答えなど出来ない。
弾かれ合うように離れたオレ達。スヴァリィは離れ際に二発の弾丸を送り込んできた。オレも飛び退きながらそれを刀で防御する。重い着弾のインパクトに刀を持っていかれそうになる。柄を握る両手がビリビリと痺れる。
防戦一方――スヴァリィは少し離れたのをいいことに、ここぞとばかりに銃を乱射してくる。オレはじりじりと後退しつつ、何とか刀で弾丸を弾き返す。
〝
至近距離での銃撃。バックスウェーで躱す。
そこへ横身入りで懐に潜り込まれ、斜め下から振り上げるような右掌底と、銃を持った左手による裏拳。その二連撃が脇腹にヒット。「電光」と「稲妻」と呼ばれる、右脇腹に並ぶように存在する急所だ。
痛みで思わず背中を丸めたところに、右のアッパーカット。顎に叩き込まれ、前屈みの躰が無理矢理に起こされる。その起き上がりに合わせたカウンター気味のハイキックが、オレの延髄に振り下ろされた。これもしっかり貰ってしまう。
敵はそのまま蹴り足をオレの脇の下をくぐるように移動させ、つま先で秘中(喉仏の下あたり)を蹴り込んだ。息の詰まるような痛み。さらに奴は追い討ちでかかとを振り下ろし、金的を蹴り砕こうとする。これは流石に両腕を交差してガード。
スヴァリィはその左脚をようやく引っ込めると、今度はその着地と同時に反対足での上段蹴りを繰り出す。顔面――
「痛てっ」
その足を引き戻し、かかとでコメカミを蹴り付け、足刀が顎首を打ち上げ、耳の後ろにつま先がめり込む。連撃は止まらず、下、上、斜め、右右、左――怒涛の勢いで矢継ぎ早に襲いかかる足技――。蹴られるがまま、オレの顔はまるで連続で「高速あっち向いてホイ」をやらされてるかのような状況だ。
頭部を蹴られ続けたことと、蓄積したダメージによって、段々意識が朦朧としてくる。ダメ押しのブラジリアンハイキックはどうにか両腕でガードしたオレだが、そのまま千鳥足で後ろによろけた。このままじゃ、撃つのに格好の的だ。
案の定、スヴァリィはグロッキーなオレに容赦なく発砲してきた。終わりか――そう思った瞬間、オレは地面に転がってるでかい何かに躓いて、後ろに倒れ込んだ。額のすぐ上を弾丸が通り過ぎていく。マジで死ぬかと思った。
オレが躓いた物体は、横たわるカインの躰だった。
「うぅん……痛い……」
カインが目をこすりながら起き上った。あたふたとそばにあった眼鏡を拾い、掛け直す。
「あれ、先輩……何やってるんですか? ん、そういえばスヴァリィは……」
よくよくカインの躰を見てみると、どこにも弾を受けた痕はない。もちろん、出血も……。
――こいつ、のんきに寝てやがったのか……。もっと早くに蹴り起こしてやれば良かった。
「いや、多分先輩を突き飛ばした瞬間…おそらくあれ、膝だと思いますね。思いっきり顎にぶつかって意識が――きっと、
「もういいよ、どうでも。あーあ、心配したオレがバカだった!」
「そんなぁ、もとはと言えば先輩を助けたから気絶するはめになったのに。ひどくないですか?」
「あん? その間オレが一人であのバケモノと戦ってたんだぜ? 生きた心地しなかったぞコラ!」
口論するオレ達を見かねて、スヴァリィが大きく咳払いをした。
「あー、……君達。私の存在を忘れてはおらんかね?」
おっと、敵さんの言う通り。オレとカインはすぐさまスヴァリィに向き直った。相手は相変わらず不気味な笑みを浮かべていた。
「何笑ってやがる……!!」
段々腹が立ってきた。諸手持ちに刀を振り上げ、破れかぶれの特攻に出る。スヴァリィはグリズリーのように両腕を広げ、貫禄を見せつけ万全に待ち受ける。
その時、オレの懐の無線機から、小さなノイズが――。本来、この距離だとまず気付かれないほど微細な音だったが、スヴァリィはそれに驚くほど敏感に反応した。敵の気が、オレの刀から、そちらに逸れたのだ。
「先輩ッ! 首の右側を狙って!!」
後ろから、カインの叫び声がした。――右側?
