販促業務ではありません


 「ふるみー、ここ、ここ!」


 歩道の端で、創が手を振った。

 黒塗りのベンツが、音もなく止まる。


 「ごきげんよう」

「ごきげんよう」


 一緒にいた女性たちが、淑やかに挨拶をして通り過ぎていく。

 しかしなぜか、立ち去ろうとせず、道の端に固まって、しゃべっている。



 「まったく、」

眠り込んだ老人を抱えるようにして車に乗せ、古海がぼやいた。

「血の繋がりというものはっ!」


 店の中に引き返し、今度はその孫を抱き上げる。

 誰はばかることのない、堂々のお姫様だっこだった。


 抱きかかえられた直緒が、ぱっちりと目を開けた。

 古海の首周りに両腕を回し、首筋に鼻を寄せる。

 匂いを嗅ぐしぐさをした。


 「直緒さん」

古海が優しく呼びかけると、安心したように、また目を閉じた。


「……あなたの酒癖の悪いのは、よく知ってます……」

古海はつぶやき、直緒を抱いたまま店の外に出た。



 女性達はまだ、道の端にいた。

 「古海さん」

書店員の香坂が声を掛けてきた。

「あの、写真撮っていいですか?」

「え? なぜ?」

「つまりその、皆さんが」

香坂は女性達の方をさし示した。


 全員がかたまって、こちらを見ている。

 直緒をだっこしたまま、古海はあとじさった。


「いやです。今夜、私は、販促業務でこうしているわけではないのです……」

「大丈夫。鍵をかけて保管して、自分たちが眺めて楽しむだけですから。こんなお宝、絶対、流出なんかさせませんって!」


女性達がいっせいに、スマホを構えた。




 「ちょっと、誰か忘れてない? もう一人いるわよ」

ようやくのことで女性達が立ち去ると、典子が店から出てきて不平を述べた。

「お嬢様は、自分でお歩きなさい。いったいどういうおつもりですか! 直緒さんとおじい様を酔い潰してしまうなんて!」

「わたしじゃないわ。わたしは他の方たちと、楽しくお酒を飲んでいただけよ?」

「腐女子の皆さんに囲まれてお酒を飲まされたら、たいていの男はつぶれます」


 「ビブリオバトルの打ち上げに入れてもらったんだよ」

創が、眠そうにあくびをした。

「素敵なおねえ様方だったね!」


 咎めるような視線を、古海は創に送った。

「あなたもです、創さま! そもそもあなたは、未成年でしょうが!」

「だいじょぶ、」

創はあくびをした。

「僕、クリームソーダしか飲んでない」

「いけません、創さま。そんな、着色料の入ったものをお飲みになられては!」



 「ねえ、古海」

古海が創を叱るのを、典子が遮った。

 そわそわと問いかける。

「あの方たち、わたしとお友達になってくれるかしら? メアド、交換したんだけど」

「そんなこと、知りません!」

「何怒ってるの? 直緒さんのおじい様、とても楽しそうだったわよ?」


「うん。本谷さんと喧嘩してたね」

創が割り込んだ。

「本谷さんって、本当は、すんごく口が悪いんだね。僕、ちょっと見直しちゃったよ。真っ先に寝ちゃったけどね!」

「おじい様だけですよ、このひとが口が悪くなるのは」

静かに古海は答えた。




 先に本家に寄り、眠ってしまった創を落とす。

 執事が、何か言いたげに、じろりと古海を見た。

 だがすぐに、典子の姿に気がついたようだった。

 慇懃に頭を下げた。


 「古海、」

 車が走り出すと、典子が言った。

「……なんでもないわ」

「はい?」

「なんでもないと言ったの」

「さようでございますか」


 会話が途切れた。

 典子は、酔いつぶれている祖父と孫の真ん中に座っている。

 酔っぱらい二人の、つっかえ棒になっているのだ。


 唐突にまた、彼女は口を開いた。

「直緒さん、お見合い、断ったんですって」


「み、見合い?!」

悲鳴のような声を、古海が上げた。

「見合いですって!?」


「ちょっと古海、前見て運転してよ!」

「ですが、見合い、……見合いって」

「きゃー、危ない!」

「彼は一言もそんなこと……」

「だから、断ったって……わっ、前見てっ! お願いだからっ!」


ベンツは危うく、電柱を回避した。


 「好きな人がいるんですって」

ややあって、典子が言った。

 まだ少し、ぜいぜいしている。

 これだけ騒いでも、酔いつぶれた孫と祖父は、ぴくりとも動かない。


「『一乗寺家かいしゃにいる人』じゃないのかって、香坂さんが」

「それは、お嬢様、あなたではなく?」

「もちろんよ」


即答した。


「直緒さんの恋人は、男なの! それは決まっているの! ナンの為に、あちこち、派遣したと思ってるのよ」


