ひと時の休息
軽い足取りで会社へと戻る。
さっきまであんなに凹んでいたのに。
瑞希の一言で気分が変わる。
重症だよねこれって。
午後からの仕事は呆気ないくらい簡単に終わり、気づいた時には終業時間になっていた。
日比野さんが辞めた穴は未だ塞がれていない。
大した仕事はしていなかったとはいえ、私の負担はそれなりに大きい。
懲戒免職って事になるほどの事をしでかした彼女だったけど、会社の温情によって自己都合による退職って形になっていたのを知ったのは最近。
『口止めの意味もあるんだと思うよ』そう女性社員の先輩が言っていた。
個人情報の売買。
でも、社内間だけだった事に恩赦が与えられた。
そして今後一切、会社の不利益になりえる事は口外しないと約束させられ、彼女は会社から去った。
一般社員が簡単に個人情報を手に入れ、それを社内の人に売買していた。
大企業である高宮にとってはイメージが悪い。
それが業務上、個人情報を扱う部署の人間だなんてしれたら、会社の質が疑われてしまう。
世間に漏れないよう、手を打つのは会社としては当たり前だけど……。
『納得できないよね。でも納得しないとね』そう先輩は笑いながら言っていた。
更衣室で着替え、瑞希の部屋へと帰る。
たった一日。
でも、なんだか久しぶりな気がする。
リビングは相変わらず殺風景で、テーブルには灰皿。
そして書類が置いてあった。
ソファーに腰をおろし、気にしない振りをしても気になってしまうのは目の前の書類の束。
ちょっとだけ。
そう自分に言い聞かせながら、書類を手に取った。
それは伊波家の調査書。
そして恵理佳の署名が入った契約書の様なモノがあった。
恵理佳の署名が入った書類には、私に関する事を今後一切口外しない事などが記載されている。
口外した場合、調べた全てを父親に告げると共に、刑事告訴も辞さないとあった。
伊波家の調査書を見れば、父の女性関係が時系列に並ぶ。
関係のあった女性の住所や年齢、勤務先、渡したお金や物の羅列。
そして母の調査では、これまた自宅に出入りする男の素性や今まで購入してきた物のリストがそこにあった。
私の両親は、どうしようもない。
それは分かっていた事だけど、こう目の前に突き付けられると悲しい気持ちになる。
そして恵理佳の調査では、父から貰っていた金の使用方法や交友関係。今まで私にしてきた目に見える嫌がらせが載っていた。
驚いたのは父から貰ったお金を実の母に送っていた事。
それは恵理佳が伊波家に引き取られてから半年後からだった。
父の愛人だった恵理佳の母は男と一緒に蒸発した。
そう私は聞いていた。
それは本当だったようだけど、一緒に逃げた男とはすぐに破局。
戻ったけど、恵理佳は居ない。
そして当たり前の様に怒り狂った父は恵理佳の母を拒絶。
恵理佳に会う事さえ許さなかったみたい。
恵理佳は父からお金を貰っては自分の母に送っていた。
その額はほぼ全て。
でも、恵理佳の母はそのお金で遊ぶことしかしなかった。
てか、こんな詳しい調査って誰がしたんだろう?
まるで全てを見てきたかのような内容に驚きを隠せなかった。
一通り目を通した書類を元の位置に置き、シャワーへとむかった。
瑞希の帰宅時間は分からない。
夕飯の買い出しもしてこなかった事を後悔しながら、熱いシャワーを頭から浴びる。
伊波家の調査書。
分かっていたけど、衝撃は大きい。
そして恵理佳は私が思っている以上に険しい環境にいたんだと改めて思ってしまった。
恵理佳を思い出せば、昨日のキスシーンが浮かんでしまう。
それを打ち消すように、シャワーの水圧を上げた。
スッキリした気分でリビングへ戻れば携帯がピカピカと点滅している。
乾いていない髪をタオルに包み、携帯を手に取った。
『高宮瑞希』
ディスプレイに表示されている名前。
良く見れば何度も着信があったみたい。
掛け直そうとした時、玄関のカギが開く音が聞こえてきた。
それはいつもよりも乱暴で、ガチャガチャと大きな音を立てている。
そして玄関の開く音と同時に、瑞希の声が聞こえた。
「すみれ!!」
「あ、おかえりなさい」
どこか慌てたような瑞希。
なんかあったのかな?
