雨の日にはお揃いの赤を

三砂理子@短編書き

雨の日にはお揃いの赤を

七月、梅雨明けのじっとりとした暑さの初夏だった。

ホームルームが終わり一限目が始まるまでのつかの間、瞳は窓際の席で頬を机とくっつけ、ぺたりと汗で張りついた夏服をぱたぱたと浮かせて風を送る。けれど暑さの前では届くのはぬるい風ばかりで、嫌気がつのる。

「あー。雨、降らないかなあ」

「なんで?」

ぼんやりと呟いた瞳の元に声が降ってくる。視線をわずかに上げると、それは隣の席の弘樹の声だったらしかった。

「雨、好きなのか?」

「ううん、嫌い。それに今日、傘持ってきてないし」

弘樹が下敷きをうちわにして扇ぎながら問うと、瞳は机から顔を上げずに首を振った。長い茶色の髪がわずかに顔にかかり、うっとおしかった。

「じゃあなんでだよ?」

暑さのせいか気だるげな弘樹に、瞳は「分かってないなあ」とだらんと笑う。

「雨降ったら、三限のプールがなくなるじゃん。体育館も暑いけどさ、太陽はお肌の天敵なのよ。それに、水着もいやだし」

申し訳程度に日焼け止めはしていても、実際日にさらされないのが一番いい。肌の白さは髪と同じくらい女子高生の命だ、というようなことを瞳はゆるりと答えた。

 弘樹はそれにふうん、と愛想のない相づちを一つして、それから「じゃあさ」と続けた。

「俺も、雨降ってほしいわ」

「なんで?」

きょとんと瞳が聞き返す。日頃のハンド部で日に焼け褐色肌の弘樹に、瞳は「高城も日焼け気にしてるの?」と的外れなことを尋ねた。

「違うわ! いいか、よく聞け」

弘樹は、先ほどまでのだるそうな表情とはうってかわり、ふふんと笑みを浮かべた。

「まず第一に、俺は傘を持っている」

やや自慢げに語り出す弘樹と対照的に、瞳は溶けて机と一体になりそうなほどに脱力する。

「そして次に、今日の天気予報は晴れだ。こんな日に傘を持ってきているやつなんて、天気予報を一日ずれて見ていた俺くらいなもんだ」

「ただの馬鹿じゃん」

「悪かったな! で、ここからが本題だ。こんな日に雨が降ればどうなる? そう、多くの女子生徒は困る」

「男子も困るわよ」

不敵に笑う弘樹と眉間にしわを寄せる瞳。二人のテンションは反比例するかのようだ。

「別に男子はどうでもいいんだよ。そう、女子が雨で帰れなくなって困る。そんなところに俺が傘を持って現れる。そうすれば、俺はヒーロー! 女子と相合い傘で帰れる! って寸法なわけよ。どうだ? 完璧だろ?」

