第7話 祭り終わって日常という名の地獄
本文よし。添付ファイルよし。二礼二拍そして五体投地。南無三それいけ!
送受信ウィンドウが消えたメーラーに私はもう一度両手を合わせる。当初は旅行記事の予定だったが、私の提案で自然保護問題をも絡めた草稿だ。編集部様の御聖断やいかに。
赤塗れになって突っ返されるか。
サイレントお祈りメールで連絡が途絶えるか。いや、長いおつきあいの編集部。まさかそれは……。
いや。不安に浸って過ごしても生産的ではない。問題は次だ。無理矢理に先に目線を向けよう。
開いたエクセルファイルを睨んで考え込む。十を超すタブに書き散らしたプロットは、男性読者が多い週刊誌用の記事だ。かき集めた資料は机の脇で山となっている。プロットも組み上げた。今までの私ならもう書き始めていた。
でも今回はなにか足りないような気がして躊躇している。こんな時は絶対なにか見落としがある。でもそれがなにか解らない。締め切りが迫っているのにこれは。
北海道から戻って早二週間。なのにこの現状はやばいってばさばさ。
取材メモをじっくり読み進める。マークを入れた部分はプロットに記載済みだ。
五回繰り返しても解らない! 肩を竦めてメモを閉じ、私はクリアファイルから取り出したプリントアウトを眺める。彼が人食いヒグマを斃した新聞記事、そして彼の会社のホームページで見つけた資料と写真。
北海道であの日から調べたが、情報不足で駄目だった。
帰宅後雑誌社を通して北海道の地元新聞に問い合わせした。その結果が出るまで不安に襲われた。彼が嘘つきで、あの襲撃も仕組まれていたのかもと。
記事から判明した氏名で検索し、彼の会社に辿り着けたときは呆けた。プリントアウトした彼の写真をじっと見る。姿勢がいい彼はネクタイ姿も似合う。あの人は今、この格好で仕事しているんだろう。合間にこの夏の北海道を思い返したりするのかな……。
想い出に浸っていた私はけたたましい電子音に飛び上がった。固定電話に表示されたナンバーは編集部の直通だ。試練の時。南無八幡大菩薩! 深呼吸してから受話器を取り、とびっきりの笑顔声で応答する。
「おはようございます、飯田です。原稿有り難うございました」
担当さんの元気な声に安堵した。よーし、一次関門突破。
「では本題。あと少し突っ込んで欲しい部分があるんですよ」
むう、何処かを削らなきゃ。文字数の指定は絶対だ。
「写真を減らして文字にあてます。ストック写真手配中ですから」
オリジナル素材とプロカメラマンが販売するストック写真の二種類が雑誌で使われる。報道系以外はストック写真を購入するのが常道だ。櫻の花をバックにしたお城とかの風景写真はその典型。プロカメラマンは仕事の暇を見つけてはせっせと写真をとり、契約業者のサーバーに送って稼ぐわけ。
「ポイントは?」
「自然遺産だけをちやほやして身近な自然に目を向けていないとありますが、その身近な自然とは何かが不明瞭ですよね。それを百五十文字以内で」
「うーん、それなら蛇とか──」
「勘弁して下さいよ。僕、蛇は大嫌いなんです。まさか翠川さん、あんなのが好きなんですか」
私も大嫌いと二人で笑う。身近な自然ならトカゲは? うちの庭に沢山いるよ。
「冗談は電話だけにして下さい。ニョロペロ系は封印です。読者が嫌悪感を抱かない何かで表現してください」
むう。よくみると愛嬌あるよ? それで期限は?