「なんだよ、家に帰ってるなら、そう言えよ」
瑞希はカバンを乱暴に床へ落とし、怖い形相で私の方へとやってきた。
「オマエはちゃんとココにいろよ」
そう言い、瑞希は私を抱きしめた。
「え……」
この状況はなんなの?
瑞希のムスクが私を包む。
髪に巻いていたタオルが床に落ちても、瑞希は私を放さなかった。
「もう、限界かも……」
そう呟いた瑞希。
何が限界なの?
そう問いかける前に、瑞希は私にキスを落とした。
それはただ触れるだけのキス。
私の目の前に広がるのは瑞希の整った顔。
「ゴメン……」
離れた唇から零れる言葉。
そして、瑞希は私に深いキスを浴びせた。
唇を舐めるように瑞希の舌が触れる。
そして唇の隙間を簡単に抉じ開け、私の口内を弄ぶように……。
深いキス。
でも、それは嫌ではない。
大嫌いだったキスが、こんなにも良いモノだったと初めて知った。
息をする事を忘れる程、瑞希から与えられたキスは衝撃的で。
大っ嫌いだった筈のキスに、クラクラしてしまう。
「ん、はぅ」
空気を求めるように口を開けば、瑞希の舌が遠慮なく入ってくる。
それをどうする事も出来ず、ただ受け入れるより他なかった。
瑞希に抱きしめられながらキスをされる。
勘違いしてしまう。
そして、これがこのまま続けばいいと思ってしまう。
目の前が歪み、瞳に溜まる涙が零れないよう、しっかりと瞼を閉じる。
でも、閉じた瞼から溢れ流れる熱い雫は、私の頬を伝っていった。
「ごめん」
瑞希はそう言い、一歩下がるように私から身体を離した。
支えが無くなった事によって、私の身体は床へと落ちた。
腰が抜けてしまった。
驚く瑞希、同様に私も驚いた。
「くくくっ。そんなにオレのキスは良かった?」
さっきまでの余裕がない表情から、いつもの自信満々な瑞希に戻る。
瑞希は私を軽々と持ち上げ、ソファーへと下ろしてくれた。
「メシ。まだ食ってないんだけど。お前は?」
まるで何もなかったかのように会話をする瑞希。
「まだ、だけど」
そう答えるのがやっとの私。
「じゃ簡単にデリバリーすればいいか」
瑞希はドカッと私の隣に腰を下ろし、タブレットを開いた。
ピザかな?カレーかな?
ブツブツ言いながら夕飯をネット注文している瑞希を直視する事が出来ない私は黙って洗面所へと向かった。
濡れたままの髪をドライヤーで乾かす。
鏡を見れば、頬を赤め、瞳に潤いを持つ私の姿。
瑞希のキスは嫌じゃなかった。
ううん、むしろもっとして欲しいと思ってしまう程。
キスがあんなに嫌いだったのに。
瑞希が特別なのか?
それとも私が大人になったからなのか?
それとも……、
私が瑞希を好きだからなのか。
たぶん後者なんだろう。
それくらい分かってる。
でもそれを認めてしまえば、苦痛が私を襲う事も知ってる。
キスが嫌いなままでいたかった。
そう、心から思うのはもう少し先になる。
瑞希はいつものようにスウェットに着替え、テーブルでパソコンを開いている。
それを邪魔しないように、ソファーの端っこに腰を下ろし、携帯を開く。
梅ちゃんに連絡するのを忘れていたから。
瑞希の家に帰った旨を簡単に書いてメールを送れば、しってるよ。って返信がきた。
全てを見透かされたように、ちょっと恥ずかしい。
「なにニヤニヤしながら携帯みてるの?」
瑞希は私の肩に顎をのせ、近距離で言葉を発している。
ちょっと、マジで近すぎる。
頬が更に熱くなる。
「う、梅ちゃんにメールしたの」
「そっか、てっきり古城のサイトをまた見ているのかと思った」
興味が無くなったように離れていく瑞希。
それをちょっと寂しいと思う私。
「しゃ、シャワー浴びてくれば?」
誤魔化すように瑞希に言えば、ご飯食べてから入る。と言い、またパソコンへと戻って行った。
ドキドキが収まらない。
平常心。
そう心の中で唱えても、ドキドキは収まる訳もなく。
気を紛らわせるように手に持った携帯で久美教授のサイトへと飛んだ。
サイトには新着の文字。
久美教授の姿入りの写真とそれにまつわる文章がアップされていた。
細かい装飾を施された柱。
壁面に描かれたルネサンス時代の絵。
そして壁の中に隠されていた秘密の部屋。
久美教授の満面の笑み。
ああ、私もそこに行きたい。
そう強く思わざるを得なかった。
届いたピザを食べ、私は早々に眠りについた。
瑞希はまだ仕事が残っていると言ってパソコンに向かったまま。
広いベッド。
そして瑞希の匂い。
ふと指で自分の唇に触れる。
唇に残る瑞希の感触。
あんなに嫌いだったキス。
今はもっとして欲しいと思ってしまう。
将来なんかない。
でも。
でも、恋をするくらいイイよね。
もう瑞希に恋をしている私を知らんぷりなんかできない。
あの日から、瑞希との距離が一度に縮まり、ドキドキしながらも平穏な日々。
良く話す事と言えば、今何をしたいのか?
