69 嵐の中でⅠ

「ふはははは、潰れろ! 潰れてしまえ!」

「カホカ、ちょっと待て!」

 が、待てと言われて待つ馬鹿はいない。カホカは床に四つ這いになったティアの背に足を置くと、思いきり胸のさらしを引っ張った。

 ぐええ、とティアが潰れた声を出す。

「痛い……痛い!」

 ティアが悲鳴を上げるも、カホカは一向に止める気配はない。それどころか、

「天罰ぅぅぅ!」

 などと意味のわからないことまで叫びはじめている。

「いい加減にしろ!」

 たまらずティアは立ち上がった。

「どう考えても締めすぎだろう!」

 はだけそうになる胸を押さえながら叫ぶと、カホカは「いや」と、まるで悪びれていない様子で、

「何かがアタシに降りてきたから」

「……なんだよ、何かって」

「ちょっとよく言ってることがわからない」

「こっちの台詞だ。――まったく」

 ティアは文句を言いながら、さらしの余りを縛った。

「胸なんて、ないほうが楽じゃないか」

 ティアにとっては、あってもなくてもいいものである。動きづらいのはもちろん、これが無駄に男の興味を惹つけることを、すでに知っていた。

 すると、背後からカホカがティアの首に腕を回してきた。

「吸血鬼よ……持たざる者の悲哀を教えてやろう」

 腕に、おそろしいほどの力が込められている。

「わかった……悪かった、謝るから許してくれ」

 カホカの腕を叩きながら言うと、「以後、言葉に慎むがよい」などと、妙にかしこまった口調で解放された。

 ――余計なことは言わないほうがいい。

 すくなくとも、不用意にこの話題に触れると手痛いしっぺ返しが来ることはわかった。

 鷲のアジトの一室である。

 舞踏会に出席するにあたって、ディータが手に入れた招待状のうち、ティアは兄のユーセイド=ベステージュに扮するべく奮闘していた。

 ティアは男として舞踏会に出席するため、当然、身なりも相応に合わせなければならない。

 さらしを巻き終わると、ティアはズボンに足を通した。身体の線が出ないよう、かなりゆったりと穿けるものを用意してもらった。

 胸以外の女の特徴として、ティアがよく不思議に思うのが、腰である。

 男の身体の場合、胸から腹、足にいたる線は直線的であるのに対し、女のそれは、一度、内側に弧を描くようにくびれができている。そこから腰骨を頂点に膨らんで、斜め下にむかって落ちていく。

 女が内股になる理由が、自分が女になってみてはじめてわかった気がした。

 今回の変装の場合、ズボンをいつもの位置――くびれの部分でベルトなり帯なりを締めてしまうと、やはり女性的な体型が出てしまうので、腰骨の位置で留めることにした。そうするとベルトが通常より下の、下腹部あたりにきてしまうが、上の服を伸ばして誤魔化すしかない。

