花屋の姉弟

三砂理子@短編書き

花屋の姉弟

「いってきまぁす」

 朝の開店前の時間、母は店で花の手入れをしているから、家を出るときは裏口からだ。誰もいない廊下に言葉を投げると、廊下の向こう、店から声が返ってきた。

「いってらっしゃい。あ、蓮。今日帰ってきたら、お店手伝ってほしいんだけど。配達の仕事があるの」

「はぁい」

 声はあくまで平静を装った。この距離では、うんざりしている俺の顔はきっと母には見えていないだろう。


「蓮、おはよ。何その顔、どしたの」

 朝のSHR前、机に突っ伏していると、クラスメイトの祐樹が声をかけてきた。その顔、と言われたのは、口をへの字に曲げた俺の顔のことだろうというのは考えるまでもなかった。

「なんでもねーよ」

「そんな不機嫌な面しといて、なんでもないってことはないだろ。友達じゃん、俺に話してみ? なっ?」

「……明日、進路面談なんだよ」

「え、蓮、まだ進路決めてなかったの? もう夏終わったし、やばくね? ってか、蓮なら百合先輩と同じとこ、行けるじゃん」

 挙がった名前に、反射的に眉が吊り上がる。祐樹もそれに気付いたようで、ばつの悪そうな表情を浮かべた。

「ごめん、悪かったって。そんなに百合先輩と仲悪いのか? どうせ蓮が入るときには先輩は卒業なんだし、気にすることないと思うけどなあ」

「別に、ねーちゃんが嫌なわけじゃない」

「じゃあ、なんでだよ?」

 答えを言うのをためらっていると、SHRの開始を告げるチャイムが鳴って、担任が教室へ入ってきた。軽い手の動作だけで祐樹を追い払う。

「俺がねーちゃんと同じ大学に行ったって、ねーちゃんと同じにはなれないだろ」

 呟きは、誰に聞かれるでもなく地に落ちた。


 家に帰ると、表口には『CLOSED』と書かれた札が下がっていた。表口の鍵を開け、札を裏返す。レジの裏にかばんを置くと、机の上にメモがあるのが目にとまった。母の字で、「配達に行ってきます。七時には帰ります。」と書かれていた。メモをゴミ箱に捨て、扉を大きく開けて花を外へ並べる。店用のエプロンはピンクの花柄だったから、つけなかった。

「ただいまぁ。あれ? 蓮が店番してるんだ。お母さんは?」

 何人か常連の客が来て、ひと段落したところに姉――百合が帰ってきた。

「配達だって。帰りは七時くらい」

「ふーん。店、手伝う?」

「じゃあ、交代して。帰ってすぐに開いたから、部屋にも戻ってないし」

 俺の返答を聞くより前に、姉はレジから店のエプロンを取り出していた。笑顔で店先に立つ姉の背を一瞥して、俺はかばんを取って奥へ引っ込んだ。


 薄暗い中目を覚まして、手探りで携帯を探す。目に優しくないディスプレイの光に時刻が写し出される。ちょうど、母が帰ってくるはずの時間だった。

店に戻ると、まだ母は帰っておらず、姉が接客をしているところだった。

「あ、蓮! いいとこにきてくれたね! ちょっとこれ、包んでくれない? この後、平松さんがいつものお花買いにくるらしくって。私、そっちの準備するから」

「分かった」

 姉が着ていたピンクのエプロンを花束と一緒に渡され、仕方なくエプロンを肩にかけたまま包装する。姉はぱたぱたと庭へと出て行った。


「ねーちゃん。平松さん来たけど」

「はぁーい。これで全部だから、待って」

店の裏にある庭には、いくつか人気の種類の花が植えてある。それらは全て規則正しく、つぼみのままに並んでいる。

俺が庭に顔を出すと、姉がそのうちのいくつかを摘んでいるところだった。脇には花かごが置かれていて、既に摘まれた花が入っている。かごの中の花は、庭に並ぶそれと違い、生き生きと花を咲かせている。