「今週木曜で御願いします。翠川さんの原稿はいいですね。美味い蕎麦みたいに、内容も文章もするするっと飲み込めます。この調子で残り一本もお願いしますよ」
ダブルのプレッシャーで電話は終わった。どうしよう。
受話器を突き刺して私は窓の外に目を向ける。植物が大好きだった父が植えた植木は森になりかかっている。手入れ不足だ。けど、セミは歓喜の雄叫びを上げて夏を謳歌している。セミは自然だけど庭は擬似自然か。
でも記事が掲載されるのは秋口だ。セミと蛇、トカゲ以外で何か。ミミズもだめだろうな。ゴキブリは論外。だけどその天敵足高蜘蛛はどうよ。少し変った切り口だし、私は応援しているけど……駄目だよね。身近と書いたんだから自分の足で探ってみますか。
三時間に渡る取材散歩で遭難し掛かった私だが、シャワーで甦った。冷蔵庫で誘惑する缶ビールから無理矢理目を逸らし、麦茶をグラスに注いで一気に二杯飲む。一区切りまでビールは我慢。塩分補給に醤油煎餅も囓っとこ。うん、二度漬け醤油うまし。
熱いコーヒーの用意をしつつメモを見返す。子供の頃と今とで違う点を探ってみた結果は。民家の庭に緑が増えた。庭付きの家はステイタスだからな。
マンションが増えた。土地の有効活用だろう。
子供が少ない。家に閉じこもってゲーム三昧ではないかいね。
それと雀の姿を見なかった。ホッペが黒くて可愛い小鳥は私にとって身近な存在だった。夏は庭の土をほじくり返して虫を探しつつ手水鉢で水浴びし、冬は電線にずらっと並んでひなたぼっこしていたのに。今日気付いたら全然見かけない。野鳥が大量死するとニュースになるけど、身近で聞いた覚えはない。となれば移動したんだろう。最近よく聞く地球温暖化の影響、もしくは農薬とかの自然破壊かな。さくっとネットで調べよう。
餌、そしてねぐらとなる疎林か。よし、参考文献のメモ完了。これをどう料理してくれようか。マルボロに火を付けて考える。そういえば以前の世田谷には畑とか結構あった……庭木と街路樹はふえたけど、雀君には厳しいわけだ。田畑が住宅地に姿を変えた。でも人が増えれば食料はその分必要になる。どこで食料を作るんだ。検索ウィンドウに食糧自給率と打ち込んでエンターを押す。
読み終えた私はメモを書き殴ってから別の検索ワードを入力し、また読みふける。
温くなったコーヒーを啜り、カップの中身をしげしげと見る。雀は餌とねぐらを求めて都会から姿を消した。人間は人口爆発の真っ最中。でも食料は……私の知らない場所で農地が増加しているわけだ。技術的な進歩もあって収穫率は向上しているだろうけれど。区の図書館でしっかり調べよう。
あれ、前に誰かが……私はまた飛び上がった。今度は携帯だ。
なんだ、涼音か。はいはい。
「旅行の年貢はどうした。払えぬならぬしを女郎屋に売り払うぜよ」
なんじゃそれ。この前はタクラマカン砂漠で遭難し掛かったマルコポーロだった。いつもながら発想力豊かで平常運転。毎日が平穏である事を神様に感謝。さて、年貢ね。
「お
べたすぎ! でも口にすると結構のれる。
「年貢なんてどうでもいい! 貰える物は貰うけど。でも電話もくれないしさ。そんな仕打ちされたらぐれるぞ。ああ、そっか。モヒカンが天にそびえた私を見たいんだね、祥子は」
ああ、怒髪天を。そんなに怒らな……非は私にある。
「ごめん。外出する余裕ないんだ。来てくれないかな」
「オッケー、今夜行くから土産話聞かせて。で、私の着替えやパジャマは?」
「柔軟仕上げ剤仕上げ完璧。客間のベッドも涼音を待ちわびてるよ」
「ありがと。仕事が跳ねたら直行するね。現時点で私は飢えている。んじゃのー」
携帯を机に戻しながら笑った。美味しい肴を用意しましょうに。あ、バイク屋さんにも行かないと。
ロングツーリングを終えたセローは各部消耗している。前後タイヤとチェーンそしてオイルの交換、ブレーキ系点検とバッテリーチェックを依頼した。
お店に入るとメカニックさんが走り寄ってきた。そのまま彼は私を整備場に案内する。あれ、まだ完了していない?
「これ翠川さんが付けたの?」
作業服の青年が油の染み込んだ指で示す物を覗き込んだ。バッテリーボックスの影に灰色のプラスチック箱が。知らないよ、こんなの。
「そっかあ。なんだろう、これ」
「インジェクション関連のパーツとかでしょ」
「純正部品にこんなのないよ。バッテリー外したときに気付いてね」
箱からは三本の電線が出ている。一本は車体にアースされ、残りは燃料タンクとメインフレームに沿って前に伸びているけど辿りきれない。
彼を手伝って燃料タンクを外す。キーをオンにするとプラス電流が流れるメイン電源に一本が、最後の一本はフレームのハンドルに近い部位に貼り付けられた三センチ四方のパッチに繋がっていた。何だ、これ。
「気味悪い。先代のオーナーが付けたのかな」
「でしょうね。バッテリーに負荷が掛かると思うけど、どうします?」
キック・スターターが省略された今、バッテリーはとても重要だ。
「棄てちゃって。バッテリーも新品に変えてね」
予定外の出費がむかつくけど、彼に当たってもしょうが無い。中古だからしょうがないか。
まて! 納車整備がずさんだったってことだよ。ちょっとお兄さん?
「割引しときますから」
帽子の上から頭を掻く彼にニッコリわらう。
「半額?」
「翠川さん、そりゃきついっす」
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