 ――変装して男になるっていうのも、奇妙な話だ。

 もともと男だったティアにとって、女でいるほうが不自然なのだ。それが、今度は女であることを隠して男になろうとしている。

 そんなことを考えながら服を着終えた頃、中年の女が数人、ノックもせずに部屋に入ってきた。カホカは、自分の着替えのために部屋を出ていったばかりである。

「あんたがティアだね」

 言いながら、テキパキとした動作で道具一式を近くの机に並べ置いていく。

「そう――」

 と、ティアが答えるよりも早く、何人かの女がティアに群がって来た。

「なんだい、あんた、とびっきりの美人じゃないか」

 女のひとりが無遠慮にティアの手を取り、大仰に声を上げた。

「いや――」

 と、ティアが答えるのを待たず、

「見てごらんよ、肌が透き通るみたいじゃないか」

「あら、ほんと。おまけにスッベスベ」

 などと言いながら、身体のあちこちを撫で回してくる。

「いや、ちょ……っと」 

「いい尻してんじゃない、元気な子が産めそうだね」

 なぜか思い切り尻を叩かれ、ティアの口から「ひっ!」と変な声が出た。

「いい加減にしてくれ!」

 悲鳴のように言うと、一瞬、女たちは呆気に取られた表情を作るも、

「なんだい、男みたいな言い方して」

「ああ、だから男装を手伝ってくれって言われたのかね」

「もったいないねぇ」

 まったく意に介した様子は見られない。

 ――なんなんだ、この押しの強さは。

 わけのわからない迫力がある。

 ティアは女たちに囲まれ、座らされると、まず髪から取り掛かられた。

「これまたキレイな黒髪だねぇ。結びにくいったらありゃしない」

「じゃあもう、いっそのこと丸めてかつらにするかい?」

「ああ、それがいいね。――あんたは何色がいいんだい?」

 ここで、ティアは自分が質問を受けているのだと気づき、

「ええっと――」

 と、考えているうちにも、

「金だよ、金髪がいいにきまってるじゃないか?」

 なぜか別の女が答えた。そうかと思うと、

「いや、ここは亜麻色じゃないかい? あんまりテカテカしてると下品さ」

「馬鹿言ってんじゃないよ、地味にしてどうするんだい地味にして。かえって悪目立ちしちまうよ」

 また勝手に話が進みはじめた。

 ――もう、大人しくしていよう。

 ティアがげんなり悟るまで、大した時間はかからなかった。

 けれど、終わってみると――

「ほう」

 女たちと入れ替わりに部屋に入ってきたサスが、感心したように眼を細めた。

「どこぞのご貴族さまって感じだな」

 金髪のかつらをかぶり、すべての衣装を整えたティアは、誰が見ても貴公子然としたたたずまいを見せていた。

「こりゃ、大したもんだ」

 次に入ってきたディータも瞳を大きくさせ、

「女は化けるっていうが、本当だな」

「いや、そういう意味じゃねえだろう」

 サスが苦い表情を作る。ふたりの反応に、

「元々の自分を考えると、こっちの方が近いんだけどな」

 と、ティアも苦笑するばかりである。

 通常よりも目尻を上げる化粧を作り、眉を濃く引いた。肩を広く見せるため、肩口に布を当て、厚手の服地に、胸元にはいくつもの金糸の飾り紐を張った。袖口は折り返して金ボタンを連ねている。下は当世風ではない、幅のあるズボンを長靴ブーツで絞る形である。

 最新式ではないが、全体として、古式ゆかしい印象を与えることに成功していた。さらに腰にはご丁寧にベステージュの家紋が刻まれた模造剣を提げている。

「女どもも、なかなかやるじゃねえか」

 ディータが上機嫌に笑う。

「彼女たちは、暗殺ギルドの一員なのか?」

 聞くに聞けなかったティアの疑問に、答えたのはサスだった。

「一員じゃねえが、関わってはいる。全員がここの肉親ばかりだ。ああ見えても、特に口の硬いのに手伝いを頼んだ」

 ティアがうなずき、そうして晩餐会――主にその後の舞踏会の進行について確認しあっていると、ドアをノックする音が聞こえた。

「でーきーたーぞー」

 長いスカートの裾を持ち上げながらカホカが入ってくる。

「こりゃあ――」

 ディータがうなるような声を上げ、

「お前、ほんとにカホカか?」

「どういう意味だ、ハゲ」

 カホカが不穏な気をまといはじめる。

「それくらい、カホカの姿が堂に入ってるってことだ」

 ティアが取りなすように言うと、「そりゃあさ」と、カホカはつまらなそうに腕組みをした。

「こんな恰好、昔は珍しくもなかったし」

「そうか……」

 ティアは納得した。

 シフルでは、貴族間で饗応する機会も、される機会も多くはなかった。一方、カホカの生家であるリュニオスハートは、シフル同様、地方領主ではあるものの、けっして小都市ではない。カホカも妾腹の子とはいえ、社交界に出ることもあったかもしれない。

「でもさぁ――」

 と、カホカはスカートをつまんで軽く翻した。動きも慣れたものである。

「やっぱこういうのってアタシ向きじゃない。動きにくいったらありゃしない」

「――いや、そんなことはねぇ。女が化けるってのは、こういうことか」

 感心しきりのディータに、ティアも素直にうなずいた。

「うん、似合ってる」

「え、何?」

「似合ってる」

 もう一度ティアが言うと、「え?」と、カホカがこちらに耳を傾けてくる。

「ごめん、何? よく聞こえなかった」

「いや、だから……似合ってる、と」

 律儀にティアが返すと、「うへへ」と、カホカは何やら気味の悪い笑みを浮かべはじめた。見ると、サスは意味ありげな、ディータもなんとも言えない笑顔を浮かべている。

 首を傾げながらも、ティアはカホカをもう一度眺めてみた。

 やはり、似合っている、と思う。

 深みのある赤を基調としたドレスの、丈の長いスカートには幾重にもひだが飾られている。胸元までを露わにする形で、髪は上げているが、いつもの高いところで簡単にまとめるのではなく、癖を作って波打つように流している。

