不運





「へぇ~そっか。それより……」


人に話を振りながら明らかに聞いていない人。

自慢話ともとれる内容にウンザリを通り越し呆れてしまう。


「すみれちゃんは一人暮らしなの?」

「いえ、実家ですけど」

「やっぱりお嬢様は違うよね」


一人暮らしと実家暮らし、何が違うって言うんだろう?


「お父様とは良く話すんでしょ?」


あ、この人、私を見ていない。

私を通り越し実家の『伊波物産』をみているんだ。

はぁ、こんなんばっかり。


今日は後輩の日比野さんから『相談がある』そう言われ指定された店に来てみればそこは貸切で、社内の男性陣の姿と、気合の入った女性社員の姿があった。


「だって社内合コンって言ったらすみれさん来てくれないんですもん」


日比野さんは媚びるような笑顔を私に向けたままそう言い真剣な眼差しで、


「どうしても第一の営業1課さんに来てもらいたくって……」


事務方と営業の合コン。

そして第一営業部はエリート集団。

どうやら、私を引っ張り出して来れば、合コンをすると誰かと約束をしたらしい。

寿退職を狙う日比野さんにしてみれば第一営業部は旦那様候補が揃っているように見えるらしい。

周りにいる女性社員はみな日比野さんの様に、お目当ての男性社員にゼロ距離で接していた。


今、私の隣にいるのは第一営業部営業2課の同期。

なかなかのやり手らしいけど……自慢話ばかりで全く面白くない。

そして、私より『伊波』が気になっているんだろう。


「今度二人で会おうよ」


馴れ馴れしく、肩に手を置く。

その仕草から、この人は自分がカッコいいと思っている事が垣間見れる。


「いえ……大丈夫です」

「なんで?一緒に楽しい時間を過ごしてきたじゃん」


いつ過ごしたんだろう?

