異世界戦線騒動記 ~幼女の女神から世界を救ってと依頼されたので頑張る~

たぬ2

プロローグ・終わりと始まり

††

 

 授業終了のチャイムが鳴り響いた。


「それでは、また明日、真っ直ぐ帰れよ。」

 

 担当教諭が教室を出て行くと、さっそく帰り支度をするもの、友達とこれから渋谷の繁華街に立ち寄ろうかと話すもの、また部活に向かうものなどで教室の中は騒然とし始める。


 それはいつもの極々ありふれた風景だった。

 

 窓際の後ろの席に座る茶髪の女子生徒も帰り支度を始めていた。その生徒を先ほどから見ていた女子生徒が近寄り声をかける。

 

「直美ぃ、帰るの?」


 黒髪の女子生徒──御子神麗奈が帰り支度を始める茶髪の女子生徒──彌園直美に話しかけた。

 

「うん、今日は部活ないしね。」


 彌園直美は笑顔で頷き、薄茶と焦げ茶の混じった長い髪がゆれ動いた。それがまたどうにも絵になる。

 

 凡そこれほどの美少女は早々はいない。男からして当然、女からしてもこれだけの美しさと可愛らしさを合わせ持つ美少女は、やはりどうにも気になってしまう。

 

 背中まである長い髪の毛は、焦げ茶と薄茶の混じった美しい色合いで、濃い茶色の細い眉にパッチリとした眼、鼻筋が通りぷっくらとした、男好きのしそうな唇。加えて一六五センチの比較的高い身長、均整の整ったボディは、出る所が出て引っ込む所が引っ込んでいる羨ましすぎるナイスバディと来ている。

 

 女から見ても見惚れてしまうほど、彼女の美貌は異常なほどと言える。じっさいこの世のものではないのでは、というのが麗奈の感想だった。


「それじゃあたし達とカラオケいかない?」


 麗奈は思い切って誘ってみる。

 

「ん?」

「将臣と、多分徹くんも来るからさ。四人だしどう?」


 将臣と言うのは、麗奈の付き合っている男子で、武藤将臣。徹というのは武藤将臣と幼馴染の友達で、いつも将臣にくっついている木下徹の事だ。麗奈からすればお邪魔虫である。

 

 おそらくこれから将臣と徹がやってくるはずだ。直美が来てくれれば徹をあてがっておいて、こちらの邪魔をしないのではないか等という打算があった。

 

「カラオケかぁ。ん~ごめん、無理。そろそろ食い扶持を稼がないと、金欠だからねぇ。」


 直美はにかっと笑ってあっさりと麗奈の誘いを断った。こうしたさばさばしたところは、実に直美らしいと麗奈は思う。


「食い扶持ってアルバイト?」


 なんともおっさんみたいなことを云うと、麗奈はくすっと笑いながら近くの机に腰を掛けた。

 

「そそ、アルバイト~。」

「それってさ例の奴でしょ?」


 麗奈は少し怪訝な顔で苦笑した。

 

 直美は週の内三回はダンス部での部活、残り二日と土日は『例の』アルバイトをしている。

 

「例の奴って、なんか厭な言い方。」


 彌園直美は苦笑するとふと困った顔をし、スマホを取り出して操作していく。

 

「あ、ごめんごめん、『何でも屋』だよね。」


 麗奈は言い直し、直美がくすっと笑って首肯した。

 

 だがその『何でも屋』というのもまた微妙なところだ。本人から以前に聞いたことだが、どうにもバイトというには微妙であり、それが高校生が普通にやる事とは思えない部分もあった。

 

 直美曰く『困っている人を助ける仕事』とだけ教えてくれた。ボランティアというわけでもなかろうし、麗奈は余計にわからなくなってしまった。

 

「それじゃ行くね。予約が入っているからさ」

 

 スマホでスケジュールを確認したのか、直美は麗奈に笑みを向けると、教室から出て行く。

 