瑞希は私の夢を聞いてくれる。
古城研究がしたい。
海外での生活を夢見る。
久美教授について旅をしたり、論文を発表したり、本も出版したい。
その本を読んで、古城に訪れたいと思ってくれる人が増えたら、それはとっても嬉しい事。
古城が建設されていた時代、女性の地位は世間的には低かった。
でも、城の中では莫大な権力を持ち、民を思う人もいれば、権力に取り憑かれた人もいた。
でも、その全ての女性に共通するのは、自分に妥協をせず気高く生きていた。
私にもそんな強さが欲しい。
「今夜、一緒に夕飯食べような。場所と時間はメールするから」
私より一足早く出社する瑞希を玄関まで送りに行けば、笑顔でそう私に告げた。
「え、ホント?スゴイ楽しみ。いってらっしゃ」
そんな些細な事でも、舞い上がってしまう程、嬉しい。
好きな人の傍に居られる幸せ。
この先、こんな幸せは訪れないだろうな。
期間限定の同居生活は、もうすぐ終わりを迎える。
ガマガエルとの結婚が無くなったとしても、私は好きな人とは結婚できない。
ましてや、私と同じ境遇の瑞希とは一生分の運を使ったとしても、結婚なんて出来ないんだろう。
会社に出れば、いつもと同じ業務が私を待っていて、先輩方のサポートをしながら雑用をこなしていく。
狙ったように内線が鳴り、出れば梅ちゃんからランチのお誘い。
二つ返事でオッケーして、待ち合わせ時間に間に合う様に仕事のスピードを速めた。
「で、何があったの?」
久しぶりのランチ。
そして第一声がこれ。
「何って、何が?」
「分かってる癖に。しらばっくれてもダメだよ」
梅ちゃんの顔が悪代官の様に見える。
「どこまで進んだの?」
「……キスまで」
「へぇ~」
梅ちゃんに黙ってる事なんて出来なかった。
ううん、むしろ聞いて欲しかった。
「で?」
「ん?それだけだけど」
「え……マジで言ってんの?もう一緒に住んで一カ月くらい経つよね」
「三週間と四日」
もうすぐ同居生活は終わってしまう。
もっと一緒にいたい。
素直にそう思っている私。
もっと傍にいたい。
「はぁ~。ジュニアもチキンなのね」
梅ちゃんの大きなため息が私の自信を無くさせる。
そうだよね。一緒に暮らしていて、キスだけだなんて。
女としての魅力が無いからなんだよね。
別に最後までしたい訳じゃないけど。
したら最後、瑞希は地獄に突き落され、私は商品価値を失い、今よりももっとひどい環境に置かれてしまうんだろう。
「すみれはジュニアが好きなんでしょ?」
うん、好き。
でもそれは口には出せない。
出したら、もっと自分が辛くなってしまうから。
「そんな悲しそうな顔しないの」
梅ちゃんは困った顔をしながらそう言った。
「私の相手は自分で選べないから。それは瑞希も一緒だしね」
目の前にあるパスタをスプーンに乗せクルクルと回す。
出来上がった小さな山を口に運びながら、話題を変えるように頭を回転させた。
「ま、夜ゆっくり話聞くから、ちゃんと覚悟しておいてよ」
「うん……ん、夜?」
今夜は瑞希と約束がある。
「えっと、今夜は無理かなぁ」
「え?ジュニアから聞いてないの?」
どうやら、私の勘違いだったみたい。
今朝の話しぶりで、私は二人きりで過ごすと勘違いしていた。
でも、違ったみたい。
なんかショック。
「ゴメン。てっきりジュニアが言ってるかと思って。二人きりでディナーしたかったよね」
梅ちゃんのニヤケ顔が腹立つ。
「そんな事ないもん」
こんな風に強がりを言ってしまう私。
素直にそうだと同意すれば、何かが変わるの?