彼の中でどんな風にこの苦痛な1時間が変換されたんだか知りたい。


「とにかくさ、もう一度会おうね。これオレの携帯バンゴーだから」


私の手に無理やり名刺を押し付けてくる。


「ね、すみれちゃんの番号も教えてよ」


嫌だ。

絶対に嫌。



「それは……」


ハッキリと拒絶出来ない自分が悲しい。


「いいじゃん。オレ毎日連絡するよ?こう見えてもマメなんだ」


女性みながマメな男を好きだと勘違いしている彼。

そして彼は私が好意を持っていると思っているんだろう。

私は笑顔を絶やさない。そう教育されてきたから。

そっと彼の名刺をテーブルに置き、烏龍茶に手を伸ばす。


氷が溶けグラス全体に露がついている。

持ち上げたグラスから露が落ち、私のスカートにポタポタと落ちた。


「ちょっとお手洗いに……」


彼にそう声を掛けバックを持って席を立つ。

これを逃したらきっと負けてしまう。

さらりとかわす術なら知っている。


相手が気を悪くしないように。柔らかに断る術。

でも、あの彼はそんな事に気づかず、どんどん私を壁に追いやる。

なるべくなら接触は避けたい。


トイレで日比野さんにメールを打つ。

『帰るね』そう一言だけ。

そして私はトイレを出て周りを見回す。

うん、誰もこっちを見ていない。




音を立てないように、スルスルと壁を移動し誰にも見られる事無く外に出た。

夏直前の湿った空気。

梅雨と夏の間。

肌にまとわりつくような見えないベールが身体を包み込む。


不快ではない。

さっきまで居た場所に比べれば。



『伊波』

これが私を苦しめる。

昔からそうだった。


『伊波すみれ』と言う人間を見てくれる人は少ない。

私越しに『伊波物産』をみて、自分の利益を算段する。

社長である父親との縁を持ちたいが為に私に近づく大人。


私が成人してからは大企業のコネを持ちたいが為に男性が手ぐすねを引いていた。

対等な付き合いの筈なのに、私をお姫様の様に扱い、最後は父親を紹介して欲しいと言う。


父は『婚姻関係は会社の為にある』と日頃から言っている。

父も母もいわゆる政略結婚。

そこに愛はないらしい。


美人がいれば口説き、愛人にする父。

若い男性であれば、誰でもいい母。


同年代が恋愛の話で盛り上がる気持ちが分からない。

私の恋愛観は枯れている。彼氏が出来てもだいたい振られる。


『カッコいい』とか『素敵』って思うけど、『付き合いたい』とか『結婚したい』とか思った事なんてない。

押し切られて付き合うようになり、彼の要求を飲まない私に愛想を尽かす。


『伊波』に囚われた私は、父の敷いたレールをただ歩むだけ。

私の人生は私のものではない。


それに気づいた時は死ぬほど苦しかった。

だから気づかないふりをして毎日をただ過ごす。

古城の研究だけが私を私でいさせてくれる。

没頭できる事に巡り合えた奇跡。







「それで、すみれは逃げて帰って来たんだ」


梅ちゃんは飽きれたように言いながら、アイスティーを口に含んだ。


「いい加減、自己主張しなよ」

「だって相談があるって言われたから」


そう日比野さんに騙されるように参加した合コン。

次の日から、あの彼が毎日のように総務部にやってくる。

ランチのお誘いやディナーのお誘い。

連絡先をしつこく聞いてくる。



「日比野のせいだね。あいつ一度シメなきゃダメだね」


物騒な事を言う梅ちゃん。


「いや……大丈夫だから」


額から冷たい汗が流れる気がした。


「しかし、その営業サン。毎日くるなんてよっぽどヒマなんだね」


うん、私もそう思っている。

毎日の様に総務部に来てはカウンターから私を呼ぶ。

斉藤課長は嫌な顔をし始め、大野主任は面白そうに見ている。


梅ちゃんはストローをくわえたまま、


「第一の営業ってそんなにヒマなのかね?」


それは私も不思議でしょうがない。

第一営業部は社内でも屈指のブラックオフィス。

そしてダントツの売り上げを叩きだす部署。

そして営業2課はデパート等の大型店舗がお客様。

売り上げる金額はゼロが8個以上つくような商談ばかりをしている。

あの彼は、私と同期という事だった。


その若さで第一営業部に配属されているのは凄い事。

でも、仕事が出来るとは思えない。


「すみれもちゃんと嫌なら嫌っていいなよ」

「言ってるつもりなんだけど」

「それは上流階級の断り方なの。庶民にも分かる断り方をしないと」


梅ちゃんは深く息を吐き出した。

上流階級って何?

断り方に種類があるの?


