34 遭遇Ⅶ

「得体が知れない、か」

 ファン・ミリアは屋敷にある書斎の椅子に腰かけ、ルクレツィアからの報告に感想を漏らした。

「ええ、ちょっと信じられなかった」

 ルクレツィアは、あくまで冷静に告げる。

 カホカの連れは若い女だったという。

 腕は立つものの、カホカほどではない。それがルクレツィアの見立てだった。

 その一方で、ルクレツィアほどの手練れの尾行に気づき、かつ警戒中の彼女の背後を取ったこと。そして隙を見て振り返った際に、惹き込まれそうになるほどの魅力を感じたこと。

 この一見、相反する事実が、ルクレツィアをして「得体が知れない」と言わしめたのだろう。

 この現象が引き起こされる状況、その可能性として、ファン・ミリアが真っ先に思い浮かんだのが、「女は人間なのか」という疑問である。

 実際にその質問をルクレツィアにしてみたところ、「わからない」という返答だった。

「私は化け物を見たことがないけれど、言われてみると、そうだったかもしれないとは思う。でも、カホカは彼女をあくまで人のように接していたし、私もサティに言われるまで、その可能性を思いつかなかった」

「人外らしからぬ人外、か」

 ファン・ミリアが親友兼従者の言葉を吟味していると、

「でも……そうね」

 思い直したように、ルクレツィアはつぶやいた。

「今もまだ、あの女に見つめられている気がするの。自分が惹き込まれてしまいそうな、特別な『力』みたいなものを感じたわ」

「特別な『力』?」

「ええ」と、ルクレツィアは部屋の天井を見上げた。

「人に目を奪われるってこと、あるでしょう? それこそサティ、人があなたの聖なる美しさに目を奪われるように」

「どうかな」

 ちいさくファン・ミリアが苦笑すると、「私は本気よ」とルクレツィアは大真面目に言った。

「私の知っている経験のなかで、一番近い感覚はそれだった。でも、似ているようでちがうもの……」

「どうちがう?」

「それは……」と、ルクレツィアはまた考え込む。

「抗うことを許さない魔性の魅力……とでも言えばいいのかしら。聖女としてのあなたには多くの人が心打たれるけれど、だからといってあなたを崇拝するかとは別問題よね? なぜならそこには多分、見た者に対する慈悲と寛容さがあるからだと思うの」

「そういうものだろうか?」

「ええ、そういうものなの」

 ルクレツィアは軽く笑い、「でも」とすぐまた表情を引き締めた。

「あの女のものは、強制力のような力があった気がする。よく、蛙が蛇に睨まれて動けなくなる、って言うけど、その状態から『ああしろ、こうしろ』という命令が飛んでくるような感覚かしら」

「恐怖によって人を縛る、ということか?」

「恐怖?」

 その言葉をはじめて知った、といった表情でルクレツィアは驚く。

「恐怖……そうよね、それもあったかもしれない」

 ルクレツィアはたどたどしく説明する。

「だけど、単純な恐怖だけだったら、私ももっと自覚しただろうし、強く抵抗することもできたと思うの。そうじゃなくて、もっと深く、この人のために尽くしたい、というか、この人の喜ぶ顔が見たい、というか……そういう前向きな気持ちを起こさせる部分もあった気がする」

 そこまで言って「ごめんなさい」と、ルクレツィアは申し訳なさそうに謝る。

「自分でもよくわからないことを言ってる自覚はあるわ」

「構わない。それほど奥深く人を引き寄せる力だったということなのだろう」

 ファン・ミリアは親友を励ましながら、

「強制力のある、人を引き寄せる魔法ならあるが……」

「『魅了ファシネーション』って魔法でしょう。それなら私も知ってるわ」

「ああ、だが……」

「魅了は同性には効かない魔法だったはず」

 その通りだ、とファン・ミリアはうなずく。

「しかも心を支配した上、行動まで意のままに操る魔法など聞いたことがない」

 『魅了』はそれほど大それた魔法ではない。せいぜいが人目を惹く、といったきっかけを与える程度である。よほど熟練した魔法使いだったとしても、単純な好意を持たせるのが限界だろう。

 おまけに単純な分、逆のきっかけ――その者に対する負の感情によってあっさり解除されてしまう。

 働きかける力も劇的でなければ、長続きするような魔法でもない。

「だが、もし女が人間ではないのなら、魔法ではなく、それに類する特別なじゅつなりを持っているのかもしれない。――とすると、カホカは操られている、ということになるのだろうか?」