喜々として語る弘樹に、瞳は思わず「うわあ」と声を漏らした。

「高城、ちゃらい」

「ひど!」

呆れる瞳の機嫌はいよいよどん底で、ふいと弘樹にそっぽを向き窓の外を見た。早朝は快晴であった空が、太陽にやや雲がかかっているのが見えた。


「げえっ。雨かよ」

誰ともなく、そんな声があがった。二限目の数学の授業中のことだった。知らぬ間に空は一面灰色で覆われ、そして雨となっていた。

「傘持ってきてないよーやだあ」「やったあ、体育プールなくなる!」「天気予報晴れだったじゃん、騙されたー! 折りたたみくらい持ってくればよかったなあ」

クラスは授業そっちのけで、天気について口々に喜びや不満の言葉をあげる。教師さえも「職員室に置き傘してあったかなあ」と首をかしげていた。

「南條、よかったじゃん」

「うん。ほんとに降るとは思わなかった」

騒ぎの中、瞳と弘樹は顔を見合わせ小さく笑った。

「これで、帰りまでに止んでてくれれば完璧なんだけどねー」

「俺としては、このままだといいんだけどな」

「はいはい、ちゃら男」

「ひど! 帰りに雨止んでなくても、南條だけは絶対傘に入れてやんないからな!」

元々期待してませんよ、と瞳は弘樹にあかんべえをし、それから雨の降る外にため息を一つ落とした。


雨が止む気配を見せないまま、六限の終わりを告げるチャイムが鳴った。ホームルームは悲痛な声が飛び交う。

そしてホームルームが終わると、多くの生徒が雨のせいで昇降口で足止めをされていた。

「よお、お困りですか? そこのお嬢さん」

玄関で靴を履き替えていた瞳に、背後からわざとらしい声がかかる。その声が誰であるかは、振り返るまでもなかった。

「いいえ、間に合ってます。……女の子と、相合い傘して帰るんじゃなかったの」

弘樹と向き直った瞳は、あからさまに不機嫌な表情をしていた。対して弘樹は、それを気にすることなく明るい声で続ける。

「だから、女の子に、声かけにきたんだろ」

「私のことは入れてやらない、って言ったの、高城じゃん」

「なんだよ、濡れて帰りたいのか? ま、いいから、入れよ」

「え、ちょっと!」

弘樹は強引に瞳の手を取り歩き出すと、自分と瞳とを大きな赤い傘に収めた。瞳は状況が掴めず困惑したまま、弘樹に引かれていく。歩幅の大きな弘樹に合わせるには瞳は小走りでないと追いつかない。うまく履けていないローファーがかかとに擦れて少し痛んだ。

「っていうか! 高城、私と帰り道反対方向じゃない。何、どうしたのよ」

「うっさいな。なんだよ、そんなに俺と帰るの嫌なのかよ」

弘樹が突然立ち止まり、小走りだった瞳は「わっ!」とそのままの勢いで弘樹の肩にぶつかってしまった。

動かなくなった弘樹を瞳がそっと見上げると、弘樹は唇を強く噛みしめていて、その表情はどこか悲しげだった。弘樹の行動が理解できなくて、瞳は自分が不機嫌だったことも忘れ戸惑っていた。

「もう、本当にどうしたの? わけわかんないよ」

「……悪かったよ。これ、傘、貸すから、それで帰れよ。俺は走って帰れば、ちょっとくらい濡れても平気だし」

弘樹は傘の柄を瞳に押しつけると、顔を背けじっと押し黙った。

そうして傘からはみ出た弘樹の肩が雨に濡れていくのを見て、瞳は押しつけられた赤い傘を強く握り直し、一歩、弘樹に近づく。

瞳は一度大きく深呼吸をして、

「あのね、高城。ちょっと落ち着いてよ」

と渡された傘を押し返した。

「なんだよ」

「それはこっちのセリフよ。勝手に引っ張ってきて、今度は勝手に突き放して。置いていかないでよ」

そう言って、瞳はかばんから赤い水玉柄の折りたたみ傘を取り出した。弘樹は数度瞬きをぱちぱちとし、目を丸くしてその傘を凝視する。瞳は弘樹の視線を無視して、かかとの潰れた靴を履き直すと折りたたみ傘を開いた。

「……どういうこと?」

瞳が弘樹の傘から出ていくのを弘樹はぽかんと見ていた。瞳は一歩、外へ飛び出すと、赤い傘と共にくるりと回って、弘樹に向き直った。

「だから間に合ってる、って言ったじゃない。体育の授業の後に、梨花が傘二つ持ってるって言って、貸してくれたの」

「なんだよ、それ。それじゃ、俺ばっかり馬鹿みたいだ」

「みたい、じゃなくて高城は馬鹿でしょ」

踏んだり蹴ったりだ、と弘樹は肩を落とす。

「じゃあな、気をつけて帰れよ」

ひらひらと手を振りくるりときびすを返し、反対方向へ歩いて行く弘樹のその手を、瞳は不意打ちでぎゅっと握った。

「え、うわ、なに」

突然のことに、弘樹は反射のように驚き振り返った。笑顔の瞳と目が合う。

「何って、家まで送ってくれるんでしょ? 忘れたの?」

「え、だってそれは、南條が傘ないって言うから、」

言い掛けて、弘樹は気づく。笑う瞳の、その言葉の真意に。握られた手から伝わる、脈動の速さの理由に。気づいてしまうとそれはとてもむずかゆいことで、けれど、とても嬉しいことでもあった。

弘樹は自分の顔がどんどん熱く火照っていくのを感じた。けれどそれには気づかないふりで、そっと瞳の手を握り返す。繋いだ手が小さく跳ねて、瞳が驚いたのが分かった。先ほどとは反対に手を引いて歩き始める瞳に追いついて、歩幅を合わせて並ぶ。弘樹が瞳の顔を覗くと、瞳が少し顔を赤らめながら、はにかんで笑う。

「ね、高城、顔赤いよ」

雨の中、赤が二つ、揃いだった。


End.

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