諦めと迷い
プラハでの出来事が嘘だったかの様に、私の世界が大きく変わり始めてきた。
ガマガエルとの結婚は決まった事の様に、ドンドンと話が進んでいく。
私の身売りと並行し、伊波物産の抱える負債はアマガエルが肩代わりしてくれていると父は誇らしげに言った。
『オマエの婚約者は、金払いがいいな』
私の気持ちなど見向きもしない父は、会社の存続だけを考えている。
あのガマガエルを受け入れるくらいなら死んだ方がマシ。
でも、私が出来る抵抗なんてたかが知れている。
処女じゃなければ、結婚しなくっていいの?
そんな想いさえ抱いてしまう。
ガマガエルがキスをしようと迫ってきた時、高宮瑞希の顔が浮かんだ。
ただ触れるだけの意味のないキス。
ただの挨拶のキス。
ただ私の心が熱くなっただけのキス。
なんで私は伊波に生まれてしまったんだろう。
なんで自由に恋愛出来ないんだろう。
なんで好きな人と結婚出来ないんだろう。
なんで、
なんで、
なんで……。
『なんで』を言えばきりがない。
でも『なんで』って言葉が出てきてしまう。
結婚が決まった今、日常を平穏に過ごし、地獄の門が開くのを待つだけ。
今回ばかりは誰も助けてはくれない。
決められた運命のように、私は静かにそれを受け入れる他ないんだろう。
夏季休暇明け、出社してみれば、日比野さんが退職していた。
彼女は機密を漏らし、社に損害を与える行為をした。そう斉藤課長から説明のメールが来た。
高宮の事務員は極めて少ない。そんな中、コネもなく事務員として入社し、人事経理課に配属された彼女。そうとう優秀だった筈。
でも、彼女は私利私欲に走った。
社員に情報を渡し、営業の手助けをしたり、私の時の様に、住所やその他、個個人情報を勝手に開示していた。
その対価として事務員では買えないようなブランド品を彼女は報酬として受け取っていたようだ。
この波紋は多くの女子社員を巻き込んでく。
コネ入社以外の女子社員に的を絞り、素行調査を行う話まで出ているといった具合だった。
日比野さんが辞めた事による事務員の補充は今の所ないようで、忙しい今、私の結婚が決まった事を言いだせずにいた。
それは親友と呼べる唯一の梅ちゃんにも言えなかった。
日比野さんの穴を埋めるべく、残業が続く。
仕事に没頭していれば、ガマガエルの事を考える事もなく、今の私には丁度いい様にさえ思えた。
ガマガエルとの結婚は伊波物産次第となっているらしい。
官庁退却による負債の件が片付き次第、入籍になる。
そしてガマガエルが数度目の結婚という事もあり、結婚式などはしないと言っていた。
結婚に理想も何もない私にとっては好都合だった。
でも、ふっとした時に脳裏に浮かぶのはヒーローみたいに私を助けてくれたあの人。
数度しか会話していないし、お互いの事など何もしらない。
でも、私の脳裏にはあの人の笑顔が張り付いたまま離れなかった。
ヒーローみたいに私を助けてくれた高宮瑞希。
彼の姿を社内で見かける事もある。
玄関や社食、いつも周りには女子社員の姿。
さすがジュニアだけあって人気は絶大で。
様々なタイプの女性があの手この手で迫っていると梅ちゃんが言っていた。
「梅ちゃんもジュニア狙わないの?」
梅ちゃんは玉の輿を狙ている。
それは初めて会った日に梅ちゃんから聞いていた。
「ジュニア?あれはダメよ。もっと年上がいいの」
梅ちゃんはそう言いながらレストランみたいな社員食堂の奥、一段高くなった高級スペースにいる狸オヤジの集団を熱い眼で見ていた。
社員食堂は食堂とは言えないハイレベルな料理が提供されている。
高級レストラン顔負けの味や食材。そして食堂内の装飾も豪華絢爛。
そんな食堂内の中、一番奥にあるスペースは重役たちが主に使う場所として認識されている。
他社のお偉いさんが一緒だったり、ランチ接待に使っていたりする。
今日は社内の人間だけしかいない。狸オヤジ達の集団に熱い視線を投げる梅ちゃん。