何が何だかよく分からねえが、刀を平らにし、右の頸動脈を狙って、オレは刃を滑り込ませた。
「……ッ!!」スヴァリィが首を傾けて、斬撃から逃れる。あとちょっとのところで、切っ先は敵の耳に引っ掛けられていたアコースティックチューブだけを斬り裂き、空振った。
よく見ると、飛散するチューブの断面からは電線が、そしてイヤホンの位置には、小型アンテナのようなものが内蔵されている――。
「ふんッ!」
スヴァリィが、銃身を大きく横に振るってオレを打ち据えた。正眼に構えて、受け流すが、膂力で躰ごと後方へ弾かれる。同時に加えられた銃撃が、右肩の肉を少し持って行った。オレは数歩後退させられ、体勢を持ち直した。
「なぜ……解った?」こちらを睨みつけながら、スヴァリィがスーツの
カインが「やはり――」と呟いた。
「傍聴や通信の出来ないこの空間内でアコースティックチューブを使用するのはおかしいと思っていましたが、案の定、電波発信機でしたか――」
電波発信機だと――?
「さきほど後ろから飛び付いてチョークをかけたとき、気が付いたんです。近くで見ると透明のチューブの中に電線が通っているのと、イヤーピース内部に極小のアンテナが埋め込まれているのが分かりました。あれが、スヴァリィ・キーパーの規格外な戦闘能力の秘密ですよ。やつの言っていた、〈電波に干渉する〉異能――」
「その通り!」スヴァリィは声を弾ませた。「普通、人間の脳から電気信号が発信され、筋肉へと届き行動を起こすに至るまでには、どれだけ運動神経と反応速度に優れた人間でもそれ以上は縮めきれない『伝達時間』の壁が存在してしまう――だが、あの機器はイヤホンの部位から脳を中心に半径十メートルほどに電波を発生させるモノでね。それによって電波に信号を乗せ、全身の隅々まで、私は寸分のタイムラグもなく命令の伝達と筋肉の作動を行うことを可能としている」
それだけではないぞ――と、スヴァリィは惜しみも無く種明かしを続ける。
「人の躰には常に微弱な電気の流れが走っていてな。私はその流れを『視る』ことによって、君達の躰が次、どんなふうに動くのか、何をしようとしているのか、至極容易に予測することが出来るのだよ。さらに、その中でも流れの強いパルスに向けて、発信機の電波に乗せて私の思念をぶつけてやれば、命令の伝達を阻害し、本人さえ気付かないほど微細な〝反応の遅れ〟を引き起こすことが可能だ」
「なるほどな。それがお前を化け物じみた速さに錯覚させていたトリックだったわけか……」
そして、異能の効果を最大限発揮させ、精確無比に運用するには、余計な電波の排除された「静寂」――まさにこの場所のような好条件が必要だった。
そのことに気が付いたカインが、オレが刀構えて無謀な突撃をしたあのとき、機を窺って無線機を作動させたのだ。発せられた電波と、それを受けたオレの無線械の内に流れる電流で敵を欺き、サポートしてくれたというわけだ。
でも……ちょっと待てよ?
オレはそこで、あることに気が付く。その〈電波や電流に干渉する〉異能は、スヴァリィが今まさにオレ達に見せている、その『顔』によるものだ。ということは――。
「面白い。実に面白い……。このカラクリを解いたのは君達が初めてだし、実質、私との死闘でこれほど渡り合い、そしてこれほど長い時間私の前に立っていられた人間は、そうはいなかったぞ。……まぁ、この男もそのうちの一人なわけだがな」
スヴァリィが、老獪な自分の『顔』を指差した。
「何……?」
「ん? これが私の本当の顔だと思ったか? 確かどこかの国のエージェントだか殺し屋だか忘れたが――
〝一番〟……だと? オレが不審がる表情を、スヴァリィは見逃さなかった。
「ああ、私は自分のオリジナルの顔が好きでなくてね。昔、とある国で存在極秘の特殊部隊に身を置いていた私は、反政府テロ組織への潜入捜査を命じられたんだ。だが、仲間のミスでその組織に正体がばれてしまってね。それはもう、酷い拷問に遭った――」
スヴァリィは自分の顔を触りながら、その記憶を思い起こしているようだった。
「私の部隊は助けに来なかったよ。捨て石にされたんだ。拷問は一週間も続いた。全身まんべんなく痛めつけられたが、特に辛いのは顔だったな。
横でカインが「うっぷ」と吐き気をこらえる声が聞こえた。
