ハーフ・ヴァンパイア創国記

高城

序章

1 初陣

 十六歳のタオ=シフルの黄金の夢は、戦場に降りしきる冷たい雨にうたれ、あっけなく流れ去った。

 血と雨でぬめるつかを握りしめ、得物えものの剣をふるう。ふるうたびに目の前の敵が地に倒れ、新たな敵が目の前に立ちはだかる。

 だから、また剣をふるった。

 そうしなければ次に倒れるのは他でもない、タオ自身である。

 弾けるような血しぶきがタオの顔面に降り注ぐ。

 いつ終わるとも知れぬ、命の奪い合い。

 

 ここは、煉獄れんごくだ。


 地獄へとつながる、現世の果ての場所。

 タオの顔面を満たすのは敵の返り血だけではなかった。

 自らの涙と、洟水はなみずと、そして地を踏みしめるたびに跳ねかかる泥水と。

 ぐちゃぐちゃになった視界に、死角が生まれた。あわてて手の甲で眼をぬぐったタオの脇腹を、敵の剣身が鋭く薙いだ。

「ぐ、ぅ……」

 こぼれ落ちそうになる悲鳴を、歯を食いしばって押し殺す。

 地に膝を落としそうになるのをなんとかふんばり、タオは突進した。頭ごと身体を相手の胸元にぶつけ、懐にもぐりこむ。

 押し合い、そこで素早くタオが身体を引くと、敵がたたらを踏み、隙が生まれた。タオは剣の切っ先を相手の鎧の継ぎ目――腕の根に突き刺した。

「おぉぁぁ!!」

 そのまま躊躇ちゅうちょなく斬り上げる。

 怒号が飛び交う喧噪のなか、相手の兵士から絶叫がひときわ大きくこだました。赤い涙を周囲に振りまきながら胴体と泣き別れた腕は、高く宙に弧を描きながら、人の群れに沈み、泥にまみれ、踏まれ、カラスの餌になるのだろう。

 タオの夢と同じように。

 力なく倒れ込む兵士を横目に、タオは左手で脇腹を探った。斬られた、と思ったが、下に着込んだ鎖帷子くさりかたびらが奏功したらしく、肋骨をいくつか折っただけで済んだらしい。

 時間差で痛みが灼熱となって脳に這い上がってくる。

 

 神はいるのか。


 救いはあるのか。


 名も知らぬ命を奪い続け、タオ=シフルという自分の名さえ忘れそうになる。

 鈍痛をこらえ、ただひたすら剣を振りつづけた。さながら狂戦士バーサーカーのように。

 やがて意識が混濁こんだくをはじめた。周囲の怒声が消え去り、鼓膜に、雨音だけが響いている。それが重なり合い、川が流れるような音へと変じ、さらに潮騒のさざめきへと変わっていく……。


 ◆


 タオ=シフルがはじめて聖騎士を志したのは、いつだったか。

 澄み渡った青空に白い鳩が飛び立ち、翼の羽が軽やかに落ちてくる。

 その景色に大聖堂の鐘の音が重なる。

 おごそかで、それでいて身が引き締まる鐘の音色にタオは一瞬で酔いしれた。

 幼い頃、父親につれられ、はじめて王都に上った時のことだ。

 その日、たまたま王都では聖騎士団のパレードが行われていた。なんでも新しい聖騎士団長の就任式らしく、ちょうど石畳の目抜き通りメインストリートを王城へと向かうところだった。

 歓声を上げる大勢の見物客のなか、華々しい白銀の全身鎧フルプレート紫紺しこんのマントに身を包んだ馬上の聖騎士たちが、ゆっくりとタオの前を通り過ぎていく。

 父親に手を引かれながらタオは口をぽかんと開け、その光景を食い入るように見つめていた。

「聖騎士は悪しき者たちから国を守る、もっとも誉れ高い武人たちだ」

 父親から説明を受け、タオはただこくりとうなずいた。説明されるまでもなく、幼いタオの目に、まぎれもなく彼らは英雄に映った。

 汚れひとつない白く整えられた衣装は、聖騎士の清冽せいれつな心意気を象徴しているかのようだ。

 

 かっこいい!