「梅ちゃんって本当に変わってるよね」
「なんで?」
「だって、オヤジが良いんでしょ?」
私の言葉に梅ちゃんは驚いたように目を丸くしたあと、クスクスと笑い始めた。
「すみれはお子様だから分からないんだよ」
「何が?」
お子様……そんな言い方しなくったっていいじゃん。ちょっと不機嫌な声が出てしまう。
「若いジュニア達より離婚歴のある重役の方が、どんなに楽かって事をね」
悟りを開いたお釈迦様の様に、慈愛に満ちた表情を浮かべる梅ちゃん。
ただ、見方によっては魔女のようにも見えてしまう。
「テクニックも財産も違うんだから」
梅ちゃんは恥ずかしげもなく、そんな事をランチの最中に言いだした。
テ、テクニックって……。
「あはは、すみれには刺激が強すぎたかな?」
梅ちゃんに笑い声に、視線が集まる。
主に男性社員の視線が。そんな空気に堪えられる訳もない私は、皆の興味を薄れるのを待つように下をむくより他なかった。
「あ、すみれんちのパーティー私も出てイイの?」
伊波物産の100周年パーティーが2週間後に行われる。
「うん。梅ちゃんが来てくれたら嬉しいな」
どうせ壁の花として会場にいるだけの私。
「ウチの重役たちも出席みたいだから……」
梅ちゃんの狙いは定まっているみたい。
誰を狙っているのか聞いても決して口を割らない梅ちゃん。
梅ちゃんを狙っている男性社員は吐いて捨てる程いるのに。それらに見向きもせず、ただ一人を狙っている梅ちゃんはある意味一途なのかもしれない。
100周年パーティーでは私の結婚話はでないだろう。
父は自分が注目されるのを好む。
だから私の結婚に関しては未だ水面下で進められているだけ。
もしかしたらガマガエル以上にお金を出してくれる人を探しているのかもしれない。
あの父ならそんな事も平気でやりそうな気がする。
「……ね、イイでしょ?」
「え?」
梅ちゃんの話しを聞きそびれた。
「ったく、ホント人の話を聞かないよね。すみれは」
「ゴメンゴメン。で、なに?」
「明日、夜空けておいてね。って話」
明日?なんか言ってたっけ?ま、いいか。
「うん。分かってる」
「本当に分かってるのかな?」
梅ちゃんの呟きはシッカリと私の耳に入っている。でも、それを聞かなかった事にした。下手に言うと倍になって返ってくるから。
100周年のパーティーが終われば私の結婚が待っている。
まだ誰にも言えずにいる。認めたくない自分と諦めている自分。どっちも私であり、どっちも私じゃない。
自宅に帰れば、お祝いの品が玄関から始まりリビングを埋め尽くす勢いで置かれている。
まだ正式発表前なのに、どこかで聞きつけ、伊波物産に少しでも目を掛けて貰いたい。そうこの品物たちから聞こえてきそう。
母は気に入ったものは部屋に持って行く癖に、いらないものはその場に置き去り。
玄関には見た事もない男性物の靴が目にはいる。
リビングから声がしない所をみると、母のお客さんが母の部屋にいるんだろう。
何も言わずに自分の部屋にはいれば、クローゼットが全開になっていた。
100周年に着るドレスが床に落ちている。
恵理佳の仕業だとすぐに気が付く。だいたいこんな子供じみた事をするのは恵理佳しかいない。
きっとドレスを着てみたんだろう。私のものを何でも欲しがる恵理佳。それが何を示しているのかは分からない。
でも、私に構って貰いたいって気持ちだけは伝わってくる。
帰国し、足立さんにチェコの話をしたのを、恵理佳に問いただせば『だってあの人すみれちゃんが好きだっていったから』そう悪びれもなく言っていた。
父には言わないようにと釘を刺しておく。いくら父でも恵理佳が足立さんにリークした話を聞けば、タダじゃすまない気がしたから。
恵理佳には甘い父。
私のように人生は伊波物産のものだとは恵理佳に言っているところを見た事がない。
いつも恵理佳の好きな様にさせている。
これが長女と次女の差なのか?
