暴走する腐女子




 古海と並んで歩きながら、直緒は気まずかった。

 自分は強引過ぎたろうか。

 作家の先生のプライベートに踏み込み過ぎたのだろうか。


 編集者としての熱意は、本物だった。

 典子に勧められた同人誌を読んで、是非、この人の本を出したいと思った。

 自分の手で。

 しかし、直緒には、編集実務の経験しかない。実際に原稿を依頼したり、作家とやりとりしたりしたことはないのだ。



 「私も甘く見られたものです。あのような稚拙なやり方でまけると思われるとは」

考え込んでいると、古海が言った。


 典子を美容院へ連れて行くと言う古海を、直緒と典子は、逆方向に走ることによって、まいた。

 結局古海は直緒を諦め、典子を捕獲した。

 当初の目的を選んだのだ。

 どうやら無事、美容院へ連行したらしい。


 古海が、ぶつぶつと呟いている。

「それに、私のことを、コンコンチキですと?」

「いや、それは、典子さんが言ったことで、」

「あなたもあなたです、直緒さん。なに、お嬢様に手を握られてるんですかっ!」

「だからそれも、典子さんの方から……」

「あんな嬉しそうな顔して……。お嬢様の正体は知っているでしょ!」


 古海はなおも苦言を呈していたが、大企業のお嬢様を守る為に仕方のないことだと、直緒は思った。

 もちろん、自分には下心はない。

 手は、あくまで、典子の方から握ってきたものだ。

 典子も変な気持からではなく、純粋に、くりいむ先生の本を出したい気持ちからなのは、わかりきっていた。

 それでも、古海としては、典子のことが心配なのだろう。


 古海の繰り言を半分聞き流しながら、直緒は歩いていた。

 前方の十字路から、男女の二人連れが歩いてきた。まだ若い、見ようによっては学生にも見える。

 楽しそうに笑い、ふざけあっている。

 中のよい、恋人同士のようだった。


 ……リア充、爆発しろ!

 心の中で呪いつつ、女性の方に目をやった。

 そして、凍りついた。


 ……そういえば。

 ……この町は。

 みなみの実家があるのだった。

 別れた彼女の実家。そこに彼女がいても、少しもおかしくはない。

 すでに古い彼氏は捨てたのだ。新しい彼氏と、一緒に歩いていても、おかしくはない。


 ……。


 楽しそうに笑い転げている女性。

 体をくねるようにして笑うその笑い方には見覚えがあった。

 いや、結婚を申し込もうとまで思った女性だ。

 間違えるわけがない。

 直緒の体が硬直した。



 「……直緒さん?」

古海が怪訝そうに声をかけた。

 直緒は答えられなかった。

「直緒さん……」

古海は直緒の目線を追って前を見た。

 そして、談笑しながら歩いてくるカップルの、女性の方に目を止めた。


 次の瞬間、彼の右腕が、直緒の肩に回された。

 直緒の顔を掻き抱くように、自分の方へ引き寄せる。

 直緒は、背の高い古海の脇あたりへ、顔を押し付ける格好になった。


「……!?」

「じっとしてて」

古海はささやいた。


 カップルが横を通る気配がする。

 痛いほどの目線を、直緒は感じた。

 今の自分と古海の状況を考えると、それはそうだろう。


「だいじょうぶ。あなただとはわからなかったはずですよ」

古海の低い囁きが聞こえた。


 コロンの香りの陰で、古海の匂いがした。

 夏の草いきれのような匂いだ。

 守られている。

 強くそう、感じた。


 「あの、古海さん、」

しばらくして直緒は言った。


 礼を言うべきかと思ったが、どうしても言えなかった。

 古海もそれを望んでいない気がした。


 直緒は続けた。

「そろそろ離れないと、いろいろまずい気がしますが」

 いつまでも男同士でくっつきあってるわけにはいかない。

 いくら気づかれなかったといっても、かつての恋人の前で。

 それが、BL出版社に就職したことが理由で、自分をふった恋人なら、なおさら。


 「もう少しこうしていて」

直緒の耳元で古海が囁いた。

 いつもの高圧的な声ではない。

 低い、掠れたような……、

 ……哀願?

 その声に含まれた何らかの気配が、直緒の抵抗を殺いだ。

 次の角を曲がるまでこのままでいようと、彼は思った。



**



 くりいむメロンこと祥田雛子は、ベランダに立っていた。

 ぴったりと寄り添って歩く二人の姿を、確かに見た。

 やがて二人は、通りの向こうへと消えていった。

 一つ溜息をついて、彼女は、大量の段ボール箱の残された部屋へ戻った。



**



 「なんですって! たくさんの段ボール? くりいむメロン先生が集めた大量の本やDVD? インターネットで売るですってぇ!?」

 いったいどこにパーマをかけたのやら、あいかわらずのゆるふわ頭の典子が叫んだ。

「わたし、行かなくっちゃ。いますぐ、それを、買い取ってくるわっ!」


「お待ちなさい、お嬢様!」

「いいえっ、今度はあなたの思うとおりにはならないわよっ。考えてもごらんなさいよ。大量の本よ! DVDよっ! こんなお宝をみすみす散逸させるわけにはっ!」

「先生は、ネットの業者さんに売るおつもりです。今、引き取りを待っておられるところです」

直緒は言った。


 典子は、鼻でせせら笑った。

「そんなの。途中で横取りするまでよ」

「いけませんっ」


きっぱりと古海が諌めた。

「そんな、泥棒みたいな真似……」

「誰が黙ってかすめ取るって言った? 尊敬するくりいむ先生に、そんなことをするわけないでしょ。ちゃんとお金を払うのよ。業者に支払うお金の、何倍でも払って、買い取るの。先生だって、同じ腐女子の私に下さる方が、安心な筈」


