79 嵐の中でⅨ

 迎賓館。中央棟二階。

 大ホールは真昼のように明るかった。

 幾何学模様に彩色を施された天井には、巨大なシャンデリアが吊り下げられ、そのクリスタルに豪奢な光を散らしている。金縁が施された壁龕へきがんの花瓶にはそれぞれ異なる色の花が活けられ、さらに目を床に向ければ、格子状に敷かれた黒と白の大理石が、鏡のように足元を映している。

 ティアとカホカは室の隅に立ち、笑いさんざめく人の群れを眺めていた。

「扉はふたつか」

 ティアはつぶやく。

 参加者が出入りする正面扉と、奥には給仕が出入りするための通用口。

 ――警護が手薄な通用口を使いたいところだが……。

 ホールには、楽団の奏でる音楽が流れている。中央に広場のようなスペースを作り、数人で囲えるテーブルが無数に配されている。

 気の早い二組のカップルが、早くも踊りはじめていた。

 ティアがホールの様子を眺めている間にも、続々と参加者たちが入ってくる。

「かなりの数だね。まだ増えそう」

 カホカが、近くを通りかかった給仕の盆からグラスを取った。琥珀色の液体を満たしたグラスを、こちらに渡してくる。

 ティアは受け取りながら、

「今日は食べないのか?」

 訊くと、カホカは「食べたいんだけどね」と、残念そうにドレスを見下ろした。

「傷の血止めもしてるから、ちょっとキツめなんだよね。食べると動きが鈍くなりそう」

 明るい室のなかで、深い赤のドレスが緑がかった光沢を宿している。

 それぞれのテーブルには料理が盛りつけられた大皿が美しく配され、自由に取ることができた。

 限られた者にしか味わうことのできない、突出した贅沢さときらびやかさ。

 しかし、それはこのウル・エピテスの一面に過ぎない。

 ティアには、別の面が見えている。

 光に隠された闇。

 その闇のなかにレイニーは捕われているのだ。

 ――どうやって牢屋まで行くか。

 強行突破も辞さない覚悟ではあるが、カホカの怪我もあり、できれば無理は避けたい。

 ――人目を忍ぶことができればいいんだが。

 思いながら室内に視線を走らせると、ふと、見知らぬ女性と目が合った。どこかの貴族の子女だろう。華やかに着飾り、なめらかな首筋をあらわにしている。離れた位置からこちらに視線を送ってくる。

 目が合ってしまったので、仕方なくティアはグラスを掲げる。そうして微笑むと、女性は顔を伏せてしまった。

 ――なんだ?

 そう思って視線を変えると、また別の女性と目が合った。

 ティアが同じ仕草を取ると、すぐに視線を逸らされてしまう。

「オレは、何か変か?」

 カホカに訊くと、「何が?」と逆に訊き返されてしまった。

 理由を伝えると、カホカまでもがぷいと視線を逸らし、「アンタが変だと思うなら変なんじゃない?」などとつまらなそうに言ってくる。

 わからず、ティアが服装に落ち度はないか確認していると、貴族然とした出で立ちの若い男がカホカに話しかけてきた。

「おひとついかがですか、淑女レディ

 笑顔を浮かべ、掌に載せた角砂糖を恭しくカホカの前に差し出す。

 すると、カホカがティアだけにわかるよう、含んだ笑みを送ってきた。

「いただきますわ」

 カホカはつまんだ角砂糖を口に含む。

「大変、お美しい」

 男の言葉に、「まぁ!」とカホカは頬に手を当てた。

「お上手な方ね」

「とんでもない。真実の言葉ですよ」

「ふふふ」

 と、わざとらしく微笑んでは、ティアに向かって勝ち誇った笑みを向けてくる。

 ――なんなんだ?