姉は、摘み取ったつぼみの束をそっと胸元に寄せると、つぼみに向かって、吐息を吹きかけた。息はきらきらと淡い光となってつぼみを包み込み、そして花が開いた。

「よし。これで、全部。行こ、蓮」

俺の横をすり抜けて、姉はかごを持って店へと戻っていった。


花のいのちを操ることができる。俺の家系には、そんな力があるのだという。俺の家は、代々花屋を営んでいる。花屋が先か力が先かは、今となってはもう分からない。その不思議な力がある以外、何か変わったことができるわけでもない。ただ、もう一世紀以上もの間、その力は変わらずに受け継がれ続けている。

庭に植えられたつぼみのまま成長を止めた花たちは、母の力によるものだ。店に並べるときになると、再び力を使って、花を咲かせるのだ。シーズン外の種も買うことができ、なおかつ花の寿命が長いと、評判もいい。

姉もその力を継いで、花のいのちを操作することができる。幼い頃から遊び感覚で花と戯れてきた姉は、母よりも力の使い方がうまいという。

そうしてたくさんの花に囲まれている姉を、俺はずっと傍で見てきた。


 担任との一対一の進路面談を受けて、いつもよりやや遅く家に戻ると表口に客らしき人影が見えたから、裏口に回って家に入った。扉を開けると同時に、漂っていた花の匂いが強くなって、反射で顔をしかめた。慣れた匂いであるというのにそれに嫌悪感を示したのは、今の心境に由来するところが大きかった。

