第6話 八月 夏と花火 上
夏の暑さも峠を迎え、本格的に屋外でお湯でも沸かせそうなくらいになったつい最近。
予備校に夏休みがやってきた。
「いや、夏期講習中だろ」
そんな師道の冷めたい突っ込みを聞き流しつつ、茶碗のご飯をかきこむ。
「それでも二か月ですか。長いものですね」
「そうっすね~」
口の中をお茶で流しつつ、ここ最近で俺達とよく昼食を共にするようになった源さんに答える。
「やっぱり、昼をのんびり過ごせるのはいいな~」
と一服ついてまったりする。
予備校の夏休み、いわゆる夏期講習はいつも平常授業とは違ってシステムが異なる。
「夏期は90分でしたか?」
「ですね、俺は午前に二つで午後から一コマですから、これでもいつもより少し授業時間は多いんですけどね」
端的に言うと夏期の授業は長い。
平常50分授業から90分に拡大されなおかつ、中休みは変わらず10分と大学の講義と同じ時間割になるから、下手に授業が少ない平日よりも
忙しい日程になることもある。
とそんな夏期講習なわけだが、その原因の最たるものが夏期講習が講義選択制という形態を採っているためだ。 選択制とは、つまり浪人生が自分で受ける講義を決めるというシステムでそれはすなわち、入れすぎると平常授業より過酷にもなるし、逆に入れなければニートのような生活が送れるという訳だ。
「まあ、俺は二浪だからそれでも去年よりははるかに楽ですけど」
「なるほど、既に教わることがないという訳ですか」
そーなんですよ、とそこで応えられたら良いのだが本当はそうではない。
「どっちかというと、こっちの問題ですね」
俺の気持ちを代弁するように隣の師道が親指と人差し指で丸を作った。
そう、つまりは金である。
夏期講習の特徴その二、料金システムが年間費と別払い。
基本、一コマ~~円というパック料金で講習前に申請し、講習前にその全額を支払うのが通例だ。
「にしても、やっぱり持つべきもの都合の良い友だよな~」
「その言葉前にも聞いたぞ」
「何かあったのですか?」
「簡単な情報提供ですよ、どの科目の講師がいいとか、この講義は取った方がいいとか」
一年も無駄にいれば講師の評判にも目ざとくなる。
つまり、俺はその大して役にも立たない師道の審美眼を有効に使わせてもらったというわけだ。
ちなみにこれ以外の方法としてネット上の掲示板で調べるというのもある、情報の質は保証出来ないが。
なんにせよ、そういった情報のおかげで俺は出来るだけ無理のない日程でスケジュールを組むことが出来、そして昼時もこうしてのんびりと食事を摂ることが出来るのだ。
「まあ総じて、これで何とかなるだろうよ」
「なら、約束通りここの代金はお前持ちな」
「へいへい」
それのための情報料として一飯なら安いものだ。
喜ぶまではしないでも、多少は財布の紐も緩くなっていいはずなのだが……次の師道の一言でその紐も急激にきつくなってしまった。
「それで、この前の模試の結果はどうだったんだ?」
確かに浪人ともなると、その会話の内容は世間の不祥事ディスか、大学での夢、そしてテスト関係と相場は決まっている。
だけども、それにしてもっと話題の幅があってもいいような気がするだけなのは私だけでしょうか?