それとも本妻と愛人の子の差なのか、私には分からないけど。
バラまかれた洋服をクローゼットに戻し、ベッドへと横になる。
仕事も落ち着きを取り戻し、残業の回数は減ってきた。
明日は梅ちゃんに付き合い、週末は母に付き合う。
100周年パーティーを終えれば、私は会社に退職を願い出なければならない。
どうせ腰かけと思われているから、何も言わずに受理されるんだろうけどね。
自分の存在を認めてくれる場所。
そんな場所が欲しい。
「それで何で伊波さんがいる訳?」
私の目の前には高宮瑞希。
シャンデリアが光を放っている室内。毛の長い絨毯に足を取られ転びそうになった所を助けてくれたのがこの高宮瑞希だった。
「梅ちゃん、林田さんに誘われて……」
「はぁ……ココがどんな所か分かって来てんの?」
ココはオープンしたての店。財界人が多く足を運ぶと有名だった店でナンバーワンだった人が立ち上げたクラブだった。
「まさかキャストって事はないよな?」
「キャスト?」
「……とにかく林田さんとやらはどこにいるんだ?」
梅ちゃんは私を放置したまま、どこかに消えてしまったんだよね。周りには着飾った女性。
私の隣にいる高宮瑞希に視線が集まっているのが痛いほど分かる。
高身長なうえ、イケメンフェイス。そしてスマートな所作。
誰もが彼を見る。
その気持ち、少しは分かる今日この頃。
「で、伊波さんのお友達は見つかったのか?」
梅ちゃんの姿はどこにもない。
私は首を横に数度振った。
「はぁ。仕方ない。オレから離れるなよ」
高宮瑞希はそういい、私の腰に手を添えた。
電流が走った。
私の身体を微弱な電気が流れ、それは心臓を直撃する。
ドキドキと大きな音を立て始める心臓。
頬が熱を持ち、どんどんと温度が上昇する。
腰の手に意識が集中してしまう。
人がいないテーブルへと案内され、言われるがまま腰を下ろす。
「ココは男性客が主なの。だから女の子が一人でいたらお店の子だとおもわれちゃうんだよ」
まるで子供相手に言い聞かせるように、高宮瑞希は優しい声で私に言った。
「とにかく伊波さんの友達が見つかるまで、ココにいな」
念を押すように私の目をみる高宮瑞希。
その声に反応するように頷く事しか出来ない。
梅ちゃんが友達の店がオープンするからお祝いに一緒に行ってほしい。そう言ったのはつい1時間前。
お店に着くなり、梅ちゃんはどこかに行ってしまった。
取り残された私はその場に立ち尽くす。
店に入る人の波におされ、転びそうになった所を高宮瑞希に助けられた。
二度ある事は三度ある。
高宮瑞希に助けられたのは、これで三度目。
私の目に映る彼はヒーローそのもの。
「友達に電話してみれば?」
運ばれてきたビールグラスに口をつけながら、高宮瑞希が言った。
バックから携帯を取り出し、梅ちゃんのアドレスを呼び出す。発信ボタンをおし耳に当てるも『現在電波の届かない所にあるか……』無機質なアナウンスが流れるだけだった。
「ま、仕方ない。見つかるまでココにいればいい」
高宮瑞希は煙草を取り出し火をつける。
その仕草がカッコ良すぎて、私は釘づけになってしまった。
カッコいい人は何をしてもカッコいいんだろう。
「瑞希、おまたっ……せ?誰この子」
私の背後から聞こえてきた。
「ああ、会社の子」
そう、私は高宮の社員。
ただ、そう言われて少し淋しい気がしてしまった。
「そうなんだ……珍しいね。女と同席するなんてさ」
声の主は金髪でブランドのロゴが大きく入ったサングラスをしている人物。
高宮瑞希の隣に腰をおろし、私を品定めするように下から上へと視線を走らせた。
「ふ~ん、可愛いんじゃない?俺的にはそのデカい胸が最高に気になるよ」
サングラスを少し下げ、私を見る金髪の人。
「ダメ、この子は取引先のご令嬢だから」
高宮瑞希は呆れたような声をだし、そう言った。