──予約って、まるで指名見たい……


 水商売とか風俗とかでは女性を指名して遊べるというシステムがあるらしい、というのは聞いた事がある。まさか、という思いを抱きつつ、まんじりともしない視線で直美の背中を見送ると、それと入れ替わりに男子生徒が教室に入ってくる。

 

 男子生徒は教室の中を一瞥して、御子神麗奈の姿を発見すると手を軽く上げた。

 

「麗奈ぁ」


 男子生徒が麗奈の名を呼ぶ。


「将臣……」


 麗奈は男子生徒の名を呟くように声に出すが、意識は視界の中にまだ映る廊下を歩く美少女を見ていた。

 

 その横を通り走ってくる男子生徒が見える。

 

「おーい、麗奈!将臣!」


 なにやら泡食った調子で廊下を走る男子は、廊下で彌園直美とすれ違い、次いで教室へと入ってきた。

 

──お邪魔虫きた~……

 

 麗奈はそっと心の中で呟いた。

 

 

◇◆◇

 

 

 

 渋谷の裏通りの奥、表の繁華街の賑やかな側面とはまた異なる、うらぶれた危なげな雰囲気が目立つ場所にあるマンション。

 

 ダァァァーンッ


 体格の良いスキンヘッドの男が、派手な音を立てて壁に叩きつけられた。

 

 背中から激突したスキンヘッドは、衝撃に白目をむき口からは泡を吹いて、床に崩れ落ちていく。

 

「て、てめぇぇ!」


 背後から男の罵声が聞こえてくるが、その声は明らかに怯えていた。

 

 広い室内には二人の男達が、それぞれ手にナイフや鋼鉄製の警棒を持ち、部屋の真ん中に立つ者を畏怖の眼で睨みつけている。

 

 敵意は有る、殺意もあったが、それらは全て吹き飛んでしまう。彼らの目に宿るのは畏怖であり混乱だった。

 

 なにしろスキンヘッドを悶絶させた相手、それがモデル並にスタイルの良い少女なのだ。

 

 キュートな猫耳の付いた黒い帽子に髪を纏め、膨よかな胸がやたら強調された黒いぴっちりとしたシャツに赤いライダースを纏い、ジーンズ柄のショートパンツからスラリと伸びた脚は網目のストッキングに包まれている。

 

 いったいどこのアニメから飛び出てきたのかと思うようなコスプレ少女が、大男をふっとばす等、現実なのか夢なのか、男達は理解できずにいた。

 

 

 つい数分前、コスプレ風少女は部屋に乗り込んでくるや『魏怒羅とかいう半グレってここでいいよねぇ?』と言うとドアのノブを引きちぎってしまった。

 

「これで誰も外に出れないね。」

 

 そう言って笑みを浮かべると、コスプレ少女の瞳がみるみる赤く染まり、異変に気づいて集まった部下達を次々に打ち倒し悶絶させてしまったのだ。

 

 玄関から続く廊下には死屍累々の如く、口から泡や血を吹き出した部下達が倒れている。

 

「さーて、頭はどっちかなぁ?」


 鈴の音のような声が聞こえたかと思うと、コスプレ少女が男達へと視線を向ける。

 

「ひっ!」


 半袖の腕にやたらと刺青が目立つ三十代の男が、軽く悲鳴を上げて顔を引き攣らせた。

 

「このアマァ。」


 刺青男の隣にいた若い男がナイフを振りかぶり、コスプレ少女に突き刺すように突っ込む。

 

 しかしコスプレ少女の身体がゆらっと動いたかと思うと、男の目の前を何かがかすめ、とたんに手にもったナイフが吹っ飛んで壁に突き刺さった。

 

「ぎゃぁぁぁ──」


 男が悲鳴を上げた。手の骨がぐちゃぐちゃに砕け、指があらぬ方向を向いている。

 