「あ、蓮。おかえり」

 二階に上がって自室の扉に手をかけたところで、背後から声をかけられた。

「うん」

 振り向くことなく声を返して、自室に入る。今は一人になりたい気分だった。それなのに、声をかけてきた相手――姉は、俺の気持ちも知らずに俺の自室へ入ってきた。

「何か用、ねーちゃん」

「ううん、特に何もないわよ」

「じゃあ出てってよ。寝たいんだけど」

「つれないわねえ」

 荷物を床に放って、ベッドに寝転ぶ。扉側に背を向けているので姉の顔は見えないけれど、声色から笑っているのが分かって、腹立たしかった。

 思春期や反抗期というのは、異性の親兄弟の存在が腹立たしく思えてくるものだと思う。それは理由なく苛立つこともあれば、些細なことを発端に苛々がつのることもある。

「ねえ蓮」

 たとえば、こうして姉が笑顔で囁いてくるとき、俺は意味もなく腹立たしいと思うのだ。

「受験勉強、進んでる? 分からないとこあれば、教えてあげよっか。科学と数学だけだけど」

「いらない。科学と数学は俺もできるし。教えてくれなくていいよ。ねーちゃんこそ、就職決まってんの?」

 勢いに任せて言い返す。言ってから、しまった、と思った。

姉は俺の四つ上で、地元の大学の中でもかなり偏差値の高い理系の大学に通っている。俺が受験生なのだから、つまり姉は就活生のはずだった。

 しまった、と思ったのは、姉の心境を考慮してのことではなかった。ただ、この話題に関しては、姉よりも俺の方が、ずっとタブーなのだった。

「私のことは気にしないでいいのよ。あんたがちゃんと大学行ってくれれば、姉ちゃんはそれでいいのよ」

 その言葉が、いたわるような響きであったから、俺の苛立ちは限界だった。担任教師だって、未だに進路の定まらない俺に対して、ここまで踏み込んではこなかった。

「俺のことだって、ねーちゃんには関係ないだろ。もう、出て行ってくれよ」

「関係ないことはないじゃない。お店だって、どうするのよ」

「うるさいな! 俺がそんなこと、知るわけないだろ!!」

 姉が息を飲んだのが、凍りついた空気で分かった。しばらく無言のままでいると、姉が「ごめんね」と呟いて、部屋から出ていった。最後の一言までもが、腹立たしかった。



「あら、コスモス、咲いたのね」

「……なんでねーちゃんが、いんの」

「ちょっと目が覚めちゃって。蓮だって、まだこんな時間じゃない」

朝日が昇って間もなくだった。パジャマ姿のまま、庭で秋の冷たい風に当てられていると、姉が現れた。

姉は俺の足元にしゃがみ込んで、花壇に咲くコスモスをそっとなでる。

「蓮の育てた花は、いつも綺麗ね」

「どこが」

反射的に返した声は不機嫌の色を隠しておらず、その言葉に姉は小さく笑った。

「私やお母さんがつくる花より、綺麗よ。蓮に似て、素直に育っているもの」

コスモスは日に照らされ、きらきらと光をまとって佇んでいた。



終了を告げる鐘の音と試験官の声が教室に響く。えんぴつを机の上に置くと、ふっと緊張が消え脱力感に襲われた。解答用紙が回収され、試験官の言葉と同時に周囲の学生達ががたがたと教室から出ていく。人混みを避けようと、わざとゆっくりと帰り支度をして教室を出ると、外は人が既にまばらで、しとしとと雨が降っていた。

「うわ。傘忘れた」

そういえば、天気予報は雨だった気がする。そんなところまで気が回らなかった昨日の自分が恨めしい。

「受験生として、なってないんじゃないの?」

まるで俺の心を読んだような声に、俺は目を見開いて声の方を振り向いた。

「なんで、いんの」

「なんでってここ、私の大学よ」

「大学は今日休講だって言ってただろ」

そこに立っていたのは姉だった。雨の下で赤い傘をさして、もう片方の手には俺の青い傘を持っていた。

「蓮が傘持っていかなかったっていうから、わざわざ持ってきてあげたのよ。いくら大学が家から近いって言っても、歩いて三十分の距離を雨に降られたら、風邪引くでしょう」

ぐうの音もでない正論に言葉を詰まらせる。姉はポケットからカイロを取り出して、それと傘を差し出し、

「帰ろっか」

と笑った。お礼を言うタイミングを失ったまま、俺はそれらを受け取った。

「今日で入試終わりでしょ? お疲れ様」

結局、俺は姉と同じ大学を受けたのだった。他の大学は、センター試験の成績で滑り止めを一つ押さえた以外は受けていなかった。

「うん」

「多分ね、蓮なら受かるよ。ここ」

「なんだよそれ」

「だって、蓮は私の自慢の弟だもの。大丈夫よ」

試験が終わったばかりの俺を励まそうとしてるのかと、八つ当たりまじりに何か言おうとして、けれど言葉は出てこなかった。姉の瞳がまっすぐに俺を見つめていた。姉は、嘘偽りなく、俺を信じているのだと思った。

「ねえ、蓮」

甘い吐息のような囁き。不思議と苛立ちは感じなかった。

「蓮は花、好き?」

「急に、何。そりゃあ、好きだけど」

「うち、継ぎたい?」

「継ぐのはねーちゃんだろ。俺は、いいよ」

家の花屋は代々、花を操る力と共に受け継がれてきた。母もそうだったし、その前もずっと。そして母の次は姉であるということ。それは、疑いようのない未来だ。

「私が家を継いだら、蓮はどうするの?」

「花屋以外にも、仕事なんていくらでもあるだろ。植物の品種改良とかいろいろ、適当に仕事見つけるよ。なんなら、ねーちゃんの手伝いで、花屋、雇われてもいいけど」

「何生意気言ってるのよ。……でも、そうね」

花のように笑う。それは、姉が育てたどの花よりも可憐で、けれど少し、棘のある笑みだった。

「花屋にしてあげても、いいわよ」


花に囲まれて生きてきたし、これからもそれは変わらないだろうという、漠然とした予感がある。

姉になりたいと思ったことがあった。それは姉そのものになりたいとか、姉のような人間になりたい、ということではなく。花の命を司る力、俺にはない、天から授かったそれ。家業を継ぐためのパスポート。それがほしかった。一生をあの家で終えていいと思えるくらい、植物が、花が好きだった。姉がうらやましかった。

進路に悩んで、八つ当たりをしたことがあった。俺にはないものを持つ母や姉が恨めしくて、花の香りを嗅ぐだけでその気持ちが沸々としてくるから、家出して祐樹の家に数日転がり込んだこともあった。

