37 鷲のギルドⅡ
誰もが息を呑んだ。
鷲のアジトに現れたふたりの少女を起点として、返す波のごとく、室の喧噪が静まっていく。
見る者に言葉を失わせ、視線を釘づけにし、心を奪う。
水を打ったように静まり返った室内を、ティアはぐるりと見回した。
「思った以上に広いな」
「人も多いね。三、四十人はいそう」
カホカの言葉に、うん、とティアはうなずく。
灯に照らし出された男たちの顔が見える。服装も様々だった。
その誰もがティアを何者かと疑いながら、声をかけることができない。なかには酒杯を傾けたまま硬直する者もいた。
しかし、それも長くは続かなかった。
その後に続くバディスの姿に気づいた者から、波が打ち寄せるように、ざわめきが戻ってくる。
「バディスじゃねぇか!」
「いま戻ったぜ。心配かけてすまなかったな」
バディスは照れた笑顔を浮かべ、仲間にむかって手を上げた。
「この野郎、死んじまったと思ったじゃねぇか!」
ひとりがバディスに抱擁し、背中を叩く。
「痛てっ! ばか、こっちは怪我人だぜ」
バディスは痛みで顔を引きつらせながら、それでも嬉しそうだ。
「この野郎、前より男前になって帰ってきやがって!」
また別のひとりが、腫れ上がったバディスの顔に軽く平手を打つ。
「ばか、だから痛てぇっつーの!」
そしてある者は、
「心配かけやがって、ええ、この野郎! どうしやがったんだ、その肩?」
陽気な声で肩を小突く。
「痛てぇ、痛てぇって!」
バディスは嬉しそうではあるが、手荒い歓迎に本気で痛がっているようだ。
「こんなどえれぇ別嬪の娘たちをどこで拾ってきたんだよ」
「金か、オイ、どこに隠し持ってやがった」
はじめは冗談めかしていたのが、次第に攻撃のレベルになってきた。
「ひとりだけ抜け駆けしようってのか、てめぇ!」
「自慢か、自慢がしてぇのか、クソがっ!」
「やめろ! ばか、お前ら!」
たまらずバディスはしゃがみ込み、必死に身を丸めて防御の姿勢を取る。
「お前ら、この裏切りモンを袋叩きにしちまえ!」
威勢のいい声を張り上げたのは他でもない、カホカである。
いつの間にか男たちの群れに紛れ込み、バディスを蹴りまくっている。
「なんでカホカまで入ってるんだ!」
あわててティアが止めに入ろうとすると、
「やめねぇか!」
広間の逆から、野太い男の声が一喝した。
「客人の前でみっともねぇところを晒すんじゃねぇ! お
男は頭を剃り上げ、両耳にいくつもの耳飾りを提げていた。厚ぼったいまぶたに、やや小ぶりの瞳。肌は白く、体格は極めて大きい。
――あの男、ノールスヴェリア人か。
ティアが一目見て判断できるほどに、男は典型的な北国の民の特徴を兼ね備えている。
脇には、先ほど上で壁を開けた男が立っていた。
「ディードリッヒだ。ディータでいい。バディスを助けてもらったんだってな。礼を言うぜ」
こちらに手を差し出してくる。
「ティアだ。こっちはカホカ」
名乗り、ティアはディードリッヒ――ディータと握手を交わした。
「なるほど、馬鹿どもが騒ぐだけのことはある」
ディータが一笑する。
「
「……わかった」
ようやく仲間たちから解放されたバディスは、打って変わって真剣だった。
ティアとカホカ、ディータとバディスの四人は、卓を囲んで脚の低い長椅子に腰かける。
案内された部屋は、かなり派手な造りになっていた。
「金ピカだなぁ」
カホカが室内を見回す。彼女の言葉通り、調度のほとんどが金で飾られ、床には極彩色の絨毯が一面に敷かれていた。
ディータは口を片側に寄せ、苦笑いを浮かべる。
「お頭の趣味だ。もっとも、ぜんぶ
ディータが親指で示した一角には、巨大な虎の毛皮で覆われた寝椅子が置かれていた。
「あそこの虎ぐらいだ」
「そのお頭って人、軍に捕まったって聞いたけど」
「よく知っているな」
「アタシ、ルーシ人だもん」
カホカがさらりと言うと、「そうか」と、ディータはうなずいた。
すでにバディスには伝えてあったが、鷲を助けた理由をティアが説明すると、
「お頭からは、ルーシ人は大切にするよう言われている」
「お頭もルーシ人なの?」
「いや」
カホカの質問に、ディータは頭を振った。
「俺もそうだが、生まれはノールスヴェリアだ。昔、お頭がひとりでこのゲーケルンに渡ってきた時、ルーシ人がよくしてくれたらしい。このギルドにしても、ルーシ人の協力がなければ立ち上げることができなかった、そう聞いている」
「いい人じゃん、ね、ティア」
カホカが嬉しそうに笑顔を向けてくる。
「そうだな」
ついティアも微笑み、カホカの頭をくしゃりと撫でると、
「……撫でんなよ」
むすりとカホカが唇を尖らせる。ティアは苦笑した。女の身体を持つティアだが、ここらへんの心理はさっぱりわからない。