「何の為って、……その度に、わたしがどれだけの心労を……、しかし、お陰であの人が、男同士の恋愛に免疫を得たのもまた、事実……」


「古海、なにをぶつぶつ言ってるの?」


「……ひょっとして、お嬢様は、私の為に? 私の手に落ちてくるようにと、彼をいろいろな男の元へお遣わしになった?」


「聞こえないわよ、もっとはっきりおっしゃい」

「……いえ、なんでもございません。ありえない妄想にふけっておりました」

「ひとり言が多くなったらおしまいだって、本家のじいやが言ってたわよ」

「私はまだ、そんな年齢としではありません! つい数ヶ月前まではお嬢様や直緒さんと同じ、20代でした!」

「いいわよ、若ぶらなくても」

「若ぶってなんか……」


「あのね。ほんとは、あなたには教えてあげないつもりだったの。直緒さんに好きな人がいるってこと。その人が、一乗寺家うちにいる人だっていうこと」


「一乗寺家にいる人……」

かみしめるように古海はつぶやいた。

「一乗寺家に……いる……」



 「わたしも、修行が足りなかったわ! 創と同じだって、気がついたの!」

 不意に、典子が目を輝かせた。

 運転席の方へ身を乗り出すようにして言い募る。

「一日も早く、今日の皆さんのような、立派な腐女子になると誓うわっ!」

「それは……」


「だから、古海にお世話されるのは、もう止めにするの」

「どうしてそうなるのか……しかし、かつてない、殊勝なお心がけでございますね」

「だって、あなたはわたしのママじゃないんですもの! 今まで、わたしは、間違ってたわ。でも、まだ手遅れでないはず」

「今宵はいっそう、おっしゃっていることがわかりかねます」


「わたしは、萌えの神様を信じるわ! 今まで萌えなかったものに萌えられるようになるのが、真の腐女子なの! 萌えは、この地球上の、ありとあらゆるところに存在するのよ!」

「はい?」


「だからまず手始めに……そうね。お着替えは自分でやろうかしら」

「お嬢様。私はお洋服の準備点検は致します。しかし、着替えを手伝ったことなど、一度もございません。着替えは、篠原さんの担当です」


「そうだった!」

典子は両手をぽんと打ち合わせた。

「そうよ! お着替えはモナちゃんが手伝ってくれるのよ! だったら大丈夫だわ。お風呂だって……」


「何が大丈夫なのか、わかりませんが、」

古海は言った。

「お嬢様はお嬢様のままでいらっしゃればよろしいんですよ。ずっと。いつまでも……」


 しばらく沈黙が続いた。

 やがて典子が言った。


「古海、……。まあ、いいわ」

「さっきから、言いさしてばかりでございますね。なんでございますか、お嬢様?」

「いい、って言ったの」

「途中でお止めになるのは、気持ち悪うございますよ」

「気持ち悪いって何よ? 気持ち悪いって!」

「いえ、」

「だから、いいって言ったの!」

「はあ。ですから、何が……」

「でもね、古海。直緒さんは、わたしの抱き枕だから。そこは、譲らないわ」


 古海ははっとしたように息を呑んだ。

 ルームミラーに映る典子の目を見返した。


 少ししてから、彼は答えた。

「……お譲りになる必要は、ございません」

「あなたも、わたしのそばにいるのよ?」

「もちろんでございます」

「直緒さんと一緒に」

「……はい」




 「あんたが古海か。古海、龍」


 一乗寺家の客室。

 古海に支えられて部屋の中に入ると、老人は、ぱちりと目を開けた。


 しゃんと立ち、古海を突き放した。


 「直緒は?」

威嚇するような口調で尋ねる。


「私の部屋に」


 古海が答えると、剛造は鼻を鳴らした。

 憤懣やるかたない、といったふうに。


「あんなにかわいいお嬢さんが身近にいるのに……アタマはちょっとワケアリだが。あの子の他にも、この家にはたくさん、若い娘がいるというのに!」


深い深いため息をついた。


「直緒は、ワシの息子の、たった一人の忘れ形見だ。それなのに……。ワシは、マゴの顔も見れんというのか!」

「孫の顔なら、すでにご覧になっているのでは?」


「孫も曾孫も、同じことだ!」

 一喝した。


 しばらくして、ややトーンダウンした声で尋ねた。

「お前、親は」

「おりません」

「兄弟は?」

「いません」


 古海が顔を上げた。

 まっすぐに、剛造の目を見る。


「私は、一生、直緒さんのそばにいます。守る、なんて言えません。私が守られているのかもしれない。でも、私はいつも、直緒さんのそばにいます。それだけは、生涯、違えません」