それでも、最後に戻る場所は花に囲まれた我が家だった。

流れる血は変えられない。力はないけれど、俺には母や姉と同じ血が流れているのだった。そしてどれだけ将来に悩んでも、最後には、こうして姉の背を追ってきた。

それは、諦めに近い気持ちだったけれど。同時に、幸せでもあった。


合格発表は、試験の十日後だった。結果掲示の時間丁度に大学に着くと、既に掲示板の前には多くの人で埋め尽くされていた。人混みの前で立ち止まる。一つ深呼吸をして、群れの中に入り込んだ。

呼吸することも忘れて、自分の受験番号を探した。冬だというのに、手汗をかいていた。周囲の歓声や落胆の声に心音が高鳴った。

「……あ」

しばらく呼吸をしていなかったために、声を出そうとすると喉に空気がつっかえて掠れ声しか出なかった。

「あった」

認識から一瞬遅れて、ようやく声を発する。俺の番号は、掲示の中にあった。合格していた。

深く息を吐く。体に血が巡るような感覚を覚える。ふらふらと人の群れから抜け出して、近くのベンチに座り込んだ。

湿っている手を服の裾で拭い、携帯を取り出す。自宅に電話をかけると母が出た。結果を話すと、電話の向こうで安堵しているのが分かった。

それから事務棟で書類を受け取って、十日前には雨の中姉と二人で歩いた道を一人で帰った。

「おめでとう!」

裏口の戸を開けると同時に姉の姿と声が飛び込んできて、反射的に玄関に踏み出した足を引っこめた。

「なーんで足引くのよ」

「ねーちゃんが飛び出してきたからだろ」

「お祝いしてあげただけじゃない」

「普通に祝ってくれよ」

「普通のお祝いもあるわよ。今、お母さんが準備してる」

二人でリビングに行くと、テーブルの周りが花で飾りつけられていた。

「あら蓮、おかえり。おめでとう。お父さんが晩ご飯にお寿司買ってきてくれるって。とりあえずお昼ご飯用意するわね」

花の匂いが部屋に充満していて、まるで店先にいるような錯覚をする。幸せの匂いだった。


夜、父が帰ってきて、改めて合格祝いをしているときだった。

「ねえ」

談笑している中に、姉の固い声が落ちた。花の柔らかな香りの中で、その声は異質だった。

「ねえ、お母さん、お父さん」

「なあに、どうしたの?」

「蓮が、大学進学を決めたから、私も、進路を決めようと思うの。……私、大学院に進もうと思う」

姉は、都心の有名な理科大の教授から、大学院に来ないかと誘われているのだと言った。そして、それを受けるつもりだと。

「私、研究職に就きたいの。それが無理なら、そうね、理科の教師になるのもいいかもしれないわね。教育実習、結構楽しかったし、向いてると思うの」

饒舌な姉に対し、父と母は絶句しているようだった。俺も、突然のことに言葉を失っていた。

「そんな遠いところ、どうやって通うつもりなの?」

ようやく絞り出した母の声は暗かった。

「一人暮らしをするのよ。向こうから補助金も出るって言うし、バイトのお金も貯金してあるから、大丈夫よ。学費だって、奨学金とバイトで出すわ」

姉は、ずっと前から決めていたようだった。姉の言葉は強かった。

「お店はどうするの? 百合が研究職なんてなったら、この家は誰が継ぐの?」

「蓮がいるじゃない。蓮が継いでくれるわ」

でも、と食い下がる母に姉は「それとも」と続ける。

「それとも、蓮は継げないって言うの?」

それがとどめだった。母は再び黙り込んでしまった。

「蓮の育てた花は、私が見てきた花の中でどれよりも綺麗に咲くの。私のよりも、お母さんのよりもよ。私は、蓮なら素敵なお店にしてくれるって思ってる」

「……百合の気持ちは分かった。蓮は、どう思う? ……家を、継ぎたいか」

母の代わりに口を開いたのは父だった。店の家系ではない父は、花屋に関してはほとんど母に任せきりだったから、父の問いは衝撃だった。

