先に光、未だ見えず

 結局あの後、もう一度臍を曲げてしまった相棒を何とか宥めすかしてアイを風呂に入れて貰う事に成功した。


 あまりに凄かったアイの体臭に、イリスは『お風呂入る前より臭くなっちゃった』と言い残して一人風呂に入り直してしまったので、こっちはこっちでアイを寝かしつけて、報告をする場所を整える。……とはいっても、アイと僕が倒したテーブルと椅子を綺麗に並べて、お茶菓子を用意する程度だけど。


「それにしても……呼んどいてなんだけど、よく事務所まで顔出してくれたね? 正直、明日の朝まで来ないかと思ってたよ」


 お風呂から上がり、髪の毛をタオルで拭いているイリスに声をかける。タオルを首に引っ掛けた彼女が、「まーね」と軽い返事をした。


「正直、家……というか、わたしの住んでる区画が断水してなかったら来なかった。気分の悪い戦いの後だと、熱いお風呂が恋しくってさぁ……」


 神々しさとか天使っぽさなんて欠片もない紺色のジャージ姿の天使人が僕の向いの椅子に腰を下ろす。

 エーテル製の翼が触れる事の出来ない光る羽を散らせ、ジャージの背から伸びる様は、言いようのないシュールさがにじみ出ている。


「で、あの子は誰なのさ? ケイ」


 テーブル上のお菓子に手を伸ばしながら、イリスが疑問の眼差しを向けてくる。


「その前に、結果だけ聞かせてくれないかい? 時間はあるんだし、心配事を解消してくれてからでもいいと思うんだけど」


 問い返しに、イリスが「ん」と軽く返す。


「とりあえず、今は落ち着いてるし、心配もないよ。ただ……何らかの魔法っていうのは解るんだけど、完全に停止しちゃってからの解析はさすがに無理。次の発作がきたら教えて」


 『お手上げ』とジェスチャー付きでイリスが敗北宣言。ただお気楽そうな動作と裏腹に、その表情は本気で心配そうだ。その辺が、こいつが性悪な癖に超絶善人という謎の評価を受ける所以だろう。


「それで? もっかい重ねるけどさ、あの子とはどんな関係なのさ?」


 くそう、どう見ても顔が興味深々なのがムカつく。……だけどまぁ、答えない訳にはいかないね。


「ん、昔いた施設の同僚、部屋が隣だった」


 軽く説明、何も間違ってはいないんだけど、イリスはまだ怪訝そうな顔をしていた。


「ふぅん、まぁ今はそれでもいっか」


 どう見ても納得してない様子、だがそれでも突っ込まずにいてくれる気遣いに、心の中だけで感謝しておく。


「んじゃー今じゃなきゃいけない話ね。これからあの子、どうするの?」


「記憶喪失で行くあてが無いんだって、しょうが無いからしばらく預かる」


 少しの間沈黙。イリスの体がふよふよと冷蔵庫に向かって飛んでいく。


「……いちおー聞いとくけど、レイちゃんの所は?」


「孤児院は却下、今忙しいみたいでね、記憶喪失の子まで面倒みる余裕はなさそうだし、いかにも面倒そうなのを押しつけたくない」


「ふ~ん、それで、事務所に連れて来た、と? 家だって忙しいじゃん」


 愚痴と共に買い置き炭酸飲料を一口。僕の知っている限り保存食しか入って無かっ

た筈の冷蔵庫が、いつの間にか僕の自宅や孤児院よりも中身が充実していると言うのはどういう事なのだろうか? まぁそのおかげでさっきもアイに飯を食わせてやれたので良しとする。