「なんだよ、そんなに悪かったのか?」
「なんで、悪い前提なんだよ」
決してそういうわけではない。
「だったら、なんだよ」
自分でもよくわからない、そんな妙な心地になりながら俺は少し前の事に思いを寄せた。
半日程前。
夏期講習では、基本自由登校なため朝に集合する必要はない。
だが、その日は少し事情が違った。
「それでは、6月のベネッセ模試を返します。名前を呼ばれた人は前に取り来てください」
その事情というのがこの見事にタイミングをずらしたテスト返却だ。
そもそも全国一斉模試や大型の統一模試は受験生が多いため、その分結果もすぐには出てこない。
結局は受けた後のやるせなさに悶々とし、そして忘れた頃に帰ってくのが模試だ。
「落合君」
そうこうしてるうちに、俺の名前が呼ばれる。
(はあ~、しんどいな)
重い腰を上げ、机と机の合間を縫うように抜けて、そして担任チューターから裏向きで成績表を受け取る。
この瞬間はどうも緊張してしまう。
別に受けた時の手ごたえがそれほど良かったわけでもないが、どこからともなく自信に似たものが湧いてきたリ、その一方で悪かった時のために諦め始めている自分もいる。
さて、そろそろ前座を終えて開いてみようか……
スーハー、スーハー。
とようやく、心の準備を終えて薄い成績用紙を開いた。
落合 次郎 (満20歳)
数学 135/200(65)
英語 125/200 (59)
物理 72/100 (66)
化学 54/100 (57)
フム、まあ可もなく不可もなく。
テストの後に自己採点をしていたため、ある程度の点数は分かっていたが、それにしても( )の中の偏差値が示す通り、平均は思ったより低いみたいだ。
物理なんかは点数こそ、目だって高いわけでもないが偏差値はかなりいいと思う。しかし、化学と英語は……まあ、結果は結果だ。今は受け入れよう。とりあえず、この結果を詩織に送っておこう。
そして一斉模試の一番の見どころと言えば、その横のページに記載された志望校合格判定。
AからEまでのアルファベットでその大学への今の合格確立が分かるあれだ。
第一志望 ………大学 建築学部 C
第二志望 ………大学 工学部 B
第三志望 ………大学 建築学部 B
第四志望 ………大学 建築学部 A
第一と第二は同じ大学だが下二つはそれぞれ別の大学。
その上での結果がこれだ。
こちらは正直に言うなら、なんとも微妙なものだ。
押しなべて悪い成績というわけではない、むしろ良いくらいといえる。
しかし、この試験は6月終盤のもので、その時には当然現役生も高校で受験をしたはずだ。
という事はつまり、全体のレベルとしてはまだまだ完成されていないのだ。
高校三年の夏では、まだ授業過程を完了していない所もあり、当然その分現役生には解けない問題も出てくる。
そんなハンデを負った高校生が受けた状態では俺の点数、特に偏差値は相対的に良くなってしまう。
ちなみに、この現象の多くが春先に起きることが多く毎年、現実を知らない一郎達が『うはっ!?俺、今年東大もいけるんじゃね!!』みたいな錯覚に陥て調子にのった結果、その後爆死する。4月の嘘にタブらからされるというわけだ。もはや予備校においての恒例行事みたいなものだ。
そんな現実を知っている俺はついうっかり安心してしまいそうになる自分を自制し、返却されたプリントをカバンにしまった。
判定なんて、目安に過ぎないと自分に言い聞かせて……
「それで、どうだったんだ。この前の模試は?」
「フハハハハ、見て驚くがいい。なんとCだぞ!C!俺もう受かるわ。もう住む場所を探そーかな」
さっきまで抱いていた妙な違和感などとうに忘れ、普通に調子に乗っていた。 世の中、中々思うようには行かない。
「まあ、それは良かったな」
と相変わらずクールな物腰の師道はしれっとプリントを差し出した。
師道 光太郎 (満20歳)
数学 185/200(79)
英語 178/200 (78)
物理 96/100 (75)
化学 92/100 (76)
第一志望 ………大学 医学部 B
第二志望 ………大学 薬学部 A
第三志望 ………大学 歯学部 A
第四志望 ………大学 医学部 A
「きもっ」
それを見た第一声がこれだった。
いや、普通にきもい。