「はぁ……とにかく、私はあなたとお付き合いしません。ってハッキリ伝えるんだよ」


梅ちゃんのため息交じりの言葉に、とりあえず頷いた。

人にハッキリとモノを申すのは苦手。

『女は黙っていればいい』そんな風に父から言われてきたせいもあるんだろうけど。


仕事の事だって『目立たなくっていい。手柄はあげるな。ミスするくらいでちょうどいい。大きなミスさえしなければ』そう父は言う。


責任を持って仕事をする。そんな当たり前の事を言わない父はやはり普通の人じゃないんだろう。


梅ちゃんとのランチを終え、部署に戻れば日比野さんが大野主任から説教を受けている。

怒る大野主任を逆なでするように日比野さんの言い訳が聞こえてくる。

黙って目を伏せていれば簡単に終わる説教なのに。

どうやら日比野さんが社員の個人情報を私情に使ったらしい。


使われた本人からクレームが大野主任の元に入った。そんな所みたい。

日比野さんの行動一つで『腰かけOL』そう呼ばれてしまう。

周りの女子社員の目がどんどん吊り上って行く様子が手に取るように分かる。


大野主任は若い女性社員には甘い事で有名。

その大野主任を怒らせる日比野さんは今、最悪の状況と言える。


斉藤課長は知らぬ存ぜぬ。

先輩女性社員のお二人は、日比野さんの言い訳に怒り心頭中。


はぁ……とばっちりが来ない事を祈るしかない。





「なんで私ばっかり怒られなきゃならないんですか!!」

「……オマエなんで怒られているのか分かっているのか?」


不毛な争い。

決着がつかぬまま、不毛な争いは日比野さんの涙によって終息を迎えた。

重苦しい空気が部署に広がる。



そしてその空気を読まない人の登場。


「すみれちゃーん。伊波すみれちゃーん」


あの合コンの彼が襲撃に訪れた。

それも最悪な状況の今。


でもそれは私にとっては最高とも言える状況。


私は黙って席を立ちカウンターへと向かう。

しかし、それを遮るように大野主任がカウンターへ向かう。


「どんなご用でしょうか?」


背中にダークオーラを背負った大野主任。


「え?伊波すみれさんに用事が」

「どんな用事でしょうか?」

「それは……」


彼はタジタジになりながら、思いついた様に名刺の話をしだした。

しかし、それを上回るのが大野主任。

先ほどの日比野さんを怒り足りない主任は、その鬱憤を晴らすように攻撃が始まった。


「名刺が切れたと。それは流石ですね。その若さで営一2課に配属されただけありますね。



しかし、週に何度も名刺の発注とは面白い」


大野主任はプレッシャーをかけまくる。


「それほど熱心に営業を掛けている足立さんはさすが2課のホープですね」

「いや……それほどでも」


誉められていると勘違いしているのか、足立さんは嬉しそうに頬を指でかいた。


「これは賞賛に値します。


私の方から部長にその旨、しっかりと伝えておきますので、今後もお仕事頑張ってください」



そんな言葉をかけられた途端、足立さんは顔色をなくした。


「伊波は他業務が詰まっていますので、他のものが足立さんの名刺を発注しますので、こちらに記入お願いします」


そう言い、名刺発注用紙を差し出す大野主任。

その用紙を無表情に見つめる足立さん。


「それと、今後の名刺発注に関しては専用メールアドレスにご一報お願い致します。窓口に来られる時間のロスは営業さんにとっては一大事ですよね」


大野主任の株が私の中で一気に急上昇した。

ただ若い子が好きなだけかと思っていた大野主任。

でも、ちゃんと周りを見ていて、私が困っているのを分かってくれていたんだと思うと胸が少し熱くなった。


大野主任に押し切られるように、足立さんは静かに退散していった。



「すみれちゃん」


大野主任は自分のデスクに帰る前に私を呼びつけた。

ヤバい。

大野主任の背後にはまだダークオーラが残っている。


「はい、何でしょうか?」

「ふぅ……言いたかないけど、就業時間に男とイチャイチャすんなよ」

「い、イチャイチャ……」

「社内合コンだかなんだか知らんが、少しは遠慮ってもんを……」


頭が真っ白になった。

大野主任は私を助けてくれた訳じゃない。

ただ、鬱憤を晴らす為に足立さんに突っかかったんだ。


「日比野といい、すみれちゃんといい、そんな女子社員ばかりだから事務が増えないんだよな」


もはや大野主任の愚痴でしかなかった。


「申し訳ございませんでした」


そう告げ自席に戻る。

庇ってくれた訳じゃない。

そのショックが大きすぎて、仕事なんて手につかない。


まさか、イチャイチャしている様に見られていただなんて。

足立さんを恨む気持ちより、そんな目で見られていた現実にショックを隠し切れない私。


手だけはいつもの様に動くけど、仕事内容は全く頭に入ってこない。



就業時間を終えた今、パラパラと席を立つ社員と一緒に更衣室に向かう。

いつもの様に靴を履きかえ、バックを持ち会社をでた。

腰かけで仕事をしている訳じゃない。

でも、腰かけに見えてしまっていた事にショックを受けた。


大野主任が足立さんに説教をした日から、足立さんの部署への出入りはなくなった。

その替わり、出勤時や退社時に声を掛けられる。

まるで私を見張っているかのようなタイミングで現れる足立さん。


断っても断っても現れる彼に少し恐怖を抱くようになっている私。

彼を見かけると、反射的に姿を隠すようになった。










「やっと会えたね」


