53 緋カホVS神託の乙女Ⅱ

 護送の馬車が、遠ざかっていく。

 ゆっくりと踏み込んでいくファン・ミリアの瞳に、カホカの背中が映った。

 機先を制すようなカホカの胴回し蹴りが放たれる。

 ――左……。

 瞬時にそう判断するや、ファン・ミリアは槍を縦にして、カホカの蹴りを受ける。すると今度はカホカの身体が逆回転し、右からの蹴りに移行した。

 ――こちらが本命か。

 ファン・ミリアはいったん出足を引き、半歩下がると、見切った動きで蹴りを避けた。

「やるやる」

 カホカがにやりと笑った。

「無手ながら、素晴らしい技のキレ味だ」

 ファン・ミリアは称賛の言葉を送りながら、左の長槍をふるった。カホカが身を屈めたのを見て取ると、一足飛びに間合いを詰めにいく。

「だが、お前の動きはすでに見せてもらっている」

 右手の剣を振り落とす。

 カホカは身体を左半身を横にして斬撃をかわした。

 剣が地を打つ。

 カホカは飛び上がった。狙いは剣と槍で交叉したファン・ミリアの両腕、重なった交錯部を踏み抜くような蹴りだ。当たれば、両腕の骨を砕く自信があった。

 対するファン・ミリアはあっさり両手の槍と剣を手放すと、交叉した腕を開いた。カホカの蹴りが空を切る。

 着地すると、間合いが詰まった。

 さらにカホカが前進し、ファン・ミリアとほぼ密着した態勢になった。

 めまぐるしい攻防に両者の髪が流れ、汗が飛ぶ。

 ――いける。

 見定め、カホカは、すぅ、と息を吸った。

 刹那の時のなか、可能な限りの脱力をし、息を吐くと同時に拳を放つ。ファン・ミリアのまとう鎧の腹部に、コツリ、と拳を押し当てた。そこから、自身の体内で生み出した力を注ぎ込む。

 その時、高い耳鳴りのような音が響いた。

 ――なんだ、この音!

 驚いたのはファン・ミリアではなく、攻撃をしかけたカホカのほうだった。

 振動が、伝わっていない。練り込む時間がないため、武器商人ボーシュの店で披露したような、相手の内部に渦の力を発生するほどの芸当はできないが、人体に力を通すだけでも十分、戦闘不能にすることはできる、はずだった。

「ぐ……!」

 理解できない状況のなか、カホカは背中に衝撃を受けた。一度は剣と槍を手離したファン・ミリアが、今度は右手に槍、左手に剣を持ち替え。槍の石突きでカホカの背を打っていた。

 ――だから、いてぇっつーの!

 背中に鋭い痛みを感じながら、あわててカホカは横に跳んだ。ファン・ミリアもカホカの動きに合わせ、食らいついてくる。群青色ウルトラマリンのマントが風をはらんだ。

「……間合いを詰めたのが、かえってあだになったな」

「うっさいやい!」

 お互いの吐息がかかるほどの距離。

 カホカは負け惜しみに言い返すと、今度はファン・ミリアに組みにかかった。

 腕を掴もうと手を伸ばす。だが、その手が何かの力でもって阻まれ、弾かれた。

 再び甲高い音が辺りに響く。

 ――またかよ!

 絶句し、カホカの身体が仰け反った。

「隙を見せたな、カホカ」

 ファン・ミリアは狭い間合いのなか、左手首を返した。自分の身体を抱きしめるような腕の動きで、逆手に剣を斬りあげる。

 ――避けられない!

 瞬間、カホカの全身が、かすかな緋の光をまとった。

「む――」

 ファン・ミリアの表情が強張り、瞳に警戒の色が浮かぶ。

 斬ったと思ったカホカが、残像となって消えた。注視しなければ気づかないほどの微量な光が、蛍火のように流れていく。

「――後ろ!」

 ファン・ミリアは右手の槍を回転させながら後ろ手に持っていく。槍の柄で自分の頭――後頭部を守ると、そこに現れたカホカの蹴りを受け止めた。

「これは、先ほどゲットーに見せた技だな」

 顔を横向かせ、肩越しに背後のカホカをうかがう。

「一回、見ただけで防ぐなよ」

 カホカは苦笑するしかない。

付与魔術エンチャント・マジックといい、なるほど、からくりが見えてきた」

「サティアのもね」

 ファン・ミリアは振り返ると同時に剣を薙いだ。

 カホカは素早く屈んでやりすごす。お返しとばかりにカホカが足を払いにいくも、ファン・ミリアはひょいと足を上げ、簡単にかわしてしまう。

 ――ああん、もう!

