道彦が歩けば物語が始まる

星ひかる

第1話 バンくんと道彦

 ぼく、バンっていうんだ。

 二十年前に、竹藪で泣いているところをヒカルンに見付けられて、おじいちゃん、おばあちゃんのところに連れて行かれたの。

 いまでこそ、おじいちゃん、おばあちゃんになったけど、そのときはまだまだ若かったよ。

いまのヒカルンくらいの歳とそう変わらないね。

 ぼくもそれだけ年取ったんだね。

 いまでは腰も立たなくなっちゃったよ。

 きのうヒカルンが久しぶりに来て、ぼくの写真撮るんだよ。

 こんなヨボヨボの姿なんか誰にもみられたくないから、ぼくは抵抗するつもりで泣いたのに、ヒカルンは、ぼくが嬉しくて泣いていると思ってるんだ。

 ほんといい性格してるよ。

 こっちはいくらおいぼれても、いつも綺麗きれいにしていたいんだから。

 それがぼくたち猫族の決まりなんだから。

 ああ、でもほんと久しぶりにヒカルンの顔みたなあ。

 前から老けていたけど、いま更に酷いんじゃないかしら。

 老けたも老けたけど、ちょっと疲れ過ぎているんじゃないかしら。

 さっきから、ぼく、ヒカルンヒカルン、って呼んじゃっているけれど、本当は道彦っていうんだよ。

 十五歳のときからずっと詩や物語りを書いてきたんだって。

 その十五のときに学校の友人らと林間学校に行った先の長野県にある小諸でみた夜空の星に感動したんだって。

 いまにもこぼれ落ちそうに光り瞬いている星たちを目の当たりにして、その日から自分は、星ひかるになったんだ、っていっていた。

 ヒカルンが家で静かになにか物書きをしていると、ほくはつまんないの。

 遊んで欲しいぼくは、そんなヒカルンの横に座るの。

 邪魔してやろう、と尻尾をフリフリしてその気を曳くんだけど、その顔は真剣そのものなんだよ。

 ぼくが横にいることにも気付かないみたいなの。

 なにを書いているのか、とそっと覗いたことがあるのね、ぼくにはそれが面白いんだか、そうでないんだか全然わからないけど、いつからか、ヒカルンの真剣な顔をみるのが好きになったんだ。

 好きといえば、ヒカルンの彼女は来ないのかな。

 確か、エリカっていったかなあ、あのコはいい匂いするんだ。

 いままでのヒカルンの彼女の中では一番だな。

 二人しか知らないけど。

 ヒカルンもそんなに女の子にモテそうな顔はしてないしなあ。

 二人もいれば充分だね。

 でも、もうだいぶまえに死んじゃったんだけど、ヘレンお姉ちゃんは、ヒカルンのことが大好きだったなあ。

 ヒカルンが最初の彼女と結婚して、実家を出ていなくなったときなんか、ずっとずっと泣いてたらしいんだ。

 でもぼくは、そのお蔭で、その彼女と結婚したばかりのヒカルンの新しい家の前で見付けられて、いまがあるんだけどね。

 この家にやって来れたんだ。

 そのとき既に、ぼくより十個上のロンお兄ちゃんが居てね、ヘレンお姉ちゃんとヒカルン、二人のこと、そっと教えてくれたんだよ。

 ぼくもね、初めて、この家に連れられたときのこと覚えているよ。

 ヘレンお姉ちゃんが、ヒカルンのことばかりみていたのは、幻でなく、夢でもなく、はっきりと覚えているよ。

 ヘレンお姉ちゃんは、ときに怖かったけど、ロンお兄ちゃんは、ほんといつも優しかったなあ。

 いつでもぼくのわがままを許してくれて、ぼくが眠くなると、そばに来てくれて、優しく舐めてくれるんだ。

 そんなロンお兄ちゃんも、もういない。

 いなくなって、そう、十年になるのか。

 ぼくももうすぐ、ヘレンお姉ちゃんとロンお兄ちゃんに会えるのかなあ。

 ヒカルンが、少し前、ぼくに話してくれたことを思い出したよ。

 ぼくが、ベランダでタバコ吸ってるヒカルンの傍にいったとき、ヒカルンが、上を向いて、なにかいっているんだ。

「バン、ほら、あの雲さあ、ヘレンに似てないか?」

 ぼくも上向いて、雲をみるんだけど、一体全体どの雲のこといってるのか、さっぱりわかんなくて、ニャー、と声をかけたら、

「ほら、あれだよ、でも、ロンの方に似てるかなあ」

 またぼくは、ニャー、と声をかけたのさ。

 どっちも猫族なんだから、形は一緒だよ、と泣いたのさ。

 ヒカルンが、ぼくの方を振り向いた。

 なんだか目に光るものがあったよ。

 そう、一個のお星さまのようにみえたよ。

 ヒカルン、どうしたの?

 ぼくが、ニャーニャー、と騒ぐもんだから、ヒカルンは火の点いたタバコを灰皿に潰すと、ぼくを抱き上げて部屋に連れて行くの。

 そのときヒカルンの目の下を舐めてあげたの。

 塩っぱかった。

 ヒカルンは、ぼくを優しく抱き上げたまま、暫く上を向いていたけれど、

「バンも軽くなったなあ」

 といったかと思うと、ぼくの額に頬擦りしてくるの。

 ぼくの眠る布団まで、ぼくを小脇に抱えて連れていってくれたの。

 ああ、あのときと一緒だ。

 二十年前、冷たい竹藪から抱き上げられたときと。

 ぼくもこのときばかりは、なんだか目頭が熱くなっていたよ。

 きのうもヒカルンは、腰の立たないぼくを抱き上げて、ベランダに連れていってくれたの。

 最近はめっきり外の景色見てなかったから嬉しかった。

 ヒカルン、ありがとうね。

 ヒカルンはまた上向いて、やっぱり雲をみていた。

 ヒカルンは、ヘレン雲とロン雲を探しているのかなあ。

 それとも真剣な顔をしているところをみると、新しい物語りを考えているのかもしれないね。

 きっと面白い物語が出来たに違いないね。

 こんど、そっと覗いてみるね。

 そしてときどき、みんなに紹介するよ。

 ではね。


 おっと、いけない。言い忘れてた。

 ヒカルンには悪いけど、ぼくには、ヘレンお姉ちゃんとロンお兄ちゃんがみえるよ。

 ほら、ヒカルンの足下に、二人寄り添って、頭をすりすりしているよ。

 家の中をみれば、おじいちゃんはテレビ観て笑っている。

 おばあちゃんは、台所で、ヒカルンのご飯を作っている。

 いい匂いがしてきたね。

 いつものヒカルンのうちの光景だね。

 よかったね、ヒカルン。

 ぼくもヒカルンのうちに来ることが出来て、幸せだったよ。

 ありがとね。

 

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