シンドバッドに願いを

monolog

この夢をCarl Sagan博士と志の詩人へ捧げます 

Colors become monochrome

1日目 「あなたの夢 300円」

1日目 「あなたの夢 300円」


 今日も夜遅くまで働いた。ハイエンドファッションの会社でのプレゼン準備のため、弘は連夜遅くまでマーケティング戦略の立案作業に追われていた。わがままなクライアントと、知ったかぶりの英語のフレーズを得意げに使う上司のもとで朝令暮改の仕事に日々振り回されている。終わりの見えない長い会議がようやく終わり、退社する時間だ。


 定年退職が近づいている身体は疲れきっている。弘は深いため息をついて、肩を落とした。趣味もなく、このまま自分が擦り切れていくことに不安を覚えている。弘の上司、後藤田は自己中心的で、俺がボスなのだと自己顕示欲が強く、部下を都合よく利用しようとする傾向があった。会議での意見交換の際、後藤田は部下のアイデアを熱心に取り入れる振りをするが、実際には結論ありきで、自分の持論を強く押し付けるだけだった。反論でもしようなら、低い声で延々と恫喝が始まり、部下を完膚無きまでに服従させるのだった。この独裁者のような強権に部下は疲弊した。


 彼は将棋の駒のように部下を操り、部下の手柄は全て俺の手柄だと振る舞うような上司の姿勢に、仕事をする喜びなどない。過度のプレッシャーのもと部下は後藤田によって振り回される毎日を過ごしていた。果たして定年まで無事に勤めを果たすことはできるのだろうか?・・・と今日も同じ自問自答を繰り返した。しかし、家には長年のパートナーである妻の純子が元気に待っている。プレゼン後のわずかな休暇で、外出好きな妻と一緒に仕事を忘れて国内旅行に行くことを弘は楽しみにしている。


 そんな思いを胸に弘はふと去年の出来事を思いだした。くたびれた体で帰宅となり、弘がそっとリビングのドアを開けると、愛犬のダイがお気に入りのソファで寝ている。ダイはいつもどんなに遅くとも弘の帰りを待っていた。目を閉じて寝たまま、しっぽだけワイパーのようにビュンビュンと振って迎えてくれた。横着な奴だけどしっぽがソファに叩きつけられ、パタパタとうれしい音がいつもの挨拶がわりだった。弘の落ち込んだ雰囲気を察するかのように、


「お帰り、さあ、僕を撫でて撫でて、嫌なことは忘れて元気を出して!」


 と言わんばかりに弘を迎えてくれた。ダイはいつも元気いっぱいだ。その小さな体には、大きな勇気と無邪気さが詰まっているように見えた。弘が疲れて帰ってくると、その可愛らしい姿が癒しと元気をもたらしてくれた。


 やんちゃで愛嬌のあるミニチュアダックスだった。一人息子の裕介の弟役として我が家に迎えたのだが、弘にとってこいつは別の意味で最愛の家族の一人だった。できれば、自分が死ぬまで一緒に長生きして欲しかったと、歩きながら思いを巡らしていた。


  深夜に帰宅する日はいつもの帰り道と違いコンビニに立ち寄るため、人通りの往来が多いターミナル駅通りからの帰宅だ。足取りを早め、顔を上げた。東京の雑踏はいつものように大量の通行人が行き交っているが、何かが違う。遠く前方に見える柱、それは歩道の真ん中にあり、上の立体歩道橋を支えている太い支柱だ。歩行者はそれを避けるけど、支柱の周りがなぜか大きな無人地帯になっていた。歩行者の流れは速いが、人の波が支柱の周りだけ右に左に大きく二つに分かれている。そして、通り過ぎると何事もなかったかのようにすーと合流していく。


 何だろう? 目をこらすと、太い支柱を背にして白いワンピース姿の清楚な若い女性が立っているのに気づいた。服だけでなく靴もソックスも眩しいような白色だ。夜の雑踏で、この輝く白色は嵐で荒れる大海原の中、海図を持たぬ船を導く灯台のようだ。なぜか自分の体がこの純白に引き寄せられる。彼女の目線はまっすぐ前方を向いているが、その眼差しには強烈なオーラが漂っているように感じられた。このオーラが身につけている白色に反射しているのか? 虚脱したような顔つきながらも、何かを問いかけるかのような意志を感じ取ることができた。そして、その女性の首には大きな白いボードが紐で吊るされている。ボードは胸よりも下にあり、黒い手書きの文字がボード上でしっかりと目立っている。ボードの白色と太文字の黒色のコントラストが絶妙だ。ボードは雪のように真っ白く、文字は周りの光を全て吸い尽くすような無限の暗黒色のようだ。そのボードには文字がたったの二行だけくっきりと書かれていた。


「あなたの夢 300円」


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