「で? 私が悪魔相手に戦ってる間にお楽しみだったんだ?」


「君が何を言いたいのか理解しかねるね。僕にとって料理は技能であって趣味では無いよ」


 席に戻ったその目は半目、口元には邪悪な笑み。


「ほ~? 本当だね? さっきのあれはあくまで未遂だったって、胸を張って言えるんだね~?」


「当たり前だろ? 変なことを勘ぐらないで欲しいものだね。僕はアイをそういう風に見たことは無いし、手を出す気も無いよ」


 はっきり答えた僕に、イリスが何処か底意地の悪い笑顔を浮かべる。


「事務所の仮眠室にエッチな本常備してる人に言われても説得力皆無なんですけど?」


 相棒のジト目が痛い。さすが天使の血が混じってるだけあって、こういう下衆な話題はキライらしい。


「見つかってたのか! けどまあいいや、別に良いだろ? 寝る前に必要な娯楽だよ、リラックスして眠る為に必須と言ってもいいね」


「うわ! コイツ凄い! エロ本見つかっても全然動揺してない! というかむしろ開き直った!」


「当り前だろう、この程度で僕が動じるとでも思ってるのかい?」


「いや、思って無かったけどさ。あ、今度女性向けも入れといてね、それ、面白そうだから読んでみたけど面白くなかったし」


「読んだのか! しかも駄目出し!」


 しまった、動じてしまった!


「うん。しかも何か興奮しちゃって折角の仮眠なのにちっとも眠れなかった」


「効いてるじゃん! それも常人の数倍ってレベルで!」


 しまった! また動じてしまった!


 それにしても、イリスが張っている胸の薄い事薄い事、直前までアイと一緒にいたからか、余計切なく感じるね。


「あ、何かイヤーな視線を感じるなぁ……。何か失礼なこと考えて無い? ケイ?」


「失礼だね、被害妄想は良くないよ。この業界は誰の怨みを買ったとしても『怨まれてる』なんて夢にも考えずに『天上天下唯我独尊』の精神でいなきゃね」


「あー無理無理、私、これでもけっこう繊細なオンナノコなんですけどー?」


 イリスが悪戯っぽく首を傾げる。


 自分で自分を繊細とかほざける奴の精神は、大抵はオルハーツとミスティシルバーの複合重装合金装甲よりも頑丈と相場が決まっているが、こいつももれなくその同類である。


「はいはい解った解った、で? そのセンサイナオンナノコとかいう僕の知らない生物が料理店で何をしたって?」


「うわ、ねぇケイ、自分で振っといて何なんだけど、その反応……ちょっと傷つくかも」


 肩を落とすイリス、とはいえ、僕が仕事の顔で話を振った事に気が付いていたようで、すぐに顔を上げて表情を引き締める。


「昨日私達が切った殺人鬼に襲われた、状況を鑑みるに……アレは多分、私を狙ってたんだと思う」


 ……ふむ。


 顎に手をやり、視線だけで続きを促す。相棒も解っていたようで、続ける。


「まぁ状況証拠だけど、私の存在を視認してから私にしか興味を示さなかった。偶然レストランに入って、偶然突っかかって来た私に反応した可能性もあるけど」


「この場合、楽観はいけないね……止めは?」


「刺した、心臓と頭部を全部潰したし、死体も焼却しといたからね。アレでくたばって無ければ『爵位持ち』だと思うけど、それにしては私一人で対処できる実力しかなかったし、大丈夫だと思う」


 成程、とりあえずアレがイリスを狙ってた事を理解する。そして、もう一つロクでもない事実も確認する。


「『爵位持ち』……と言う事は」


「うん、さっきも言ったけど犯人……って言い方もなんか変だね、とにかく今回襲ってきたのは悪魔だった、体の特徴が現状の地上の生命体と全然違ったから、間違いない」


「悪魔……ねぇ」


 悪魔、主に『異世界から来た』『現状こちらの世界で確認されている生命体とは著しく異なる性質を持ち』『人類に対して敵対的な生命体』全般を指す言葉だ、実際はここからさらに細かく種別分けされるんだけど、今は関係ないから割愛で良いだろう。


「でも、それはおかしいね、悪魔だったら召喚者と儀式が必要な筈だ……召喚者はこの場合誰なんだい?」


 イリスが細い指を形の良い顎に中てて首を傾げる。


「う~ん、私に言われてもなぁ……ちょっと情報が少ないよね」


 悪魔は異次元の向こう側から来る物である。その為には門を開ける鍵となる召喚の儀式と、門を開ける行動を起こす人間が必要である。

 この『門』と呼ばれる術式は、低位の……それこそ実体すら持たない様な存在を呼ぶだけだって複雑な術式を必要とする。

 しかも、この術式は呼び出す対象の『魔術的能力』と『体の質量』そして『現在この世界を包んでいる魔力の量と質』を参照として、儀式の難解さ、複雑さが決まってくる。


 そう考えると、レストラン1フロアを肉で埋める質量を持ち、更には体の一部を吹き飛ばされても即座に復活できる様な魔力と能力を持った悪魔が、何の召喚儀式も無しにホイホイと出てこれるような世界は末世だとしか言いようがない。