「死すら覚悟した私だが、幸運にも隙を見て逃れたることができた! 復讐に奴らを皆殺しにしてやったぞ! 全員の顔を剥ぎ取ってなァ! ついでに、助けに来なかった同僚達もだ!! それからだよ、私のこの特異な能力が開花したのは――!!」
自らの忌むべき記憶を嬉々として語るその殺し屋に、同情の念は到底湧いてこなかった。ヤツは能力を手に入れた後、喜んで顔を蒐集し始めたに違いない。語らずとも、スヴァリィ自身の『顔』がそう言っていた。
「〝顔剥ぎ〟をする際私は、自らの〝本当の顔〟で作業に当たらねばならない。これも私の異能の条件の一つだ。だが、それは相手を殺した後でも事足りる」
しかし――、とスヴァリィは続ける。
「君達には――特別だ。私の本当の顔を見せてやろうと思う」
敵がべらべらと喋ってる間に斬りかかれば良かったのだろう。だが、オレ達はヤツの殺気に当てられ、その場を動く事すらもままならなかった。これから、とんでもねえ事が起こるに違いない――そう思わされる程に、スヴァリィの放つ殺気は禍々しく、不吉なものだった。
「J.D.サリンジャーを知っているか……?」スヴァリィが己の顔面に手をかざしながら、問うた。
「『ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ』……」カインがぼそりと答える。
「そうだな、この国では『ライ麦畑で捕まえて』という訳が有名か。ジョン・レノン殺害時に実行犯であったマーク・チャップマンが所持していたことでも有名だ」
スヴァリィはそのまま、親指と薬指で、自分のこめかみを掴むように顔に手を当てた。
「そのサリンジャーの著作に、『ナイン・ストーリーズ』というものがある。文字通り、九つの物語からなる、一冊の短編集だ。その中の一つ、『笑い男』という物語は知っているかな?」
オレはもちろんのこと、カインさえも緊張したまま黙りこくっている。答えられないわけじゃないだろう。絞り出すだけの声が無いのだ……。スヴァリィは頷くような仕草を――そして満足そうに後を続ける。
「そっちの眼鏡の君は知っているかもしれんが――手短に話すとだな、この短編に登場する〝団長〟と呼ばれる好青年が、彼の世話する野球チームの子供たちに話して聞かせる、創作の冒険譚が存在する。その物語は〝笑い男〟と言う怪人物が活躍する、非常に心躍るストーリィだ。山賊にさらわれた金持ちの家の息子が、身代金の払われなかった腹いせの拷問で、見るも無残な姿に変わり果てる。だが、そこから生き延びた少年はやがて〝笑い男〟と呼ばれ恐れられる、悪名高い盗賊に成長する――」
自らの顔面を握るスヴァリィの手――その奥から「かぱっ」と気味の悪い音が聞こえた。
「拷問を受けた〝笑い男〟の素顔は、普段は仮面で隠されていたのだが……しかし、ひとたび仮面を剥ぐと、それは見る者を失神――あるいは絶命に追い込むほど恐ろしいものだったという……。
私はこの物語を読み、〝団長〟の語り部に目を輝かせる子供たちのように、このヒーローに憧憬と共感の念を抱いたよ」
そして――、とスヴァリィ。
「そして――、私の醜い素顔も……それを見た者で、いままで生き残った者は一人もいない。だから私は名付けた――忌むべき過去より産まれ堕ちたこの力に。そう……これが、これこそが私の能力――」
文字通り『顔』を取り外したスヴァリィ――。その顔面には、大きな楕円形の穴が開いていた。
「――“
恐ろしい光景だった。穴の中は何も見えない程どす黒い、濃い闇で満たされている。その虚空には、虚無があった。無だ。ヤツは今、明らかに何者でもないのだ――――。
いよいよヤツの殺気は、もうそれだけで人が殺せそうな程に研ぎ澄まされてきていた。せめて逃げる努力くらいはしてみてもいいものの、オレ達の足はまるで貼り付いたように地面から動かない。
やっとのことで相手の異能を看破したというのに、スヴァリィの本当の『顔』は、さっきまでの『顔』よりもずっと強いということなのか――。
「(おいおい、勘弁してくれ――)」
心の底からそう思った。
スヴァリィは取り外した『顔』を丁寧に服の中にしまう。そしてそのまま懐を探り出した。顔面に空いた穴から、ククク――と笑い声が漏れる。
「有難く思いたまえ。私の素顔は、相手が生きているうちには滅多に見せないのだよ――」
奴はそのまましばらく服の内側をまさぐっていた。