 悲鳴は長くは続かなかった。再び何かが一閃すると男の顔が奇妙にネジ曲がり、その場にストンと倒れてしまう。

 

「ひぃぃぃっ!」


 刺青の男は、悲鳴を上げて逃れようとするが、壁に阻まれてしまった。

 

「あんたで良いのかな?『魏怒羅』とかいうハングレの頭。」


 コスプレ少女が帽子のつばを指先でくいっと上げて顔をのぞかせるのだが、両目から鼻の頭までを黒いマスクが覆っている。

 

 ポッカリと空いた二つの穴からは、赤い瞳が見えていた。

 

「お、おめぇ、まさか《ブラッドアイ》とかいう……」


 刺青の男は少女の血のように赤い瞳を凝視し、だらだらと汗を滴らせた。

 

「ん~ご名答」

「あ、あんんもん、都市伝説じゃ……」


 《ブラッドアイ》、それは最近渋谷界隈で噂される都市伝説の一つだ。

 

 顔をマスクで隠した赤い瞳の女が、ハングレやヤクザを潰して歩いているという。

 

 そんなものは只の都市伝説だとばかり思っていたが、こうして自分の目の前にいるということは、そして部下たちが尽く伸されてしまったことからも、あれは本当の事なのかと改めて戦慄する。

 

「あんた達評判悪いねぇ。不法ドラッグの売買、監禁、暴行、強姦、それに管理買春だっけ、あとはその他諸々、ちっとやりすぎ。」


 コスプレ少女が指折り数える声は、男に届いているのかいないのか。

 

「だからあたしのところに、あんた達を潰してくれって依頼があったの。」


 マスクの下の赤い瞳が笑みを浮かべているのが見え、口角が釣り上がった。

 

「依頼……だと?だ、誰からだ!」


「いろいろ悪さしすぎて、心当たりてんこ盛り?」

「く、くそ、ならこっちはその倍を払う、いや三倍でもイイ!」

「んっと二倍だと十万円かな?」


 すこし考える仕草をするコスプレ少女に、男は唖然とする。倍で十万円、つまり依頼料は五万円だというのか、わずか五万円の報酬で組織を潰しに来ているというのか。

 

「十万円貰えると家賃がでるなぁ。あはは………でも、駄目っ。」

「ふ、ふざけるなぁ!」


 男は壁の近くにあったパイプ式の棚に手を伸ばす。雑貨に隠された黒い鉄の凶器を取り出すと、慣れた様子で素早くスライドさせコスプレ少女に向けた。

 

「死ねぇっ」


 男は凶器の引き金を容赦無く引き絞る。

 

 ロシア人から購入したいまいち質の悪いトカレフだが、命中精度などどうでもいい。男は弾が尽きるまで、続けざまに引き金を絞った。

 

 少女との間は僅かに数メートル、これだけの至近距離なら何発か撃てば当たるはずだ。例え格闘技に長けた奴でも、拳銃には敵わない。

 

 男は絶対の勝利を確信する。

 

 発射音が室内に何度も鳴り響き、ブローバックしたスライドが停まり、全弾撃ち尽くされた事を示した。

 

 硝煙が舞い上がり視界を曇らせる向こうに少女の姿を確認しようとする。

 

「嘘だろ……」


 男は声をつまらせ、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 消炎の煙の向うに、少女は平然として男に笑顔を見せ立っていた。

 

 あれだけの撃ったというのに、そこまでこの拳銃は命中精度が悪いのか、と拳銃を見つめてしまう。

 

 平然として立つ少女は先ほどの位置から動かず、笑みを浮かべている。

 

「どうかしたかな?」

 

 少女の口角が釣り上がり手を差し出す。男はまさかと、その手を凝視した。

 

 差し出された手掌に乗る物を見て、男は青ざめ声を詰まらせた。

 