決まっていた事を破棄する事って出来るの?
ううん、出来ないに決まってる。
敷かれたレールの上しか動けない私。
自分で道を決める事なんて出来る訳がなかった。
ランチから戻った時、瑞希からメールがきた。
今夜の時間と場所。
そして石橋部長と梅ちゃんが一緒の事も。
その事は朝聞きたかった。
そんなイライラから、瑞希に返事をせず午後の業務に手を付けた。
残業せずに済む方法は、今手元にある仕事を終わらせなければならないから。
持ち込まれてくる雑用はどれも単調。
そして誰でも出来る事ばかり。
そんな仕事達を終わらせ、残業する事無く会社を出た。
指定された店は瑞希の家の駅前。
そして時間は今から二時間後。
その前に梅ちゃんとお茶をする約束をしている。
会社を出て駅に向かう途中に梅ちゃんお気に入りのカフェがある。
コンクリート打ちっぱなしの近代的なカフェ。
無機質だけどどこか温かみがある。
店に入れば人はまばらで、奥にある四人掛けのテーブルに腰を下ろした。
ロイヤルミルクティーを頼み、梅ちゃんを待つ間、携帯を見る。
時間さえあれば久美教授のサイトをチェックするのが習慣ついてしまっている。
相変わらずスペインに滞在している様で、アルハンブラ宮殿から移動し、今はエル・エスコリアルと言う複合施設にいるようだ。
世界遺産になっている場所だけに、壁面に描かれた絵画も有名。
この城で有名な女性はブラッディー・メアリーことメアリー一世。
彼女の人生は父親の女性遍歴と男尊女卑によって狂わされた。
女児しか生まれなかった王家。
最後の頼みに生まれた子がメアリーだった。
男児を諦め、女児でも王位継承権を渡せるよう、法律まで変えた父。
そして最後に生まれた小さなメアリーに継承権を授けた。
しかし、父はやはり男児を望み、その為に母と離婚し愛人と再婚、そして男児がもうけられれば、寵愛していたメアリーを突き放した。
愛人や親せき、周りは敵ばかり。
庶子とされたメアリーだったが、父の死、そして王位継承した腹違いの弟の死、それらによってメアリーが女王の座についた。
しかし近隣国との対立、宗教問題、それで沢山の血が流れ、気づけばブラッディ―・メアリー『血まみれメアリー』と呼ばれるようになった。
どんな城にも歴史がある。
良い事も悪い事も。
悪い事の代名詞として使われるのはいつも女性。
このエル・エスコリアルは宮殿を始め修道院、図書館、美術館、神学校などを備えた大きな施設。
そして四万冊以上の蔵書を持ち、天井フレスコ画が見事で、歴代王たちの棺が壁面に収められている霊廟は細部にまでこだわった秀逸。
そこにスポットをあてて紹介して欲しいな。
「お待たせ」
いつもの声に顔を上げれば、少し疲れた顔をした梅ちゃんが私の目の前い腰を下ろした。
「お疲れ様」
「ごめんね。待たせて」
時間を見れば店に入ってから三十分が経っていた。
梅ちゃんが時間に遅れるのは珍しい。
「どうしたの?」
「出る寸前になって部長に呼び出されてさ」
受付をしている梅ちゃんは、ほぼ定時に上がれる。
「笑っちゃうんだよね。お見合いしないか?って言われてさ」
「お見合い?」
「うん、お見合い」
「……え?」
梅ちゃんはアハハッと大きな口を開け笑っていた。
「もちろん断ったよ。彼が居ますから。って」
「だよね」
「ま、部長はそんな相手より見合い相手の方がリッチだしイイ男だから。って少し強引だったけどね」
どうやら見合い相手は取引先の一人みたい。
先方に見初められて。ってシンデレラストーリーみたいは話。
「どっかの御曹司らしいんだ。でも私には紀人さんがいるから」