「ん……、おかしいな……」スヴァリィはスーツの襟元から引っこ抜いた右手に銃を持ち替え、今度は反対側の懐を探りだした。
「ああ、しかし楽しみだな――あの顔を見せた時、君達が一体どんな顔をするか。恐怖におののくか? あまりの不快さに顔を歪めるかもしれん。もしくは憐憫かな……? ……っと、あれ? おかしいな……――あん?」
何やらヤツのがさごそとやる動きが激しくなる。顔のないその男は、まるで玄関のカギでも探しているかのように、服の全てのポケットを上から順にぱんぱんと叩いた。
「ま、まずいな……。すまんが君ら…その辺にトランクは落ちとらんかね?」
若干焦った様子のスヴァリィが尋ねる。オレとカインは辺りを見回した。
「トランクったって、どんな……」
「こう、銀色の……結構大きめな――――」
「あっ、あれじゃないですかね……?」カインが指差した。このコンクリートに囲まれた四角く開けた空間の、右端の壁際、確かにトランクが立て掛けてある。
「右っ側の壁の端の方……」
「おお!」スヴァリィが急いで駆け寄った。嬉しそうにトランクを開けると、今度はその中を引っ掻き回し始める。
「ああ……ちょっと待っててくれ、確か、入れるならこの辺に……」
場の空気に飲まれていたオレ達も、いい加減状況がおかしくなってきたことに気付き始めてきた。
顔面に大きな穴の開いた男が、慌ててトランクの中身をひっくり返しているその様は、いかんせんシュールすぎた。奴の放った殺気の魔法を解くのには充分すぎる。
「おい、カイン……」
「ええ先輩、隙だらけですねぇ……」
オレ達はお互い真顔で顔を合わせると、コクリと頷いた。
いまだにブツクサ言ってるスヴァリィに、大股で歩み寄る。
「おかしいな……――確かあの時に手入れして……まさか、ホテルに置き忘れてきた!?」
「おいオッサン!」
「なんだね? 今忙しんだ。いいから黙って待っていたまえ――……うっ!?」
刀の切っ先を突き付けると、スヴァリィはびくっと動きを止めた。カインの小型リボルバーもしっかり敵を捉えている。
「ちょっ、あの……――えっと……」
「「問答無用!!」」
「ひぃっ」悲鳴を上げながらカインの銃撃を躱し、オレの斬撃をハンドガンで大げさに打ち払うスヴァリィ。そこにもはや余裕はない。
「ま、待て! まてまてまて!! わ、私はこの状況だと目が見えないんだ……!!」
「ハッ! そいつぁいいコト聞いたぜ!!」
目が見えない……という以前に、眼球自体がない。納得だ。じゃあ舌や唇もなしでどうやって発音してるんだ、という疑問もあるが、もうこの際どうでもいい。
オレ達二人は、容赦なく襲いかかった。そこからのスヴァリィの動きは、慌てふためいているにもかかわらず、まさしく「最強」と呼ぶにふさわしいものだった。目が見えぬまま、しっちゃかめっちゃかに後退しながらもオレ達二人掛かりのコンビネーションプレイ――弾丸を七発、斬撃を八回、突きや蹴りが十三撃――合わせて二十八手を防ぎきったのだ。
だが、その神回避も、どうやらそこまでだったようだ。
「熱う……ぅっ!?」ヤツが反撃でがむしゃらに銃を撃った際、排薬された薬莢のうち一つが、そのぽっかりと開いた顔面の穴にすっぽりと入り込んでしまったのだ。
というかあの穴、ちゃんと物が入るのか。一体どこに繋がってるんだ。
ちなみに余談だが、排薬されたての薬莢は、皮膚に当たると火傷するほど熱い。スヴァリィはその熱さに身悶え喚きながら、オレ達を近付けまいと更に無茶苦茶に銃を振り回して発砲しまくる。まるでテンションの狂った盆踊りだ。
出鱈目な狙いで飛んでいった弾丸が、壁を沿って走る鉄の配管に当たり、跳弾。跳弾した先でまた配管に当たり、さらに跳ねる。
「うぉっ!」
「危ねっ!」
跳弾やべえ。
そして方向を変え跳ね返りまくった弾丸は、スヴァリィの
「アァーオ!」
尻を押さえて跳ねまわる敵をじりじり追い詰めながら、付かず離れずの距離をとった。あまりの暴れっぷりと鬼気迫る勢いの抵抗に、正直、オレ達も攻めあぐねている。敵も必死なのだ。そうしていると、滅多矢鱈に暴れまわるスヴァリィのスーツの裾から、ボトッと何かが落っこちた。
――それはヤツがさっきまで装着していた、あの『顔』だ。
しかし、発砲に夢中で全くその事に気付く気配のないスヴァリィ。そのまま自らの『顔』を踏み付け、盛大にスリップした。
ずるり……!!
