36 鷲のギルドⅠ

 王都の西北、外門の内側に、鷲のギルドはあった。

 位置としては宿からトゥーダス=トナーの家を線で結び、その延長線上の外壁手前といった場所である。

 ここらは農家や地方及び異国からの出稼ぎ、上京した学生、果ては非合法な組織といった、人種も国籍も様々な坩堝るつぼの様相を呈しており、治安も決して良いとは言えない区画だった。

 その区画の奥まった場所に、崩れかかった古い民家がある。

「ここです」

 バディス=ノウの案内を受け、ティアとカホカはそろって民家を見上げた。

「いまにも崩れ落ちそうだな」

 ティアが感想を漏らすと、「すいません」と、バディスが頭を下げてくる。

「ティアさんに相応しい場所ではないですよね」

「いや、そういうつもりで言ったわけじゃ……」

 非常に返答がしづらい。

 告白をされた以上、バディスから好意を抱かれているのはわかるが、自分のことを本当に女神だと勘違いしているのではないか、と思ってしまう。

 ――吸血鬼だと知ったら、彼はどう思うだろう。

 そんなことを考えていると、

「わかってんなら連れてくんなこのド変態が! ティアさんみたいな女神にこんな掃き溜め似合わねぇんだ!」 

 カホカが偉そうな態度でバディスに文句をつけている。

「やめろ、カホカ」

 ティアが言うと、ふん、とカホカは苛立つようにそっぽを向いた。宿を出る前からどうにもカホカの機嫌が悪く、ことあるごとにバディスに対して言いがかりをつけては怒鳴り散らしている。

「どうしたんだ、さっきからおかしいぞ」

「べーつにぃー」

 そのくせ、何度訊いても不機嫌の理由を言おうとしない。

「すまない。いつもはこんな感じじゃないんだ」

 赤子がぐずった時のような物言いでティアが謝ると、

「いえいえ」

 傷だらけの顔に人の好さそうな笑顔を浮かべ、バディスが小声で告げてくる。

「僕がティアさんに失礼なことをしてしまったから、カホカさんは怒っているんだと思います」

「……気にしないでくれ」

 バディスから見れば、カホカだけでなく、ティアも年下である。初対面の自分に告白してフラれた負い目はあろうが、彼の穏やかな接し方はティアの目には新鮮に映った。

 以前、リュニオスハートの花街で酔客相手に給仕をしていたティアにとって、男から言い寄られること自体には慣れている。

 うんざりするほど、である。

 迷惑に思いこそすれ、嬉しいと思ったことは一度もない。

 そしてティアの経験上、申し出を断った場合、相手は腹を立て、挙句、強引に胸や尻を触ってくることもすくなくなかった。

 それに対し、バディスの反応は紳士的で、ティアがはじめて経験するものだった。

 そういった意味で、新鮮なのである。

 ティアはじっと、バディスを見つめた。

「な、なんでしょう?」

 バディスは笑顔の上に戸惑いを重ねる。

「いや、バディスは人間ができているなと思って」

 基準が酔客になっているため、ティアの男に対する閾値いきちはかなり低い。

 ティアが思ったままに言うと、バディスの傷だらけの顔に、花が咲いたような笑顔が広がった。

「本当ですか?」

 飛び上がるような喜びを見せながら、バディスはティアの手を取る。

「僕にはまだ可能性があるのでしょうか?」

「可能性?」

「ティアさんの伴侶となる可能性、です!」

「……ない」

 ティアがにべもなく断ると、「そうですか……」と、バディスの肩ががっくりと落ちた。

「秘技、持ち上げて、落とす」

 カホカが「ザマーミロ」とバディスの向こう脛に蹴りを入れている。「痛っ、ちょっと、痛いです!」と逃げ回るバディスに、カホカが「オラ、泣けよド変態、オラ」と、執拗な責めを繰り返している。

「カホカ、いい加減にしろよ」

 とはいえ、本気でカホカが蹴れば脛どころか足そのものを粉砕させることも可能だろう。

 不機嫌でも最低限の手加減はしているらしい。

 ――あんまり手を掴まれても困るしな。

 下心だけで迫られれば対処に困らないが、そうでない場合のあしらい方をティアは知らない。

 思いながら、家のなかに入っていく。

「誰もいないな」 

 灯はない。暗闇のなかで夜目を利かせてみたが、人の姿も見当たらなかった。

 家は朽ち果てている。王都に入る前にカホカと寄った、ルーシ人の溜まり場のほうが百倍はマシかと思われるほどだった。

「だが、人の気配はあるな」

「わかるんですか?」

「私よりも、カホカの方が長けている」

 ティアがカホカを見ると、「下でしょ?」と、長靴ブーツの先で床板を鳴らした。

「ここ、地下があるんだね。こりゃ普通の人にはわかんないわ」

「すごい……! 正解です」

 バディスは感嘆の声を上げながら、家の奥へと進んでいく。入口からは壁で死角になっている空間に入ると、向かいの壁際に柱時計が置かれていた。

 針は止まっている。

「これが仕掛けになっているんです」

 バディスは片手で時計のガラス戸を開くと、指先で短針と長針を動かす。

 カチリ、と時計の中で何かが噛み合う音がした。

「いま、下の連中に、僕たちが来たことを知らせました」

 言いながら、バディスは針を元の適当な位置に戻す。

「へーぇ、面白いな」

 カホカが感心して時計を覗き込む。

 しばらく待っていると、壁の裏から人の気配を感じた。

「旅」

 男の声が聞えてくる。

「一尾」

 すかさずバディスが答えると、音もなく壁が開いていく。

 ――合言葉か。

 カホカがルーシ人の長老から教えられた、鷲のギルドで使われる符牒である

 壁のむこう側は地下へ続く階段になっていた。それを背に、ひとりの男が立っている。

「バディス、無事だったか!」

 男はバディスを見ると、喜色をあらわにした。

「ああ、心配かけた」

「ひでぇ顔だな、オイ! ――あ、もともとだったか」

「大きなお世話だ」

 軽口を叩きながら、バディスと男は拳をコツリと合わせる。

「で、そこに立っているのは?」

 暗闇のなか、男は幾分、表情を引き締め、バディスの肩越しにティアとカホカをうかがう。

「ティアさんと、カホカさんだ」

 バディスは言って、経緯を説明する。

「恩人だ。俺が蛇に追われてるところを、ふたりに助けてもらった。もしふたりがいなかったら俺は今頃、蛇のアジトでなぶり殺しにされていた」

「そうか」

 男はバディスの説明を聞くと、

「バディスが世話になったみたいだな。俺からも礼を言おう」

 こちらに対して頭を下げてくる。

「いいってことよ」

 カホカが快活に言うと、一瞬、男はきょとんとした顔を作り、すぐに笑い声を上げた。

「面白い奴だな、来いよ。歓迎するぜ」

「ティアさん、カホカさん、お先にどうぞ」

 バディスに促され、ティアを先頭に一行は階段を下りていった。

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