「オレより年上に見える」

 どこか子供らしさを残していた顔立ちは、化粧によって大人の女のそれになっていた。眉はいつもより細く、まぶたに薄く色を引くことで、本来の碧い瞳が、はっとするほどの神秘的な色彩を帯びるようだった。

「しかし、これだとルーシ人ってのが丸わかりになっちまうんじゃねえのか?」

 危惧してディータが言うのを、「そうかもしれない」とティアは同意した。碧い瞳の特徴をより強くすることで、あでやかさを引き出してはいるものの、見る者に疑問を抱かせかねない。

 するとサスが「大丈夫だろう」と請け合った。

「黒髪碧眼ってのはたしかにルーシ人の特徴だが、ルーシ人だけのものってわけでもねえ。そもそも瞳の色はおいそれと隠せるもんじゃねえしな。開き直って堂々としていた方が、かえって怪しまれねえってこともある。わざわざ家名を聞かれるのは、最初の入場時と、挙動不審で衛士に見咎められた時くらいなものだ」

「いや、そりゃそうだけどよ」

 よほど心配なのか、ディータか食い下がる。そこにティアも話に加わり、あれやこれやと話し合っている間――。

 カホカはずっと、にやにやと笑みを浮かべていた。



 すべての準備が整い、四人は鷲のアジトの一階――崩れかけた民家を出た。

「うわ、すごい雨」

 カホカが驚いた声を上げる。外は、激しい雨音で満ちていた。

「嵐か……」

 ティアは空を見上げた。

 夜空は厚い雲に閉ざされ、星月をうかがうことはできない。盆をひっくり返したようなどしゃ降りである。風は吹き荒れ、屋根の下にまで雨が吹き込んでくる。

 すでに前の道には箱馬車が待機しており、ふたりの姿を認めるや、馭者役のギルド員が、うやうやしい動きでドアを開ける。

「見事なものだ」

 ティアは感想を漏らした。

 どこからどう見ても、貴族に仕える馭者の所作である。

「よし、行くか……」

「ういうい」

 ティアとカホカが歩きかけると、サスがティアに、ディータがカホカに、それぞれ傍らに立って傘を差し、搭乗を手伝う。仕える主が雨に濡れぬよう、従者が用いる幅広の傘である。親骨にはふんだんに布が貼り合わされ、大人が数人、すっぽりと入れてしまうのほどの大きさがあった。

「――虫のいい頼みをしているのは、承知してるつもりだ」

 馬車に乗り込むまでのわずかな間に、サスがティアに話しかけてきた。

「だが、アンタたち以外にレイニーを救出できる奴はいない」

「わかっている」

 ティアは馬車の踏み台に足をかけた。振り返り、サスを見下ろす。

「レイニーは、必ず助け出す。安心して待っていてくれ」

「頼む」

「では、行ってくる」

 言い、ティアが箱馬車に乗り込みかけた時、「ティア」と、サスから呼び止められた。ティアがもう一度振り返ると、

「アンタが、何者であっても構わない。俺たちにとっちゃ、レイニーを助けてくれる奴が正義だ。――アンタが人だろうが、吸血鬼だろうが」

 サスは、堅苦しいほどに真剣な顔つきだった。その様子にティアは微笑み、

「ありがとう」

 それだけ小声で告げ、箱馬車の奥へと入っていく。

 そのすぐ後にカホカが続いた。「じゃーな、ハゲ」と、気楽な口調でディータに手を振っている。

「見た目は変わっても、言動は変わってないな」

「なーんだよ?」

 半眼になったカホカが、ずいっとこちらに迫ってくる。

「……何でもない」

 そうこうしているうちに、馬車がゆっくりと動きはじめた。あえて長距離用の箱馬車を選んだのは、ベステージュ家領から王都に入った、という体裁を取り繕うためである。

 ティアは小窓の覆いを上げると、遠ざかる鷲のアジトを見やった。

 ――バディスは目覚めなかった。

 アジトを出る直前、最後にバディスを見に行ったが、やはり眠り続けたまま、声をかけても起き出す気配はなかった。

「きっかけ、か……」

 自分が見落としているものがある。ティアはしばらく考え続けたが、結局、答えを見出せないまま、思考をウル・エピテスへと切り替えた。

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