そう、私は取引先の娘でもある。
そんな肩書きしかない。
誰も『伊波すみれ』だとは紹介してくれない。
伊波すみれになんの効力もないのだから当たり前かもしれないけど。
高宮瑞希と金髪は仲良さそうに話だし、私は放置されたまま。
目の前にあったピンク色の飲み物を口にすれば、口当たりの良い甘さが広がり、ピリッと舌を刺激する。
クセになる味。
誰にも話しかけられず、ココにいないような私。
梅ちゃんが戻って来てくれる事を願いながら、目の前に運ばれてくるピンクの飲み物をただ黙って飲んでいた。
「……ろ。……いい加……きろ!」
ふわふわと柔らかい綿に包まれたような感覚の中から覚醒する。
目の前には高宮瑞希の顔。困ったように、眉間に皺を寄せている。
「ん……なんですか?」
「なんですか?じゃねぇーよ」
だんだんと周りの音が耳に入ってくる。
流れる音楽はジャズ。人の話し声が随所から聞こえてくる。
「あ」
そう、私はお店に居るんだ。
「はぁ……まさか寝るとは思わなかった」
高宮瑞希の苦笑いが聞こえてきた。
ピンクの飲み物はアルコールで、私はそれを飲み過ぎたらしい。
「気分は悪くないよな?」
「うん」
むしろ気分はいい。お酒ってこんなに美味しいモノだったんだ。
ふわふわした感覚はまだ続いている。
「伊波さんの友達、受付の人?」
「うん、梅ちゃん。梅ちゃんキレイだから知ってるでしょ?」
「ああ、知ってる。さっきココに来て、オマエをオレに預け石橋さんと出て行ったから」
「へぇ~そうなんだ」
石橋さんって誰だろう?
「オマエ自分の置かれている状況、分かってるのか?」
「うん、梅ちゃんが帰ったから私も帰る」
そう、梅ちゃんがいないならココにいる意味はない。
深く腰を下ろしたソファーから立ち上がろうとするも、なかなかうまく立ち上がれない。
ふかふかのソファーが邪魔をしてるんだ。
「ったく、送って行くから少し待ってろ」
高宮瑞希の手が私の頭を撫でる。
その手は優しく、何も言えずにただそれを見ているだけの私。
高宮瑞希は席を立ちどこかに行ってしまった。
「へぇ~。ねぇ、瑞希とどんな関係なの?」
さきまで居なかったはずの金髪が私の隣に腰を下ろした。
「会社の……」
そう高宮瑞希は会社の人。
「それ以外になんかあるんじゃないの?」
なんか?
ただ、タイミングよく現れ私を助けてくれる人。
「君にとっても興味が出てきた」
金髪は一人納得しながら、私の肩に手を触れた。
「ヤメテください!!」
気持ち悪い。
触れられた場所から鳥肌が立ち、それは全身に広がった。
金髪の手を振り払い、立とうとするも身体が上手く動かない。
「従順そうな顔して、そんな強気な態度も取れるんだね」
金髪は私の肩に再度手を伸ばしてくる。
それを避けるように、身体をひねれば、ソファーから落ちる様に転げてしまった。
「あははは、本当きみって面白いね」
金髪は私を起そうと手を伸ばす、気持ち悪い。触らないで欲しい。
身体が上手く意思を伝達してくれない。動かない身体、どうする事も出来ない。
「クロ、オマエ何やってんだよ。オマエは触んな」
私の脇に手を入れ、ソファーに座らせてくれたのは高宮瑞希だった。
「オレは何もしてないよ。この子が勝手に落ちただけ」
金髪は口笛でも吹くように、誤魔化すようなそぶりをみせた。
「オマエが考えてる以上に、コイツんちは面倒なんだ。気軽に手を出すんじゃねぇよ」
高宮瑞希は金髪を私の向かいの席に追いやり、私の隣に腰を下ろした。
「瑞希がここまで手を焼くなんて、この子はどこの子なの?」
二人のやりとりを聞きながら、どんどんと意識が遠くなる気がした。
話し声が心地いい。
私の意識はそこで途絶えた。
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