「それは私も考えた」

 ルクレツィアは首を横に振った。

「でも、カホカにはちゃんと彼女自身の意思があった。単純に女の意見を尊重してるだけの印象を受けたわ」

 そうか、とファン・ミリアは息を吐いた。

「つまり、女にはカホカほどの者を惹きつける魅力があり、同時に初対面のルクレツィアを惹き込むほどの術を持っている、ということか」

「断定はできないけど、当たらずも遠からずって感じかしら」

 それより――と、ルクレツィアはファン・ミリアを見つめる。

「もっと気になるのは、その彼女があなたのことを『筆頭』と呼んだこと」

「そうだな」

 認めつつ、しかしこれに関してはお手上げだった。ファン・ミリアほど名の知られた存在であれば、知っている人間よりも、知られている人間の数のほうが圧倒的に多い。彼女を筆頭と呼ぶ人間だけでもすくなくない。そもそも、相手が自分の素性を隠すため、意図的にその言葉を使った可能性もある。

「雲を掴むような話だ……」

 思い当たる人間が多すぎるというのは、思い当たる人間がいないのと同義だ。

「私を恨んでいるのだろうか」

「いいえ。サティに対する敵意は感じられなかった。彼女の言葉通りに解釈するなら『そっとしておいてくれ』ということかしら」

「しかし、いつか私と事を構えかねない、とも言ったのだろう?」

「本人が望んでいるというより、必然的にそうなる、といった口ぶりだったわ」

「すくなくとも、いまは敵ではない、ということか」

「どうするの、サティ? いちおう彼女たちの宿は押さえてあるわ」

「そうだな……」

 正直なところ、ファン・ミリアは判断を決めかねていた。

 カホカの連れ――女の存在は確認できたものの、依然として不明な点は多い。

 まず考えるべき要素としては、女が人間か、人間でないか、ということだ。

 女が人間であれば、ファン・ミリアを「筆頭」と呼ぶ以上、過去に因縁のある人物、ということになる。

 一方で、女が人間ではなく、かつ、ファン・ミリアを知っている場合、かつて自分が滅ぼした魔に属する者、その者に関係する何者か、ということになる。

 どちらも因縁があるという意味では同じだが、特に後者の場合、ファン・ミリアは立場上、その女を捨て置くわけにはいかない。魔を滅するのは、聖騎士団筆頭としての義務だからだ。

 だが、ファン・ミリア自身の心証として、カホカとの出会いは偶然だった。

 であるなら、先にやぶをつついたのはこちらである。

 しかも、尾行に気づかれたにも関わらず、ルクレツィアは無傷の帰還を果たしている。

 女は知らないが、もしカホカが本気を出せば、ルクレツィアとて無事では済まなかっただろう。それはルクレツィア自身が認めるところだ。

 今の時点でさえ、ファン・ミリア自身、カホカに対して好意こそあれ、悪印象は持っていない。

「難しいな」

 そう言わずにはおれなかった。

 本音を言えば、どうこうするではなく、純粋にその『女』に会ってみたかった。けれど、会ってしまった以上、知らぬ存ぜぬは通らない。

 場合によっては不幸な結果を招きかねない。

 ただの興味本位で動くには、ファン・ミリアの職責は重すぎる。

「ルクレツィアはどう考える?」

 意見を求めて尋ねると、

「……そうね」

 ルクレツィアはその問いを待っていたようだ。おそらく、ファン・ミリアの考えていることを彼女は理解してくれているのだろう。

「得体は知れないけど、いまは放っておいても問題はないと思う。でも、後々の禍根を残すことにもなりかねないわね」

「かといって、私がいますぐ動いた場合、カホカとの禍根を残すことになる」

「あの女が人間でないのなら、そうなってしまうわね」

「将来の不確定な禍根か、現在の確実な禍根ということになる……」

「カホカもろとも、すべての禍根を断ち切る、って方法もあるわよ」

 軽い口調ではあるものの、内容は物騒きわまりない。

「ルクレツィアは本気でそう思っているのか?」

「ひとつの方法を言ってみただけよ」

 心外そうにルクレツィアは言って、

「でも、サティはその方法は取らないと思ってる。だって、あなたはこの国の栄えある聖女様だもの」

 自信満々といった親友の台詞に、ファン・ミリアは苦笑するしかない。

「どうにも決められないな。明日、団長にも相談してみよう。喫緊の事態ではないようだし、私も考える時間が欲しい」

「あら、あなたが問題を先送りするなんて珍しいわね」

 ルクレツィアの揶揄に、ファン・ミリアは笑って返す。

「今日は休暇だからな。余裕がないのはよくないのだろう?」

「あらあら、よっぽど根に持たれてるみたいね」

 ルクレツィアはおどけるように肩をすくめてみせた。

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