 純粋にそう思った。

 聖騎士たちが粛々しゅくしゅくと歩く長い列に、ひときわ輝きの強い騎士が見えた。両脇にふたりの旗手を従え、威風堂々たる偉丈夫が近づいてくる。

 穏やかな風を受け、白地に金糸で縫い取りされた団章の旗が、いかにも心地よさげにはためいている。

「あれが、新しい聖騎士団長のジルドレッド=イェガー様だな」

 普段は物静かなタオの父親でさえ、このときばかりは昂奮で頬を紅潮させているようだった。

 聖騎士団長のジルドレッドは日に焼けた肌に燃えるような赤毛の髪を短く切りそろえ、翠眼すいがんを爛々と輝かせている。その巨体に見合う白馬もまた、どの馬よりも大きかった。

 タオは魂を抜かれたように呆然とジルドレッドを見上げていた。

 すると、ジルドレッドのみどりの瞳がちらりとタオを捉えた。

 

 どきり、とタオの心臓が大きく鼓を打つ。


 聖騎士団長が腕を持ち上げ、タオの顔よりも大きな手のひらをこちらに向けると、ちいさく振ってくれたのだ。

 父親が頭を下げ、それからあわててタオの頭に手を置くと、同じように頭を下げさせる。

 

 ドキドキが、止まらなかった。


 下を向いているはずなのに、まぶたの裏には勇壮なジルドレッドの姿がしっかりと焼きついている。

「父上!」

 勢いよくタオは父親を振り仰いだ。

「ぼく、聖騎士になりたい!」

 

 鮮やかな白い光輝に包まれたタオの記憶。

 

 父親は、だめだとは言わなかった。タオが聖騎士になる夢を思い描くことを、一緒に立ち会った父親が止められるはずもなかった。

 それほどシフル父子にとって衝撃的な体験だった。

 幸いシフル家は地方の辺境領主ではあるものの、貴族の家柄であり、さらに運がいいことにタオは二男二女のうちの次男だった。長男の兄が健在である以上、次男であるタオの存在が相続争いの火種になりかねない。そんなタオが聖騎士になれば家の安寧を保てるばかりでなく、王都の有力貴族たちとのパイプをつなぐことも不可能ではない。

 あらゆる面から考えて、タオが聖騎士になるのは父親にとっても理想的だったのだろう。


 領地に戻るや、さっそく父親はタオに武術の師匠をつけてくれた。タオの師匠は山にいおりを結ぶような変人ではあったが、腕はたしかな人物である。そこにタオは預けられ、剣術と武術を叩き込まれた。聖騎士の任務は対人だけではない。人外の魑魅魍魎ちみもうりょう、場合によっては竜族に代表される巨獣さえも相手にしなければならないため、片手剣ソードだけでなく、長大な両手剣クレイモアの習得も必須とされている。

 もともとの気質として穏やかで争いを好まぬタオだったが、五年以上の歳月をかけ、ひたすら聖騎士になる夢を追い続けたのだった……。


 ◇


 黒く染まりはじめた空の下で、ラッパの音が高く鳴り響く。

 はっと我に返った。

 気がつくと、タオの周囲には幾人もの屍が転がっていた。雨粒に波紋を描く血だまりのなかで、タオ自身もまた両膝を落としている。

 脇腹が、ずきりと痛んだ。

 その痛みで意識がよりはっきりと覚醒する。

 やや離れた場所では、兵士たちが敵味方の区別なく、憔悴しきった顔つきで地面にへたりこんでいた。


 ようやく今日の戦が終わった、らしい。


 タオは力なく両手をだらりと落とし、深く安堵の息を吐く。反面、タオの気分は重く沈んでいた。

 

 ラッパの音の調べが、味方の敗北を意味していたからだった。

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