 ほとんどの動作が読まれている。

 再び、構えの姿勢を取った。

 ――嫌になるくらい、いい眼をしてるなぁ。

 カホカはうんざりした気分で思う。

 虚実折り混ぜてはいるものの、なかなか隙が作れない。

 ――やっぱり、強い。

 強すぎる、と言っても過言ではない。

 見せた技を瞬時に理解する洞察力と、即座に対応可能な鋭敏な感覚。

 カホカから見ても、ファン・ミリアは戦闘の申し子だと思った。

「どうした。もう手詰まりか?」

 一方のファン・ミリアは、まだまだ余裕がありそうだ。息もあがっていない。

 ファン・ミリアは槍と剣との二刀流。すなわち、攻撃に特化した型である。

 逆に言えば、防御を捨てている、ということにも通じる。

 だからこそ付け入る隙があると踏んだが、どうやら当てが外れたらしい。

「サティアは、ずるい!」

 構えを取りつつ、カホカは声高に言い放った。

「なに?」

 ファン・ミリアは一瞬、意味がわからないといった表情を浮かべる。

「なんか変な防御をしてる!」

 背中の痛みを感じながら、カホカが己の身を襲った不条理に抗議すると、

「変な防御ではない。我が星神シィン・ラ・ディケーの庇護だ」

 言ったファン・ミリアの前面の空間が、わずかに歪んだ。そこに、眩しいほどに光輝を称えた盾が浮かび上がる。

「――ラズドリアの盾」

 ファン・ミリアを英雄たる地位に押し上げた力の片翼である。

 ラズドリアの砦包囲戦において、ファン・ミリアが『神託の乙女』として神の啓示を受けた際に宿した、対魔、対人を兼ねた不可侵の領域――それがラズドリアの盾だった。

「悪いが、これは私にはどうしようもない。ほとんど無意識の力だからな」

 意識すればより防御力の高い盾の形として現出させることもできるが、普段はファン・ミリアの全身を、薄い膜のように取り巻いている。

「言っておくが、先に火の粉を飛ばしたのは、カホカ、お前のほうだ」

「知ってたら手を出さなかった!」

 いまなら泣いて謝れば許してもらえるだろうか。

 本気でそう考えはじめた。その弱気がカホカの表情をかすめたらしい、

「素直なのはお前の美点としておくにしても、許される状況ではないぞ」

 先回りしてか、ファン・ミリアから言われた。

 ――ですよねー、とカホカは心の中で思う。

「それともうひとつ言っておくと、私が『ずるい』なら、カホカも似たりよったりだろう。魔法を直接まとえる能力など、私は聞いたことがない」

「……特異体質ってやつでね」

 カホカが持って生まれた能力だった。高祖母であるマイヨールの血統がそうさせるのか、カホカは生まれつき、行使された魔法を自身の意思によって滞留させることができた。

 魔力ではなく、魔法。

 これにより、付与魔術を直接その身にまとい、かつ自身の制御下において利用する、といったことも可能となる。

「でも、サティアのがずるい! それが聖女のすることか!」

 詐欺だ! 勝てるか! と、意固地にカホカが言い続けると、

「まったく、お前は得な性格をしている」

 根負けしたのか、ふと、ファン・ミリアの気がゆるんだ。

「――ラズドリアの盾は、最強ではあるが、絶対ではない。完全なものなど、この世にありはしない」

「どういう意味?」

 カホカはしげしげとファン・ミリアを見つめる。

「それ以上の力で挑んで来い、という意味だ」

 話は終わりだ、とばかりにファン・ミリアは剣と槍とを構える。

「時間が惜しい。戦って捕まるか、大人しく捕まるか。好きなほうを選べ」

 すでに、聖騎士のゲットーをはじめ、護送車と兵士たちは先に進んでいる。鷲のギルド員たちもすでに姿を消し、残っているのはカホカとファン・ミリア。そして倒れた者ばかりである。

 ――ここまでは一応、作戦どおり。

 聖騎士のうち、ひとりを仕留め損なった。本音を言えば今すぐにでも馬車を追いたかったが、現状は逃げることも難しい。そうさせまいとファン・ミリアが注意しているのは明らかだった。逃走しようと迂闊に隙を作れば、それこそ斬り殺されかねない。

 わかってはいたが、やはり自分に選択肢はなさそうだ。

 ――もう、こうなったら!

 いよいよ腹をくくるしかない。カホカは強く足を踏み直した。

「やったらぁ!」

 やけくそになって叫ぶ。

炎神炎舞ラング・タンツ!」 

 その言葉をきっかけに、カホカの全身から炎が噴き上がった。炎は一本の太い綱のように繋がると、大蛇がとぐろを巻くがごとく全身を包み込む。

 見た者の眼を刺すほどに鮮烈なあかい炎。

 師匠の下での修業時代、兄弟子であるタオが『緋カホ』と名付けたその力。

「もう泣いたって許してやんないかんな!」

 カホカが威勢よく言うと、

「望むところだ」

 ファン・ミリアが不敵なまでに冷静な口調で応える。

 ――ああ、帰りたいよう!

 言うまでもなく、泣きたいのはカホカ自身だった。

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