 手掌に乗る鉛色の物、それは弾丸だった。FMJ(フルメタルジャケット)の7.62x25mm トカレフ弾。それが何故少女の手掌にのっているのか。

 

「ごめんねぇ、あたしに拳銃は効かないの?」


 少女の屈託のない笑顔に男はさらに戦慄する。

 

 この女はバケモノだ。

 

 男は混乱する。どう考えてもこの少女が人間だとは思えなくなってくる。少女の姿をした怪物なのではないか。


「返すね。」


 少女が掌を閉じると、指が弾丸を弾いた。

 

 金属の衝突音がしたかと思うと、男の拳銃が吹き飛ばされる。

 

「っ!!」


 衝撃に男は手を抑えるが、その手が吹き飛ばされる。灼熱のコテを押し付けられたような熱さと痛み、そして血が吹き出た。

 

 手掌が射抜かれて血を噴き出している。

 

 何が起きたのか俄に信じられなかった。指で弾いただけの弾丸が、まるで拳銃で射出したのと同様の威力を持って、正確に銃と手を撃ちぬいたというのか。

 

 痛みと理解不能な恐怖に、汗が止まらなくなってくる。次いで少女の指が弾丸を弾き、今度は太ももに、そして肩にと次々に撃ちぬかれた。

 

「ああ、ああああ、、」


 肩と手、そして両足から血を流した男は、その場に崩れ落ちる。そして確信した。

 

──この女、人間じゃない。

 

「とりあえず、あんたらはまだ生かしといてあげるからさ、早々に渋谷から出て行ってね?もしまた渋谷で見かけたり、あたしんところに依頼が来たら……次は命貰うよ?」


 いいながら男の傍に立つと、弾丸で射抜かれ血が噴き出ている右腕をブーツが踏みつけた。黒い足首まであるミドルヒールのショートブーツが右手首辺りを押しつぶしていく。

 

「ぎゃぁぁぁぁ、ち、ちかうっ!渋谷から出て行く、にどと、ぎゃぁぁぁ」


 手首に掛かる凄まじい圧力が、ミシミシと骨を砕いていき、皮が破れ肉がひしゃげていく。

 

「約束だよ?あとお金とかドラッグとかどっかに隠してるんでしょ?もう必要ないだろうしあたしが全部始末するから、場所教えて?」


 少女が頭を下げ、悪魔のような笑みを見せる。途端に右手首の骨がぐちゃりと不気味な音をたて、完全に砕け散った。

 

 気絶しそうな程の激痛の中、しかし男は気を失うことはできなかった。今度は左手首に圧力がかかりだしたのだ。

 

「しゃ、喋る、全部いうから、もってっていいからぁぁぁ!」

 

 涙を流しながら、男は大声で叫び許しを懇願した。男にもう逆らう意思はなかった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 渋谷交差点前のコーヒーショップ。

 

 カウンターテーブルに席をとって、ストローでカフェオレを吸っている彌園直美が居た。

 

「とりあえず無理やり働かされてた女の子は解放させたし、携帯やスマホは全部没収したし~、ドラッグは捨てたし~と、お金も女の子に配ったしと、救急車も呼んで証拠も隠滅したぞと、うんうん。」


 彌園直美はやり忘れたことはないかと、指折り考えていた。

 

 彌園直美は警察が対応できない、また警察には知らせたくないトラブルを持った人から依頼を受け対応に当たる、いわゆるトラブルスイーパーを食い扶持としていた。

 

 本人曰く『何でも屋』のバイトなのだ。

 

 そして依頼を受ければほぼ必ず解決してくれる。

 

 達人並の格闘術、至近距離で発射された弾丸を掴み取る程の動体視力と反射神経。それらは人間の領域を超えるものであり、そんな特別な異能の力を持つ少女にとってこうしたトラブル解決の仕事は楽なものだった。

 