「――で、バディス」
話題を変えるように、ディータはやや前のめりにバディスに身体を向けた。
「どうだった?」
「……ダメだ」
バディスは無念そうに眼を伏せる。
「取り合ってもらおうとしたが、門前払いされた。話も聞いちゃもらえなかった」
「傷は、蛇の奴らにやられたのか?」
「ああ、帰りに待ち伏せされていたんだ」
「どう思った?」
耳飾りに光を映し、ディータは鋭い視線を投げかける。
「どうもこうもない。これで奴らが繋がってないと思うほど馬鹿なことはないぜ」
「……だろうな」
ディータがうなずく。
それきり、ふたりの男は神妙な面持ちで黙り込んでしまう。
「具合が悪そうだな」
ティアが水を向けると、ちらりとディータがこちらを見た。
「お前たちは、旅人か?」
「そう」
ティアは認め、
「よかったら、事情だけでも聞かせてもらえないか? できることがあるかはわからないが、すくなくとも、私たちは敵じゃない」
「疑ってはいないさ」
ディーダは真顔で言った。
「すこし前にルーシ人の長老から連絡があった。旅をしている女の二人組についてな。どうにも理由ありらしいが、敵ではないから好きにさせてやってくれと言われている」
「アンタ達がルーシ人を裏切らない限りは味方してやるよ」
カホカがふふん、と膝を組む。彼女自身には他意はないのだろうが、機嫌の悪さが残っていたのか、棘のある口調に聞こえた。
その態度に、ぴくり、とディータが眉を上げた。
「カホカ、言葉が悪いぞ」
さすがによくないと思い、ティアが割って入るも、
「大した自信だが、子供が首を突っ込むと痛い目を見る」
ディータがカホカに向かって告げる。
「誰が子供だハゲ」
「お前だよ」
ジロリとディータが凄む。カホカも引かず、半眼でディータを睨み返した。
「子供に助けられておいて、偉そうに言ってんな」
「礼は言ったつもりだぜ。俺は親切心で言ってやっているんだ」
「余計なお世話だっての」
カホカが不穏な気を発しはじめる。
「んじゃ、試してみれば? アンタが納得するようにさ」
「冗談だろう?」と、ディータは大仰な仕草で両手を広げてみせる。
「俺が子供を相手にすると思っているのか?」
「試してみればぁ?」
カホカはディータを挑発するように薄く笑い、コキリと指を鳴らす。
「人を選べよ、ガキ。お前がルーシ人だから我慢してやってるんだ」
瞳に胡乱な光を宿すディータに対し、カホカは首を伸ばし、顔を傾けた。
「たぁめぇしぃてぇみぃれぇばぁ?」
口の端を持ち上げ、カホカが例の笑みを浮かべはじめた。
カホカがこれを見せると、ロクなことが起こらない。
ティアは大きく溜息をつくと、
「カホカ、機嫌が悪いのはいいが、他人に迷惑をかけるな」
「うっさいな、偉そうにアタシに命令すんな。まとめてぶっ飛ばすぞ」
ティアにまで火の粉を飛ばしてくる。やはり今夜のカホカは様子がおかしい。機嫌が悪いと思えば良くなり、そうかと思えばまた悪くなる。
かなり不安定な状態になっている。
天才ゆえの
――イスラがいてくれれば。
せめてイスラと通じている状態ならば、カホカも気が鎮まったかもしれないが、いまだ黒狼は戻って来ない。
ティアがどうしようかと考えている間にも、
「ディータ、落ち着いてくれ。カホカさんも、俺がかわりに謝りますから許してやってください」
しどろもどろにバディスがふたりを宥めてくれているが、一触即発の事態は改善しないようだ。
「カホカ……もういい。先に宿に帰っていてくれ」
仕方なくティアが言うと、カホカは「嫌だ」と、ふてくされた顔を作る。
「いいから、帰れ」
「い、や、だ」
「私の言うことが聞けないのか?」
「はぁ? 調子に乗んなこの男おん――」
ティアを睨みかけるも、カホカは顔色を変え、言葉を呑み込んだようだった。
横目に、ティアの灰褐色の瞳がカホカを映している。
「……続きは?」
ティアが先を促すと、カホカは物怖じした様子で、それでも精一杯の反抗をしているのか、「知らない」とそっぽを向いた。
「ディータに謝るか、宿に帰るかだ」
「なんでアタシが……」
そっぽを向いたままのカホカは、完全に意固地になっている。
「カホカ、意地を張るところじゃないぞ」
「知らない」
「それなら、帰れ。……これで三度目だぞ、カホカ」
赤い光を宿し、ティアが底冷えする声音で言うと、一度、カホカの肩が大きく揺れた。それでもティアが瞳に映し続けると、聞こえるか聞こえないかの小声で、「……ごめんなさい」と謝るのが聞こえた。
ティアがディータに視線を変えると、
「――俺たちのギルドの現状について話そう」
何事もなかったかのように話しはじめた。
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