背中から聞こえる声に、嫌な汗が出てきた。

振り返ると満面の笑みを浮かべる足立さんが立っている。


「す、すいません。先を急ぐので」


そう声を出すのがやっとだった。

足立さんか離れようと足を一歩前にだせば、左手がグイッと後ろに引かれた。


「今日は逃がさない」


冷たい声が背中を刺した。


「こんなに焦らされたのは始めてだよ」

「ちょ、ちょっと離してください」


足立さんに捕獲された左手を奪還すべく、手を払うように動かすも、強く掴まれた手首はジリジリと痛さを増してきた。



「今日は付き合ってもらうから」


足立さんの顔を見る事は出来ない。

見たらきっと動けなくなってしまう。


「い……嫌です。離してください」


自分でも驚くような小さな声しか出ない。


「ほら、こんな所で目立つのは君も困るだろう?」


そう、今は会社の前。

退社する所で捕まった。

幸か不幸か、今日は残業したせいもあり人通りはまばら。

見られる心配はないけど、助けてくれる事もないように思えた。




「はなして……」


声に出すのが精一杯。


「今日が付き合ってもらうよ。それに金曜日だ。ゆっくり話せるね」


足立さんは妄想の世界にいるみたい。

私の声や表情など全く気にしていない。



「ほら、早く行こう」


足立さんは私の手を引っ張り無理やり連れて行こうとする。

私は脚に力をいれ、抵抗を見せるも、男性の力に叶うはずもなく、引きずられるように、ヒールが音を立てる。



「足立、オマエこんな所でナニやってんの?」


ふっと顔を上げれば、足立さんの目の前に一人の男性が立っていた。

足立さんが私の手を更に強く掴んだ。


「瑞希課長……お疲れ様です」

「ああ、お疲れ。で、オマエなにをしてんの?」


あの高宮瑞希が私たちの前を遮っている。

傲慢な態度。

そして母とキスをした高宮瑞希が。


「い、一緒に帰る所なんですよ」


足立さんはヘラヘラと笑い、そう言い退けた。

高宮瑞希は私を下から上へと視線を走らせ、苦い顔を見せた。


「いくらなんでも同意の元、一緒に帰るようにはみえないぞ」


私には彼がヒーローに見えてしまった。


「そ、そんな事ないです。彼女恥ずかしがり屋だから」


私の左手を掴む手が更に締り、指が痺れてきた。


「ふう~ん。でも、そんな風には見えない」


高宮瑞希の目が私の左手へと移動した。


「ってか、オマエ一回手を離せ」


高宮瑞希は繋がれた私たちの手を睨みつけながらそう言った。


「な、なんでそんな事を瑞希課長に言われなきゃいけないんですか?」


足立さんはそう言い、私を引き寄せるように手を引っ張る。

でも、負けられない。

私は身体を寄せるのを拒否する為に、足に力を込めた。


「ほら、明らかに拒否してるよな」

「だ、だから。瑞希課長には関係ないです!」


足立さんは声を荒げた。


「オマエ、ココ会社の前。イチャつくにしても場所考えろよ」


え……何その言葉。

先日の大野課長がよみがえってくる。

私を助ける為に口を出す訳じゃない。

大野課長のように勘違いをし、私を見下すんだ。


高宮瑞希も大野課長と同じ。

私を見ているフリをし、本質を見ない。

そして、私をどん底に突き落とす。


痺れているはずの左手。

その感覚さえも麻痺してきたようで、私の左手はどこにあるんだろう。


まるで鎖に繋がれたように、重い左手。

目頭が熱くなる。

だんだんと歪んでくる視界。

私を助けてくれる人はどこにもいないんだ。





「ま、それは良いとして、伊波さんにお願いがあるから、悪いけど今日は彼女貸してくれないか?」

「え?何でですか?」


足立さんは意味が分からないと言ったように高宮瑞希に問う。


「だから人事経理課の人が必要だから」

「そ、そんなの他の人がいるでしょう?」

「さっき会社に電話したら、人事経理課もう誰もいなかったんだよ」


高宮瑞希はシレっとそう言いだした。


「今日中に書類を作らないと……3億の損」


そう言い放った彼の目は鋭く、足立さんは私の手を解放せざるを得なかった。

離された私の手は、塞き止められていた血液が急に周りだし、痛いくらい熱を持っていた。


「悪いね。じゃ伊波さん一緒にお願いします」


高宮瑞希にエスコートされながら会社へと戻った。

去り際「待ってるから」そう呟く足立さんの声が微かに聞こえたのを聞こえないふりをした。

会社に入った途端、高宮瑞希は歩調を早め、ドンドン先に進んでいく。

とにかく着いていくしかない。

こんな時間に仕事をさせられるのは腹ただしいけど、足立さんから逃げられるのであれば容易い。



高宮瑞希の足は喫煙ルームへと入って行った。


「ほら、とりあえず入れ」


ドアを押える高宮瑞希。

すいません。と口にだしドアをくぐった。

タバコの香りが染みついた部屋。

大きな音を立てながら空気清浄機が動いてはいるけど、不快な匂いの全てを洗浄するまでには至っていない。


「はい、コレ」


自販機から出てきコーヒーを一缶私へと向ける彼。

出されたモノを反射的に受け取り、彼を見ると「とりあえず飲めば?」そう言われた。


「ありがとうございます」


そう告げ、手の中にあるコーヒーを眺めた。

ブラックの缶コーヒー。


「もしかして、余計な事をしたか?」


目の前にいる高宮瑞希は煙草に火をつけながら一息吸い込み、白い煙を吐出しながら私にそう言った。

なんの事を言っているんだろう?