 そしてこうした異能の力を持つがゆえに紆余曲折があり、大都会東京の最も人出の多い街で、身を隠して暮らしている。


「はぁ~しかし面倒くさい世の中ぁ」


 直美はストローを咥えるとカフェオレを吸い上げ、手に持つ一冊の小冊子を見つめた。小冊子のカラーで描かれた挿絵、そこには剣を持ったイケメンの男がお姫様風の幼女をかばい、角を生やした恐ろしげな魔王に挑むような姿が描かれていた。

 

「こんなラノベみたいな剣とか魔法とかの世界でさぁ、モンスターやら大魔王とか出てくる世界だったら、苦労はないんだよねぇ。」


 ふうっと嘆息してページを捲る。

 

 その小冊子には現代社会からはみ出たヲタクのニートが交通事故にあい、神様からチートな能力を貰って異世界で成功していく姿が綴られている。

 

「異世界でチートな能力貰って大成功とかさぁ、はぁ~あたしゃチートな能力はあるけど現代社会じゃ生きづらいよ、全く……」


 チートな能力などあってもあまりいいことは無いぞ、と言いたげにジト目で小説をしばらく斜め読みしていくが、数ページも読んだところでぱたんと閉じた。

 

「チートな乙女にとって現代社会は住みにくいのだ。」

 

 小冊子をしまい、カフェオレのカップをゴミ箱に捨てると、コーヒーショップをでて渋谷交差点へと脚を踏み出す。

 

 薄暗くなっても渋谷交差点はそこかしこのネオンライトやビルの照明、大画面パネルモニター等の灯りに照らされて明るい。路上に待つ数百数千の人々が信号が変わると、一斉にスクランブル交差点へと歩き始める。

 

 直美もその人混みに混じり渋谷駅へと脚を向けた。しかし人々が行き交う交差点の中央まで来た時、直美はふと立ち止まる。

 

「……なんだろ?」


 危機感知スキルというのか、動物的な直感がなにか嫌な気配を感じた。そしてその嫌な気配の正体を見つめた。

 

「誰?あんた……」


 信号が変わろうとするなか、交差点の真ん中で立ち止まった彌園直美は前に立つ者に尋ねた。

 

 それは奇抜なファッションも許容される街とはいえ、かなり異質でもあった。

 

 紫の長い髪、恐ろしい程の美貌の中に不気味でアンバランスとしか言えない紫の瞳の右目と金色の瞳の左目。金や銀の艶やかな宝飾で飾り付けられた黒いシースルーのドレスは、素肌が見えそうでもある。

 

 奇抜過ぎるファッションはやたらとひと目を引く。その証拠に行き交う人々は誰もがその女に視線を向けていたのだから。

 

 そのなかでも特に奇抜だと思われるのは、こめかみの辺りから伸びた金紫の雄牛の様な角であった。

 

 長さにして一五センチ位の太い角は、どうやって取り付けてあるのか、まるでこめかみから生えている様にしか見えなかった。

 

「なんかのプロモーションの宣伝ってわけでもなさそうね。」


 先ほどから感じている嫌な気配。

 

 それはこの女から漂ってくる物だ。トラブルスイーパーという仕事柄、直美はこの嫌な気配を何度も経験している。

 

 殺気

 

 この女から泡立つような殺気を感じ、彌園直美は身構えた。だがまさかこんな人通りのある交差点のどまんなかでやる気なのか。

 

 尋常ではない殺気と向かい合いながら、直美はその女がどうも不自然に見えた。

 

 不自然な程の目立つ格好もそうなのだが、目の錯覚なのか女の姿がぶれて見えるのは何故だ。陽炎でも見ているように揺らめきぶれる、それはまるで実体が其処に無いかのように思わせる。

 

 だが尋常ではない殺気と闘気は紛れもなく本物だ。

 

 周囲から沸き起こったクラクションをも無視して女を見つめ集中する。

 