「お嬢様。これ以上、腐本を増やしてどうします? 本当に床が抜けますよ」

「古海。うちの稼業は何?」

「売れないBLです。電子書籍の」

「売れないは余計ですっ。わたしの、じゃなくて、パパの稼業っ!」

「建設業です」


「そう。そしてこの屋敷は、天下の一乗寺財閥が、威信をかけて建築したものよ。そう簡単に床が抜けたりするもんですか」

「わかりませんよ。本は、紙からできてますからね。紙のもとは、チップです。そもそも本は、木材なんです」

「知ってるわ。そんなこと、トリビアですらないんだから」

「私は事実を申し上げたまでです。本は、重い」


「だから?」

「お嬢様はすでに、大量の本をお持ちじゃないですか。くりいむ先生の本を頂いても、同じ本がダブる恐れがあります」

「それは構わないわ。読む本と保存する本に分けてもいいし、人に貸してもいいじゃない」


「あ、お嬢様、どちらへっ!」

「決まってます。くりいむ先生のお宅です。 大切な資料を、引き取りにいくんです!」



 「大切な資料……」

直緒はつぶやいた。

 そうか。

 古海はフホンと言っているが、あれらは、資料なのだ。

 あんなにたくさんのご本をお読みになって、先生は、あのような素晴らしい作品を書かれたわけだ。


 くりいむ先生って、素晴らしい!

 改めて直緒は思った。



 古海が、低い声で言った。

「取りに行くって、お嬢様……」

「文句は言わせないわよ。もう、誰に会ってもいいでしょ? ちゃんと美容院に行ったんだから」

「だって、お嬢様、先生とこの本も、大変な量なんですよ? どうやって運びます?」

「わたしが大型免許を取得したのは何の為だと思ってるの!」

「うわ……」


古海の口から悲鳴が漏れた。


「止めてください、アレに乗るのはっ!」

「古海は黙って、」

「お嬢様、近所迷惑です、走る凶器ですっ!」

「うるさいっ! 行くわよ、直緒さんっ!」


「は……?」

不意に振られて、直緒はきょとんとした。


「段ボールの積み込みを手伝うのよっ!」

「直緒さん! ついて行ってはいけません! さきほど典子お嬢様は、直緒さんをダシに使ったのですよ! さっき、くりいむ先生のご自宅に行こうとした時」

「ダシとは何よ!」

「お黙りなさい。二手に分かれて走ったりして。お嬢様は、私が、直緒さんを追いかけると思ったのでしょう?」


典子が、ちっと、舌打ちした。


「生憎、私は、一乗寺家の家令。そんな私情を優先させるような真似、」

「直緒さん、さあ、行くわよ」

「駄目です、死にます、お嬢様の運転では、直緒さんが死んでしまうっ!」


 直緒をひっぱり、典子は小走りに走り出した。

 楚々とした体型なのに、すごい力だ。




 一乗寺家のカーポートには、大型のトラックが止められていた。直緒は、心の底から恐怖に駆られた。


 ……凄い。凄すぎる。ってか、ふつうの家の駐車スペースには収まらないだろ、これ。


 運転席のフロントガラスは、ふわふわの白いふさで飾りつけられていた。上からは、運転の邪魔になるのではないかと危ぶまれるくらい、大きなマスコットが吊り下げられている。


 ……確かにこれは、典子仕様……。


 「安心してください。大型免許は持ってますから」

「その免許、いくらで買ったと思ってるんですかっ!」


 後ろからついてきた古海が、声を嗄らして叫ぶ。

 典子がぷうっと膨れた。


「失礼ね。ちゃんと教習を受けたわよ。随分超過したけど」

「だから、いくらかかったと……」

「ええと、倍くらい?」

「普通の人の3倍です。何度も試験に落ちたから」


 ……うわ、乗りたくないっ!

 直緒は思った。


 それに、あの町には、会いたくない人がいる。

 行きたくなかった。

 こんなにド派手な大型車でなら、なおさら。

 ……でもこれは、社長命令だろうか?


 「私が運転します」

諦めたように、古海が言った。

「私が運転しますから」

「そうね。これ以上、ご近所さんとトラブルをおこすわけにはいかないしね」


 「典子さん、いったい、なにを……?」

思わず直緒が尋ねた。

「たいしたことはやってないわ。人んちの塀をちょっと崩して、門柱を曲げただけ」

「……」


直緒が絶句していると、ため息とともに、古海が補足した。


「壊した塀はお寺の塀でした。墓石が4つも倒れて、エグいことになりました」

「ちゃんと弁償したじゃない。いくらか余分に包んだはず」

「門柱は町内会長の家のでした。口うるさい人で、弁償だけでは済まされないものが……」

「忘れたわ」

典子が言い放った。


 古海は肩を竦めた。

 高い運転台に、ひょいと乗り込む。

「直緒さんは置いていきますよ」

「え? なんで?」

「なんででもです」

冷たく突き放すような口調だ。

「荷積みは、私がしますから」


 「まあ、いいや」

 意外とあっさり、典子が折れた。

 古海の手を借り、助手席へ這い上がる。

「わたしは、くりいむ先生のご本が頂ければ、それでいいの」


 ごつい大型トラック。

 ファンシーなマスコットに囲まれた黒服の家令と、ピンクのかたまりのようなゆるふわ上司。

 悪夢のような光景だった。


 目の前で、ドアが閉められた。

 風圧で、直緒はよろめいた。

 轟音とともに、2人は走り去って行った。

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