「伊波さん、足立と付き合ってるの?」

「いえ!違います」

「そ、無理やり会社に連れて来て迷惑だったかな?」


この人はいったい誰なんだろう?

強引で、傲慢で、厭らしい高宮瑞希のはずが、私を気遣い、足立さんから逃がしてくれて、今は心配を口に出している。


「あ、ありがとうございました」


そう口に出せば視界が歪み、熱いものが頬を濡らした。

慌てて下を向き、涙を隠す。


こんな涙を見せたらきっと怒る。

私が涙を流していいのは一人の時だけ。


「足立は悪いヤツじゃないんだけど……」


高宮瑞希は私の事など気にもしないと言った風に話を続けた。


「嫌なら嫌とハッキリ言えよ。勘違いしたヤローを止めるのは大変なんだからな」


私は頷く事しか出来ない。


「オマエ本当にあの人の娘か?」



……高宮瑞希は母と関係を持ったんだろう。

今の一言がそれを証拠づけた気がした。



少しでも見直した自分が憎い。

母と関係を持った男性をヒーローなどと思い、感謝の言葉を口にだした事を取り消したい。


「あの人の強引さ、オマエも見習え」

「なんで、あなたにそんな事を言われなきゃいけないんですか?」


流した涙を振り払いながら、私はただ高宮瑞希を睨みつける。


「……ふっ。なんだオマエもちゃんと言えるんじゃん」


高宮瑞希の瞳が優しく目じりをさげた。


「実は大野から話を聞いて……」


大野課長と高宮瑞希は同期。

同期飲み会の席で、足立さんと私の事を聞いたらしい。

『イチャイチャしていた』そんな風な話だった。


でも、今日私たちをみたら、そんな風には見えなかったらしい。


「だいたい伊波物産の令嬢が足立に熱を上げる方が間違ってんだよな」


そう、私はこれでも社長令嬢。


「どうせ、オマエも『婚姻は会社の為にある』とか言われて育ってきた口だろ?」


高宮瑞希の瞳は優しい。

この人も私と同じなのかも知れない。


「それと勘違いしているようだから言っておくが、オマエの母親とどうこうなって無い。あの人の強引さには驚いたけどな」


高宮瑞希は面白そうに笑った。

笑った口元には小さなエクボ。

両サイドに小さなエクボが出来た。

それを見た瞬間、心が動いた気がした。


それは今まで感じた事の無い痛み。

締め付けられるような痛みだった。


「あの何をすればいいですか?」

煙草を消す高宮瑞希はきょとんとした顔をした。


「仕事。何をすればいいですか?」


そう、私は仕事があるって言われてついてきた。


「あははは、こんな話をしたのにまだそんな事言ってんの?」


高宮瑞希は文字通り腹を抱えて笑っている。


「足立から抜け出す為の嘘だから。こんな時間に女性社員に仕事なんかさせらんないよ」


そう言った高宮瑞希の顔は経営者そのもの。


「もう少しゆっくりしたら帰りな」


高宮瑞希はそう言うと喫煙室を出て行った。







高宮瑞希がココを出て行ってからどのくらい時間が経っただろう。

ぬるくなった缶コーヒーを飲み干し、時計を見れば21時を回っている。

さすがに、もう足立さんはいないだろう。

喫煙室の電気を消し、部屋を出る。

人気が少ない廊下をコツコツと音を立てながら歩く。


誰もいない社内。

でもそれは廊下だけだったみたい。


営業部の部屋を通り過ぎる時、中に人の気配がした。

まだ高宮瑞希は仕事をしているんだろうか?

そんな事が頭をよぎった。



最低だと思っていた人物が実は好感が持てた。

私と同じ環境で育ってきたんだと知り、親近感を覚えた。




私には初めての事だった。



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