「状況から見て召喚者はあの女の子なんだろうけど……。最初は解るんだ、『手や触手だけ』だったら悪魔から切り落として移植する変態科学者共に覚えがあるし、部分召喚で代償軽減する事も出来る……じゃあ二度目は何だろう? 儀式も無かったんだよね?」


「うん、予兆があったらその瞬間に吹っ飛ばした」


「簡単に門を開けるんなら生贄だよね? その女の子が自分を生贄にしたのかな」


 僕の言葉に、イリスが唇を尖らせる。

「それが解りやすい解答だけどさ。でも一つ変な所があるよ、死んでたじゃん、あの

子」


「そうだね……あの子はすでに、昨日の時点で死んでいた筈なんだ。死んだら召喚も何も無い、


 二人で少しの間考え込む、イリスがじゃあ、と答えを返した。


「それじゃあ視点を変えよう。ケイが今さっき言った覚えのある科学者ってのは何? 悪魔の体の部分移植なんてわたし、聞いた事ないよ?」


 訝しげな目でこちらをみるイリス、僕も肩をすくめて返す。


「そりゃそうさ、こんな研究を表だってやる奴いないよ。人道倫理国際条約クソ喰らえ、普通ならその場で移植した悪魔の細胞に食われて死ぬし、成功してももうそれは『人間』と呼べるものじゃ無くなってるんだからね」


 肩をすくめる。『最高の能力を持つ兵士』を作る実験だったそうなんだけど、『最高の能力を持つ人間』を作る実験じゃ無かったのが不幸な所だろう。


「で? 何でそんな奴の事、ケイが知ってるの?」


「仕事で叩き潰しに行ったことがある。まぁ直前に情報を売った奴が居て、言ったら連れて行きそびれた実験体の『元』人間が幾つか転がってた。その出来損ないの幾つかが、あの子みたいに悪魔の一部を生やしてた」


 慣れない嘘を訥々と紡ぐ、僕は一体どんな顔をしているのだろうか? イリスが何を思いやがったのか、何処か心配する様な、優しい笑みを浮かべてやがる。


「ふぅん、ケイも大変だったんだね?」


「この業界じゃ珍しい事件じゃないよ。だから身を乗り出して頭を撫でるの止めてくれないかな?」


「あれ? 照れてる?」


 楽しそうな笑顔のイリス。


「ううん、うざったいから、仕事の話も進まないし」


 楽しそうな笑顔の僕。


「はいはい、わかりましたよ~だ、で、君が逃したなにがしさんの作品って可能性は?」


「解る訳が無いだろう、僕だって悪魔の体を人体にどうこうするって事しか知らないんだから。ただ、召喚用の施設とかもその施設内にあったし、悪魔の残りカスも捨てられてた……正直な話、召喚を簡略化する研究はやって無かったと思う」