 男から話しかけられるのが、そんなに嬉しいのだろうか。

 とりあえず様子を見守っていると、

「こちらにいらっしゃる男性とのご関係は?」

 ティアとカホカを見比べながら、男が訊いてくる。

「私の兄のユーセイドです」

 カホカの紹介に、「よろしく」とティアが挨拶をすると、

「なんとも素晴らしき色男ぶりだな」

 握手を求められた。

 ティアは苦笑し、男の手を握る。男はカホカに視線を転じ、

「貴女の名をお聞かせ願えますか?」

「オクタヴィアです」

「素敵な名だ」

 そう言って、男は次にカホカの手を取った。その手の甲に口づけをする。

 カホカはされるがままに微笑みを浮かべたものの、

 ――なんだ、カホカは嫌なんじゃないか。

 ティアは見逃さなかった。

 カホカの表情に、一抹の不快の色がかすめるのを。

 普段の彼女なら「何すんだハゲ」と側頭部に蹴りを叩き込みそうなものである。

 ――奥ゆかしさの中に狂気が潜んでいる。

 それはともかく、ふたりが談笑をはじめてしまったので、ティアは手持ち無沙汰になった。

 ちびりちびりとグラスの液体を口に含んでいると、「あの、もし――」と、背後から声をかけられた。

「何か?」

 ティアが振り返ると、見知らぬ女性が立っている。

「カタリナ=キャンベスと申します。よろしければ、お名前をお聞かせ願えませんでしょうか?」

 頬を朱に染めて訊いてくる。

「ユーセイド」

 ティアが答えると、

「あの、御家名は?」

「ベステージュです」とティアは告げた。できる限り家名は名乗りたくなかったが、聞かれてしまった以上、隠すほうが不自然だ。

「ベステージュ、ですか。はじめてお聞きします」

「田舎ですから」

 ティアがほっとして笑いかけると、「あ」と、カタリナと名乗った女性は顔を伏せ、そのまま黙り込んでしまう。

 ――気まずいな。

 ティアは、というよりタオは女性を楽しませる話術に長けていない。

 目の前でうつむいてしまったカタリナ嬢に、さて、どうしようかと悩んでいると、 

「あの、もし――」

 また、別の女性から話しかけられた。それを皮切りに、次々と女性たちがティアに話しかけてくる。

 ――これは……。

 できる限り人目につかないことを心掛けていたはずが、いつの間にか女性の群れに囲まれてしまっていた。それだけではない。ティアを囲んでいる女性のなかに自分の目当てがいるのか、他の男までもが不機嫌そうな顔をこちらに向けてくる。

 ――カホカ、助けてくれ。

 縋るような視線をカホカに送り続けていると、笑顔で男と話していたカホカが、ちらりとこちらを見た。

 ――カホカ!

 ティアが心の中で呼ぶと、カホカが口を動かし、無言で伝えてくる。

『……シ……ネ……』

 ひどすぎる、とティアは思った。

 カホカはそれきりこちらを見ようともしない。

 ほとほと困り果て、ティアが話しかけてくる女性たちに対して、「そうですね」と「そうじゃないですね」とを交互に繰り返していると――。

 ふと、ホールにざわめきが起こった。

 ティアを囲む女性たちを含め、ほとんどの者が正面扉を見つめている。

 その視線を追ってティアが振り返ると、

 ――筆頭か。

 ティアはできる限り自分の気配を消しながら、その様子をうかがった。

 青いドレスに身を包んだファン・ミリアが、室内へと歩いてくる。

「なんてお美しい」

 そんな女性の声がティアの耳に届いた。

 シャンデリアの明かりの下で、編み上げたストロベリーブロンドが輝いている。肌を惜しげもなく見せながら、その首元に下げた金緑石クリソベリルが光をはじく。

 ――ぐずぐずはしていられないが。

 ここで自分たちの存在を気取られるわけにはいかない。カホカもティア同様、気配を消しながら、巧妙に男を壁にしてファン・ミリアから身を隠している。

 しかし、その一方で、ティアはファン・ミリアの異常に気づいていた。

 聖女の呼び名に相応しい美しさでありながら、その表情は曇っている。

 ――というより。

 どこか思い詰めているような印象を受けた。

 足取りにもまるで覇気が感じられない。

 ファン・ミリアは周囲に気を配る様子もなく、誰もいないテーブルの前に立つ。それを見計らったように、給仕が盆を手に近づいていく。

 ファン・ミリアは無造作にグラスを取ると、それを一気に飲み干した。グラスを戻し、さらに給仕が話しかけると、別のグラスを取り、半分ほどを飲んだ。給仕が一礼をして、その場を離れていく。

 ホールにいる人間のほとんどが、ファン・ミリアに注目している。にも関わらず、彼女は自分が見られていることにさえ気がついていないようだった。

 ティアがカホカを見ると、同じことを考えていたのだろう、わからない、といった様子でちいさく頭を振った。

 ファン・ミリアは腕を組むように、グラスを掲げている。紫の瞳が、ぼんやりとテーブルの上あたりに落ちていた。

 そんな彼女に対し、周囲の者たちは好奇の視線を向けつつ、声をかけあぐねているようだ。

 ――国の英雄も楽ではないな。

 彼女の悩みは知る由もないが、ティアの瞳に、ファン・ミリアの姿が頼りなく、弱々しく映って見えた。

 まるで迷い子のような。

 ティアは「失礼」と、女たちの間をすり抜け、カホカの側に行くと、

「これを――」

 と、持っていたグラスを手渡す。

「お兄様?」

 眉をひそめるカホカに、ティアはそっと耳打ちをした。

「注意を引きつけるから先に行っていてくれ。私も、すぐに行く」

 それだけ伝えると、ティアはファン・ミリアを向いた。

「ちょっと、――お兄様!」

 あわてるカホカをよそに、ティアはファン・ミリアに近づいていく。

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