 「お前、武道の有段者だそうだな」

剛造は言った。

「今度、殴られに来い」


 古海は、黙って頷いた。



**



 「内閣府特命担当大臣からの勅命だ」

内閣官房参事官、藤堂とうどう雅彦まさひこはそう言うと、椅子を軋ませた。


「私が呼ばれたということは」

羽鳥はとりつかさ警視は身構えた。


 羽鳥は、警察庁のキャリア官僚で、公安部所属である。

 藤堂参事官は頷いた。


「そう。例の少子化問題査察の件だ。詳しい報告がほしい。羽鳥警視、君が派遣した調査官W004、彼女は、なんと言ってきているのか?」


「それが……」

羽鳥警視は言葉を濁した。


「どうした?」

「実は、彼女は、疾病休暇に入っていたのですが……」

「疾病? 事前の健康診断では、全くの健康体だったはずだが」

「……心の病で」


 公安調査官W004、通称山田ハナコは、一乗寺典子監視の為、シブタニ区ウダガワ町にある一乗寺家別邸に内偵に入っていた。

 ところが、最初は定期的にあった連絡が、次第に滞るようになった。

 密かに別の調査員が接触したところ、不定愁訴を訴え、いきなり泣き出したという。



 羽鳥警視の説明を聞き、藤堂参事官が眉を顰めた。

「ベテランの調査員だろ? 経験を積んだ女性の。いったい、どのような拷問を受けたと言うんだ」

「彼女からの最後の報告書には、DVDを見せられたとありました。詳細は不明ですが、字は乱れ、文章はめちゃくちゃで、ひどいものでした。なにか、よほどショッキングな映像を見せられたと思われます。それも何度も」

「うーむ」


 たとえば、実際に人を殺すシーン。

 戦地での大量殺戮。

 それとも、単調な音と映像を、延々と流すという手もある。



 「……一乗寺典子、か」

重々しい声で藤堂参事官が尋ねた。


 羽鳥警視は、藤堂参事官の顔を見つめた。

 大柄で堂々たる体躯の持ち主だ。肌の色は浅黒く、髪はワックスで、オールバックに固めている。


 対する羽鳥の方は、警視という身分とはうらはらに、華奢な体つきだった。色も白く、長めの髪を、七三に分けている。


 羽鳥は言った。

「山田は、決してヤワな女じゃないんです。今までどのような現場に臨場しても、たとえそこに腐乱死体がどれだけ転がっていても、決して動じたことのない。その彼女が、病院で、ため息をつきながら、窓から空を見上げているのです。よほどのモノを見せられたと思われます」


「君はさっき、『が』、と言ったな。休暇に入ったのですが、と」


 ……鋭い、と、羽鳥は思った。

 さすがは、国の中枢官僚だけある。


「それが……。よほど病が篤しかったのか、病院側のほんのわずかな隙をついて、脱走してしまいまして……現在、行方知れずです」


藤堂参事官は目をみはった。

「一乗寺典子。思ったより手ごわい存在だ。彼女は、本気で、この国を滅ぼすつもりだな」

「そうみて、間違いないでしょう」



 現在、日本は、かつてない少子化に苦しんでいる。

 少ない子どもがおとなになりつつある今、破滅はすぐそこまできている。


 急激な人口増加が必要だった。

 戦時中にも勝るとも劣らぬ、産めよ増やせよスローガンが、街の至る所で叫ばれていた。


 子どもを四人以上生んだ女性は女神と崇められ、六人を超えると国母と呼ばれ、称えられた。

 それなのになおかつ、女性の多くが子どもを生みたがらないのは、永田町では、全くの謎だったのだが。


 実際は、

 ・男性に合わせた長時間労働と、長距離通勤、

 ・また、ブラック企業による激務や不安定な雇用情勢、その上、

 ・自らも兄弟姉妹が少ないことによる老親の介護問題

など、とてもではないけれど、子どもを生み育てる余裕が、女性の側から失われた結果である。


 現実から目をそらさせる為、イメージ戦略が必要だった。


 子産みは楽しい。

 子育てってステキ。

 男性も協力してくれから、安心安全!


 そのような中にあって、政府の政策に真っ向から対立しているのが、腐女子と呼ばれる女性達である。

 そもそも、男×男って……。

 そこからは、何も生まれない。


 中でも、強大な財力を背景にBL出版社を興した一乗寺典子は、現政権にとって、無視できない存在だった。

 しかもなんと、極めてマイナーであるべきその本が、最近、売り上げを伸ばしているという。調子に乗って、紙の本まで出版するという増長ぶりだ。


 かくして、モーリス出版社社長、一乗寺典子は、内閣官房の指示の下、公安警察の監視下に置かれた。


 その一乗寺典子の元に忍び込み、内偵を始めた公安調査官W004こと、山田ハナコ。

 彼女は精神を病んだうえ、入院先の病院から失踪したという。



 ……なにか、とんでもないことが起こっている。


 大柄で精悍な内閣官房参事官・藤堂雅彦と、華奢で色白の警察庁公安部警視・羽鳥司は、静かに目と目を見合わせた。

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