「こらぁなにやってやがんだぁ!」

「轢き殺すぞガキぃ!」


 怒声とクラクションを響かせながら、交差点に侵入した自動車が疾走り抜ける。

 

「え……」


 自動車が直美の前を通り過ぎ、女の身体がゆれた。いや自動車が女の身体を通り過ぎた。

 

「どういうこと……」


 次々と女の身体を通り過ぎる自動車、ドライバーには女の姿が見えていないかのうようだ。

 

「実体じゃない?」


 自分の目の前には確かに存在しているはずなのに、なのに誰の目にも見えておらず、ホログラムの様に実体が存在していない。

 

《来たりし来る時……因果と関わりある縁(えにし)の者、因果の歪みを超えて超越の時に出会う前に命じる》


 混乱する直美の耳に時代がかった符丁の、陰々とした声が響いてくる。

 

 これだけのクラクションと騒音の中だというのに、女の声が妙にはっきりと聞こえたのだ。


──おかしい

 

 まるで耳元で囁いている様な、頭の中に直接聞こえてきているかのように。

 

 怪訝な顔をする直美に、女が口角を上げ目を細める。

 

「あんたいったい何者なの?」


 尋ねる直美に女は答えず、ただ口角を悪魔の様に釣り上げていき、妙な力の波動を発し始めた。瞬間直美は理解する。相手は異能の力を持つ者だと。

 

 直美の瞳が瞬時に血の色に染まると、紅蓮の焔が舞い上がった。

 

「なにもんだ、答えろっ!」


 直美は闘気と紅蓮の焔を舞い上げ、女を威嚇する。

 

 しかし、奇妙な女は紫と金の瞳を爛々と輝かせ、直美の威嚇など意に介さぬかのように、呪文のような言葉を綴っていく。

 

《焔獄の覇者よ、獄炎の王よ、妾との盟約に寄りし異界の地をそなたの炎によりて焼き払うが良い《極大焔獄陣天地崩壊》》


 それは不思議な光景だった。

 

 女の周囲に見たこともない波動──この世界には存在しないエネルギーが集約し、紫色の炎が舞い上がるや女を中心にして凄まじい破壊が波紋のように押し広がり始めた。

 

 周囲を通り抜けようとした自動車が一瞬で燃え上がり、次々に爆発していく。さらにアスファルトの地面がドロドロに溶解していき、地鳴りと共に爆裂音を立てて吹き上がっていった。

 

「な、なにこれ!!」


 彌園直美は咄嗟に逃げた。

 

 波紋の様に広がる破壊のための破壊の波動(エネルギー)から逃れ、全力で疾走った。目の前の物、周囲の物全てが破壊され塵芥と化し、人間が僅かな悲鳴だけを残して、燃え上がり骨も残さず消滅していく中を疾走った。

 

「こ、このエネルギーは……!」


 女から発せられた破壊の波動(エネルギー)、今まで体験したこともない強大なエネルギーから逃れるようと、今まで出したことがない程に力を振り絞り気勢をあげた。

 

 途端に彼女が身に纏っていた紅蓮の焔に似た人には見えぬ不可視のエネルギー、《紅蓮のオーラ》が極大に膨れ上がり、破壊のエネルギーから直美を守った。

 

 《紅蓮のオーラ》を防御シールドとして展開した彌園直美は、破壊の波動(エネルギー)から逃れ走った。

 

 だが全身を包んだ紫の炎によって、直美の手足が消滅していく。もはや打つ手はない、激痛の中で直美は死を覚悟した。

 

 いったいこの破壊の波動(エネルギー)は何なのか、あの角の生えた女は何なのか。そもそもこんな波動(エネルギー)は初めてだ。

 

 この波動(エネルギー)は異質過ぎる。

 

──まるで、魔法……

 

 直美は遠のく意識の中、紫と金の瞳を持つ女が睨みつけているのを見た。

 

 

 

 

 その日、渋谷の街は消滅した。

 

 

††

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