記載されている判定のほとんどがAなのもそうだが、なりよりそれを師道が無表情で自慢する辺りがかなりきもい。
そしてようやく分かった。違和感の正体が。
こいつの成績のせいだ。俺の点数がよければ、当然俺よりも勉強の出来るこいつも点数が良くなるから全く喜べなくなるんだ。
忌々しいことこの上ない。
しかし、それだけの成績であることもまた間違いない。
医学部でAって……これが総合偏差値75の実力か。
「6月の判定ならこんなもんだろ。俺は去年もこんな感じだったが、それでも落ちたわけだし」
師道の言う通り、判定はあくまで判定だ。単純に予測に過ぎないため、Aで落ちることもあればその逆もまた然り。
そこから伸びる事も落ちる事ある以上、ただの目安に過ぎないというのは受験生として忘れてはいけない事だ。
「そ、そうだな。今の判定は関係ないよな……」
俺は今度こそ、その言葉を噛みしめた。
予備校の夏は変なのが良く湧く。
それは夏期講習がどうだからというものだったり、はたまた社会の流れが関係する。
特にこの時期は世間的に夏休みであるから、自然と浪人生のタカが外れやすくなる。
パチンコやマージャンと言った賭け事から、異性との付き合い、そう言ったものが起因して夏明けから来なくなる浪人生が多発することからある意味で浪人としても最初の鬼門ともいえる。
そして、その鬼門の中でも最悪にして最も憎むべき敵。
そいつらはこの時期になると大量に外部から発生、多くの浪人生を地獄の底に叩き落とす、まさに災害レベルの害悪だ。
その名も……
「やっほーい、応援に来たよー!」
「よお、久しぶりだな~」
「どうですか~、予備校はッ!?」
DIE学生である。うざい。
八月となると、大学は夏休みに突入し、年中夏休みのような生活をしているにも関わらず奴らは呼んでもいないのに地元に帰ってくる。呼んでもいないというのに勝手にやってくる。
大人しく実家に引きこもっていればいいのだが、奴らはあろうことか浪人生の唯一の居場所である予備校に土足で踏み込み『激励』という名の
自慢話を始める。
髪を何の独自性もない茶色に染めて、あか抜けた自分たちでも見て欲しいのか頭をじりじりといじりながらドヤ顔で大学生活を語る様はもはや怒りを通り越して、笑えてくるまでだ。
うざい。
その大学生が、ロビーにて別の浪人生と姦しく騒いでいる。
それが、俺たちが昼食から帰って来た今のこの現状だ。
ちなみに本人たちは良かれと思って来ているのかもしれないが、浪人から言わせればただのうざい挨拶周りのためパンピーは予備校に足を踏み入れない事を勧める。大学生は存在そのもの悪なのだからなんなら条例にしても良いレベルだ。
それにしても、今日の俺は随分と生き生きしている。さっきまで、テストで落ち込んだいた奴とは同一人物とは思えない。それほどまでの盛り上がりである。
思わぬ宿敵の登場にいきり立つ俺を、しかして師道が諌める。
「おい、待て。その手に持ったでかいステープラーで何をするつもりだ?」
「止めてくれるな友よ。これは、俺のやらねばいけないことなんだ」
「お前のすべきことは勉強だけだろ」
全くもって当然な事を言われ、俺はようやく正気に戻った。
「そもそも、お前はどうしてそんなに嫌うんだよ。俺なんかは普通に会い来てくれると嬉しいものだぞ」
「チッチッチッ、分かってないな師道君。考えてもみたまえ、なぜ奴らよりも学生としての本分を全うしている我々の方が肩身が狭いのだ。そもそもなぜ奴らはああも上から目線なのだよ。民主主義のこの社会でそれがおかしいではないか」
「上から目線と感じてるのはお前位だろ」
「さらに、なんだあのたるんだ装いと言動は!?およそ今後のこの国を背負って立つべき人間の姿ではないだろう。俺はあんなものと同列になる気はさらさらない。」
「またどうしようもない偏見だな。そもそもお前はそのたるんだ大学生になるために浪人してるんだろ、だったらお前の立場は矛盾してるぞ」
「フハ八ハ、俺は自身に矛盾を内包することによって完璧な存在になるんだよ。」
「何を言ってるんだ、お前」
(何を言ってるんだ、俺)
夏の暑さと目の前の仇敵のせいで、いよいよ頭がおかしくなったのか自分でもよく分からないことを口走ってしまう。
これも大学生のせいだね☆
「だったら、今日の7時に待ち合わせねー」