 うん、確かに無かった。それだけは間違いない。

 正直な所、今の所何とも言えないと言うのが正直な所だろう。憶測で動く訳にはいかないし、そもそもアレが最後なのかもわからない。


「まぁとにかく、昨日の事件の時点でアイツの体の一部をサンプルとして入手してある。明日一番にコレを持って……そうだな、ラッセルの所にでもいくよ」


「調査かぁ……こんなどう考えてもお金にならないうえに怪しい事件、わたしとしてはこれで最後だと思いたいんだけど?」


「僕だってそうさ。だけどせめて良く解らない悪魔召喚のメカニズム位は知っておかないとね。

 警戒して肩透かし食うのと、油断して今度こそ『爵位持ち』が飛び出してきて死ぬの、どっちが良いの?」


「意地悪な質問しないでよ、解りきってるじゃん」


 不機嫌そうな顔をする相棒を尻目に、僕は大きく伸びをする。


「じゃ、そういうことで、僕は下の応接室の椅子で寝るから。仮眠室のベッドはアイに使わせちゃってるけど、毛布は確保してるからソファ使って」


「ん、解った」


 手だけ上げ、イリスが応える。部屋から出ようとした所で、声をかけられた。


「ねー、一つだけお願いがあるんだけど……昨日今日のアレ、わたしけっこう疲れたんだけど、明日ケイが居ない間、店閉めといて良い?」


 幾ら夜に戦ったとはいえ、今日も休みだった筈なのだけれど……神様とやらはいい加減、この天使人を怠惰の罪で罰してくれないだろうか?

 少しの間考える、予約はここ半年一軒も無い事、アイがいる事を考慮に入れ。


「いいよ、警察とギルド関係者以外はむしろ立ち入り禁止にしといて、ただし」


 ん? と首を傾げるイリス、僕は続ける。


「その代わり、アイの面倒を見といて、変な事言わなければ変な事はしないから」


「あ~い」


 気の無い返事を聞いてから、下の階の事務所に向かう。

 とりあえず、明日の行動を脳内で確認、まずはラッセルに情報を聞いて、それからそれを基に色々と回ってみよう。

 全く、やらなきゃいけない事、確認しなきゃいけない事が多くて困る。


 扉の外に消えていったケイを見送り。イリスも大きく体を伸ばす。伸びに合わせて重力が無くなってしまったかのように彼女の体が椅子から浮かびあがり、まるで柔らかいソファに身を任せるかのように、ゆったりと空中に寝転んだ。

 体はリラックスしているようだったが、表情は何処か寂しげだった。


「一つ目、ラッセルに情報を聞きに行くのは良し。だけどそこにアイだっけ? あの子の情報を仕入れるとは言わなかった」


 悪魔騒動、相棒の知り合いという、記憶喪失の少女。


「それはつまり、程情報を知っている、もしくは、聞きたくも無いのに保護せざるを得ない理由がある」


 言葉が熱帯夜に染み込んでいく、今日も寝苦しそうだな、とイリスがどうでも良い事を考える。


「二つ目、警察にもギルドの専門調査員にも任せず、自力でサンプルを採取してまで調査の準備をしてたって事は、キミの言う科学者の関与をキミ自信が最初っから疑ってたか、理屈では可能性が低いと解っていても気にせざるを得ない程、キミにとって最悪の相手ってコトだよね」


 続ける、口に出した言葉に意味は無いが、それでも彼女は胸中を漏らさずには居られなかった。


「それで三つ目、ケイ……君がわたしのサボタージュをあっさり聞きいれる時って、一人で無茶する時なんだよね」


 正面から今の事を言ったら、ケイは一体どんな嫌味を言って自分の事を煙に巻くのだろうか? 考えると少しだけおかしくて、彼女の愛らしい唇から小さな笑みがこぼれた。

 先ほどケイに代わって風呂に入れた少女の裸を思い出す。

 病的なほど白い肌と痛み切った髪。そして常人には見えないようになっていたが、魔術師であるイリスには、全身を走る魔術的処置と外科的処置の隠蔽痕がしっかりと見えていた。


「私に解析なんて頼んだら、見えちゃうって解ってたでしょ? ……それとも、見せたかったの? ケイ」


 もしかしたらそれは、不器用な相棒からのメッセージだったのかもしれない。あの、変なところで堅物で融通の利かない相棒はきっと、正面から「助けてくれ」と言わないだろう。

 踏み込んで良いのだろうか? それとも、そっとしておくべきなのだろうか。

 天使人の少女は、少しだけ考え、保留することにした。


「まぁいいや、結局の所、相棒としてできる事をしてあげればいいだけなんだし。 ……やっぱり、ここしばらくは忙しくなりそうかな?」


 ゆっくりとフローリングに着地する。


 もう皆眠ってしまったし、術式の多重詠唱を何度も行って神経も疲れている。

 一人も夜も静寂も、彼女はそれほど好きで無い。だから今日はもう、眠ることにした。

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