ヤツが踏んづけた肉厚ラバーマスクのような〝顔面〟は、靴底とアスファルトとの間に挟まれ、おろし大根のようにすり潰される。
もはや『顔』とは呼べない、ぐずぐずの肉塊。半端に原形を留めているところが更にタチが悪い。飛び出した目ん玉と目が合った(こっち見んな)。
そして大変不幸なことに、デリケートなオレの相棒――カインにとって、ちとコレは刺激が強すぎたみたいだ。あの野郎、堪らず胃の中にあった八個分の「元アンパン」をぶちまけやがった!
何が大変不幸かって、一番不幸なのはあいつがマーライオンよろしく盛大にお戻ししちまったのが、オレが刀を振り下ろすべく渾身の一歩を踏み出したまさにその足元だったことだ。戦術的重要地点へのピンポイント爆撃(誤爆)である。
今度はオレが、カインのゲロに足を取られた。つるりと滑って、そのままスヴァリィにボディプレス。前のめりに倒れ込んだ――
「クッソ……!! だからあれほど言ったじゃねえか、任務前に喰い過ぎるのもほどほどに……って、コレお前、朝にカップ麺も食ってきただろ!! しかもトンコツと味噌……ッ!!! なんで二つも喰うんだ!」
「だって、うエ゛……どっちにしようか悩んでたら、どっちも食べたくなって……」
「うるせぇ! どっちかにしろっ!!」
「いや、その前に……先輩こそ……人の吐瀉物見て……推理するの、やめて下さいって……何度も……」
「あっ」
涙目で喘ぎながらようやく顔を見上げたカインが、きょとんとした顔で指を差した。
示された方向に向き直ったオレも、それを見て納得する。
「ああー……」思わず間抜けな声が漏れた。
奴の顔面には、オレの愛刀が深々と突き刺さっていた。
「刺さってるな」
「刺さってますね」
……死んだか。
「いや、勝手に殺さないでくれないか! 生きてるからね! ギリギリセーフだからッ! ほら、大道芸人とかが刀を飲み込むやつ! あの要領でなんとか死亡回避したから!」
あ、生きてた。
「おふっ……生きてやがる」
っていうかすげえなオイ。
カインはとても言葉を発せる様子でなく、ただ「うげぇ……」とえずいている。
「非常に繊細な技なんだ。だから頼むぞ。優しく、優しくだ。優しく抜いてくれ……気道や胃袋を傷つけないように、そっとだ……さもないと怒る」
……何を言っとるんだ、コイツは?
「やれやれ、そのザマで何が出来るんだ……っと」
オレは呆れながら、両手に手錠を掛けてやった。13時51分、スヴァリィ・キーパーの身柄を確保、っと。
愛刀は無銘だが、国宝級の大業物にもひけをとらない室町の古刀だ。それがコイツの胃液やら何やらで錆び付いてしまったらたまらない。オレはスヴァリィの躰からずるずると刀を抜き出し、刃を首筋にピタリと当ててやる。
「おいコラ、降服以外にまだ何かすることあるか……?」
スヴァリィは流石に大人しくなった。というより、もはや何も言う気力もないようだった……。
――かつてない強敵だったスヴァリィ・キーパー。
その激戦の幕切れは、なんとも間抜けであっけないものだった。
「おーい、王、カイン!! 無事かぁーっ!!」
小さくだが、仲間の声が聴こえてきた。まるで死闘が終わるのを待ってでもいたかのようなタイミングだ。おそらく路地裏に入り込むオレ達の目撃情報から、この場所をやっとのことで探し出してくれたのだろう。
それに続いて、複数台のパトカーの気配も感じられた。あれだけドンパチやらかしたんだ、普警の連中だってそりゃ駆け付けるか。
遠くに聴こえてくるサイレンの音を聴きながら、ついつい溜め息が漏れ出てしまう。
「はァ。それにしても――」
オレは激戦の果てに捕らえた、その間抜けな殺し屋を見下ろした。
スヴァリィは何も言わずに、顔なき顔、その空虚な穴でオレを見上げていた。
まったく……、やれやれだぜ。
「――『顔を忘れた男』、か。
落語のオチにもなりゃしねえな」
(―顔を忘れた男― 劇 終 )
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