といって、何やら約束をして立ち去る大学生の一団に背後から
『お前たちにこの気持ちはわかるまい、お前たちこの屈辱は分かるまい、お前たちにこの辛さはわかるまい』
と三回唱えていると、さらに背後から声を掛けられた。
「先輩!」
俺の崇高な行為を邪魔する不届き者を誰かと振り返る途中で、ここでそう呼ぶのはあいつくらいだと気づいて立ちくらみのようなものを感じる。
「はいはい先輩ですよ、それでなんだね文太君。俺は今非常に情緒が安定していないんだが」
「先輩、今日花火があるみたいなんですけど……」
「なんだよ、藪から棒に。ところで知ってるか?文太、光物に集まるのはカラスか羽虫だけと相場が決まっているんだぜ。
まさかと思うが、お前はそんな下等生物の真似事なんてしないよな~?」
「すいません!先輩、高校時代の友達の誘いを断れなくて、つい。でも、自分行くからにはしっかり元が取れるくらいには情報とか話を取ってくるつもりです」
ほう、現役の大学生から奪える物は全て奪うという意思は高く買おう。
しかし、そう自分に言い訳をしながら堕落して戻ってこなかった人間を俺は多々知っている。
「まあ、なら俺は止めない。お前の好きなようにすればいいさ」
そもそも、そんなことを一々俺に報告することもあるまい。
浪人とは自己責任だ。一から十までの全てを自分で決断し、自分で尻を拭う。
「すいません、わざわざこんなことを報告してしまって。っでも、先輩に花火の誘いを見られたからにはちゃんと説明をする必要があるのかなって」
なぜに……
「だって、先輩大学生の事嫌いじゃないですか!」
ちょ、こいつ、何を大声で……
「もし自分がその大学生と絡んでいたら、先輩、自分とも縁を切るのかなと」
お前は一体、俺のなんなんだ……
果てしなく、意味の分からないこの後輩野郎の言動に俺はとりあえず布石を敷くことにした。
「いや、まあ確かに俺は大学生が絶望的に、あるいは壊滅的に嫌いだ。なんなら、この世界から奴らが消え去れば世界に平和が訪れるものだと本気で
考えているくらいのレベルだが、お前は浪人だろ、文太?」
「は、はい」
「俺の敵は大学生、相手を間違えるな」
なぜか、緊張気味な文太に俺は堂々たる態度で言い放ち、頭を下げて立ち去る文太を見送るとよく分からない茶番が終わった。
「にしても、あいつの行動はよく分からん」
そうつぶやく声に意外な人物が反応した。
「彼は、近々落合さんに大事な相談でもあるのではないですか?」
「???何か知ってるんですか?源さん」
「いえいえ、私は何も」
フフフと明らかに何かを知ってる風の源さん。
「だから、その前に落合さんの機嫌を取りつくろうとあんなことを言ったのではないのですか」
「いや、別に大学生と絡んだだけで、そこまでは……」
「お前のあんな態度を見たら、変に勘違いをしても仕方ないだろ」
そこまで酷い印象なのか……俺は。
「それもこれも、お前の大学生嫌いが原因だろ。まっ、後輩が頼ってきたら、精々相談に乗ってやることだな、せ・ん・ぱ・い。」
トンと師道が俺の背中を軽くたたいてエレベーターに乗り込もうとする。
つまりは身から出た錆というわけか、嘆かわしい。
しかし、反省など何があってもしない。俺は自分の道をひた走り、大学生を嫌い続ける。
そう心に誓い、今日も勉強に勤しもうと俺は密かに闘志をみなぎらせるのだった。
その日の授業が終わり、ついでに自習時間も全て終了した放課後。
時刻は22時前。
館内には浪人(どうほう)たちがけだる気に帰りの途に付く中、俺は大急ぎで地下の駐輪場に向かった。
「そんなに急いでどうした?」
それを見透かしていたのか、俺よりも先に駐輪所にいた師道が問いかけてきた。
「帰宅ついでにちょっくらモチベーションを上げようと思ってな」
「光物に集まるのは羽虫かカラスだけじゃないのか?」
俺の言った皮肉をそのままぶつけてくる。しかし、それには動じない。
「確かに大濠公園には行くが俺の目的はそこじゃない。そういうことで、よろしく」
とロックにそう答え、俺は自転車を漕ぎだした。
背後からはあきれ果てるようなため息が聞こえてくるようであったが、それでも俺は行く。
行くったら行く!
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