「俺は……ねーちゃんが、店を継ぐと思ってたし。それでいいって思ってた、から」

「本当に、そう思ってる? 我慢してない?」

姉は俺の気持ちを、全て分かっているようだった。ずっと、気付かれていたのかもしれない。姉はいつだって、俺を気にかけてくれていたから。

「……今日は、蓮の合格祝いよ。もうこの話は終わりにしましょう。百合の気持ちは分かったわ。でも、親に相談もなしにそんな大事なことを勝手に決めるのは許さないわ」

母は苦虫を噛み潰したような表情でそう言った。「そうだな」と父が続いたのが最後だった。

飾られた花だけが幸せの色を残していた。


「蓮、ごめんね」

後味の悪い晩御飯の後、父と母を食卓に残して俺は自室に戻った。少しして、ノックの音と共に姉が部屋に来て、そう謝罪した。

「別に、ねーちゃんが悪いことしたわけじゃないだろ」

「でも、私のせいでせっかくの合格祝いの席台無しにしちゃった」

「言うきっかけがほしかったんだろ。なら、別にいいよ」

「ふふっ。蓮にはお見通しなのね」

「そりゃあ、あんなこと言い出して、最初はびっくりしたけどさ。姉弟だし、それくらい分かるよ」

ごめんね、と再び謝る、その表情は穏やかだった。

「ねえ、蓮。魔法が使えないと花屋になれないって、蓮はそう思う?」

「俺は、ずっとそう思ってた。今でも少し、負い目……ってわけじゃないけど、思う。でも、」

そう言いながら、俺はいつかの姉の刺のある笑みを思い出していた。それを真似るように、傲慢に、笑う。

「ねーちゃんが継がないんだったら。俺が、花屋になってあげてもいいよ」

その言葉に、姉もつられるようにして笑った。

「蓮。大学では好きなことをしなさい。花でも植物でもいいし、もし他に好きなことができたら、理科ですらなくてもいいわ。四年間大学に行って、もし、卒業するときに花屋を継ぎたくなかったら、他にやりたいことができたら。そのときは私が家を継ぐから。蓮はやりたいことを、やりなさい」

それが長女としての責任だわ。と姉は自分に言い聞かせるように言った。その言葉の重さに、姉は一体、何を考え、悩んできたんだろうと思った。

俺はずっと、姉を羨み妬んできた。姉は何の不自由もなく花屋を継ぐんだろうと思っていた。けれど。姉もまた、俺を羨んでいたんじゃないだろうか? 後継ぎとしてのプレッシャーを負わず、好きなものになれる自由な身を。俺が姉になりたかったように、姉もまた。

「大丈夫。大丈夫だよ、ねーちゃん。俺、多分、家継ぐよ」

姉を自由にしてあげたいと思った。俺が姉の代わりになって。姉は俺の代わりになって。

だから、なりたいものになって、いいよ。

その言葉は言わなかったけれど、姉には伝わったようだった。姉は一度だけ俺の頭を撫でて、ありがとうと微笑んだ。


その後しばらく、姉と母は何度も話し合いを繰り返した。母は花屋で生まれ育った人だったから、長く続く家の慣習に強く縛られているようだった。俺や姉が花から離れられなかったように、身に染みついたそれから逃れられないのは、仕方ないように思えた。

話し合いの末、姉の大学院行きを許したのは、母ではなく父だった。母は父の説得に渋々応じたようだった。

「私がいなくなったら、蓮は寂しい?」

姉が家を出る前夜、姉は俺の部屋に来てそう尋ねた。

「家が広く感じられて嬉しいよ」

「ひどーい」

最後まで素直になれない俺に、それでも姉は優しく笑った。花の笑みだった。


翌日、姉は家を出ていった。静かになった家は少し落ち着かなかった。

気を紛らわせようと、俺は店に下りてユリの球根をもらいに行った。季節外れではあるけれど、庭でゆっくりと育てようと思った。


End.

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