そうだよね。石橋部長がいるもんね。
「あとで紀人さんに報告しよう。反応が楽しみだなぁ」
梅ちゃんは語尾に音符が見えてきそうなほどルンルンでいる。
「ねぇ、すみれ。お腹空いたし、先に店に行こうか?」
「そうだね。先に食べちゃおうかね」
ぬるくなったミルクティーを飲み干し、梅ちゃんと店を出た。
「梅ちゃんは石橋部長と結婚するの?」
「な、何を急に」
「だってやっと掴まえたんでしょ」
梅ちゃんの長い片思い。そしてありえない位の情熱。
「まだ先の話かな」
「なんで?」
「そんなに簡単じゃないんだよ」
梅ちゃんにも悩みはある。
順風満帆だと思っていただけに少し驚いた。
瑞希が予約した店に入り、勝手に色々注文し、梅ちゃんと二人シッポリ最近の出来事を報告しあった。
「すみれの義妹、マジでぶっ飛んでるね」
「あの子、本当は寂しいだけなんだと思うんだよね」
「それにしてもすみれは寛大過ぎるよ」
梅ちゃんは私以上に恵理佳に対して白熱していた。
口にだしてしまえば本当になってしまいそうで、いつも恵理佳を庇ってきた私にとって、代わりに激怒してくれる梅ちゃんの存在は本当に有難かった。
「ジュニアの書類が義妹に有効だったなんて、なんか拍子抜けだけどね」
「うん。私もそう思ったの。恵理佳ならあんな書類関係なしに、私の事を父に言いつけそうなのに」
「やっぱり実のお母さんの事があるからかね?」
私にちょっかいを出したら、瑞希が調べ上げた現在までの行いを全て父に話す事になってる。
恵理佳にとって『実の母』は肝であり、唯一痛い場所なのかもしれない。
「ま、義妹が出てこなくなっただけで、すみれもだいぶ楽だよね」
「ん~恵理佳が居ようが居まいがあんまり変わらないけどね」
「ほら、また。義妹を庇う。そこに付け込まれるんだよ」
二杯目のビールを飲み干しながら、梅ちゃんは説教じみてきた。
そしてクダを巻かれること一時間。
石橋部長と瑞希がやっとやってきた。
「待たせたね。お疲れ様」
石橋部長の柔らかい声。
それに反応するように、梅ちゃんが乙女の様な表情に変わった。
さっきまでオカンみたいだったのに。
「紀人さん、遅い!!もうすみれと先に食べちゃったよ」
「悪い悪い。やっと商談がまとまって」
石橋部長と瑞希もビールを注文し、再度四人で乾杯をした。
「すみれ、オマエはもう加賀と結婚しなくってすむぞ」
「え?」
「さっきの商談で伊波物産と契約が取れた」
話しが全く見えない。
「ぷっ。オマエ顔に過ぎだろ」
瑞希は笑いながら私のおでこを人差し指で軽く押す。
なんだ、その行動は!!
キュンって心臓が音を立てちゃったじゃない。
「伊波物産の十年前の負債。あれはウチにとっては宝みたいな話だったんだよ」
瑞希が語る話はまるで夢の様で。
それをただ聞く事しか出来なかった。
ガマガエルとの結婚が無くなる。
私はまた自由になれる。
自由?
ううん、違う。
ガマガエルと結婚しなくって済むだけで、結婚相手はまた別に与えられる。
「とりあえず、加賀との結婚は無くなった。オマエは自由だから」
瑞希はそう言い、嬉しそうな顔を私に見せた。
「あ、うん。ありがとう」
「なんだあんまり嬉しそうじゃないな」
「ううん。違うよ。嬉しいよ。ちょっとビックリしただけ」
そう、ビックリしただけ。
これで、私は伊波の家に帰される。
瑞希との時間はこれで終わってしまう。
もう少し、甘い時間を過ごしたかった。
そう思ってしまう程、私は瑞希を好きになっていた。
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